カート・コバーン
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| カート・コベイン | |
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ニルヴァーナのライブで歌唱中のカート・コベイン(1992)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | カート・ドナルド・コベイン Kurt Donald Cobain |
| 出生 | 1967年2月20日 |
| 出身地 | アメリカ合衆国ワシントン州アバディーン |
| 死没 | 1994年4月5日(満27歳没) アメリカ合衆国ワシントン州シアトル |
| ジャンル | オルタナティブ・ロック グランジ |
| 職業 | ミュージシャン ソングライター |
| 担当楽器 | Vocal Guitar |
| レーベル | サブ・ポップ ゲフィン・レコード |
| 共同作業者 | ニルヴァーナ Fecal Matter |
カート・ドナルド・コベイン(Kurt Donald Cobain, 1967年2月20日 - 1994年4月5日)は、アメリカ合衆国ワシントン州アバディーン出身の歌手、ギタリスト。イングランド、アイルランド、ドイツ、フランスの血を引く。
日本で言われる、「コバーン」は原音の発音からは完全にかけ離れており、カタカナ表記ではコベインがもっとも近い。 1990年代を代表するワシントン州シアトルの伝説的グランジ/オルタナティブ・ロックバンド、ニルヴァーナ (Nirvana) でボーカルとリードギターを担当し、グランジの金字塔的アルバム『ネヴァーマインド-Nevermind』の成功で一躍ロック・スターの仲間入りを果たすものの、自身の本来の姿とロック・スター的イメージとのギャップに葛藤、ドラッグと精神病に悩まされ、1994年自宅にてショットガンで自殺。27歳没。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第12位。2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」に於いて第2位。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] ニルヴァーナ以前
1967年2月20日、自動車整備工のドンことドナルド・リーランド・コベイン、ウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ夫妻の間に誕生。ビートルズが大好きで、絵の上手な少年だったという。1975年に夫妻が離婚するまで幸せな少年時代を送るが、その離婚は少年時代のカートに大きな衝撃を与えた。カートはその後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年となる。
離婚後、最初は父の元へ引き取られ、トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミス等を聴いており、その音楽が自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度もインタヴューで語っている。
学校では友達を作らず、主にチャールズ・ブコウスキー等の作家の作品を図書館で借り、それを読んで過ごしていたらしい。その中でウィリアム・バロウズの『裸のランチ』と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受ける。彼とは晩年、対談、バロウズのポエトリーディングとカートのフィードバックギターによる競演、それのCD化を果たしている(『the "Priest" they called him』)。
ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープ(ブラック・フラッグ、ミリオンズ・オブ・デッド・コップス、フリッパー等が入っていた。その中の、ブラック・フラッグによる「ダメージドII」、フリッパーによる「サクリファイス」に強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている)を聞きパンク・ロックに興味を抱き、音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DC、レッド・ツェッペリンなどを練習していた。
[編集] クリスとの出会い〜ニルヴァーナ結成〜『ネヴァーマインド』
高校のクラスメイトの音楽的才能は決してカートのそれと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間は未だ80年代ヘヴィメタルの呪縛から抜け出せずにいたことも、彼にとって大いに気に入らない点であった。そんな苛立ちからか次第に周囲との折り合いが悪くなり高校をドロップアウト。しかし、中退した高校で掃除夫などで働き始める。
そんな中、カートは同じくパンク・ロックを愛好するクリス・ノヴォセリックと出会う。音楽の趣味、周囲への不満など、意気投合、一年後バンド結成にいたる(後のインタビューでクリスは、この一年の空白について、自分がカートから渡されたデモテープをなかなか聴かなかったためだ、と語っている。)
当初クリスはカートとバンドを組むことを渋ったが、カートの前バンドFecal Matterのデモ・テープを聴き、バンドを組むことを了承し、新バンド名は「ニルヴァーナ-Nirvana」(=涅槃)と決まった。
(バンド名の変遷は、フィーカル・マター、ペン・キャップ・チュー、テッド・アルフレッド等に名前を変え、最終的にニルヴァーナに落ち着くことになる。)
ドラムにチャド・チャニングを迎えて1989年、インディーズ1stアルバム『ブリーチ』がサブ・ポップレーベルでレコーディングされ、カートはチャドのドラミングを気に入らず彼を解雇する。その後メンバーがなかなか固定しなかったが、オーディションでデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られているメンバーのラインナップがそろう。1991年にメジャー1stアルバム『ネヴァーマインド』が録音された。
[編集] 商業的成功と精神的苦境
1991年の『ネヴァーマインド』発売はまさに当時のアメリカ音楽界にとって衝撃であった。『ネヴァーマインド』は80年代ヘヴィメタルの栄光に終止符を打ち、一夜にして「グランジ」が新たなアメリカ音楽界のトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムやサウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、シアトルは急激にアメリカでもっとも「ホットな」都市となった。
このようになんと彼らはメジャーデビュー1枚目のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていた。もともとアンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を結果的に裏切ってしまったように感じていたし、メディアの伝える彼の姿と自分の本来の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、カート自身『ネヴァー・マインド』製作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行ったため、自分自身にも強い憤りを感じていた。そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病、さらにはドラッグ依存症と悪戦苦闘し、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月5日、シアトルの自宅で27歳で自ら命を絶った。遺書には、強烈な筆圧でニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away」(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)が引用されている。また、ステレオがつけっぱなしになっていた。 27歳没、これはブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソンや、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。
[編集] 後進への影響
アルバム『ネヴァーマインド』(1991)の成功後も音楽業界の商業主義やマスメディアの誇張報道などに反発し、社会に求められた偶像としてではなく、ありのままの自分を常に表現するスタンスを保ち続けた姿勢は、「グランジの精神」として後進に強い影響を与えた。彼が好んで聴いていた数々のバンドの曲が話題になり、例としてヴァセリンズやミート・パペッツはバンド・作品ともに注目されることになる。ライブでも共演を果たしている。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の爆発的ヒットによりバンドは一気に有名になり、1990年代以降のロックに絶大な影響を与え、しばしばオルタナティブ・ロックシーンにおいて『ニルヴァーナ以降』という言い方をされる。グランジのパイオニアとも言えるが、自身は双極性障害と薬物により苦しむ。また、ファッションでも後進に大きな影響を与えており、カートの亡くなった後、彼が穿いていたボロボロになったジーンズに古着のネルシャツ・緑のカーディガンなどはニルヴァーナや音楽のジャンルとしてのグランジを好きな層以外からも、当時の流行としてグランジ(薄汚れた)と呼ばれる新しいファッションの定義として生まれた。「グランジ・イズ・デッド」と書かれたTシャツや、ダニエル・ジョンストンのイラストがプリントされたTシャツ等は、彼が着ていたということで有名になる。
[編集] 暗殺説
カートの死について、自殺ではなく実は暗殺されたと言う説もある。この話の発端は、カートが行方不明になった時コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントが主張したことに始まる。トム・グラントによると、妻であるコートニー・ラブと子守りアシスタントのマイケル・デウィットがカートを暗殺したということである。
コートニーの動機としては、金銭的な問題だと指摘されている。当時、コートニーはカートと離婚調停中であり、もしカートと離婚することになれば何億ドルという資産が失われることになる。実際にコートニーはこのことに言及しており、その内容はテープに残っている。また、カートが失踪する前、ローマ公演後に自殺未遂をおこしたとされるが、そこにコートニーと離婚したいと言った内容のメモが残っており、コートニーがそのメモを処分したということをトム・グラントはコートニー自身から聞いている。また、後期のカートは音楽活動に嫌気がさし活動をやめたいともらしていたこともあり、自己顕示欲・成功欲の強いコートニーとしてはカートの隠居や離婚により莫大な資産を失うということが耐えられないために、子守アシスタントでコートニーの元恋人であるマイケル・デウィットと共謀して行なったとしている。
この説は、カートの遺書が死について言及をしていない点や現場検証において不可解な点が多数見られることにより世間に広まる結果となる。しかし疑惑に対する進展がほとんどない。
[編集] 書籍・フィルム等
- Who Killed Kurt Cobain?(書籍・1998年)
- Kurt & Courtney(ドキュメンタリーフィルム・1998年)
- Love & Death(書籍・2004年)
- Last Days(映画 ガス・ヴァン・サント監督 2005年)
- Kurt Cobain About a Son(映画 AJ・シュナック監督 2007年)
[編集] 機材
[編集] ギター
ほとんどのギターはレフティ(左利き用)モデルを使用している。
- フェンダー・ジャガー
- カートが使用したギターの中でも最も有名と思われるギター。ライブやレコーディングで多く使用されている。ネック部にホワイト・バインディングを施された1965年製。オリジナルのジャガーとは大きく異なった仕様になっており、前後のピックアップをディマジオ製のハムバッカー(フロントがPAF、リアがSuper Distortion)に、ピックアップセレクターをトグルスイッチに(ほとんどの時期を上から黒いビニールテープでリアに固定)、ブリッジをシャーラー製のチューン・O・マチックに、コントロールを金属製のノブで2ボリューム・1トーンに、それぞれ変更してある。カートは『L.A.リサイクラー』という新聞でこのギターを見つけ購入。購入時にはすでに上記の改造が施されていた。イン・ユーテロツアー時にリアピックアップをセイモア・ダンカンのJBに変更した。
- ユニボックス・モズライトのコピーギター"ハイ・フライヤー"
- アルバム『ブリーチ』、シングル『ハートシェイプト・ボックス』などで使用。ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに交換されている。
- フェンダー・ムスタング
- ジャガーと並び、カートが愛したモデル。シングル『スメルズ・ライク・ティーンスピリット』のPVで使用されているのは1969年製のコンペティション・モデル(ボディ左下に描かれたラインが特徴。カラーリングはバーガンディ・ブルー)。ブリッジはGOTOH社製のチューン・O・マティックに変更されている。また、この他にもフェンダー・ジャパン製のムスタングを所有しており、ピックアップはセイモアダンカンのハムバッカー、SH-4(JB)、SHR-1(Hot Rails)に交換されている。
- 1992年製フェリントン・カスタム
- ダニー・フェリントンによってカートの為に製作されたカスタムギター。ムスタングをベースとして、ボディの木材にはバスウッド、ネックはメイプル、ローズウッド指板が使用されている。ブリッジはチュ-ン・O・マティック、指板にはハート型のポジション・マーク、ピックアップ・セレクターはストラトスタイルのもの。ピックアップはバルトリーニ。配置はフロント・ミドルがシングルコイル(ミドルピックアップはスラントして取り付けられていた)、リアがハムバッカー。リアピックアップにはコイルタップ回路が付いており、シリーズ接続、パラレル接続、そしてシングルコイル風のサウンドを出すことができるようになっている。これらはボリューム・トーンノブの下に位置するトグルスイッチで操作できるようになっている。カラーリングはベイビーブルー、ピックガードは赤べっ甲柄。
- フェンダー・ジャグスタング
- ジャガーとムスタングを組み合わせたカスタムギター。ピックアップはディマジオのハムバッカーとテキサスSPのシングルコイル。後にフェンダーによって正規ラインに加えられた。2006年生産中止。カート自身はあまり気に入っていなかった模様。
- ステラ・ハーモニー
- 12弦のアコースティックギター。ただしカートはこのギターにナイロン弦を5つしか張っていない。初期のメインアコースティック・ギター。『ポーリー』や『サムシング・イン・ザ・ウェイ』で使用。その後ピックアップと弦を換えて『イン・ユーテロ』でも使用。
- エピフォン・テクサン
- ライブなどで使用された中期からのメインアコースティック・ギター。
- マーティンD18-E
- 『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』で使用されたアコースティック・ギター。ピックアップがバルトリーニの3AVに交換されている。世界で306本しかない。「もっとも愛されなかったギター」として有名。
- その他
- この他にもほとんど使用されていないものの、赤いフェンダー・ジャガーや青いテレキャスター、モズライトマークIVの所有が確認されている。また、日本製やメキシコ製のストラトキャスターを多数所有していたが、これらは主にステージ終盤の「破壊用」ギターであった。
[編集] アンプ
- Randall
- Sun-Beta
- 4x12Peavey
- 4x12Bullfrog
- メサ・ブギー・スタジオ・プリアンプ
- Crown Power Amp
- マーシャル
- Crest Power Amp
- フェンダー・ベースマン
- Vox AC30
- フェンダー・ツイン・リバーブ
[編集] エフェクター
- BOSS DS-1 Distortion
- ProCo Rat Distortion
- Electro-Harmonix Big Muff Fuzz
- Boss DS-2 Turbo Distortion
- Tech21 Classic Sansamp Pedal
- Electro-Harmonix Small Clone
- Electro-Harmonix Poly Chorus
- Electro-Harmonix Flazer
- MXR Phase 100
[編集] 特記事項
- パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダーの言動全てを嫌悪し始終、非難を続ける。ヴェダーの存在自体を何故か毛嫌いしていただけのようであるが、二人がプレスを通して展開した非難の応酬は異常であった。後に同じ境遇にいることを共感し、和解する。
- 音楽を始めた時はドラムを担当。また絵画などでもその特異な才能を発揮している。
- 左利きだが、ギターを始めた当初は右利き用のギターを逆さにして弾いていた。父・ドナルドはカートの左利きを気に入らなかったらしく、何度も右利きに矯正を試みたが結局直らなかった。
- 特に好きなアーティストにピクシーズ、メルヴィンズ、マッドハニー、サウンドガーデン等のグランジバンド以外にも、初期のエアロスミス、レッド・ツェッペリン、エコー&ザ・バニーメンブラック・サバス、AC/DC、ビートルズ、セックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴァセリンズなどのロックバンドを挙げている。一番好きなアルバムにはイギー&ストゥージスの「ロー・パワー」(邦題:淫力魔人)を挙げた。特にR.E.M.は「一度でいいからR.E.M.みたいな曲を書いてみたい」と言わせるほどだった。また、キッスのポスターを部屋に飾っていた時期もあり、キッスの楽曲「Do You Love Me」をライブでカヴァーしたこともある。また、91年にサウンドガーデンのライブを見たカートは、「こんなヤツらに勝てるわけがねぇ」と悔しがったそうだ。
- Nirvana最大のヒット曲、スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)は最高のポップソングを作るために、ピクシーズのリフを盗用したのだと、カート本人が冗談交じりに語っている。曲名の由来は当時付き合っていた彼女が使っていたデオドラント。周りの人に冗談めいて「カートはティーンスピリットの匂いがする(Kurt smells teen spirit)」(そのデオドラントを使っている彼女と付き合っていることを比喩したもの)といわれたのを気に入って使った。
- ガンズ・アンド・ローゼズとは壮絶な対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「あいつらは金のために音楽をやっているんだよ。」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある。」と発言している。元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったがカートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため対立関係が生まれた。カートの死後アクセル以外の元ガンズメンバーとニルヴァーナメンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは「ブリーチ」収録の"Negative Creep"をカバーしている。
カートは他にもヴァン・ヘイレンやモトリー・クルーなどの商業的なバンドの多くを大嫌いだと公言している。
- 2006年にジョン・レノンやエルヴィス・プレスリーを抜き、最も稼いだ故人となった。
- ダニエル・ジョンストン、フリッパー、キャプテン・アメリカ等のTシャツを好んできていた。
- 日本のバンドでは少年ナイフを評価しており、全英ツアーで共演もしている。
- 配偶者はホールのコートニー・ラブ。娘はフランシス・ビーン。コートニーとは1992年2月に結婚。その意図は不明であるが、式を通してカートはパジャマ姿であったと言う。忘れ形見のフランシスは現在、モデルを務めている。
- 自身も妻コートニーもあまりの麻薬中毒だったため、二人とその子供は国によって別々にされた。
- 2006年には彼の死を下敷きにして作られた映画「ラストデイズ」が公開された。主演はマイケル・ピット。ちなみにこの映画には、シーンの盟友であるソニック・ユースのキム・ゴードンも出演しており、彼女の夫でありバンドメンバーのサーストン・ムーアも制作に携わっている。
- カートの死後、ドラマーであったデイヴ・グロールは自身のバンド、フー・ファイターズでカートと同じギターとボーカルをパートに精力的に活動中。またベースのクリスもスウィート75で活動を開始したものの、現在は音楽界から引退している。
- 近年、その音楽が再注目されベスト盤、ボックスセット等が相次いでリリースされている。
- 1993年、雑誌「アドボゲイド」でのインタビューで『俺はバイセクシャルかも知れない』と発言したが、真意のほどは定かでない。
[編集] インタビュー
- DVD「All Apologies」のインタビューで「いつかアコースティックギターで演奏したい。シンガーソングライターと呼ばれたい。グランジロッカーじゃなくてね。そうすれば歳を取ってからギターを抱えて椅子に座りながら──ジョニー・キャッシュみたいになれるからね」と語っている。
| ニルヴァーナ |
|---|
| カート・コバーン - クリス・ノヴォセリック - デイヴ・グロール |
| オリジナルアルバム: ブリーチ - ネヴァーマインド - イン・ユーテロ |
| ライブアルバム: MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク - フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ウィシュカー |
| ベストアルバム: ニルヴァーナ |
| 未発表&別テイク集: ホルモウニング - インセスティサイド - ウィズ・ザ・ライツ・アウト - スリヴァー |
| 楽曲: 「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」 |
| 元メンバー: パット・スメア - アーロン・バークハード - デイル・クローバー - デイブ・フォスター - チャド・チャニング - ジェイソン・エバーマン - ダン・ピーターズ |
最終更新 2009年8月29日 (土) 14:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【カート・コバーン】変更履歴


