オーレ・ブル

オーレ・ブルの最新ニュースをまとめて検索!

オーレ・ブル
Ole Bull
1880年、ニューヨークにて撮影
1880年、ニューヨークにて撮影
基本情報
出生名 オーレ・ボルネマン・ブル
出生 1810年2月5日
ノルウェー、ベルゲン
出身地 ノルウェー
死没 1880年8月17日(満70歳没)
ジャンル クラシック
担当楽器 ヴァイオリン
  

オーレ・ボルネマン・ブルOle Borneman Bull, 1810年2月5日 - 1880年8月17日)は、ノルウェーヴァイオリニスト。「ノルウェー最初の国際的スター」と呼ばれている。作曲家でもある。

ブルの葬式では、遺体を運ぶ船を15隻の蒸気船と何百隻もの(1,000隻だと言う人もいた)小舟が先導した。

目次

[編集] 人生の初期

ブルはベルゲンで生まれた。父親はブルを聖職者にしたかったが、ブルは音楽を好んだ。4、5歳で、ブルは母親が口ずさんだ歌をヴァイオリンで弾くことができた。9歳で、ベルゲン劇場管弦楽団でヴァイオリンを弾き、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団をバックにソリストも務めた。

18歳の時、ブルはオスロ大学に行かされたが、試験に落第してしまった。

Joseph Kriehuber作
オーレ・ブルのリトグラフ(1839年)

を学ぶふりをしてしばらくドイツで過ごした後、ブルはパリに行き、1、2年ろくでもない暮らしをした。しかし、最終的には、コンサートを成功させ、有名になり、財産を作ることができた。

ノルウェーではロマンティックなナショナリズムが台頭し、ブルもそれに取りつかれてしまった。ノルウェーがスウェーデンから分離して、独立国家になるという考えに賞賛を贈った。それは1905年に現実のものとなった。そういう理由で、ブルはコンサートでさまざまなノルウェー民謡を演奏した。ブルは、デンマーク語ではなくノルウェー語の俳優たちのための最初の劇場「ノルウェー劇場」(現「国民舞台」)の創設者の1人でもあった(1850年)。

1858年の夏、ブルは15歳のエドヴァルド・グリーグ少年と会った。ブルはグリーグ家の知り合いだった。ブルの兄弟がグリーグの叔母と夫婦だったのだ。ブルはグリーグの才能に気付き、グリーグの両親に、その才能を伸ばすためライプツィヒ音楽院に入学させたらどうかと説得した。

ロベルト・シューマンは、かつてブルのことを「すべてのうちでもっとも偉大な」1人に含め、ブルの演奏の速さと音色の明澄さは、ニコロ・パガニーニの域に達していると書いた。ブルはフランツ・リストとも友人で、何度か共演したこともある。

[編集] アメリカでのブル

ブルは何度かアメリカ合衆国を訪れ、その演奏は大成功を収めた。1853年、ブルはペンシルベニア州の広大な土地を手に入れ、「ニュー・ノルウェー」という植民地を建設した。1853年5月24日には、10,388ドルで45km²の土地を購入して、4つのコミュニティを作った。「ニュー・ベルゲン」(現カーター・キャンプ)、その南10kmのところに「オレアナ(Oleana)[1]」(ブル自身と母親のために名付けた)。ニュー・ノルウェーはニュー・ベルゲンから南1.6kmに位置し、その近くに「ヴァルハラ」があった。ヴァルハラの最高標準地点をブルはNordjenskaldと呼び、そこにブルは城を建てようとしたが、それは完成しなかった。この植民地計画はすぐに挫折した。耕された土地もほとんどなかった。ブルはコンサートに戻っていった。

[編集] 現在

オーレ・ブル州立公園(アメリカ、ペンシルベニア州
リーショーエン島オーレ・ブルの家(城)

ペンシルベニア州ポッター郡のOleona村[2]は、ペンシルベニア北部の山間に位置し、ルート44とルート144(オーレ・ブル・ロード)が交差する地点である。現在、地図ではOleonaとなっているが、村の境界線を示す標識にはOleanaと書かれている。サスケハナ州有林の中に、オーレ・ブル州立公園(en:Ole Bull State Park)があって、ここはブルが最初に植民地にしようと選んだ場所である。未完成のオーレ・ブル城が残された場所は散策路の中にあり、ハイキング客がさかんに訪れている。山側の景色はとても美しく、公園事務所によって管理されている。

他にも、ブルの名前を残す場所がアメリカにある。たとえば、ケンタッキー州にあるマンモス・ケーブ国立公園には、オーレ・ブル・コンサート・ホールという部屋がある。ブルがかってコンサートを行った場所だからである。また、ミネソタ州ミネアポリスのロリング公園には、ブルを記念した大きな銅像がある。

2006年、Aslak Aarhus監督が『Ole Bull--The Titan』という映画を発表した。ブルの偉業と、ベルゲンに残されたままだったフランス人の妻と子供たちの受ける衝撃を描く内容だった[3]

ところで、ブルはアメリカで建てられなかった城をノルウェーで建てることができた。リーセフィヨルドにある、リーショーエン島にそれはある。

[編集] 代表曲

ブルは何曲かの曲を書いているが、その多くは現存していない。

  • セーテルの娘の日曜日(The Herd-girls' Sunday) - 歌曲。おそらくブルの最も有名な作品で、弦楽合奏をはじめ沢山の編曲がある。
  • 夜想曲(Nocturne) op.2
  • ポラッカ・ゲッリエラ(Polacca Guerriera)
  • ヴァイオリン協奏曲 ホ短調(Violin Concerto in E minor)

[編集] 脚注

  1. ^ デヴィッド・マメットの戯曲『オレアナ』の題名はこの地名から取られている。
  2. ^ MAPQUEST
  3. ^ Minneapolis/St.Paul International Film Festival

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年10月8日 (木) 14:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【オーレ・ブル】変更履歴

ご利用上の注意