オートレース選手
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オートレース選手(オートレースせんしゅ)とは、公営競技のオートレースにおいて、賞金を獲得するプロの選手である。オートレーサーとも呼ばれるが、正式名称は小型自動車競走選手である。2009年7月現在で471名の選手が登録されている。
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[編集] オートレース選手になるには
オートレース選手になるためには、まず、原則として2年に1回行われる選手養成所入所試験に合格しなければならない。この試験は極めて競争率が高い。なお2003年の第29期募集までは「原則として満23歳以下(ロードレース世界選手権・全日本ロードレース選手権等で顕著な成績を挙げている者については満28歳以下)」という年齢の上限が定められていたが、2007年の第30期募集からは年齢制限の上限を撤廃し、下限も従来の「満18歳以上」から「満16歳以上」に引き下げている。また従来は受験資格が「男子」に限られていたものも撤廃されたため、今後女子のオートレース選手が誕生する可能性が生まれた[1]。
試験に合格すると、筑波サーキットに併設されている選手養成所に入所し、10ヶ月の基礎訓練を行う(30期からは9ヶ月に短縮された)。この間、候補生は正月の帰省以外の私用外出は許されず、外部との連絡も手紙、電話(時間限定)に限られる。この養成所生活を経て、選手資格検定(規定タイム3.60以上)に合格した者がJKAの選手として登録され、各オートレース場へ配属となる。
前述の通り選手募集は原則として2年に一度行われることになっているが、2005年は選手募集が行われなかったため今後の先行きに不透明感が漂っていた。しかし、2007年6月25日から、第30期選手候補生の募集を行うと日本小型自動車振興会(当時)が発表した。
[編集] オートレース選手の生活
オートレース選手は職業分類上、個人事業者である。かつては競走車を自宅に持ち帰り整備することも可能だったが、1993年10月に競走車のエンジンがセアに統一されて以後(それまでのエンジンは選手ごとにさまざまだった)は整備要綱が改正され、選手による競走車の持ち出しは禁止された[要出典]。
競走開催期間中、選手はオートレース場から出ることを禁じられている。また、外部との連絡も原則として禁止されており、携帯電話は前検日に競走会へ預ける。これは、インサイダーやノミ行為等の不正行為を防止するためには必要不可欠な事であり、他の公営競技においても同様である。数年前、携帯電話で会話をする選手がテレビで中継されてしまい問題となった。携帯電話を持ち込んだ選手は斡旋停止処分が下された。[2]そして2009年に伊勢崎オートレース場に所属していた選手が携帯電話をオートレース場に持ち込んでいた事が発覚。選手登録除外の処分を受けた。
[編集] オートレース選手の収入
選手の収入は、主に競走(レース)に出走した際の賞金で賄われる。一般競走の1着賞金は約8万円前後、一般競走の優勝賞金は30万~80万前後、記念(GI・GII)競走の優勝賞金は200~600万円程度、スーパーグレード (SG)競走の優勝賞金は1500万円~3220万円である。
トップレベルの選手になると年間に1億円以上の賞金を稼ぐこともある。ただし、賞金額は減少傾向にあり、2007年以降は、年間に1億円以上の賞金を稼いだ選手は出ていない[3][4]。
前述した通り、オートレース選手は個人事業主という扱いであり、エンジンや競走車のフレーム、タイヤ、部品、更にはツナギ(レーシングスーツ)やプロテクターに至るまで全て自費で購入しなければならない。そのため、ランク上位に属する選手は潤沢に部品を購入することが出来、それ故競走車の性能も高い水準に保つことが出来る一方、ランク下位に属する選手は整備費用に事欠き、副業を持っていることもある。
[編集] 選手のクラス分け
選手は晴・雨等全ての競走の競走成績を対象として入着順位、競走タイム順位を得点化した審査方法により、全国統一ランキングによってクラス分けされる。
1月1日 - 6月30日の競走成績に基づくランクが10月~翌年3月まで適用され、これを前期ランクと呼び、7月1日 - 12月31日の成績に基づくランクが翌年4月~10月に適用され、これを後期ランクと呼ぶ。上位96名がS級、それ以降の224名がA級、更にそれ以降(2009年度前期)がB級に叙される。
S級第1位の選手は全国ナンバーワンとしてナンバーワン勝負服を纏ってレースに出ることが許される。S級第1位は、2007年度前期・後期適用ランクにおいては田中茂選手(26期、飯塚オートレース場所属)、2008年度前期・後期・2009年度前期・後期適用ランクにおいては高橋貢選手(22期、伊勢崎オートレース場所属)である。
[編集] 選手寿命
オートレース選手の寿命はかなり長い。競馬や競輪などと比べて、体力よりも技術に比重がかかる競技システムから言えば当たり前でもあるが、そのことを前提にしても、60歳代の選手が現役で走っていることも決して珍しくないというのは、他の競技に比べるとかなり珍しい光景と言える。一方で、事故による殉職や落車事故の後遺症などで若くして去る選手も少なからず存在する。
平均化すると、デビューが20歳として、現役期間は大体30年から40年といったところであろうか。因みに、現在の現役最年長選手は浜松オートレース場所属の谷口武彦(4期)で、2008年1月現在で67歳である。また、現役最年長記録は西方義治(期前・昭和25年度登録。元川口オートレース場所属)の70歳である。
森且行がデビューした頃、オートレースに対する認識が薄い一部メディアが「あんなロートルでもやっていける生温い業界」という内容の報道を行ったとされる[要出典]。これは、当時の報道全般が「森批判」をしていたことと照らしても極めて侮辱的な内容であった[要出典]。
しかしながら、こうした批判は的外れである。森がデビューした1997年当時のベテランといえば、大半が期前(因みに期前とは、選手養成所による養成制度が開始される以前に選手となった者を指す便宜的な呼称の事で、現在は期前登録の選手は存在しない)の選手で、彼らは例外なく現在の舗装路コースより危険なダートコースでの競走に身を置いていた。また、中にはダート時代から舗装路時代の中途までを四輪車競走の選手として過ごし、四輪車競走の廃止に伴って二輪車に転向した選手もいた。
多くの仲間を若い頃に落車事故等で失い、それでもなお現役のオートレース選手として戦い続けてきた彼らの多くがこうした報道に憤った。中でも小須田栄一(川口オートレース場所属、1937年6月5日 - 2004年9月20日)の怒りは凄まじいものであったと伝えられ、それ以降しばらくの間見違えるような競走成績を挙げた[要出典]。ファンの中にはこうしたベテラン選手の活躍を楽しんでいる者も多く存在する。
オートレース界にも新陳代謝制度が存在し、競走成績が振るわない選手が自主的に引退をしていくという制度がとられている。特に飯塚オートレース場では多くのベテラン選手がほぼ一斉に引退し、平均年齢が大幅に低下した経緯がある。2005年の選手候補生募集が行われなかったこともあってか、現在新陳代謝制度は実質的に機能を停止していたが、30期生のデビューに伴い2009年3月に新陳代謝制度が適用されることになる。 2009年3月の新陳代謝においては、30期生が20人デビューするのに合わせて、過去2年間(2007年1月から2008年12月)の競争得点が低い選手20人が登録消除の対象となる。また下位20人に入っていなくとも、平均競争得点40点未満の選手も対象となるが、現在のところ平均競争得点40点未満の選手は数名程度である。なお期間内に自主引退した選手(2007年1月から現在まで12人)は20人の枠に入れて計算するので、結果的に2009年3月に成績不振により登録消除となる選手は8人以下となる。
[編集] 全日本オートレース選手会
オートレース界にもプロ野球などと同様に全日本オートレース選手会(以下 選手会)という組織が存在する。事実上、個人事業主である選手の組合という側面もある。オートレース選手は選手会の全国の支部に所属している。
選手へのペナルティを参加自粛要請という形で日本小型自動車振興会とは独立して行うこともある。
選手会の幹部はオートレース選手ではあり、他の選手と同様、ランクに応じて競走に参加している。
[編集] 余談
- 飯塚オートレース場の初期、村上俊春、田中健二郎、江角選手等の名選手が存在した。
- ダート時代、一時的にではあるが女性のオートレース選手が存在した。150ccの6級車でレースを行っており、半ば見世物のようなものではあったが人気はなかなか高く、浜松オートレース場に所属した岡本七重選手など、人気選手も多かった。しかし、殉職事故の多発や選手層の薄さによるレースの単調化とそれに伴う人気の低下、更には結婚等の事情による選手引退が連続し、上記した岡本七重選手が1960年に引退したのに伴い、自然消滅という形で廃止になった。しかし、2006年12月23日に川口オートレース場で開催されるスーパースターフェスタ (開催4日目)に、『オートレース・ウーマンズリーグ』と題し、実に46年ぶりに女性レーサーによる4周回の模擬レースが行われた。詳細はオートレース・ウーマンズリーグの項を参照されたい。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月24日 (土) 14:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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