アントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョ

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カレカ
名前
本名 アントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョ
愛称 カレカ
ラテン文字 Careca
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 1960年10月5日(49歳)
出身地 サンパウロ州・アララクアラ
身長 179cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW
利き足
代表歴
1982-1993 ブラジル 60 (29)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj
オリンピック
男子 サッカー
1988 サッカー競技

カレカ (Careca)ことアントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョ (Antonio de Oliveira Filho1960年10月5日 - )は、ブラジルサッカー選手。日本では、カレッカとも表記される。ちなみにカレカは禿げ頭の意味。禿げてもいない彼がこの名で呼ばれる理由は、彼がファンだったコメディアン、カレッキーニャに由来する。

目次

[編集] 略歴

ナポリ在籍時には、ディエゴ・マラドーナらと共にUEFAカップ優勝、セリエA制覇などに貢献。このときの、マラドーナとカレカは世界最高の2トップだったと言われている。マラドーナ退団後もナポリに残り、チームに貢献する。

1993年に来日し、柏レイソルJリーグ昇格に貢献した。昇格を決めた試合終了後のインタビューで「Jリーグ!」と叫んだことは有名。1999年に引退。2005年イングランドのノンリーグのクラブであるガーフォース・タウンと契約し、1試合だけ現役復帰した。

ブラジル代表では、ロマーリオの前の世代のエースストライカーとして、切れのあるドリブルとシュートセンスを武器にゴールを量産した。代表デビューは西ドイツ戦。合計62試合29得点。既にセレソンのエースストライカーであった1982年、スペインW杯直前に怪我で離脱。彼がいたら、この大会の優勝チームはブラジルであったであろうという声は多い。翌1986年メキシコ大会では、実力を存分に発揮したが、またもチームは優勝を逃した。

2006年冬、沖縄にてレキオスFCを立ち上げ2008年JFL参入、2010年Jリーグ参入を目標とすると記者発表。ビーチサッカーフットサル、11人制の三つのカテゴリーでフットボールアカデミーを軸に主に人材育成の部分で事業展開し世界各国リーグへの選手供給体制を整える、11人制のトップチームを持つクラブ型運営の確立を目指すとのこと。

中田英寿が彼を目標としていた事でも有名である。

利き足は右だが、利き手は左である。(ボールやユニホームを投げたり、字を書くのも左手でする)

[編集] 評価・プレースタイル

マルコ・ファン・バステンと似たタイプと言え、ポストプレイ、ドリブル、ラストパス、どれをとってもレベルが高い万能FW。自らもゴールを奪え、周りを使う事も上手かった。天才マラドーナも彼がいた事でナポリの優勝に貢献できた事は間違いない。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1976 グアラニ
1977 グアラニ
1978 グアラニ
1979 グアラニ
1980 グアラニ
1981 グアラニ
1982 グアラニ
1983 サンパウロ
1984 サンパウロ
1985 サンパウロ
1986 サンパウロ 31 25
1987 サンパウロ
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
198年-88 ナポリ 21 10
1988-89 ナポリ 29 21
1989-90 ナポリ 25 23
1990-91 ナポリ 9 1
1991-92 ナポリ 28 15
1992-93 ナポリ 20 4
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1993 旧JFL1部 0 0 6 4 1 1 7 5
1994 旧JFL 25 19 1 1 0 0 26 20
1995 - J 30 10 - 0 0 30 10
1996 - J 5 2 6 3 0 0 11 5
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1997 サントス
1998 カンピナス
1999 サンジョゼ
通算 ブラジル
イタリア
日本 J 35 12 6 3 0 0 41 15
日本 旧JFL1部 25 19 7 5 1 1 33 25
総通算

[編集] タイトル

最終更新 2009年11月13日 (金) 22:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【アントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョ】変更履歴

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