カーペンターズ
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| カーペンターズ Carpenters |
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ポップ・ミュージック |
| 活動期間 | 1969年 - 1983年 |
| レーベル | A&Mレコード |
| 公式サイト | Richard and Karen Carpenter www.universal-music.co.jp内 |
| 旧メンバー | |
| リチャード・カーペンター(ピアノ) カレン・カーペンター(ヴォーカル) |
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カーペンターズ (Carpenters[1]) は、アメリカの兄妹ポップス・デュオ。楽器を兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカルを妹カレンが担当。ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、大きな成功を収めた[2][3]。1983年のカレンの死により活動を終えた。
代表曲に「トップ・オブ・ザ・ワールド」等がある。
目次 |
[編集] 概要
1970年代を中心に、アメリカのトップ40やアダルト・コンテンポラリー・チャートの記録を塗り替え、ソフト・ロックやイージー・リスニング、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける主要なヒットメーカーとなった。ビルボード・ホット100チャートで1位となったシングルが3曲、アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位が15曲ある。さらに、トップ10入りは12曲に及ぶ。カーペンターズのアルバムおよびシングルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている[3]。
14年間の活動で、11枚のアルバム(うち『遙かなる影』『カーペンターズ』『ア・ソング・フォー・ユー』『ナウ・アンド・ゼン』『緑の地平線〜ホライゾン』の5枚がトップ10シングル曲を収録)、31枚のシングル、5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。
オリコンチャートブックの集計では1970年から1989年(いわゆるレコード時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第2位である。シングル売上枚数は第1位。CD時代に入った後も、1995年発売のベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ〜』が300万枚越えるセールスを記録する等、日本においても時代を超越して愛され続けているグループである。
カレンは神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去した。その結果、摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている[4][5]。
[編集] 歴史
[編集] 生い立ち
カーペンター兄妹は、アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイブンで生まれた。リチャード・リン・カーペンターは1946年10月15日、妹カレン・アン・カーペンターは1950年3月2日生まれである。リチャードは父親の膨大なコレクションのレコードを聴き、ピアノの練習に熱心だった。[6]。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツを好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった[6]。
1963年6月、両親のハロルドとアグネスは家族を連れてカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のダウニーに移り住んだ。リチャードを音楽業界へ近づけることと、カレンと父がニュー・イングランドの厳しい冬を嫌ったための移住であった[7]。同年の秋からリチャードはダウニー高校へ通い、体育の代わりにバンドを選択科目として取ることができた。後のカレンも、これを参考にして選択を体育から音楽に変更した。音楽教師のブルース・ギフォードは、リチャードが「ラプソディ・イン・ブルー」を指示されて演奏するのを聞いて、リチャードのピアニストとしての才能を認めた[3]。翌年度からリチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ通い、将来の作曲パートナーとなるジョン・ベティスと出会った。ベティスの協力のもとに、リチャードはやがて「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「愛にさよならを」、「オンリー・イエスタデイ」といった名曲を生み出していく。またリチャード・カーペンター・トリオでベースやチューバを演奏することになるウェズリー・ジェイコブズや、1966年にクリスマス・ソングのスタンダード「メリー・クリスマス・ダーリン」を共作するフランク・プーラーらと知り合ったのもこの学校でのことである[8]。
カレンは、1964年にダウニー高校へ入学し、ドラム演奏の才能を見せはじめた[3]。カレンは、運動は好きだが体育の授業は嫌いだったと述べている。カレンは体育から逃れるため、カリフォルニア州立大学学生のリチャードに、恩師の中で(リチャードがやったのと同じように)自分を体育からマーチング・バンドへ移らせてくれる教師の紹介をたのみ[9]、ダウニー高校マーチング・バンドの一員となることを認められた。1963年、リチャードを教えていた教師のブルース・ギフォードはカレンにグロッケンシュピールを担当させたが、カレンはこの楽器を嫌った。あるインタビューでカレンは、「演奏に不便で運びにくく、バンドの演奏よりも常に4分の1音高い音を出すことなどに苛立っていた」と述べている[10]。その後間もなく、友人でありバンド仲間のフランキー・チャベスからカレンはドラムの演奏を勧められ、チャベスのセットを借りてドラムを教わった。「基礎から始めて2人で何時間も練習したのだろう」とリチャードは語っている。1964年に両親からラディックのドラムセットを買って貰ったころには、カレンの腕前はプロ並みに上達しており、リチャードが後年のドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』 ("Close to You: Remembering the Carpenters") で語っているところによれば「エキゾティックな拍子記号の列を叩き出せるほどになっていた」[11][12]。
[編集] 初期の活動
1965年まで1年間カレンはドラムの練習に励み、リチャードは教師フランク・プーラーの指導の下にピアノを練習した。兄妹はジャズ・トリオの結成を真剣に考えるようになり、これがやがてリチャード・カーペンター・トリオとなる。このころリチャードはウェス・ジェイコブズに感銘を受け、すぐに親しくなりバンドを結成[8]。ドラムはカレン、ピアノはリチャード、ベース/チューバはジェイコブズという編成のジャズ・トリオで、リチャード・カーペンター・トリオと名乗った。1966年、トリオはハリウッド・ボウルで毎年行われていた "Battle of the Bands" (いわゆる対バン形式のコンテスト)に出場し、「イパネマの娘」のインストゥルメンタル・ヴァージョンや自作曲「アイス・ティー」を演奏した。1966年6月24日、トリオはこの大会で優勝し、RCAレコードとの契約を勝ち取った[3]。そこで彼らはビートルズの「エヴリー・リトル・シング」やフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」 ("Strangers in the Night") などといった曲を録音した。しかし、RCAによってすぐに契約は破棄された[13]。
1966年、ロサンゼルスのベース奏者ジョー・オズボーンが所有していたガレージ・スタジオで深夜にセッションが行われることとなり、そこでオーディションを受けるトランペット奏者の伴奏を務めるために参加することとなったリチャードにカレンも同行した[12][14]。この時、ためしに歌ってみるようオズボーンから頼まれたカレンの声のすばらしさが認められ、1966年5月13日、カレンはオズボーンが立ち上げたばかりのレーベル、マジック・ランプ・レーベルとソロ・アーティストとしての短期レコード契約を結ぶこととなった。このレーベルからはリチャードが作曲した「ルッキング・フォー・ラヴ」 ("Looking for Love") と「アイル・ビー・ユアズ」 ("I'll Be Yours") を収録したシングルが制作されたが、レーベル自体がその後すぐに閉鎖された。しかしオズボーンは、カレンとリチャードがA&Mレコードからのオファーを受けることとなる1969年まで2人にデモ・テープの録音を続けさせた[15]。
1967年、リチャードとカレンはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の学生ミュージシャン4人と共に、「ザ・サマーチャイムズ」という名のセクステット(6重奏団)を結成した。しかしサマーチャイムズ自体は短命に終り、彼らはすぐに「スペクトラ」と改名し、最終的には「スペクトラム」の名に落ち着いた[16][12]。グループはジョリー・ナイト・ステーキ・ハウスやウィスキー・ア・ゴーゴーなどで頻繁に演奏するようになった[15][17]。スペクトラムはレコード会社と契約を交わせなかったが、同じバンドのメンバーであると同時に、のち1983年のカレンの死まで多くの楽曲の共作者となるジョン・ベティスとリチャードは親交を深めた。
1968年、スペクトラム解散。リチャード・カーペンター・トリオのウェス・ジェイコブズは、ベースとチューバを演奏していたが、デトロイト交響楽団へ加入するためグループを去った(1970年首席チューバ奏者となった)[18]。リチャードとカレンは1968年の中ごろにテレビ番組 "Your All American College Show" から出演依頼を受けた。このテレビショーは、全国の大学からさまざまなグループを集めてコンテストに参加させるオーディション番組である。兄妹はマーサ&ザ・ヴァンデラスの名曲 "Dancing in the Street" で参加することとしたが、バンドを去ったジェイコブズの代わりとなるベース奏者が必要であったため、オーディションを行った。結局、そのテレビ出演だけの臨時参加という形でビル・シショフが選ばれた[3]。この一時的なラインナップによる新しいリチャード・カーペンター・トリオは1969年6月22日にテレビデビューを飾った。この演奏はリチャードとカレンにとっては初めてのテレビ出演でもあった。この出演を最後にリチャード・カーペンター・トリオは最終的に解散し、レコード会社からのオファーを待つこととした。
当時はジミ・ヘンドリックスやビートルズ、ジャニス・ジョプリン、ローリング・ストーンズなどロックグループが主流だった。しかし、リチャードとカレンは自分たちの路線を貫き、二人は友人たちの手を借りながらさまざまなレコード・レーベルへデモ・テープを送り続けた。それがA&Mレコードの共同所有者でありトランペット奏者・ヴォーカリストでもあるハーブ・アルパートの関心を惹いた。このアルパートがリチャードとカレンを世に送り出すことになる。
[編集] カーペンターズ
1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した[3][19]。兄妹はあえて定冠詞 "The" の付かない "Carpenters" を契約上の名義とすることに決めた("The Carpenters" は「カーペンター兄妹」ないし「カーペンター家」を意味するが、 "Carpenters" だけでは「大工たち」の意味になる)。その理由についてリチャードは、2004年に発売された "Gold: 35th Anniversary Edition" のライナーノーツにおいて、バッファロー・スプリングフィールドやジェファーソン・エアプレインのように、「ザ・~~ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている[1]。
A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内での自由を与えられた[12]。『オファリング』と題されて1969年にリリースされた彼らの最初のアルバムには、リチャードがスペクトラム時代に作曲ないし共作した楽曲もいくつか収録されている[20]。このアルバムにおける人気曲は、ビートルズのヒット曲をバラード風にアレンジした「涙の乗車券」で、ビルボード・ホット100で最高54位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでトップ20位入りするなど、まずまずのヒットとなった[21][22]。この曲の成功を受けて、『オファリング』は1970年に『涙の乗車券』へと題名を変えて再発された。
アルバム『涙の乗車券』のチャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンはバート・バカラック/ハル・デヴィッド作曲の「遙かなる影」でついに成功を手にする。このシングルは1970年にリリースされて初登場56位となり[23]、1970年7月22日にはチャート1位に昇りつめ、4週にわたって首位の座を守った[12]。また1970年ビルボード誌年間ランキングでは第5位となっている。ベストセラーとなったアルバム『遙かなる影』の収録曲からはこの曲と「愛のプレリュード」がRIAAによってゴールドディスクに認定され、同アルバムは『ローリング・ストーン』誌による『偉大なアルバム500選』 ("500 Greatest Albums of All Time") の175位にも選ばれている[24]。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。
「遙かなる影」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」(ポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作)がビルボード・ホット100で第2位となり、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている[12][22]。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のヒット性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初のヒット・シングルとなった。
2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「メリー・クリスマス・ダーリン」をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで上位にランクインして、翌年以降も同チャートにたびたび登場した。
一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「ふたりの誓い」は、元はサイ・ハワード監督による1970年の映画『ふたりの誓い』の結婚シーンのためにレコーディングされたものである[25]。映画館でこの曲を聴いて気に入ったリチャードは、その後間もない1970年秋にこの曲を録音し、カーペンターズにとって3枚目のゴールド・シングルとなった[26]。
続いて送り出された「雨の日と月曜日は」はビルボード・ホット100の第2位を記録し[22]、ポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルスにとって2曲目のヒット・シングルとなった。カーペンターズの評伝を著した作家コールマンは、「雨の日と月曜日は」をおそらく最もポピュラーなカーペンターズの楽曲であろうと評している。さらにこの曲はカーペンターズ第4のゴールド・シングルとなったが、1位獲得を阻んだのはキャロル・キングの名曲「イッツ・トゥー・レイト」 ("It's Too Late") だった[27]。
レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「スーパースター」はカーペンターズの次の代表曲となり、ここで聴かれる痛切で心に残るカレンの歌声は高い評価を受けている。この曲もビルボード・ホット100で第2位となった[22]。1971年には彼ら自身の名をタイトルとしたアルバム『カーペンターズ』(日本盤タイトルは『ふたりの誓い』→『スーパースター』→『カーペンターズ』と改題された)がリリースされた。この作品は彼らにとって最も売れたアルバムの1つであり、RIAAのプラチナムを4度にわたって獲得(売上400万枚以上)している[28]。この作品でカーペンターズはグラミー賞 (Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal) を受賞し、3部門でノミネートされた[29]。
1972年にリチャードはエレキギターによるソロを導入したバラードを考案した。後にこうした形態の曲をハードロックやヘヴィメタルのバンドが継承して Power ballad と呼ばれる1ジャンルにまでなったことから、リチャードがこのジャンルの先駆者とみなされることもある。この曲「愛にさよならを」はリチャードとベティスによって作曲されたもので、カーペンターズが1972年に出した2枚目のシングルとして最高7位を記録した[22]。「愛にさよならを」はビング・クロスビー主演の映画 "Rhythm on the River" に着想を得たものである[30]。この映画は1940年に制作され、作中にはベイジル・ラスボーンが演じる作曲家が登場する。この作曲家は歴史上最も美しい歌 "Goodbye to Love" の作者として有名という設定である。リチャードによれば、この曲は映画の中に言及があるだけで演奏されてはいなかったが、同名の曲を自分で書こうと思いつき、1972年にベティスと共作するまでそのアイディアを温めていたという[30][12]。2人はリードギタリストとしてトニー・ペルーソを招き、A&Mのスタッフもペルーソの大胆なソロに満足した。これを機にペルーソは1983年までカーペンターズの伴奏者を務めることとなった。しかし、ファンの中にはカーペンターズのレコードにエレキギターのソロが入ることに不満を抱く者も少なくなく、嫌がらせの手紙を送りつける者さえいたという[31][12]。
「トップ・オブ・ザ・ワールド」はグループにとって最大のヒットとなった。1972年に出たこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いたリン・アンダーソンがこの曲をカヴァーして1973年にリリースすると、リチャードとカレンも自分たちのヴァージョンをシングルとしてリリースするべきかどうかについて議論した。A&Mの仕事仲間であったギル・フリーセンは、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からはすでに4枚ものシングル(「ハーティング・イーチ・アザー」、「愛にさよならを」、「小さな愛の願い」、「愛は夢の中に」)をカットしていることを理由に反対したが[32]、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年5月にシングルカットした。「トップ・オブ・ザ・ワールド」に対する世間の反応はきわめて大きなものだった。このシングルはカーペンターズにとって2枚目のビルボード1位の曲となり[22]、今日まで世界的な知名度を保っている。
1973年のアルバム『ナウ・アンド・ゼン』のタイトルは2人の母アグネス・カーペンターの案による。この作品にはセサミ・ストリートで挿入歌として使用された楽曲「シング」や、懐古的な調子の「イエスタデイ・ワンス・モア」などが収録されている。彼らにとって全世界を通じた最大のヒット曲は「プリーズ・ミスター・ポストマン」であるが、イギリスと日本ではこのシングルが最高の売上枚数を記録している[33]。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの長岡秀星の代表作のひとつである。
カーペンターズにとって初となるコンピレーション・アルバムは "The Singles: 1969-1973" と題された。アメリカとイギリスではチャートのトップに立ち、その10年間で最も売れたアルバムのひとつとなった。また、このアルバムはアメリカだけでも700万枚以上を売り上げ[28]、2008年現在で7回のプラチナムを授与されている[28]。レイ・コールマンによれば、"The Singles: 1969-1973" は1974年2月9日に1位を獲得し[22]、リック・ウェイクマンの『地底探検』にトップを奪われる前週の1974年6月1日まで、実に16週にわたってその座にあった[34]。
[編集] 1970年代後半
カーペンターズは1974年には新しいアルバムを発表しなかった。リチャードはこれについて「単に時間がなかったから。アルバムを作る気分にもなれなかったし」と語っている[35]。その代わりに、2人はポール・ウィリアムズ/ロジャー・ニコルズ作曲のシングル「愛は夢の中に」をリリースしている。これはもともと1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』に収録されていたものだが、カーペンターズはそのLPをリリースした2年後になって、この曲をシングル・カットすることを決定した[36]。1974年3月、そのシングル・ヴァージョンはビルボード・トップ100チャートの11位に達し、アルバム『ア・ソング・フォー・ユー』からの5番目のトップ20ヒットとなった。
一方、同1974年には『ナウ・アンド・ゼン』に収録されたハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」をアップテンポにリメイクした。この曲はアメリカでシングルとしてリリースされたほか、日本のチャートでも30位以内にランクインし、イギリスをはじめとする他の多くの国でもヒットした。オランダでは、カーペンターズにとって最大のヒット曲となったほどである[37]。また1974年の暮れには、ジャズ調の編曲を施したクリスマス・ソング「サンタが街にやってくる」をシングルとしてリリースしている。
1975年はまだ彼らにとって多作の年であった。マーヴェレッツが1961年にチャート1位を獲得したヒット曲で、モータウン・サウンドのクラシックであった「プリーズ・ミスター・ポストマン」をカヴァーしたシングルがヒット。これは1974年にリリースしたものだが、75年の1月にビルボード・トップ100で1位を獲得し、彼らにとっての3度目の(そして最後の)首位獲得作品となった[38][39]。このシングルはまた、カレンとリチャードにとっての12番目のアメリカでのミリオンセラーにもなった[39] 。
「プリーズ・ミスター・ポストマン」に続き、春にはリチャードとジョン・ベティスの共作「オンリー・イエスタデイ」がビルボードで4位まで上昇し、これは彼らにとって最後のアメリカでのトップ10ヒットとなった[40][39]。リチャードとベティスはこの曲がヒット・シングルになるとは思っていなかったので、ロジャー・ヤングとの賭けでトップ5入りしない方に賭けており、2人はヤングに1000ドル支払うはめになったという[41]。
1975年の上半期に成功を収めたこの2曲はいずれも1975年のアルバム『緑の地平線〜ホライゾン』に収められている。このアルバムはほかにもイーグルスの「デスペラード」とニール・セダカの「ソリテアー」のカヴァーを収録しており、これらも同じ年に中ヒットを記録した。ただし、以降彼らのレコード・セールスは次第に下降線を辿り始めた。『緑の地平線〜ホライゾン』はプラチナム・アルバムに認定されたが、その後(アルバムからの2枚目のシングルがチャートから消えて以降)カーペンターズにとっては初めてマルチ・プラチナムに達することのなかったアルバムとなった。
1976年6月11日に発売された次のアルバム『見つめあう恋』も、ゴールド・ディスクには認定されたものの、彼らにとってはファースト・アルバム『涙の乗車券』以来の7年間で初めてプラチナ獲得に至らなかったアルバムである。それでも1976年のシングル・リリースは成功を収めていたが、当時のヒット・ラジオ番組は音楽的スタイルを変化させており、ついにはカーペンターズのような「ソフト」なグループの多くを苦しめるようになった。カーペンターズのその年最大のポップ・シングルはハーマンズ・ハーミッツのカヴァー「見つめあう恋」で、最高12位であった。カレンの最も好きな曲といわれる「青春の輝き」はビルボード・ホット100では25位にとどまったが、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは「見つめあう恋」に続き14枚目となる1位を獲得した。これは同チャートの歴史上他に類を見ない記録となった。
彼らの功績の1つとして数えられることは少ないが、カーペンターズはアメリカでは最も早く自分たちのレコードの宣伝のためにミュージック・ビデオを制作したグループの1つである。1975年の初めに、彼らはディズニーランドで「プリーズ・ミスター・ポストマン」の演奏を撮影しているほか、「オンリー・イエスタデイ」をハンティントン・ガーデンで収録しているが、ここでのカレンは健康で調子良さそうに見える。しかし、1年後に撮影した「見つめあう恋」のビデオに出演した時には目に見えて違いが表われるようになっていた。
1977年ごろはディスコ・ブームの真只中であり、カーペンターズやジョン・デンヴァー、ヘレン・レディ、ジェームス・テイラー、オリビア・ニュートン=ジョンといった大人向けの「イージー・リスニング」のアーティストは、ラジオなどで放送される機会がやや減りつつあった。1977年にリリースされたカーペンターズの実験的なアルバム『パッセージ』は、他の音楽ジャンルへ挑むことによって、より多くの層へ訴えかけようとする試みであったといえる。このアルバムが1970年代後半のSFブーム(いずれも1977年の映画『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』など)から少なくとも部分的に影響を受けたものであることは疑いの余地がない。このアルバムはラテン音楽(「一人にさせて」)、カリプソ(「恋の強がり」)、ポップ・ソング(「想い出にさよなら」、「あの日、あの時」)という不釣合いな混ぜ合わせに、「ふたりのラヴ・ソング」(アダルト・コンテンポラリー・チャート4位)、「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」といったヒット曲を抱き合わせたというものである。最も有名な曲、ミュージカル『エビータ』から取られた「月影のバルコニー~泣かないでアージェンティーナ」やクラトゥの「星空に愛を」などのカヴァーはいずれも合唱とオーケストラによる伴奏が加えられた。シングル「星空に愛を」はイギリスではヒットしたが、アメリカのポップ・チャートでは32位止まりとなり、カーペンターズとしては初めてゴールド認定となる50万枚の売り上げに達することのなかったアルバムとなった[42]。
リチャードは『パッセージ』収録曲の「想い出にさよなら」は、きっとヒットすると感じていたため、A&Mにシングルでのリリースを決断させた。この曲はアン・マレーのシングルとして発売され、1979年のアダルト・コンテンポラリーおよびカントリー・チャートの両方で1位を獲得し、リチャードの感性の正しさを証明した。カーペンターズによる「ふたりのラヴ・ソング」と「星空に愛を」のミュージック・ビデオがDVD "Gold: Greatest Hits" で観ることができる。
国内チャートでの成績はやや振るわなくなってきたとはいえ、カーペンターズはまだ十分な人気を維持していた。1978年の初めには、アップテンポでフィドルを加味した「スウィート・スマイル」がカントリー・チャートで意外にもトップ10入りを果たした(ビルボード・ポップ・チャートではトップ40に若干及ばなかったが、アダルト・コンテンポラリーで7位、カントリー・チャートで8位を獲得した)。この曲は後年カントリーやポップのスターとなるジュース・ニュートンが作曲したものである。イギリスでは2作目のコンピレーション・アルバム "The Singles: 1974-1978" が発売された。一方アメリカではカーペンターズ初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』が発売されてその季節の人気作品となり、勢いの衰えはじめたこの時期にあっては意外な売れ行きを見せ、カレンとリチャードに再びプラチナムをもたらした。
[編集] 1980年代初頭
1979年、リチャードはカンザス州のリハビリ施設で薬物依存症からの回復を試みる。その間にカレンはニューヨークに渡って、プロデューサーにフィル・ラモーンを迎えた初のソロ・アルバムの制作を決意する。彼女はこのアルバムのためにより大人向けでディスコ調の作品を選び、これまでのイメージを払拭しようと努めた。だが、1980年の初頭に完成したソロ作品に対し、リチャードやA&Mは難色を示した。カレンにとっては不幸なことに、このアルバムは発表しないものとする決定が下され、この作品の制作費として印税から50万ドル以上の負債を請求されたのである。この決定に怒りを覚えつつも、ある面では慣れぬ仕事から解放されたカレンは、依存症から立ち直った兄と新しいアルバムの制作にとりかかる。お蔵入りになったカレンのソロ・アルバムは1996年10月に『遠い初恋』としてリリースされるまで未発表だったが、録音された楽曲のうち4つは1989年のカーペンターズのアルバム『愛の軌跡〜ラヴラインズ』の中で陽の目を見た。その際に「イフ・アイ・ハド・ユー」はシングルとしてリリースされ、アダルト・コンテンポラリー・チャートで20位以内にランクインした。
カーペンターズは1980年に『Music』と題されたテレビの特番に出演し、エラ・フィッツジェラルドやジョン・デヴィッドソンをはじめとする著名なゲストと共演した。これはカレンがトム・バリスと結婚したのと同じ年に撮影されたもので、この時期のカレンは比較的健康な体重を取り戻していた。[12]。
1981年6月16日にリリースされたカーペンターズのデュオとしての次なるLP『メイド・イン・アメリカ』は、商業的には失敗に終わった。この作品はアメリカでは、カレンが亡くなる1983年初頭までは20万枚ほどしか売れていなかった。しかしながら、アルバムからシングル・カットされたロマンティックな「タッチ・ミー」はHot100で16位まで上昇し、全米ポップ・チャートにおける彼らの最後のトップ20ヒットシングルとなった。この曲はビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは彼らにとって15番目の首位記録作品でもある。
カレンのトーマス・ジェイムズ・バリスとの結婚や、彼女が患っていた拒食症などの個人的な問題は、グループの復帰に暗い影を落とした。瞬く間に恋に落ちたあと、カレンは不動産業者のバリスとの結婚式をビバリーヒルズ・ホテルのクリスタル・ルームで盛大に行った。1980年の8月31日に挙げられたこのセレモニーの中で、カレンは翌年に「タッチ・ミー」のカップリングとしてリリースされる、リチャードとベティスが書き下ろした楽曲「ウエディング・ソング」を披露している[43]。だが、結婚してから1年ほどの間に、彼女の容姿は変わり果てていった。『メイド・イン・アメリカ』の販売促進用に制作されたビデオで窺えるその姿は、もはや彼女が重病人であったことを裏付けるのに十分な証拠といえるものであった。カレンとバリスの結婚生活は惨憺たるものであり、彼らは1981年の終わりには別居する。1982年、カレンは障害の診療を受けるためニューヨークの著名な心理セラピスト、スティーブン・レベンクロンを訪ね、この年の11月には仕事に復帰して離婚手続きを完了するためにカリフォルニアへ戻った。カレンの甲状腺は通常のものであったが、新陳代謝を加速するために甲状腺の薬を通常の10倍服用していることが分かった。これに加えて大量の下剤(日に90錠から100錠)を服用していたことが、彼女の心臓を弱める原因となった。
[編集] カレンの突然の死
ニューヨークの病院での2ヶ月以上にわたる治療を経て、カレンは30ポンド(13.6キログラム)以上も体重を戻したが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた彼女の心臓に、さらなる負担をかけてしまった。1983年の2月4日の朝、カレンはダウニーの両親の家で心肺停止状態に陥ってダウニー・コミュニティ病院に運ばれるが[44]、それから20分後に死亡が確認された。彼女はその日、離婚届へ署名するつもりであったという。
検死によると、カレンの死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性であった。解剖学的な結論としては、心臓麻痺が第1の原因で、拒食症は第2の原因であった。第3に挙げられるのが悪液質で、これは負担や衰弱としては非常に軽いもので、慢性的な疾患と関連した一般的な体の衰えというべきものであった。エメチンの心毒性が死因であったことは、カレンが当時は簡単に入手できた薬である吐剤(誤って毒物を摂取してしまった人が即座に嘔吐できるようにするためのもの)を悪用していた可能性を示唆したが、明確な証拠はない[45]。
彼女の告別式は1983年2月8日火曜日にダウニーの統一メソジスト教会で執り行われた。カレンは白い開いた棺にピンクのドレスを着せて横たえられ、およそ1,000人の会葬者が最後の別れを告げた。会葬者の中には、ドロシー・ハミル、オリビア・ニュートン=ジョン、ペトゥラ・クラーク、クリスティナ・フェラー、ディオンヌ・ワーウィックといった彼女の友人たちがいた。別居中であったカレンの夫も葬儀に出席し、結婚指輪を外して棺の中に入れた[41]。
1983年10月12日、ハリウッド名声の歩道のコダック・シアターから2、3ヤードほどのところにカーペンターズの星型プレートが飾られた。多くのファンと並び、リチャード、ハロルド、アグネス・カーペンターが除幕式に出席した[46]。
カレンの死は拒食症だけでなく過食症に対してもメディアの注目を呼び寄せた。カレンの死によって有名人たちも自らの摂食障害を公表するようになったが、その中にはトレイシー・ゴールドやダイアナ妃といった人々がいた。医療センターや病院はこうした障害に悩む人々からの相談を受けることが多くなった。カレンの死が大きく報道されるまでは、一般大衆の間では拒食症や過食症についてあまり知られていなかったため、症状を正確に認識して対処することは困難だったのである。2003年12月、カレンと両親の遺骨がカリフォルニア州サイプレスのフォレスト・ローン記念公園から掘り起こされ、カリフォルニア州ウェストレイク・ビレッジのピアース・ブラザーズ・ヴァリー・オークス記念公園に改めて埋葬された。
[編集] カーペンターズ以降
カレンの死後も、リチャードは未発表音源集やコンピレーション・アルバムなどデュオの作品のプロデュースを続けた。『メイド・イン・アメリカ』やそれ以前のアルバムでお蔵入りになっていた完成曲を収録したアルバム『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』は1983年の終りにリリースされ[47]、チャート46位に達してゴールド認定を受けた。このアルバムからは2枚のシングルがカットされた。「遠い初恋」はカレンのソロ・アルバム用に録音された曲の2つ目のヴァージョンである(1979年にボビー・ヴィントンによりマイナー・ヒットとなっていた)。このシングルはアダルト・コンテンポラリー・チャートで第7位となったが、ポップ・チャートでは101位にとどまった。次のシングル「ユア・ベイビー」はACチャート12位となったが、「バブル・アンダー」はチャート入りしなかった。
リチャード・カーペンターは1984年5月19日にメアリ・ルドルフと結婚した。1987年8月17日には長女クリスティが、1992年7月25日には次女ミンディ・カレン(叔母の名を継いだ)が生まれ、その後もコリンとテイラーが生まれた。
1984年、リチャードはデュオの最初のクリスマス・アルバム『クリスマス・ポートレイト』からのアウトテイクに新しい音源を加えた2枚目のクリスマス・アルバム『オールド・ファッションド・クリスマス』を、カーペンターズの「新作」として制作した。また1987年には、リチャード初のソロ・アルバム『タイム』をリリースした。このアルバムからは、ダスティ・スプリングフィールドをゲスト・ヴォーカルに迎えた「サムシング・イン・ユア・アイズ」がヒット・シングルとなった。
カーペンターズのイメージを守りレコードの版権管理をしてゆこうと務めるリチャードに対しては批判が集中した。彼らを題材として扱うドキュメンタリーやドラマが制作されることになると、リチャードがそれらすべてに対して実質的な監督権を主張したためである。1987年には、トッド・ヘインズの自主制作短編映画 "Superstar: The Karen Carpenter Story" (カレンが衰えて早すぎる死を迎えるまでを、実際の女優ではなくバービー人形を用いて描いている)の配給に介入した。この映画のカレンに対する描写は同情的なものだったが、カレンの不幸を浮き立たせるために家族に対しては悪印象を与えるような表現がとられており、リチャードはカーペンターズの曲が無許可で使用されていることを根拠に訴訟を起こし、映画の配給を差し止めさせた。1989年のテレビ映画『カーペンターズ・ストーリー』("The Karen Carpenter Story" 、シンシア・ギブ主演)はリチャードの協力下に制作され、好意的な評価と高い視聴率を獲得した。この映画の放映後数週間はレコード屋からカーペンターズの在庫がなくなったほどである。
カレンのソロ・アルバム『遠い初恋』は1996年10月にリリースされた。CDにはA&Mが1980年にこのアルバムをお蔵入りにした経緯などを説明した、リチャードによるライナーノーツが付いている。ここに収録された楽曲は、ロック(ピーター・セテラをゲスト・ヴォーカルに迎えた「メイキング・ラヴ・イン・ジ・アフターヌーン」)からブルース(「ラスト・ワン・シンギン・ザ・ブルース」)まで、幅広いジャンルの音楽をカヴァーしている。なお、このアルバムのプロデューサーであるフィル・ラモーンはセテラがかつて所属していたバンド、シカゴの楽曲も数多く手がけている。カレンが1979年から1980年にかけて録音した未発表のソロ曲は他にも9曲あるが、ファンの間ではブートレグとして流通している。
1997年にリチャードは自身のピアニスト・編曲家・作曲家としての才能のすべてを注ぎ込んだアルバムを録音して発表したが、そのタイトルはまさに "Pianist Arranger Composer Conductor" というものであった(日本盤タイトルは『新たなる輝き:イエスタデイ・ワンス・モア』)。日本におけるカーペンターズの人気は非常に高く、カレンの死後も長く続いた。日本人でないアーティストのシングルが日本で大きく売れることは稀であるが、カーペンターズは例外である。カーペンターズのシングル3枚(「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、両A面の「青春の輝き」/「トップ・オブ・ザ・ワールド」)がオリコンチャートのトップ10入りし、その他にも7曲がトップ40に入っている。1995年には日本市場向けにリチャードが編纂した『青春の輝き:ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ』 ("22 Hits of the Carpenters") がチャートトップを獲得し、2002年には出荷枚数300万枚を突破する。2003年には300万枚突破記念盤として再発、2005年には10周年記念盤として再々発された。
リチャード・カーペンターは、妻のメアリ・ルドルフ・カーペンターおよび4人の娘と1人の息子らとともにカリフォルニア州サウザンド・オークスに住んでおり、夫妻は芸術家の後援活動をしている。2004年にリチャードと妻はカレンを記念したサウザンド・オークス市民芸術プラザ基金 (Thousand Oaks Civic Arts Plaza Foundation) に対し、300万ドルの寄付を行うことを公約した。これを受けて2006年9月20日には初年度となる「リチャード・カーペンター奨学金コンクール・ショー」 (Richard Carpenter Scholarship Competition Award Show) が開催された。ショーの後にはリチャードと娘のトレイシーやミンディも演奏した。リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の「リチャード&カレン・カーペンター・パフォーミング・アーツ・センター」とも提携している。彼はカーペンター・センターの資金繰りを目的とすることも含めて、コンサート活動を継続している。2001年にはヴァージニア州ノーフォークで行われたペトゥラ・クラークの「サイン・オブ・ザ・タイムズ」コンサートにゲスト出演し、演奏の一部はCDやDVDでリリースされたほか、PBSの特番で放映された。2002年にリチャードはクラークをカーペンター・センターへ招いたり、クラークのCD "The Ultimate Collection" で客演するなどもしている。2007年、中国のラジオ番組 China Drive がリスナーに対して「初めて聞いた英語の歌」を募ったところ、50%以上が「イエスタデイ・ワンス・モア」を挙げた[48]。
2008年、アルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973年)のジャケットで有名になった、カリフォルニア州ダウニーのニューヴィル・アヴェニューにあるカーペーンター家の家屋の取り壊しが間近に迫った際には、ファンによって抗議運動が展開された[49]。
[編集] 音楽と歌詞のスタイル
カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素の1つは、カレンの用いた低い音域の声である。ジャズやカントリー・ミュージックの分野には見られたが、当時のポピュラー音楽の世界にアルト歌手はほとんど存在しなかった。しかし、カレンはおよそ3オクターヴにわたる広い声域をもっていたのである[50]。リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた。カレンは高い音域の声も出すことはできたが、低音(カレンは自分の "basement" と呼んでいた)ほど特質のあるものではなかった[50]。リチャードはカーペンターズのオフィシャル・サイトのファンからの質問のページで、カレンと自分は彼女の「胸声」に魔法のようなものを感じており、音の豊かさという点では比較にならなかったため、彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている[50]。
カレンの「魔法」が低音域にあったため、リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした。カーペンターズの曲の多くはD(「ユー」「見つめあう恋」)、E(「イエスタデイ・ワンス・モア」)、G(「恋よさようなら」「リーズン・トゥ・ビリーヴ」「ふたりの誓い」「ユール・ラヴ・ミー」)などのキーを用いている。カレンはこれらDからGまで、場合によってはA、B、Cも用いているが、こうした芸当のできる歌手は多くないことから、カレンの声域の広さはよく知られている。
歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だと考えていた[12]。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかったカレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむをえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた[51]。
カーペンターズの音楽は、そのアレンジの見事さによって高く評価されている。アレンジは大抵リチャードが担当し、その手腕は広く賞賛された。アレンジの大半はクラシックのスタイルで、多くの弦楽器や、ときには金管楽器や木管楽器も用いた(「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」では、160人以上の歌手と演奏家を迎えている[3])。著名な音楽評論家のダニエル・レビティンは "Electronic Musician" 誌において「リチャード・カーペンターこそ、ポップ・ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの1人である」と述べている[52]。
[編集] プロモーション活動とツアー
1969年の最初のアルバム『オファリング』に対するレヴューはあまり芳しいものではなく、カーペンターズのスタートは順調なものではなかったが、2人はバート・バカラックの前座として自分たちのプロモートに励んだ[53]。1974年のラスヴェガスのホテルリヴィエラにおけるコンサートのときに、リチャードはそのいきさつについて説明した。映画『ハロー・ドリー!』封切り後のベネフィット・ディナーの際にバカラックの方から彼らの元を訪れて、後日行われるバカラックのディナー・ショーの前座をやってみないかと誘ったのである。このときにバカラックは自分の曲をどれでもいいからメドレーにして歌ってみろとの要求を出した[54]。カーペンターズは2ヶ月をかけて8曲のメドレーをまとめ上げた[54]。このメドレーは全部で13分近くあったものを5分に短縮した上で1971年のアルバム『カーペンターズ』に収録された[54]。
カーペンターズはコンサート・ツアーやテレビ出演などの過密なスケジュールをこなしていった。彼らが出演したテレビ番組には『エド・サリヴァン・ショー』[55]やジョニー・カーソン司会の『ザ・トゥナイト・ショー』[56]、『キャロル・バーネット・ショー』( "The Carol Burnett Show" 、1971年および1972年)、『マイク・ダグラス・ショー』( "The Mike Douglas Show" 、1971年)[57]などがあり、『ジョニー・キャッシュ・ショー』( "The Johnny Cash Show" 、同じく1971年)では「ふたりの誓い」と「雨の日と月曜日は」を演奏した[58]。BBCのテレビ特番 ("Carpenters: Live at the BBC") では生演奏を披露している。彼らはまた夏の間だけのシリーズ番組 "Make Your Own Kind of Music" で主演を務め、アメリカでは毎週火曜日の午後8時にNBCで放送された。1980年のラジオでのインタビューでカレンとリチャードのいずれもが、1970年代初めのテレビとの関わりにおいて自分たちはつけ込まれ利用されていたこと、その後の作品を制作してゆく上での支配権を握られそうになっていたことなどを述べている[59]。
1973年5月には、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンと訪米中の西ドイツ首相ウィリー・ブラントからの招待を受け、ホワイトハウスで演奏することになった[12]。
カーペンターズは1971年から1975年にかけて数多くのコンサートを行っている。以下の表はリチャードが保存していた旅行記録に基づいたものである[60]。
| 年 | コンサート回数 | TV出演回数 |
|---|---|---|
| 1971 | 145公演[35] | 10番組("Make Your Own Kind of Music"など) |
| 1972 | 174公演[35] | 6番組 |
| 1973 | 174公演[35] | 3番組 |
| 1974 | 203公演[35] | なし |
| 1975 | 118公演 + 延期46回[35] | なし |
1970年代の中ごろには、度重なるツアーや長期に及ぶレコーディング・セッションが2人を蝕みはじめており、2人の十数年にわたる活動の後半は仕事の上でも個人生活の上でも問題を抱えたものとなっていた。カレンは強迫観念的にダイエットをするようになり、やがて神経性無食欲症になって症状も進行していった。この拒食症が最初に現われたのは、ラスヴェガスでのショーの途中でカレンが倒れた1975年のことである。カレンは消耗しきっており、フィリピンとイギリスおよび日本へのコンサート・ツアーはキャンセルするよう命じられた。リチャードはその時期の6、7日の過密スケジュールのことを後悔しており、現在明らかになったことを当時すでに知っていたら絶対にそのような日程には同意しなかっただろうと語っている。カレンはシングル「オンリー・イエスタデイ」のミュージック・ビデオを撮影したころには(まだ病的ではなかったが)顕著に痩せて見えるようになった。一方リチャードもメタカロン(催眠剤)の中毒に陥っており、1970年代後半には演奏に悪影響を及ぼしはじめ、これらをきっかけとして1978年に2人はライヴ・コンサートへの出演を辞めることとなった。
カーペンターズとして行った日本公演は、1972年、1974年、1976年の3回である。1974年の日本公演では、武道館ではひばり児童合唱団と、京都では地元の合唱団(リチャードが「Kyoto Children's choir」と紹介していた。[61])と「シング」を日本語で歌った。
[編集] テレビ特番
カーペンターズ主演のテレビ特番も非常に好評で、彼らは1970年代を通じてお茶の間にその姿を見せていた。彼らは計5本のテレビ特番をもち、いずれも1976年から1980年にかけて放映された。1976年12月8日放送の "The Carpenters' Very First TV Special" はヒット番組となり、アメリカの視聴率調査会社ニールセンのランキングでも第6位となった[12]。彼らのテレビ特番には大抵「shtick」(演出上の見せ場として、お決まりのギャグなどを演じる滑稽な場面)があり、リチャードはこれをたいへん嫌っていたが、カレンは気に入っていたようで、その個性をカメラの前で花開かせることとなった。
カーペンターズ最後のテレビ特番 "Music" は1980年5月に放送された。この番組には「shtick」もなく、最初から最後まで音楽だけで構成されていた[12]。テレビ司会者のジョン・デヴィッドソンや有名なスタンダード歌手のエラ・フィッツジェラルドらがゲスト出演し、さまざまな歌を披露した。この番組で演奏された曲の多くは2004年にアルバム『レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ』収録曲としてCDでリリースされた。カーペンターズのオフィシャルサイトで、このアルバムに収められた15曲のうち5曲が "Music, Music, Music!" から取られたものであると明記されている。しかし、ABCは純粋に音楽だけで番組を作るというカーペンターズの決定に不満を覚えていた。ドキュメンタリー『リメンバー・ザ・カーペンターズ』 ("Close to You: Remembering the Carpenters") で、リチャードはABCのスタッフがこぼした「一体あいつらはこれを何だと思っているんだ? PBSの番組か?」という言葉を引用している(PBSは教養番組を主とするアメリカの公共放送局で、日本ではNHK教育にあたる)。皮肉にも、このドキュメンタリーは翌1998年にMPIホーム・ビデオ社からDVDとして発売される前にPBSで放映された。
[編集] 評価と影響
カーペンターズの絶大な人気は音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかしレコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「遙かなる影」で最優秀ボーカル・グループ賞[62]、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞[29])。また、1973年には、投票によって第1回アメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれた[63]。
多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」とでもいったような印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび自分はミルクなど好きではないしワインも飲む、マリファナ合法化のために投票さえしたとまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている[64]。
レイ・コールマンの著書 "The Carpenters: The Untold Story" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している[65]。
カーペンターズの本格的な再評価は、1990年代から2000年代にかけて各国で制作された、 "Close to You: Remembering the Carpenters" (アメリカ)や "The Sayonara" (日本)、 "Only Yesterday: The Carpenters Story" (イギリス)などさまざまなドキュメンタリーによってもたらされた。作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ、カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた。彼女の特徴的なヴォーカルが、その後のポップ・ミュージックにアン・マレーやリタ・クーリッジ、メリサ・マンチェスターといったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている。1990年代のR&Bグループ、ボーイズIIメンさえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。1990年にオルタナティヴ・ロック・バンドのソニック・ユースは "Tunic (Song for Karen)" という曲を録音した(アルバム『GOO』収録)。これはカレンが新しい「友だち」のデニス・ウィルソンやエルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョプリンらの元を訪ねてもう一度ドラムを演奏するために家族へ別れを告げるという内容の歌である[66]。批評家からはそのサウンドが「ソフトすぎる」と批判されていたにもかかわらず、カーペンターズをロックの殿堂へ入れるべきだとする運動や嘆願書が数多く存在する[67]。
1994年のトリビュート・アルバム『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター~カーペンターズに捧ぐ』 ("If I Were a Carpenter") では、ソニック・ユースやベティー・サーヴァート、少年ナイフ、グラント・リー・バッファロー、マシュー・スウィート、クランベリーズといったアーティストによって、カーペンターズのヒット曲のオルタナティブ・ロック的解釈が試みられた[68]。
カーペンターズの曲の多くは、もはやポップ・スタンダードとなっている。特に「遙かなる影」などはカラオケで歌われることも多い。この曲は『バックマン家の人々』 ("Parenthood") で挿入歌として使用され[69]、『ザ・シンプソンズ』の2つのエピソードや『ザ・シンプソンズ MOVIE』でも使われている[70]。代表曲の一つ「愛のプレリュード」は結婚式や披露宴の定番であり、映画『スタスキー&ハッチ』 ("Starsky & Hutch")[71]や『1408号室』[72]でも印象的に用いられている。「スーパースター」はルーサー・ヴァンドロスやルーベン・スタッダードからベット・ミドラー、ソニック・ユースに至るまで、数多くのアーティストによってカヴァーされた。クレイ・エイケンはテレビ番組『アメリカン・アイドル』でこの曲を歌い、若い世代にもこの曲を知らしめた[73]。
「愛のプレリュード」と「遙かなる影」は、その良質さと歴史的重要性からグラミーの殿堂入りを果している[74]。
自分に大きな影響を与えた人物としてカレン・カーペンターの名を挙げている現代のアーティストには、クリスティーナ・アギレラ、グウェン・ステファニー、シャナイア・トゥエイン、アナスタシア、メアリー・J. ブライジ、アリシア・キーズ、リアン・ライムス、ケリー・ジョーンズ(ステレオフォニックス)、ジョニー・ボーレル(レイザーライト)、ジョー・オメアラ(S Club 7)、マドンナなどがいる[75][76]。
リチャードと妻メアリ・ルドルフ・カーペンターは2007年にベンチュラ郡のフィランソロピスト(社会奉仕家)・オブ・ザ・イヤー賞を授与された[3]。
[編集] ディスコグラフィ
その経歴を通じて、カーペンターズは解散までに30枚のシングルをリリースした。この30枚のうち13枚がRIAAによってゴールドディスクに認定され、22枚がアダルト・コンテンポラリー・チャートのトップ10に到達した。またカーペンターズは1969年から1983年までに10枚のアルバムを発表した。そのうち6枚のアルバム(『遙かなる影』、『カーペンターズ』、『ア・ソング・フォー・ユー』、『ナウ・アンド・ゼン』、『緑の地平線〜ホライゾン』、『見つめあう恋』)がビルボード・ホット100のトップ20入りした曲を収録している。
[編集] スタジオ・アルバム
| 年 | タイトル | チャート最高位 | ゴールド認定等 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 米[77] | 英[78] | 日[79] | 豪 | 米[80] | 英 | ||
| 1969 | オファリング (Offering) | 150 | 20[1] 35[2] |
88 | 19 | ||
| 1970 | 遙かなる影 (Close to You)
|
2 | 23 | 53 | 16 | 2× プラチナム |
|
| 1971 | カーペンターズ (Carpenters)
|
2 | 12 | 47 | 16 | 4× プラチナム |
|
| 1972 | ア・ソング・フォー・ユー (A Song for You)
|
4 | 13 | 5 | 6 | 4× プラチナム |
|
| 1973 | ナウ・アンド・ゼン (Now & Then)
|
2 | 2 | 1 | 3 | 2× プラチナム |
ゴールド[81] |
| 1975 | 緑の地平線〜ホライゾン (Horizon)
|
13 | 1 | 1 | 21 | 1× プラチナム |
ゴールド[82] |
| 1976 | 見つめあう恋 (A Kind of Hush)
|
33 | 3 | 5 | 57 | ゴールド | ゴールド[83] |
| 1977 | パッセージ (Passage)
|
49 | 12 | 7 | 48 | ゴールド[84] | |
| 1981 | メイド・イン・アメリカ (Made in America)
|
52 | 12 | 44 | 50 | シルバー[85] | |
| 1983 | ヴォイス・オブ・ザ・ハート (Voice of the Heart)
|
46 | 6 | 41 | 54 | ゴールド[86] | |
| 1989 | 愛の軌跡〜ラヴラインズ (Lovelines)
|
- | - | - | - | ||
| 2002 | レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ (As Time Goes By)
|
- | - | 18 | - | ||
^ [1] は1972年のチャート・ポジション
^ [2] は1975年のチャート・ポジション
「 - 」はチャート入りしなかったことを表す。
[編集] ライヴ・アルバム
カーペンターズの公式ライヴ・アルバムは少なく、アメリカ本国においては発売さえしていないが、1974年に日本で『ライヴ・イン・ジャパン』(およびその模様を収めたヴィデオ)を、また1976年にイギリスで『ライヴ・イン・ロンドン』をそれぞれ1作ずつ発売している。これらのコンサートの映像はDVDなどで公式に発売されてはいないが、日本でのみ1974年5月31日武道館での未発表コンサートが『ライヴ・イン・ジャパン~イエスタデイ・ワンス・モア 武道館1974』として発売されている。またイギリスでは、1971年の "Carpenters: Live at the BBC" と題されたスタジオ・コンサートや、 "The Carpenters: Live at the New London Theatre" という題のライヴ・コンサートなどがテレビ放送された。
| 年 | タイトル | チャート最高位 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 英[78] | 日[79] | |||
| 1975 | ライヴ・イン・ジャパン (Live in Japan) |
- | 8 | |
| 1977 | ライヴ・イン・ロンドン (Live at the Palladium) |
28 | 24 |
|
[編集] クリスマス・アルバム
カーペンターズ名義のクリスマス・アルバムは、カレンの存命時とカレンの没後に1枚ずつリリースされ、1996年には両方の作品を抱き合わせた2枚組CD『Christmas Collection』が日本でリリースされた。
| 年 | タイトル | チャート最高位 | |
|---|---|---|---|
| 米 | 英 | ||
| 1978 | クリスマス・ポートレイト (Christmas Portrait) |
145 | 104 |
| 1984 | オールド・ファッションド・クリスマス (An Old-Fashioned Christmas) |
190 | - |
[編集] ソロ・アルバム
カレンが1983年2月4日に夭逝したのち、リチャードはソロ活動を開始したが、反応はそれほど熱のこもったものではなかった。カレンも一時期ソロ活動をしているが、現在に至るまで唯一となる彼女のソロ・アルバムは彼女自身の名をタイトルに冠したものである(ただし日本盤タイトルは『遠い初恋』)。この作品がCDとして発売されるのは1996年、すなわち彼女の死後13年を経てからのことである。このアルバムには、カレンがフィル・ラモーンをプロデューサーに迎えて1979年にニューヨークで録音した楽曲などが収録されている。2人のソロ・アルバムは、いずれもチャート入りすることなく、RIAAによるプラチナムやゴールドの認定を受けることもなかった。
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1987 | タイム (Time) |
|
| 1996 | 遠い初恋 (Karen Carpenter) |
|
| 1998 | 新たなる輝き:イエスタデイ・ワンス・モア (Pianist, Arranger, Composer, Conductor) |
|
[編集] コンピレーション
以下の表は、アメリカ合衆国で発売されたカーペンターズの「ベスト・アルバム」一覧である。カーペンターズには多くの編集盤があり、その大半はチャート入りやRIAAによる認定を受けるに至ってはいないが、初のコンピレーション・アルバム "The Singles: 1969-1973" は、2008年現在でカーペンターズ最大のベストセラーであり、700万枚の売り上げを記録している。このアルバムは彼らの大ヒット曲を網羅しており、4チャンネル・レコードで発売された作品の1つでもある。
| 年 | タイトル | チャート最高位 | ゴールド認定等 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 米[77] | 英[78] | 日[79] | 米[80] | 英 | ||
| 1973 | The Singles: 1969-1973
|
1 | 1 | - | 7× プラチナム |
プラチナム[88] |
| 1978 | The Singles: 1974-1978
|
- | 2 | - | プラチナム[89] | |
| 1985 | Yesterday Once More
|
- | 10 | 35 | 2× プラチナム |
プラチナム[90] |
| 1991 | From the Top
|
- | - | - | ||
| 1995 | Interpretations
|
- | 29 | - | ゴールド[91] | |
| 1997 | Love Songs
|
106 | 47 | - | ゴールド | ゴールド[92] |
| 1998 | Reflections
|
- | - | - | ||
| 2000 | The Singles: 1969-1981
|
- | - | - | ||
| 2002 | The Essential Collection
|
- | - | - | ||
| 2003 | Carpenters Perform Carpenter
|
- | - | - | ||
| 2004 | Gold: 35th Anniversary Edition
|
100 | - | 79 | ゴールド | プラチナム[93] |
「 - 」はチャート入りしなかったことを表す。
[編集] シングル
| 年 | 曲名 | チャート最高位 | ゴールド認定等[80] | アルバム | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 米ポップ | 米AC | 英 | 日 | 加 | 豪 | ||||
| 1966 | "Looking for Love" / "I'll Be Yours" (カレンのソロ) |
- | - | - | - | - | - | - | From The Top The Essential Collection |
| 1969 | 涙の乗車券 - "Ticket to Ride" / ワンダフル・パレード - "Your Wonderful Parade" |
54 | 19 | - | - | - | - | - | オファリング |
| 1970 | 遙かなる影 - "(They Long to Be) Close to You" / 愛しつづけて - "I Kept On Loving You" |
1 | 1 | 6 | 71 | 1 | 1 | ゴールド | 遙かなる影 |
| 1970 | 愛のプレリュード - "We've Only Just Begun" / 私のすべてをあなたに - "All of My Life" |
2 | 1 | 28 | 71 | 2 | 6 | ゴールド | 遙かなる影 |
| 1970 | メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas Darling" / ミスター・グーダー - "Mr. Guder" |
- | - | 45 | - | 50 | - | ゴールド | クリスマス・ポートレイト |
| 1971 | ふたりの誓い - "For All We Know" / 恐れないで - "Don't Be Afraid" |
3 | 1 | 18 | - | 7 | 10 | ゴールド | カーペンターズ |
| 1971 | 雨の日と月曜日は - "Rainy Days and Mondays" / サタデイ - "Saturday" |
2 | 1 | - | 72 | 3 | 35 | ゴールド | カーペンターズ |
| 1971 | スーパースター - "Superstar" / 動物と子供達の詩 - "Bless the Beasts and Children" |
2 | 1 | 18 | 7 | 3 | 35 | ゴールド | カーペンターズ |
| 1971 | 動物と子供達の詩 - "Bless the Beasts and Children" (「スーパースター」のB面) |
67 | 26 | - | 85 | - | - | ゴールド | ア・ソング・フォー・ユー |
| 1972 | ハーティング・イーチ・アザー - "Hurting Each Other" / メイビー・イッツ・ユー - "Maybe It's You" |
2 | 1 | - | 56 | 2 | 4 | ゴールド | ア・ソング・フォー・ユー |
| 1972 | 小さな愛の願い - "It's Going to Take Some Time" / フラット・バロック - "Flat Baroque" |
12 | 2 | - | 48 | 13 | 24 | - | ア・ソング・フォー・ユー |
| 1972 | 愛にさよならを - "Goodbye to Love" / クリスタル・ララバイ - "Crystal Lullaby" |
7 | 2 | 9 | 55 | 4 | 25 | - | ア・ソング・フォー・ユー |
| 1973 | シング - "Sing" / ドリシラ・ペニー - "Druscilla Penny" |
3 | 1 | - | 18 | 4 | 24 | ゴールド | ナウ・アンド・ゼン |
| 1973 | イエスタデイ・ワンス・モア - "Yesterday Once More" / 明日への旅路 - "Road Ode" |
2 | 1 | 2 | 5 | 3 | 9 | ゴールド | ナウ・アンド・ゼン |
| 1973 | トップ・オブ・ザ・ワールド - "Top of the World" / ヘザー - "Heather" |
1 | 2 | 5 | 21 | 1 | 1 | ゴールド | オリジナル:ア・ソング・フォー・ユー 1973年リミックス:The Singles: 1969-1973 |
| 1974 | ジャンバラヤ - "Jambalaya" / ミスター・グーダー - "Mr. Guder" (UK) |
† | † | 12 | 28 | - | 95 | - | ナウ・アンド・ゼン |
| 1974 | 愛は夢の中に - "I Won't Last a Day Without You" / ワン・ラヴ - "One Love" |
11 | 1 | 9/32 | 40 | 7 | 63 | - | ア・ソング・フォー・ユー |
| 1974 | プリーズ・ミスター・ポストマン - "Please Mr. Postman" / マスカレード - "This Masquerade" |
1 | 1 | 2 | 11 | 1 | 1 | ゴールド | 緑の地平線〜ホライゾン |
| 1974 | サンタが街にやってくる - "Santa Claus Is Comin' To Town" / メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas Darling" |
- | - | 35 | - | - | - | ゴールド | オールド・ファッションド・クリスマス |
| 1975 | オンリー・イエスタデイ - "Only Yesterday" / ハッピー - "Happy" |
4 | 1 | 7 | 12 | 2 | 16 | - | 緑の地平線〜ホライゾン |
| 1975 | ソリテアー - "Solitaire" / 愛は木の葉のように - "Love Me for What I Am" |
17 | 1 | 32 | 44 | 12 | 61 | - | 緑の地平線〜ホライゾン |
| 1976 | 見つめあう恋 - "There's A Kind Of Hush" / グッバイ・アンド・アイ・ラヴ・ユー - "(I'm Caught Between) Goodbye and I Love You" |
12 | 1 | 22 | 27 | 11 | 33 | - | 見つめあう恋 |
| 1976 | 青春の輝き - "I Need to Be in Love" / サンディー - "Sandy" |
25 | 1 | 36 | 62 | 31 | 47 | - | 見つめあう恋 |
| 1976 | グーファス - "Goofus" / 夢の小舟 - "Boat to Sail" |
56 | 4 | - | - | 82 | - | - | 見つめあう恋 |
| 1976 | 悲しき慕情 - "Breaking Up Is Hard to Do" / |
- | - | - | 71 | - | - | - | 見つめあう恋 |
| 1977 | ふたりのラヴ・ソング - "All You Get from Love Is a Love Song" / 愛のキャンドル・ライト - "I Have You" |
35 | 4 | - | 68 | 38 | 89 | - | パッセージ |
| 1977 | 星空に愛を (コーリング・オキュパンツ) - "Calling Occupants of Interplanetary Craft" / 微笑の泉 - "Can't Smile Without You" |
32 | 18 | 9 | - | 9 | 13 | - | パッセージ |
| 1977 | クリスマス・ソング - "The Christmas Song" / メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas Darling" |
- | - | - | - | - | - | - | クリスマス・ポートレイト |
| 1978 | スウィート・スマイル - "Sweet, Sweet Smile" / 愛のキャンドル・ライト - "I Have You" |
44 | 7 | 40 | 59 | 33 | 100 | - | パッセージ |
| 1978 | アイ・ビリーヴ・ユー - "I Believe You" / 一人にさせて - "B'wana She No Home" |
68 | 9 | - | - | 81 | - | - | メイド・イン・アメリカ (1981) |
| 1981 | タッチ・ミー - "Touch Me When We're Dancing" / ウェディング・ソング - "Because We Are in Love (The Wedding Song)" |
16 | 1 | - | - | - | 78 | - | メイド・イン・アメリカ |
| 1981 | バック・イン・マイ・ライフ - "(Want You) Back In My Life Again" / あなたを信じて - "Somebody's Been Lyin'" |
72 | 14 | - | - | - | - | - | メイド・イン・アメリカ |
| 1981 | 遠い想い出 - "Those Good Old Dreams" / 涙の色は - "When It's Gone (It's Just Gone)" |
63 | 21 | - | - | - | - | - | メイド・イン・アメリカ |
| 1982 | 恋のビーチウッド - "Beechwood 4-5789" / あの日、あの時 - "Two Sides" |
74 | 18 | - | - | - | - | - | メイド・イン・アメリカ |
| 1983 | 遠い初恋 - "Make Believe It's Your First Time" / 愛は永遠に - "Look to Your Dreams" |
101 | 7 | 60 | - | - | 80 | - | ヴォイス・オブ・ザ・ハート |
| 1984 | ユア・ベイビー - "Your Baby Doesn't Love You Anymore" / 輝く船出 - "Sailing On the Tide" |
- | 12 | - | - | - | - | - | ヴォイス・オブ・ザ・ハート |
| 1984 | リトル・オルター・ボーイ - "Little Altar Boy" / ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア? - "Do You Hear What I Hear?" |
- | - | - | - | - | - | - | オールド・ファッションド・クリスマス |
| 1986 | ホノルル・シティ・ライツ - "Honolulu City Lights" / 想い出にさよなら - "I Just Fall in Love Again" |
- | - | - | - | - | - | - | 愛の軌跡〜ラヴラインズ (1989) |
| 1987 | サムシング・イン・ユア・アイズ - "Something in Your Eyes" (リチャード・カーペンター&ダスティ・スプリングフィールド) / タイム - "Time" |
- | 12 | 84 | - | - | - | - | タイム (リチャードのソロ) |
| 1989 | イフ・アイ・ハド・ユー - "If I Had You*" (Karen Carpenter) / アンインヴァイテッド・ゲスト - "The Uninvited Guest" |
- | 18 | - | - | - | - | - | 愛の軌跡〜ラヴラインズ (1989年) 遠い初恋 (1996年) |
| 1990 | メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas Darling" / 遙かなる影 - "(They Long to Be) Close to You" (UK再発) |
- | - | 25 | - | - | - | - | 遙かなる影 (1970) |
| 1991 | あなたの影になりたい - "Let Me Be the One" プロモCDのみでB面なし |
- | - | - | - | - | - | - | カーペンターズ (1971) |
| 1993 | 雨の日と月曜日は - "Rainy Days and Mondays" (UK再発) | - | - | 63 | - | - | - | - | カーペンターズ (1971) |
| 1994 | "Tryin' to Get the Feeling Again" | - | - | 44 | - | - | - | - | Interpretations |
| 1995 | 青春の輝き - "I Need to Be In Love" / トップ・オブ・ザ・ワールド - "Top of the World" (日本再発) |
- | - | - | 5 | - | - | - | 22 Hits of the Carpenters (日本独自編集盤) |
| 2001 | レインボウ・コネクション - "The Rainbow Connection" / リーヴ・イエスタデイ・ビハインド - "Leave Yesterday Behind" / "Medley: Superstar-Rainy Days and Mondays" |
† | † | - | 47 | - | - | - | レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ |
| 2003 | トップ・オブ・ザ・ワールド - "Top of the World" (日本再発) / "Top of the World" [カラオケ] / シング - "Sing" [カラオケ] |
- | - | - | 83 | - | - | - | Gold (日本盤) |
「†」はその国ではリリースされなかったことを表す
[編集] 注記
- 「トップ・オブ・ザ・ワールド」は日本で4回チャート入りしている。1972年に21位、1973年に(アメリカ本国での成功を受けて)52位となったが、1995年に「青春の輝き」がテレビドラマ『未成年』の主題歌・挿入歌に起用され再発された際にはシングルのB面として、その後A面としても83位にランクインし、4度目のチャート入りを果した。
- 「スウィート・スマイル」はビルボード・カントリー・チャートでは最高6位を記録。
- 「スーパースター」と「ふたりの誓い」はイギリスでは両A面としてリリースされた。
- 「愛は夢の中に」は1971年にアメリカで「愛にさよならを」をB面としてリリースされたが、その直後にAB面が入れ替えられた。のち1974年には、アメリカで最初にA面として発売されたことに合わせてイギリスでもA面としてリリースされた。
- 1990年イギリスにおいて「メリー・クリスマス・ダーリン」が再発された際には、1970年のオリジナル・ヴァージョンではなく、1978年のアルバム『クリスマス・ポートレイト』に収録された再録ヴァージョンが使用された。
[編集] クリスマス・シングルなど
| 年 | タイトル | チャート最高位 | |
|---|---|---|---|
| 米 | 英 | ||
| 1970 | メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas, Darling" / ミスター・グーダー - "Mr. Guder" | 1 | 45 |
| 1974 | サンタが街にやってくる - "Santa Claus Is Coming to Town" / メリー・クリスマス・ダーリン - "Merry Christmas, Darling" | - | 37 |
| 1984 | リトル・オルター・ボーイ - "Little Altar Boy" / ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア? - "Do You Hear What I Hear?" | - | - |
[編集] 映像作品
2008年現在、カーペンターズは2本のミュージック・ビデオDVD(いずれも、VHSでも発売されていた)と、MPIホーム・ビデオ社からリリースされたドキュメンタリーDVD1本を発表している。リチャード・カーペンターは、これ以上の映像作品をDVDでリリースするつもりはないと語っている[87]。
| 年 | タイトル | 備考 | ゴールド認定等[80] |
|---|---|---|---|
| 1985 | Gold: Greatest Hits |
|
- |
| 1995 | Interpretations |
|
- |
| 1998 | Close to You: Remembering the Carpenters |
|
ゴールド |
[編集] サウンドトラック
リチャードとカレンは1本の映画全体のためのサウンドトラックこそ制作していないが、映画に主題歌を提供したり、映画の主題歌ないしクライマックス・シーンでの挿入歌をカヴァーしたりしている。
| 年 | タイトル | 備考 | アルバム |
|---|---|---|---|
| 1970 | ふたりの誓い - "For All We Know" |
|
カーペンターズ |
| 1971 | 動物と子供達の詩 - "Bless the Beasts and Children" |
|
Bless the Beasts and Children (サントラ・ヴァージョン) ア・ソング・フォー・ユー (アルバム・ヴァージョン) |
| 1978 | リーヴ・イエスタデイ・ビハインド - "Leave Yesterday Behind" |
|
レインボウ・コネクション〜アズ・タイム・ゴーズ・バイ (released in 2004) |
[編集] トリビュート・アルバム
| 年 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1994 | If I Were a Carpenter |
|
| 2009 | イエスタデイ・ワンス・モア〜TRIBUTE TO THE CARPENTERS〜 |
|
[編集] 参考資料
- "Richard and Karen Carpenter - Official website". 2008-03-01 閲覧。
- "Recording Industry Association of America". 2008-03-01 閲覧。 注: "Carpenters" などを入力して検索する必要がある。
[編集] グラミー賞受賞歴
1970年代を通じて、リチャードとカレンはグラミー賞に何度もノミネートされている。リチャードはインストゥルメンタル曲『フラット・バロック』 ("Flat Baroque") によって、個人でもノミネートされた[94]。2人はグラミー賞を3度受賞し、2曲が殿堂入りを果している[74]。
| 年 | 部門 | 受賞/ ノミネート |
タイトル |
|---|---|---|---|
| 1970 | 最優秀新人賞 | 受賞 | カーペンターズ |
| 最優秀ボーカル・グループ賞 | 受賞 | 「遙かなる影」 | |
| 最優秀レコード賞 | ノミネート | 『遙かなる影』 | |
| 最優秀アルバム賞 | ノミネート | 『遙かなる影』 | |
| 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | 「遙かなる影」 | |
| 最優秀楽曲賞 | ノミネート | 「愛のプレリュード」 | |
| 最優秀コンテンポラリー・ソング賞 | ノミネート | 「愛のプレリュード」 | |
| 最優秀録音賞 | ノミネート | 『遙かなる影』 | |
| 1971 | 最優秀ボーカル・グループ賞 | 受賞 | 『カーペンターズ』 |
| 最優秀アルバム賞 | ノミネート | 『カーペンターズ』 | |
| 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | 「スーパースター」 | |
| 最優秀オリジナル・キャスト・アルバム賞 | ノミネート | "Bless the Beasts and Children" | |
| 最優秀録音賞 | ノミネート | 『カーペンターズ』 | |
| 1972 | 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | "Flat Baroque"[94] |
| 1973 | 最優秀ボーカル・グループ賞 | ノミネート | 「シング」 |
| 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | 「シング」 | |
| 1974 | 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | 「愛のプレリュード」 |
| 1977 | 最優秀アレンジメント賞 | ノミネート | 「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」 |
[編集] 備考
- 1971年、A&Mのグラフィック部門はクレイグ・ブラウン&アソシエーツを雇い、カーペンターズの最新作となる3枚目のアルバム『カーペンターズ』のジャケットのデザインを依頼した[95]。リチャードは仕上がったロゴを一目見るなり最高の出来だと感じたと語っている[95]。その後カーペンターズのアルバムすべてにおいてこのロゴが使用されることになったが、ファンからは「なぜ『パッセージ』にだけこのロゴが使用されていないのか」という質問が多く寄せられている。これに対しリチャードは裏ジャケットの下中央で使われているはずだと答えている。
- 日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので、CM・ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない。また、彼ら自身が1970年代に森永製菓のハイクラウンチョコレートや、サントリーのソフトドリンク、ポップのCMに起用されていたことがある。
[編集] 脚注
- ^ い ろ The Carpentersと表記されることが多いが、正式には単にCarpentersの表記が正しいCarpenter, Richard (2004). Album notes for The Carpenters Gold: 35th Anniversary Edition by The Carpenters. A&M Records. The Carpenters Gold: 35th Anniversary Edition at MusicBrainz.
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- ^ Coleman (1994) 52
- ^ い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を わ Surratt, Paul and JoAnn Young (Executive Producers). (1998-03-31). [to You: Remembering the Carpenters]. [Videotape, DVD]. MPI Home Video. ISBN 3030672782.
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- ^ い ろ Richard Carpenter, Karen Carpenter. (1997-04-13). E! True Hollywood Story. [Television broadcast].
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- ^ Coleman (1994) 76
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- ^ Coleman (1994) 135
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- ^ http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_IWon'tLastADay.htm
- ^ http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_Jambalaya.htm
- ^ Hot 100 number-one hits of 1975
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- ^ http://www.richardandkarencarpenter.com/SN_OnlyYesterday.htm
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- ^ Coleman (1994) 21-24
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- ^ い ろ Carpenter, Richard. "Fans Ask Archive". Richard and Karen Carpenter's Official Website. 2008-01-21 閲覧。
[編集] 参考文献
- Coleman, Ray (1994). The Carpenters: The Untold Story (paperback), 1st edition, Harper Collins Publishers. ISBN 0-06-018345-4.
- レイ・コールマン (1995年). カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語, 第1版, 株式会社福武書店. ISBN 4-8288-1749-2 C0073.
- 小倉ゆう子 (1996年). カーペンターズ 永遠の輝き (ムック), 共同通信社. ISBN 4764130297.
[編集] 外部リンク
- Richard and Karen Carpenter - Official site
- Richard and Karen Carpenter Center for the Performing Arts - Official site
- Carpenters The Richard and Karen Carpenter Performing Arts Center - Exhibit page official website
- Paul Williams Connection - Official site
- Karen Carpenter - Internet Movie Database (英語)
- Richard Carpenter - Internet Movie Database (英語)
- Rolling Stone - Carpenters biography
- Society Music Theory - A musicologist's discourse on their song "Superstar"
- On A&M Records - Miscellaneous photos and information regarding Carpenters
- Chris Walter - Pictures of Carpenters in an official archive
- ユニバーサルミュージック公式サイト (日本語)
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最終更新 2009年11月7日 (土) 08:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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