カンタス航空

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カンタス航空
IATA
QF[1]
ICAO
QFA
コールサイン
Qantas
設立日 1920年
ハブ空港 キングスフォード・スミス国際空港
メルボルン空港
焦点空港 シンガポール・チャンギ国際空港
パース空港
ブリスベン空港
アデレード空港
マイレージサービス Frequent Flyer
会員ラウンジ Qantas Club
同盟 ワンワールド
保有機材数 213機 (147機発注中)
就航地 144都市 (39カ国)
親会社 Qantas Airways Limited
本拠地 オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州シドニー
代表者 Geoff Dixon (CEO)
Margaret Jackson (会長)
  

カンタス航空(カンタスこうくう、Qantas Airways Limitedオーストラリアおよび南半球最大手の航空会社

目次

[編集] 概要

オーストラリアでは最古の航空会社、世界でもKLMオランダ航空アビアンカ航空に次いで3番目に古い航空会社である。また、英語圏では最も古い航空会社である。当初は "Queensland and Northern Territory Aerial Services" という社名であったが、すぐに略号であった「Qantas」が使用されるようになり、正式な社名として採用された。なお英語の発音ではカンタスは「クウァンタス」に近い。

オーストラリアは地理的に世界中から遠く離れているため飛行時間の長い長距離便が多く、カンタス航空では(経由地での交代や機内に専用休憩室もあるものの)昔から伝統的に客室乗務員に体力のある男性も多く採用している。世界で初めてビジネスクラスを導入した他、長距離用機材関連でボーイング社との結びつきも強い。

[編集] 歴史

[編集] 設立

カンタス航空は1920年11月16日クイーンズランド州で設立された。カンタスの由来は、”Queensland And Northern Territory Aerial Service”の頭文字である。 当初はクイーンズランド州西部内で路線末端とつながっている、オーストラリア政府によって補助された航空郵便サービスを運航していた。1934年にカンタス航空とインペリアル航空は合弁企業を設立し、新会社であるカンタス・エンパイア・エアウェイズ(Qantas Empire Airways)となった。それぞれの出資社は独立仲裁者の2%の株を除く49%ずつの株を保有していた。

カンタス・エンパイア・エアウェイズは、イギリス製のデハビランドDH-86 を使用してブリスベンシンガポール間の運航を開始した。なおインペリアル航空はイギリスの植民地であったシンガポール以降、同じくイギリスの植民地であったインドなどを経由してロンドンまでの乗り継ぎ路線を運航していた。

ショート23
ボーイング707(現在はカンタス航空の親善大使であるジョン・トラボルタが所有)

1938年にこの路線はショート23 Empire水上飛行艇を使用しての水上飛行サービスに置き換えられた。シドニーからサウサンプトンへのサービスは、経由地で乗客がホテルに宿泊する必要があったために9日間かかった。

[編集] 第二次世界大戦

オーストラリアやイギリスも参戦した第二次世界大戦中、カンタス・エンパイア・エアウェイズの機材の多くは1939年9月から1945年までの間にオーストラリア政府によって徴用され、それらの航空機の多くは戦闘のために飛行中に失っている。

カンタス・エンパイア・エアウェイズは1943年1944年には、当時戦争中であった日本軍の脅威を受けつつも、オーストラリア連邦西オーストラリア州パース及びセイロン(現スリランカ)間の水上飛行艇による直航便を運航していた。飛行は日本軍をはじめとする枢軸国軍による攻撃を避けるために完全に無無線で運航され、24時間以上かかった。

[編集] 第二次世界大戦後

第二次世界大戦後に、戦争による特需が終わったカンタス・エンパイア・エアウェイズは極度の財務的窮乏に陥り、ベン・チフリー首相によって率いたオーストラリア労働党政権によって接収された。ここは株式の100%を保有する政府と共に非上場の公営企業として存続した。1967年にこの会社の名称は「カンタス航空(Qantas Airways Limited)」に改名された。その後の保守政権はこの合意を継続した。

この様な状況にあったものの、大戦後ただちにカンタス航空は英国海外航空ブリティッシュ・エアウェイズの前身)と共同でシドニーロンドン間でアブロ・ランカストリアンで運航を始めた。

[編集] 拡大

その後カンタス航空は1948年に、当時の最新鋭大型プロペラ旅客機であるロッキードL-049 コンステレーションの引き渡しを受け、長距離路線を中心に導入を進めた。カンタス航空のネットワークはカンタスがブリティッシュ・コモンウエルス・パシフィック・エアウェイズ(British Commonwealth Pacific Airlines/BCPA)の運航を引き受けた1954年太平洋を越えて拡張された。

また1952年には、ダグラスDC-4によって週2便で羽田空港への乗り入れを開始し、その後同路線はより大型のダグラスDC-6やロッキードL-188に引き継がれ、さらにデイリー化された。

1960年代にカンタスは大型ジェット旅客機のボーイング707の導入を進める一方、オーストラリアからアジア及び中東経由、アメリカ並びにメキシコ経由でロンドンへの世界一周路線を運航するなど、拡張路線を推し進めた。

しかし、それらの路線の多くは、1970年代以降にボーイング747の導入によりさらに推し進められることとなったが、1970年代初頭に起きたオイルショックなどによる世界各国における航空需要の落ち込みを受けて廃止された。

[編集] 現在

ボーイング747-400

1993年オーストラリアン航空を吸収合併して以来、すべてのオーストラリアの州都間、同じく多くの地域都市及び町の定期便を拡張され、また、オーストラリアから多くの国際路線も運航している。

2001年には、完全出資子会社であるオーストラリア航空を設立し、2004年には、完全出資子会社である格安国内線航空会社ジェットスター航空を設立した。また、カンタスはカンタスとジェットスターの2つにブランドを統合する。これに伴って、2006年4月、子会社のオーストラリア航空の事業の廃止を発表した。

2003年には隣国のニュージーランドのフラッグ・キャリアであるニュージーランド航空を傘下に収める事を発表していたが、公正取引委員会により「反競争的で国民の利益に反する」として不認可となった。また、2006年4月にはニュージーランド航空と「トランス・タスマンルート」と呼ばれるオーストラリア・ニュージーランド間のフライトに関しての包括提携を発表した。しかし先の公正取引委員会の決定がある故、実現には不透明な要素も残る。

[編集] 就航都市

日本路線は現在、成田国際空港 - シドニー国際空港間ならびにパース国際空港のみ。他路線はジェットスター航空に移管。

[編集] 保有機材

カンタス航空 ボーイング 747-400ER型機

カンタス航空の機材は以下の航空機で構成される

ボーイング747-400型機 24機及びボーイング747-400ER型機 6機で構成される。また-400ER型は2008年現在、同社が世界で唯一運航している型である。

カンタスリンクの機材は以下の航空機で構成される (2008年11月現在):

なお、1992年から1994年まで当時の日本航空がカンタスのボーイング747-300(VH-EBT/EBX/EBYの3機)を運航乗務員ごとリースして運航したことがあった(コードシェア便ではなく純然たる日本航空便。また客室乗務員は日本航空が乗務していた)。当該機体は日本航空のフルカラー塗装がされていたが、後部胴体に「Operated by QANTAS」の表記があり、また尾翼の鶴丸が小さいなどの差異があった。タイムテーブルには当該機体で運航する便について「機内でのサービスは日本航空の客室乗務員が行うが、カンタス航空の機材及び運航乗務員で運航する」旨が書かれていた。

なお、カンタス航空が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は38で、航空機の形式名は747SP-38, 747-238, 767-338ER, 747-438, 747-438ER などとなる。

[編集] 事故及び故障

「事業開始以来無事故である」とされている。しかし会社の公式な説明では「ジェット機を墜落させたことがない」ということであり、ジェット時代になる前にはカンタスも死傷者を含む事故を起こしている。例えば、1951年7月16日にはデハビランド・ドローバー(VH-EBQ)がエンジンの故障によりニューギニアに墜落し、7名の乗客全員と搭乗員が死亡している。

また、2005年8月20日には成田パース行き70便(エアバスA330)が和歌山県串本沖約900kmの地点を飛行中、貨物室の出火警告灯が作動したために引き返し、関西国際空港に緊急着陸した。原因は機器の誤作動とみられ、消火活動も行われなかった。乗客194人のうち9人が、脱出の際に重軽傷を負った。この事故について、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会2008年3月28日に、操縦士管制官英語での言葉の行き違い(貨物室からの「白い煙」を「火災」と受け止めた)が緊急脱出を招いたとする最終報告書をまとめた[1][2]

2008年7月24日、ロンドン発香港経由メルボルン行き(747-400型)ジャンボ機が南シナ海を飛行中、右胴体下に2.7mの穴が開き、マニラ国際空港に緊急着陸した。乗客346名、乗務員19名に怪我はなかった。 オーストラリア運輸安全局は同月30日、貨物室に積んであった酸素シリンダー(緊急時の酸素マスク用に用意されたもの)の爆発によるものと断定した。事故当時、機体は高度8800mから3000mまで急降下し、機内では酸素マスクが配られたが、10人弱の乗客が確保できなかった。

2008年10月7日、シンガポール発パース行きエアバス(A330-300)が、高度を急激に変更。その際、乗客乗員10名の重傷者および40名以上の軽傷者を出した(死亡者なし)。同機には303人の乗客と乗員10人が搭乗していた。

[編集] 「オーストラリア・アジア航空」

中華人民共和国に路線を持つことから、カンタス本体では中華人民共和国と対立を続ける中華民国に運航ができなかった。そこで1990年にカンタスは中華民国への路線を運航するオーストラリア・アジア航空を設立した。ブリティッシュ・アジア航空やエールフランス・アジー航空のように別会社を装って運航するのではなく、日本アジア航空と同様の別会社であった。

いくつかのボーイング747SP及び767航空機はカンタスから移籍した。垂直尾翼のデザインは赤色の地に2つのAをシンボライズしたリボンが描かれていた。しかし、同社は1996年に運航を中止した。

[編集] 補足

MBSファミリー・クイズ」、「クイズ・その手にのるナ!!」(いずれも八木治郎司会)、テレビ朝日クイズタイムショック」(田宮二郎司会)の優勝賞品の旅行協賛も担当していた。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ QFは QANTAS Flightの略である

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月22日 (日) 16:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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