カトマンズ

カトマンズの最新ニュースをまとめて検索!

カトマンズ
काठमाडौं

カトマンズ市内
位置
カトマンズの位置の位置図
カトマンズの位置
座標 : 北緯27度42分 東経85度20分 / 北緯27.7度 東経85.333度 / 27.7; 85.333
歴史
建設 723年
行政
ネパールの旗 ネパール
 開発地域 中部地区
 県 バグマティ県
 郡 カトマンズ郡
 市 カトマンズ
地理
面積  
  市域 50.67km2(19.6mi2
人口
人口 (2001年現在)
  市域 671,846人
その他
等時帯 UTC+5:45 (UTC+5:45
夏時間 なし

カトマンズネパール語: काठमाडौं、ローマ字転写:kaṭhmaḍaũ、英語: Kathmandu)は、ネパール首都で最大の都市である。カトマンドゥとも呼ばれる。

目次

[編集] 概要

首都という場合、通常カトマンズ市をさすが、単にカトマンズという場合、カトマンズ盆地全体、カトマンズ郡(カトマンズ市部を含む)、あるいはカトマンズ首都圏(カトマンズ、パタンバクタプルの各市部)をさす場合もあるので注意が必要。

カトマンズ旧王宮広場(ダルバール広場)の南西の隅に、一本の木(काष्ठ、カスタ)からできたという伝説をもつ祭場(मण्डप、マンダプ)がある。この建造物の名称、カスタマンダプ(काष्ठमण्डप、kashthamandap)がカトマンズの名の由来だと言われる。建立年は不明だが12世紀頃ではないかと考えられている。

[編集] 歴史

カトマンズの朝市
ボウダナート(Boudhanath)

古代より、現在のネワール族(Newar)の祖先であろうと思われる非インド・アーリヤ系先住民がこの地で生活をしてきていたが、4世紀の後半にはインド・アーリア系のリッチャヴィ王朝カトマンズ盆地を征服しネパール(ネーパーラ)王国を興した。

9世紀、リッチャビ王朝の衰退以降はデーヴァ王族(リッチャビ王族とは別)がカトマンズ盆地を治めた。 その後13世紀初頭ころから、それまでのデーヴァ王族に代わりマッラ王族が台頭しはじめ、15世紀にはヤクシャ・マッラ王の死後、長男ラーヤ・マッラ王が統治するバクタプルから二男のラトナ・マッラが独立し、カトマンズ・マッラ王朝を開く。17世紀にはカトマンズ・マッラ王朝から独立したシッディナラシンハ・マッラがパタン・マッラ王朝をひらいた。こうして中世後期にはカトマンズ近辺にマッラ王朝の3つの王国(カトマンズ、パタンバクタプル)がこの地を治めていた。

1768年、ゴルカ王のプリティビナラヤン・シャハ(King Prithivi Narayana Shah)がこの地を三王国を倒し、カトマンズを首都として定めた(シャハ王朝)。1769年にネパールを統一するまでは、「ネパール」というと「カトマンズ」をさしていた。

王宮やヒンドゥー教仏教寺院などがあり、代表的な建造物としてスワヤンブナート寺院、国立博物館、ダルバール広場、バラジュ庭園などが知られる。17世紀の歴史的な建造物が多く残るカトマンズ盆地全体が、カトマンズの渓谷として1979年ユネスコ世界遺産に登録されている。

またヒマラヤ登山を志す者はほぼここで旅の支度をする。中国チベット自治区側からは規制が厳しく、ネパール側から登る人が多い。そのためネパールの最大都市であるカトマンズで必要なものを取り揃えるのである。

かつては、多くのマジックバスの終着地であった。


[編集] 地理

[編集] 気候

[編集] 政治

[編集] 産業

[編集] 交通

[編集] 観光

観光業はカトマンズの主要な収入源のの一つである。

市内のタメル地区には、ホテルやゲストハウスが多く集まり、バックパッカー、登山者、長期滞在者などで賑わっている。

[編集] 主な寺院

[編集] 教育

[編集] スポーツ

[編集] 友好都市

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
この「カトマンズ」は、南アジアに関連した書きかけ項目です。
記事を加筆・訂正
してくださる協力者を求めていますウィキプロジェクト 南アジア

最終更新 2009年9月3日 (木) 01:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【カトマンズ】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!