カラー映画

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カラー映画(からーえいが、Color motion picture film)は、モノクロフィルムを使うモノクロ映画(白黒映画)に対して、カラーフィルムを使用し自然のままのを再現した映画をいう。

[編集] カラー映画の歴史

カラーフィルム自体は1917年に発明されたが、1930年代前半までは価格が非常に高価なのと、撮影が難しいことからあまり使用されていなかった。なお、戦時中はどの国も外国に軍事利用されるのを恐れたため、ほとんど使われず処分された。

基本的には1935年ルーベン・マムーリアン監督の『虚栄の市』との説が定説だが、1930年の『キング・オブ・ジャズ』など反証はある。これらは当時のフィルムがほとんど現存しないためである。カラーフィルムは主にホームムービーや記録映画としてアメリカやドイツ、日本も含めた各地で使われたが、本格的な劇場用カラー映画はほとんど現存しない。

劇場用カラー映画は1939年の超大作『風と共に去りぬ』でムーブメントをおこした。第二次世界大戦から戦後しばらくの間は主にミュージカル映画で活用された。また東側諸国でも第二次世界大戦後、ナチス・ドイツから奪ったアグファカラーフィルムを使い、1949年のソ連映画『ベルリン陥落』などのカラー映画が登場した。

日本では、短編カラー映画は、1937年に作られた『千人針』が最初である。1944年に『春の歌』も作られた。この2作品はあまり知られることもなく、特に『春の歌』は作られたことは立証されているもののフィルムが戦災で焼失している。『千人針』のほうは、かなり欠損しているものの、満州に進攻してきたソ連軍に接収されたフィルムが、ロシアのアーカイブに保存されていた。1951年の松竹大船撮影所製作の『カルメン故郷に帰る』が、日本の最初の長編カラー映画であり、「日本の最初のカラー映画」としている文献もよく見かける。日本の最初のカラー特撮映画では『空の大怪獣ラドン』が最初であった。

1970年代までにはカラー映画が主体となり、1980年代以降、モノクロ映画の製作は『シンドラーのリスト』『エド・ウッド』などわずかとなった。これらの作品はフィルム価格や撮影技術などの制限で仕方なくモノクロになったのではなく、モノクロの映像が与える効果を狙って製作者側が意図的にモノクロを選んだものである。

最終更新 2009年11月22日 (日) 20:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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