カムチャツカ地方

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カムチャツカ地方
ロシア語: Камча́тский край
カムチャツカ地方の旗 カムチャツカ地方の紋章
カムチャツカ地方旗 カムチャツカ地方紋章
カムチャツカ地方の位置
公用語 ロシア語
首府 ペトロパブロフスク・カムチャツキー
カムチャツカ地方知事
 - コリャーク自治管区知事
アレクセイ・クジミツキー
オリェーク・コジェミャーコ(移行期間内)
構成体種別 地方
連邦管区 極東
経済地区 極東
面積
 - 総計
国内第10位
472,300km²
人口(2002年国勢調査)
 - 総計
 - 人口密度
 - 都市/地方比率
国内第76位
358,801
0.8人/km²
81.1% : 18.9%
時間帯 UTC +12(DST: +13)PETT
ISO 3166-2:RU N/A
番号 N/A
ウェブサイト [1]

カムチャツカ地方ロシア語: Камча́тский край)は、ロシア連邦極東連邦管区連邦構成主体の一つである。

首府はペトロパブロフスク・カムチャツキー。下級行政区画として、北半分にコリャーク管区(中心地:パラナ)が設置されている。コリャーク管区を除く地域は面積 17万1300km²、人口 31万1000人、人口密度 2人/km²。

かつてはこの地域にカムチャツカ州Камчатская область、Kamchatskaya oblastʹ カムチャーツカヤ・オーブラスチ)が置かれており、現在のコリャーク管区はコリャーク自治管区として、カムチャツカ州に属しながら別個の連邦構成主体だった。2005年10月23日に投票によりカムチャツカ州とコリャーク自治管区の合併が決定され、2007年7月1日にカムチャツカ地方が成立した。

目次

[編集] 標準時

この地域は、カムチャツカ時間帯標準時を使用している。
時差は通常はUTC+12時間で、夏時間UTC+13時間である。

[編集] 地理

アジアで有数の広さのの半島カムチャツカ半島の全域を占め、北にマガダン州チュコト自治管区と隣接する。東はベーリング海、西はオホーツク海である。火山帯が走り、約300の火山がある。うち、29が活火山ユーラシア大陸でもっとも高い火山であるクリュチェフ山(4,750m)がある。噴気孔や間欠泉も多い。

カムチャッカの火山群は1996年ユネスコ世界自然遺産に登録された。

[編集] 住民

住民のほとんどは州都ペトロパヴロフスク・カムチャツキーに暮らす。ロシア人(80.9%)、ウクライナ人(5.8%)、コリャーク人(2.0%)、エヴェンキ人チュクチ人、イテリメン人、アレウト人など。

[編集] 産業

石炭雲母、黄鉄鉱、天然ガスなどを産する。

主要な産業は漁業林業、観光業。ロシア太平洋潜水艦隊の基地がアヴァチャ湾にあり、また空軍基地やレーダー基地が置かれ、軍事的にも重要な地域である。

[編集] 歴史

カムチャッカ南端はかつてアイヌ民族の居住地であり、日本人も交易のため居住していたという説もある。 ロシアは17世紀にカムチャツカ半島の領有を宣言した。17世紀半ばにイヴァン・カムチャツキー、シモン・デジネフ、コサックのイヴァン・ルベツらが探検した。

1697年にヴラジミル・アトラソフが65人のコサックと60人のユカギール人を率いて半島を調査し、カムチャツカ川に2つの船着場をつくった。それらは後にロシアの毛皮商人たちの交易の拠点となった。コサックたちは1704年から1706年にかけて独自に植民地を形成し、先住民のカムチャダル人たちを搾取した。ヤクーツクから、地域の秩序を取り戻すためにアトラソフが派遣されたときには時すでに遅く、1711年にアトラソフは殺害されてしまう。それ以来、カムチャツカはヤクーツクからの中央の影響を受けない半独立的な地域となった。1713年には約500人のコサックがいたとされる。コサックたちの過剰な搾取は住民の反乱を招き、1731年には蜂起した住民がニジネカムチャツキーに暮らしていたコサックたちを殺害した。残ったコサックたちは火器や大砲で反撃して蜂起を治めた。18世紀初めには約2万人いたとされる先住民族は、1750年には8,000人になった。

1740年デンマーク人ヴィトゥス・ベーリングによってペトロパヴロフスク・カムチャツキーが建設された後、カムチャツカは流刑地となり、次第に開かれていった。ロシア帝国政府はカムチャツカ半島への入植を奨励した。1812年には先住民族は約3,200人を切ったが、ロシア人は2,500人に上った。1854年クリミア戦争でロシアと戦っていたフランスイギリスがペトロパヴロフスク・カムチャツキーを攻撃。988人の成人男子はたった68丁の銃で、206丁の銃を持った2,540人の英仏軍の侵入を退けた。英仏軍の退却の後、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーは軍事的責務を解かれ、軍港の機能はウスチ・アムールに移された。翌年に再び英仏軍がやってきて港を攻撃したときには、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーは無人となっていた。

1867年アラスカアメリカ合衆国に売却されたため、アメリカへ渡る商人や探検家の中継地としてのペトロパヴロフスク・カムチャツキーの意義もなくなった。1860年沿海州が設置され、カムチャツカ半島はその管理下に置かれた。19世紀末のカムチャッカ半島のロシア人は2,500人ほどで、先住民は5,000人にまで増えた。1932年10月20日にカムチャツカ州が設置された。

第二次世界大戦後、カムチャツカは軍事地域として閉鎖され、1989年までは一般のロシア人も立ち入ることはできなかった。1990年以降は外国人にも解放されている。

2007年、カムチャツカ地方が設置された。


ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月1日 (日) 09:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【カムチャツカ地方】変更履歴

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