オークランド諸島

オークランド諸島の最新ニュースをまとめて検索!

オークランド島の南岸

オークランド諸島(オークランドしょとう、: Auckland Islands)は、ニュージーランド南島のブラフ港から南へ465Km沖合いに浮かぶ無人の諸島である。南緯50度30分から南緯50度55分、東経165度50分から166度20分の範囲に位置している。世界遺産ニュージーランドの亜南極諸島の一部として登録されている。

目次

[編集] 地理

スペースシャトル・エンデバー (STS-89) から撮影したオークランド島

オークランド諸島の中で最も大きな島はオークランド島であり、面積は510平方キロメートル、長さは42キロメートルである。切り立った崖と荒涼とした地形が特徴であり、断崖の高さは600メートルを超える。カバーン峰 (650メートル)、レイナル山(635メートル)、デュルビル山(630メートル)、イーストン山(610メートル)、バベルの塔(550メートル)などの山々がある。

オークランド島の南にはアダムズ島があり、オークランド島とアダムズ島はカーンリー水道として呼ばれる細い海峡によって隔てられている。この海峡は死火山の火口の残骸であり、かつてオークランド島の南部とアダムズ島は一つの火山の外輪山を形成していた。アダムズ島には高さ660メートルのディック山がそびえている。

オークランド諸島には他に多数の小さな島々の密集している領域が存在する。注目すべき領域としては、オークランド島の北西10キロメートルに位置するディサポイントメント島と、オークランド島北端から北方1キロメートルに位置するエンダービー島であり、それぞれ5平方キロメートル以内に小さな島々が密集している。

オークランド島には多くの入江が存在し、特に島の北端のポート・ロスには深く入り込んだ入江がある。

[編集] 歴史

オークランド諸島は、1806年イギリス捕鯨船船長、アブラハム・ブリストーによって発見された。ブリストーは、ブリストーの父親の友人である初代オークランド男爵ウィリアム・イーデンに敬意を表して、1806年8月18日に「オークランド卿のもの」と命名した。翌1807年イギリスはオークランド諸島がイギリス領であると主張し、1839年には探検家のデュモン・デュルビルがオークランド諸島を訪れた。また、同1839年と翌1840年には探検家のジェームズ・クラーク・ロスがオークランド諸島を訪れている。

1846年イギリス社会改良家、チャールズ・エンダービーは、オークランド諸島に農業捕鯨を基盤とする組織を設立するため、マオリ族の一団をニュージーランド本島からオークランド諸島へ移住させる計画を立てた。エンダービー率いる一行は1850年にポート・ロスへの定住を試みたが、わずか2年で失敗に終わった。現在のオークランド諸島は無人である。

1863年、イギリス帝国議会は、ニュージーランドの境界線をオークランド諸島まで広げた、

オークランド諸島の沿岸は起伏の激しい地形であるため、数多くの船が損害を被った。1864年1月3日にはオークランド諸島沿岸でスクーナー船グラフトン号が難破、1866年5月14日にはオークランド諸島西方沖でジェネラル・グラント号が難破した。ジェネラル・グラント号には金塊が積まれていたと伝えられており、これまでに幾度となく積荷の引き揚げが試みられてきた(引き揚げはすべて失敗している)。20世紀に入ってからも海難事故は絶えず、1907年にはディサポイントメント島近海でダンドナルド号と12人の乗組員が行方不明になった。

1940年代に入り、オークランド諸島はニュージーランド測候所に管理されるようになったが、わずか数年で閉鎖された。

[編集] 生態

ニュージーランドアシカ

21世紀初頭、オークランド諸島はニュージーランドアシカ及び ペンギンアホウドリを始めとする様々の海鳥、ミナミセミクジラの主な繁殖地域となっている。

[編集] 参考文献

  • Wise's New Zealand Guide (4th ed.) (1969). Dunedin: H. Wise & Co. (N.Z.) Ltd.
  • Appendix to the Journals of the House of Representatives of New Zealand (1863, Session III Oct-Dec) (A5).

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月22日 (火) 23:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【オークランド諸島】変更履歴

ご利用上の注意