キリンビアパーク広島
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キリンビアパーク広島(キリンビアパークひろしま)は、広島県安芸郡府中町にある、キリンビールの施設。敷地内には、商業施設のイオンモール広島府中ソレイユがある。前身のキリンビール広島工場についても、この項目で取り上げる。
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[編集] 概要
工場閉鎖発表後の1997年(平成9年)12月に、キリンビアパーク広島新設を発表。工場閉鎖の翌月の1998年(平成10年)10月に初出荷を行った。その後、整備を行い1999年(平成11年)4月に開園。イオンモール広島府中ソレイユ開店にあわせて、2004年(平成16年)3月にリニューアルオープンした。
飲食店などで使われる、樽詰めビールを醸造しているキリン広島ブルワリー(ブルワリー棟)と、醸造したビールを実際に飲む事が出来るキリンプラザ広島(レストラン棟)で構成されている。
ブルワリー棟の年間製造能力は2000kL(20L樽換算で10万本)で、ラガービールやキリン一番搾り生ビールなどを製造している。樽ビールのみの製造で、7L、15L、20Lの樽ビールを製造。ブルワリー棟で造られたビールは、場内のレストランのほか、樽を広島市近辺の飲食店にも販売している。
レストラン棟内にはキリンプラザ キッチン1938が設けられ、棟内では醸造したビールが飲めるほか、食事を取る事も出来、夏場にはビアガーデンも行われている。キリンプラザはイオンモール広島府中ソレイユの館外施設の扱いになっている。また、同じ建物内には展示施設キリンプラザ ギャラリーが設けられ、ビール醸造の方法や、キリンビールの歴史などを知る事が出来る。
レストラン棟は、工場完成当初は、麒麟麦酒広島工場事務所棟で、被爆建物の一つでもある。
場内の、キリンビールの巨大看板は、工場設置時代からあった物で、山陽本線や後には山陽新幹線の車内から見る事ができ、広島市民にとっては広島に帰ってきた事を感じさせるアイテムになっていた。そのことから、工場閉鎖後も、同様に設置された。
敷地内には、麒麟麦酒広島支社も置かれている。使われている建物は、工場設置時代の建物が引き続き使われている。広島支社では、ビールの作り方や注ぎ方の教室を行っている。
[編集] 広島工場時代
1935年(昭和10年)に、キリンビールは九州進出を計画していたが、1936年(昭和11年)6月1日に広島県安芸郡府中村(1937年(昭和12年)に府中村は町制を施行して府中町になった)進出を決定した。横浜山手工場、神崎工場(のちの尼崎工場、現在は別の場所に移転して神戸工場)、仙台工場(現在は別の場所に移転して継続)に次ぐ全国4番目の工場として、1938年(昭和13年)3月14日にビールの醸造を開始。同年6月4日に開業式を行った。開業当時の広島工場は、当時としては東洋最大の規模だった。開業当時からビールの他、清涼飲料水の製造も行っている。
理由として、福岡県に他社の工場が既に進出していた事、熊本県八代地区は、良質な水は確保できるが、南過ぎるので九州進出は見送られた事。代わりの市場として、当時、軍都であった広島市や呉市などの消費地が近くにあった事、太田川水系の良質な水が抱負である事。キリンビールとしては広島市への進出を希望していたが、府中村が広島市への編入見込があったことより、府中村進出となった。
ちなみにキリンビールは、その後1966年(昭和41年)に、福岡県甘木市(現朝倉市)に福岡工場を開設したことで、九州への進出を果たした。
当時広島工場と共に、製瓶工場として、山口県都濃郡富田町(閉鎖時の市町村名は新南陽市、現在の周南市)に富田製壜工場(現在はロックタウン周南)も開設された。横浜製壜工場に次ぐ設置で、1952年(昭和27年)以降は、麒麟麦酒唯一の製壜工場になったが、その製瓶工場は、瓶から缶に市場が移行した事により、需要が減少した事で、自社製造を取りやめ、他社との合弁事業に移行。1990年(平成2年)頃に閉鎖された。製瓶工場についても、当地に設けられる話もあったが、瓶の原料の珪砂搬入には、臨海部が望ましい理由から、別の地に設けられた。
広島工場の開設と同時期に、広島金座街商店街にキリンビアホール広島が開設され、1990年(平成2年)頃まで存在。現在は、広島パルコ本館になっている。
1945年(昭和20年)の広島市への原子爆弾投下で被害が出たが、1947年(昭和22年)に操業を再開。戦後も、周辺土地の買収による用地拡張や、機能拡張を繰り返している。
創業当初は、瓶詰め専門の工場だったが、1990年(平成2年)頃に缶ビールの施設も追加されている。
1997年(平成9年)9月に、広島工場の閉鎖を発表。理由として、施設の旧式・老朽化、1社員あたりの製造量が500kl程度で、全社平均の半分強だった事。周辺の都市化に伴う、拡張余地がない事が閉鎖の理由とされた。翌1998年(平成10年)8月に一部の樽詰め部門を除いて、製造を終了した。前年8月に尼崎工場(跡地は2009年(平成21年)10月にキリンガーデンシティ開業)が、同月に東京工場(跡地は、自社の物流で使う土地以外は、リクルートコスモス、読売新聞社、日刊スポーツ印刷社に分割売却)が、1999年(平成11年)8月に京都工場(跡地は空き地)、2000年(平成12年)8月に高崎工場(跡地は森永製菓工場建設)も閉鎖になった。
工場開設当初の製造能力は、1万3500kLで、閉鎖時の製造能力は15万kL。開業時の従業員数は215人で、最終時の従業員数は約250人。
工場時代の遺物としては、モニュメント化している物の他に、広島支社の建物は広島工場時代に建てられた物で、工場開業当時に設置された稲荷神社が移設されて残されている。また、広島支社も引き続き当地に置かれている。
[編集] 専用線
工場新設にあわせて、1936年(昭和11年)8月の認可後に敷設。当初は、工場建設資材を運び込むために使われた。工場から矢賀町で芸備鉄道(現在の芸備線、1937年(昭和12年)7月1日に国有化。広島車両所が出来たのは1940年(昭和15年))に接続。当時の東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)を介して、消費地への有蓋貨車による製品出荷や、湊川駅(1985年(昭和60年)3月14日以降は神戸港駅)から麦芽輸送の貨物列車が運行されていた。
出典のトワイライトゾーンによると、第三者使用は日本通運[出典 1]、作業方法は国鉄機で行われ[出典 2]、専用線種別は側線[出典 3]、作業キロは1.5km[出典 4]、広島駅-矢賀駅の途中分岐とされ[出典 5]、広島工場線に接続[出典 6]とされた。
1986年(昭和61年)10月31日に使用を取りやめ。翌日の11月1日廃止。同年12月に線路が撤去された。
現在、当時の国鉄線分岐以降は、ソレイユへのアクセス道(写真A)や、日産プリンス広島矢賀店の施設等に転用された土地もあるが(写真B)、一部はキリン関連会社が管理する空き地(写真C・D)として残っている。
[編集] 交通アクセス
[編集] 参考文献
- キリンビール広島工場50年史 - 1988年(昭和63年)4月30日発行(非売品)
- トワイライトゾーン MANUAL5(ネコ・パブリッシング Rail Magazine 1996-11月増刊)
- トワイライトゾーン MANUAL8(ネコ・パブリッシング Rail Magazine 1999-11月増刊)
[編集] 出典
- ^ トワイライトゾーン5 p.333,トワイライトゾーン8 p.255
- ^ トワイライトゾーン5 p.333,トワイライトゾーン8 p.255
- ^ トワイライトゾーン8 p.255
- ^ トワイライトゾーン5 p.333
- ^ トワイライトゾーン8 p.255
- ^ トワイライトゾーン5 p.333
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月10日 (火) 19:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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