オーバー・ダビング
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オーバー・ダビング(Over Dubbing)、オーバー・ダブ(Over Dub)とは、マルチトラック・レコーダーなどを使用し、最初に録音した音声などに対して、再度同じ音声などを重ね録りする多重録音の手法 [1] 。同一の者が同じ歌や楽器演奏のパートをもう一度オーバー・ダビングする際は、ダブル・トラッキングと呼称され、音質補正や聴感上の響き方などを変えるためなどに用いられている。CD-RやMD、オーディオ・カセットテープなどへの、音声データなど録音内容のコピー作業を指す「ダビング」とは用例として区別されている。
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[編集] 歴史
多重録音技術を駆使して演奏にユニークな特性を持たせようとする試みは古くから存在した。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による1937年のフランス映画『舞踏会の手帖(Un Carnet De Bal)』のテーマ曲『灰色のワルツ』(モーリス・ジョベール作曲)は、楽譜を逆から演奏してレコードに録音し、このレコードを逆回転再生してサウンドトラックに転写したもので、回想の物語に相応しい幻想的な響きのメロディーを得ている。1940年代までの録音手段はSPレコードとフィルム・サウンド・トラックのみで編集の自由度はかなり低かった。オーバー・ダビングが容易となる背景にはドイツで発明された磁気テープとそれを運用するためのテープレコーダーが第二次世界大戦後に普及し、マルチ・トラック・レコーダーへと進化したためとなる。マルチ・トラック・レコーダーによるオーバー・ダビングのテクニックは、エレクトリック・ギターの先駆者であるギタリストのレス・ポールが1940年代末期から用い始めたのが最初であり、彼はマルチ・トラック・レコーディングにおいても先駆者となる存在だった。
[編集] 代表的な例など
[編集] 1950年代
- パティ・ペイジが多重録音でユニゾン・輪唱した『テネシーワルツ(Tennessee Waltz)』は1950年に大ヒットし、この技術は大衆にも注目された。日本に多重録音を知らしめたのもこの『テネシーワルツ』である。 [2]
[編集] ジャズ界
- 多重録音で芸術効果を狙った初期の例としては、クール・ジャズの指導者的存在であった盲目のピアニスト、レニー・トリスターノがトリオ編成で1955年に録音したアルバム『鬼才トリスターノ』がある。倍速ダビングを取り入れて峻厳なサウンドを構成していたが、当時の人々からは理解されなかった。ジャズ界において多重録音が評価されたのは、ピアニストのビル・エヴァンスが単独で演奏したアルバム『自己との対話(1963年)』が最初と見られている。
[編集] アメリカ
- アメリカでは1958年から1959年にかけて、多重録音を利用したコミックソングが大流行した。デヴィッド・セヴィル(David Seville)の『ウィッチ・ドクター(The Witch Doctor)』、シェブ・ウーリー(Sheb Wooley)の『ロックを踊る宇宙人(The Purple People Eater)』、チップマンクス(The Chipmunks)の『チップマンク・ソング(The Chipmunk Song)』などがある。
[編集] イギリス
- ポピュラー音楽では42年前の1967年にビートルズが4トラック [3] のマルチトラック・レコーダーを2台同期運転させて計8トラック [4] 録音できる環境を当時のAbbey Roadスタジオ・スタッフが考案完成させ、アルバム「Sgt. Pepper's」の制作に活かされていて、作品はポピュラー音楽史に革命をもたらした。それ以前のビートルズは1台目の4トラック・マルチトラック・レコーダーの録音可能なトラックが一杯になると、もう1台別のマルチトラック・レコーダーを用意し、そちらへリダクション・ミックス [5] を行って空きトラックが増えたマルチトラック・マスター・テープのクローンを作り、オーバー・ダビング作業を繰り返していたが、トラック数と作業効率の悪さから2台のテープ・レコーダーを同期運転させることを希望していたため、スタジオ・エンジニアのケン・タウンゼント(Ken Townsend)がEMIの技術スタッフと共に研究開発して完成させた。録音できるトラック数が音楽の自由度を拡大した。 [6]
- エンヤが多重録音を用いて一人多重バッキング・ボーカルを行っている事もよく知られていて、かなりの回数に及ぶバッキング・ボーカル部分のオーバー・ダビングを行い、重厚なバッキング・ボーカルを作り上げている。
[編集] フィル・スペクター
- プロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)は、1960年代から1970年代にかけて、多重録音を駆使多用した「ウォール・オブ・サウンド [7] 」と呼ばれる音作りで一世を風靡した人物である。彼の録音手法は単純にダビングを複数回繰り返すのではなく、ギター 5〜6人、ベース 2〜3人、ドラム 2人、ピアノ 2〜3人などといった編成で同時に録音するなどで「ウォール・オブ・サウンド」を作り出していた事で有名。
[編集] 日本
- 日本で多重録音を駆使してテクニカルな効果を得た例としては、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ(1967年)」が有名である。トラッキングされた甲高い頓狂な歌声 [8] は、この曲をコミック・ソングの古典とした [9] 。純粋な二重録音として知られるのは小松未歩で、デビューから一貫して多重録音によるボーカル録音を行っている。また、山下達郎、大瀧詠一、西司、楠瀬誠志郎、遊佐未森、等が、自身の楽曲や他アーティストへの提供曲のでも、この手法を用いた一人多重録音によるバッキング・ボーカルが収録されている。特に、山下達郎は一人多重録音によるバッキング・ボーカルで構築されたアカペラ・アルバム「On the Street Corner」シリーズを出している。
[編集] 脚注
- ^ 広い意味では「重ね録り」と呼ぶ場合もある。
- ^ 当時、歌手のペギー葉山はオーバーダビングを知らず、生声でパティの真似をしようと頑張ったが、無理だったという。
- ^ 同時録音可能なトラックが計4つあるテープ・レコーダーの種類
- ^ その内1トラック分は同期信号用なので録音用としては計7トラック
- ^ 不要なノイズ除去や不要なトラック整理などを行うミキシング作業の一種類
- ^ 大量消費音楽であるポピュラー音楽に対して常に新しい可能性を与えた有名な例としての原点になっている。
- ^ 「'Wall of Sound, 音の壁」として呼称された。
- ^ これはテープ・スピードを半分の速度で動作させ、再生される音程がオクターブ下げられた状態でボーカルを録音した後、ミキシング時に元の再生スピードへ戻す手法を用いている。
- ^ 後に同様の手法を使った楽曲として、あんしんパパの「はじめてのチュウ(1990年)」やB.B.クイーンズの「おどるポンポコリン(1990年)」が知られるようになった。
最終更新 2009年11月13日 (金) 05:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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