キタノダイオー
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| キタノダイオー | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド系種 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1965年4月6日 |
| 父 | ダイハード |
| 母 | キタノヒカリ |
| 母の父 | トサミドリ |
| 生国 | |
| 生産 | キタノ牧場 |
| 馬主 | 田中清司 |
| 調教師 | 久保田金造(中山) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 7戦7勝 |
| 獲得賞金 | 2157万円 |
キタノダイオーはサラ系の競走馬、種牡馬である。1965年生まれでタケシバオー等と同期にあたる。血統は父ダイハード、母は朝日杯3歳ステークスの優勝馬キタノヒカリ、母の父は顕彰馬トサミドリである。半姉に1963年の優駿牝馬(オークス)優勝馬アイテイオー(父ハロウェー)がいる。
調教師は久保田金造、馬主は田中清司、主戦騎手は当時若手であった郷原洋行騎手であった。
[編集] 略歴
3歳(旧表記)の早い時期にデビューすると、新馬戦を圧勝、続く函館3歳ステークスも新馬戦と同様の圧勝を収める。3戦目の北海道3歳ステークスも圧勝し、一躍ダービー候補となる。当時郷原は「今まで騎乗した馬で最高の馬である」とキタノダイオーを高く評価した[1]。
しかしその後故障し、タケシバオー、アサカオー、マーチス、タニノハローモア等が活躍したクラシック路線は完全に棒に振ってしまった。
2年近い休養の後デビューの地函館で復帰すると、条件戦を3連勝し、再び休養を挟んだ6歳2月、東京での条件戦も勝利したが、これが最後の出走となり、重賞への復帰は叶わず7戦7勝の成績を残して引退した。種牡馬入り後は母キタノヒカリから受け継いだサラ系であったものの、ハードラーク(愛知杯)、サンケイダイヤ(東京障害特別)と2頭重賞勝ち馬をだし、国内産種牡馬不遇の時代のおけるサラ系種牡馬としては健闘と言える結果であった。
[編集] 脚注
[編集] 血統表
| キタノダイオーの血統 (ナスルーラ系(ネヴァーセイダイ系)/Alcantara(Eglantine)5×5=6.25%(父内)、Swynford5×5=6.25%) | |||
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父
*ダイハード Die Hard 1957 栃栗毛 |
Never Say Die 1951 栗毛 |
Nasrullah | Nearco |
| Mumtaz Begum | |||
| Singing Grass | War Admiral | ||
| Boreale | |||
| Mixed Blessing 1946 栗毛 |
Brumeux | Teddy | |
| La Brume | |||
| Pot-Pourri | Rose Prince | ||
| Sweet Lavender | |||
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母
キタノヒカリ 1954 栗毛(サラ系) |
トサミドリ 1946 鹿毛 |
*プリメロ | Blandford |
| Athasi | |||
| *フリッパンシー | Flamboyant | ||
| Slip | |||
| バウアーヌソル 1938 鹿毛(サラ系) |
*トウルヌソル | Gainsborough | |
| Soliste | |||
| *バウアーストック | Bayerstock | ||
| Frivolity F-No.8-e | |||
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最終更新 2009年3月12日 (木) 22:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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