クイズ100人に聞きました

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クイズ100人に聞きました
ジャンル クイズ番組
放送国 日本
制作局 TBS
プロデューサー 森勲、三角英一、岩原貞雄
出演者 関口宏(司会)
橋本テツヤ(屋根裏のアナウンサー)
1979年4月から1984年9月まで
放送時間 毎週月曜 19:00 - 19:30(30分)
放送期間 1979年4月2日 - 1984年9月24日
1984年10月から1987年9月まで
放送時間 毎週月曜 19:20 - 20:00(40分)
放送期間 1984年10月1日 - 1987年9月28日
1987年10月から1992年9月まで
放送時間 毎週月曜 19:00 - 19:30(30分)
放送期間 1987年10月5日 - 1992年9月28日

クイズ 100人に聞きました』(クイズ ひゃくにんにききました)とは、1979年4月2日から1992年9月28日までTBSで放映されていたクイズ番組である。司会は関口宏2003年2月3日から2009年1月26日までCS放送TBSチャンネルにて再放送されていた。

目次

[編集] 概要

  • 一般人100人にあるテーマに基づいてアンケートを実施し、その結果がそのままクイズになった一風変わったクイズ番組である。自分の好みや考えで答えていくものである。
  • アメリカNBCのクイズ番組『Family Feud』(フリーマントルメディア制作、1976年開始、2009年現在も放送中)のライセンス番組。
  • 1978年4月2日から1979年3月25日まで『家族対抗クイズ合戦』(毎週日曜14:30 - 15:00、一部地域のみ)として放送、これが好評だったため、ゴールデンタイムへ移動・ネット局拡大・番組タイトルを改題して1979年4月2日に本番組(『クイズ 100人に聞きました』)の放送が開始された。番組名こそ変わったが、司会者や番組内容は全く同じである。

[編集] 放映データ

[編集] 通常放送

なお当時、関口は同局で『わくわく動物ランド』の司会も担当しており、TBSで1987年1991年1991年のみ)に放送された『クイズまるごと大集合』では関口の他、ビートたけし大橋巨泉も司会を行っていた(6問あり、1人あたり2問ずつ担当)。

[編集] 司会スタイル・ひじを付く姿勢等

  • これまでのクイズ番組の司会者は司会者席に座っての方式が多かったが、関口は司会者席には座らずタイピンマイクを付けてスタジオを回ったりする方式の司会をしていた(今後のクイズ番組やバラエティー番組にも影響する)。一時期、関口が出題中に行うひじを付く姿勢が視聴者からクレームを浴びたが、逆にある視聴者からは司会者にも気楽な姿勢でやっている、別にひじを付いても悪くないという声もあったことからその後定番としてすっかりお馴染みになった。この姿勢は、番組のヒントになったアメリカのクイズ番組(後述)での司会者に倣ってのものとされる。そのためか現在ではテレビ局のセットでもろい台を使う場合に司会者がもたれて壊れないよう、「関口宏厳禁」と張り紙されることもある。
  • 出題は関口自身が読み上げるが、関口は問題を読み上げるためのカード(前期は大きめだったが、後期は小さめになった。従来のクイズ番組は原稿用紙がほとんどだったが、今後のクイズ番組にも影響する)を持っているために問題自体は知らされているが、たとえ答えを知っていても本当の正解や正解の順番は何番目にあるのかは一切わからない(すなわち、問題のカードには正解は一切書かれていない。パネルを開いた際に本当の正解がわかる。もちろん、先攻後攻を決める早押し問題(早押しボタンが押された際、問題読み上げが止まり、問題カードが後ろに隠される)以外(順番に解答する時)は解答者も覗くことはできる)。そのため、答えの展開によっては関口の意外な表情も見られることがあった。また、「トラベルチャンス」の時に関口が正解を確認する際はフロアディレクターが持つカンニングペーパーを見ている。

[編集] 声援

また、観客の「ある!ある!ある!」の声援も定番のフレーズに。また、絶対に正解になりえない珍答をした時でも、観客は一瞬の間の後「ある!ある!ある!」と声援を送っていた。

[編集] 進行役とナレーターの役割分担

番組のタイトルコール、出場チームの紹介・進行役の紹介、提供読み、宿題クイズの応募のお知らせ、トラベルチャンスの説明、番組のエンディングの締め、視聴者プレゼントのお知らせもナレーションの橋本が一括して担当していた。これは番組進行と収録を円滑に行い、司会の関口が進行役、橋本が屋根裏のアナウンサーと言う体裁を取っていたためである。従って橋本が実質的に総合司会的な役割を持ち、関口は番組のタイトルコール、出場チームの紹介・進行役の紹介や番組のエンディングの締めでの挨拶はしていない。過去に1回だけ、司会の関口が進行役と屋根裏のアナウンサーの二役を務めた回もあるが、これは屋根裏のアナウンサーの橋本が都合により収録を休んだためである。オープニング「せきぐちーひろし」も毎回同じだった(橋本により紹介。初期は姓の語尾をあまり伸ばさなかった)。『クイズまるごと大集合』では「おおはしーきょせん」や「ビートーたけし」もあった。

また橋本は中CMのたった1分間の間に、トラベルチャンスへ進む出場者の特徴を捉え「○○さん、美人ですねぇ、特に唇が可愛いですよー。では頑張って参りましょう!トラベルーチャンス!」などと紹介。出場者の特徴の捉え方が実にうまく、お茶の間の笑いを誘った。時に関口と屋根裏(橋本)とのやり取りもあり、その絶妙な会話の面白さが受けた。進行役とナレーターの役割分担の体裁と番組構成の手法は、後に1995年以降から放送されているクイズ番組・バラエティ番組・ドキュメンタリー番組等やテレビ朝日の『料理バンザイ!』などの番組のリニューアルに生かされた。

[編集] 番組の終焉

最末期の1992年4月13日裏番組クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)がスタート、しかしそれでも視聴率は悪くなかった。ところがそちらが始まる前に、TBSでは当時社長だった磯崎洋三が視聴率低迷に喘ぐ大改革を掲げて平日19時枠を抜本的に見直していった事により、同年9月28日に終了し13年半の歴史に幕を下ろした。

[編集] 通常放送終了後のリバイバル

  • TBSのバラエティ番組などで何度か番組のセットが使用されたことがあったが(放送期間中でもドラマ番組『うちの子にかぎって』で本番組のセットが使われていた)、番組終了約3ヶ月後の1993年1月に正月特番で復活したのが最初のリバイバル版である。
  • 2回目は2000年12月30日に放送された長時間特別番組『SAMBA・TV』の1コーナー(司会:福留功男薬丸裕英)で復活。関口の司会で「SANBA・TV」チーム(薬丸・爆笑問題中澤裕子矢口真里)と「シドニー五輪女子競泳メダリスト」チーム(田中雅美中村真衣大西順子源純夏中尾美樹)が対戦した。
  • 3回目は2004年4月5日に放送された『ぴったんこカン・カン春の祭典スペシャル』で復活。「ぴったんこカン・カン」vs「渡る世間は鬼ばかり」、当時の新ドラマ「オレンジデイズ」vs「新しい風」、長寿番組「水戸黄門」vs「はなまるマーケット」の対戦カードが組まれた。ただし、過去2回担当した関口ではなく、久本雅美(「ぴったんこvs渡鬼」、「水戸黄門vsはなまる」)とTBSアナウンサー・安住紳一郎(「オレンジデイズvs新しい風」。また、ぴったんこチームの解答者としても出演)司会での再復活となった。なお、マスコットマークは百太郎ではなく同番組のキャラクター「ぴったんこガエル」が使われた。さらに新ドラマ対決ではチャンス問題(先行チームが予め決まっている問題。それ以外は通常のルール)が出題されたり、長寿番組対決では放送上途中で打ち切られて勝利を確定されたり、「トラベルチャンス」での出題が3人になるなど、レギュラー番組時や最初のリバイバル時、『SAMBA TV』放送時とは違う番組進行となった。また、チームの獲得賞金の金額表示やトラベルチャンスの得点表示が反転式からデジタル表示に変わっていた。

[編集] ネット局

JNN27局(当初はJNN25局+北日本放送 全国26局ネット)。

[編集] 趣旨

[編集] 問題レベル

  • 解答パネラーは一般の視聴者5人でチームを組み、2チームで得点を争う(通常は家族・親類同士。『SAMBA TV』などは芸能人など。大学クイズサークル同士も稀にあり)。
    • (例題)都内に勤務するOL100人に聞きました、答えは7つ。昼休みにオススメの休憩スポットといえばどこ?
  • より多くの人が答えた回答から1・2と並んでいる。
  • 答えとなりうるのは原則として100人のうち2人以上が同じ答えの場合である(1人しか答えなかったもの、すなわちボツとなった意見については途中のCM前に「少数意見」として紹介される場合がある。中には珍答も多く、スタジオ内が大爆笑になる)。このため大概は全部開けても100点にはならなかったが、まれに全部開けて100点になるときもあった。また、答えの数は表示パネルの都合上最大でも9つである(ほとんどの問題で答えは5~8つ。ごくまれにだが、4つの場合もある。番組史上最も少なかったのは3つ)。

[編集] ルール

[編集] 通常問題

  • 問題は全5問(40分時代は全6問)で30分時代は最後の5問目、40分時代は最後の2問(5問目と6問目)に限り、得点が倍になる。
  1. まず各問題が始まると、各チームから1人ずつパネルの前に設置されている解答台に出る(順に後方に移る。6問目では誰でもいい)。その際、互いに握手を交わすこととなっていた。交わさなかった場合でも関口が右手を左右に振って握手を促す。これは、第1回目の放送で最初の解答者が解答台に出てきた時に関口が「お互いに握手でもしましょうか」と促したのがきっかけである。
  2. 関口が問題を読み上げ、早押しで解答権を得て、順位の高い回答を当てる(相談は不可)。
    1. 早押しを制した代表から解答し1位を当てると、無条件にそのチームに解答権(先攻権)がつく。
    2. 早押しを制しても1位を当てられなければ、もう一方のチームにチャンスが回る。その場合、相手チームより上位の解答を当てれば、解答権を奪うことができる。ただし、同点の場合は先に答えた(早押しを制した)チームの先攻となる。但し、1巡目で正解が出ない場合は1つでも正解が出るまで続く。
  3. 先攻チームは1人ずつ順番に、答えていそうな回答を当てていく(相談可)。正解が出るたびに答えた人数が得点としてプールされる(プールされた得点はパネルの真上でデジタル表示される。)。×が3回つかないうちに全部正解するとプールされていた得点はすべて先攻チームに加算される。
  4. 制限時間内(制限時間いっぱいで数回ブザーが警告として鳴らされる)に答えをコールできないとき、パネルに伏せられていない内容や1度出た答えを言ってしまうとブザーが鳴りお手付きとなる(画面には□の中に×マークが出る。解答者は「×」のプラカードを持つ)。「×」が3回つくと失格となり、解答権は後攻チームに移る(先攻チームが解答中の間に後攻チームは相談をして行き、答えをまとめる)。後攻チームは1回だけ解答するチャンスがあり、正解すれば正解分の得点とプールされていた得点を獲得することができるが、お手付き(ブザーが鳴り画面に「×」マークが出る)ならプールされていた得点は先攻チームに加算される。解答は関口の「せーの!」の掛け声で全員揃って答える。なお、結果的に答えが2つ以上なっていてどちらにするか、あるいはもう少し具体的な答えを求められたときは、アタック音の途中で数回チャイムが鳴らされて、言い直しをしなければならない。
  5. 最終問題を終了し、得点の多いチームが(その際、「勝利 ○○チーム」のテロップが出る)後半のルックJTB(当初は「日本交通公社」で後にJTBに社名変更)で行くハワイ旅行をかけた「トラベルチャンス」の挑戦権を獲得する。

[編集] 宿題クイズ

40分放送時に設定されたコーナーで4問目終了後に行われ、100人から調査した結果の内1つを視聴者が当てるコーナーで大抵は1位だが1位が圧倒的多数の場合2位または3位を当てるコーナーである。それ以外の答えは予め開かれ、ヒントとしている。問題の答えを応募して正解者から抽選で百太郎のぬいぐるみがプレゼントされる。宿題クイズの解答は次週に「おさらいクイズ」として宿題クイズの後に前回の宿題クイズの解答が発表される。答えの数は通常問題に比べ少ないケースが多かった(答え4~6つが殆ど、稀に3つということもあった)。30分短縮後は直前の問題を宿題クイズとしていた。まれに第1問出題前に行う時もあった。クイズのヒントとして司会者から「宛先、その他は屋根裏の○○がご案内します」と○○の部分には正解のヒントになることを言っていた(TBSチャンネルでの再放送では一部の回をのぞき、CM前に入っていたためその部分はカットされている)。

[編集] 作戦

  • 家族対抗のクイズ番組ということもあり、作戦的なものはほとんど存在せず純粋に答えを出し合って競うことが基本だが、稀に「勝敗にこだわった」作戦を実行するチームも存在した。最終問題の解答権を早押しで得たチームがあえて何も回答せずに×3つで相手チームにそのまま解答権を返したことが数回あった(以下は一例)。
  1. その時点で開いていたパネルは5位の18点のみ。答えは8つ。
  2. 5位のパネルは、このチームが早押しで開けたもの。相手チームは早押しでパネルを開けられなかった。
  3. 解答権を得た(先攻チームがあえて放棄した)相手チームは1回だけしか解答できないため最善でも1位のパネルを開けることしかできない。
  4. 少数意見でない以上、6位、7位、8位は最低でも各2点。計6点。
  5. 5位の18点を加えるとすでに24点は5位以下に確定。
  6. 残りの76点が1位から4位の最大合計点数。
  7. 当然、1位≧2位≧3位≧4位≧5位=18点である。
  8. 1位を最大化するために2位から4位も全て18点と仮定すると、ここでさらに54点分が確定。
  9. 1位は最大でも、100-24-54=22点である。
  10. このときの両チームの点差は81点。相手チームが1位のパネル(最大で22点)を開けてプール分(5位の18点)を加算し、倍にしても最大80点しか獲得できず、逆転できない。
  11. 先攻チームが何か回答をしてパネルを開けると後攻チームにも逆転勝利の可能性があるが、先攻チームが回答を放棄してしまうと逆転はできない。後攻チームは先攻チームのその戦略に気がついても(先攻チームが何か打ち合わせた後、不自然に黙り込んでしまうので気がつくことが多い)何も対抗手段が無い。

[編集] トラベルチャンス

  • 勝利チームが挑戦し、5人それぞれに1問ずつ問題を出す(当初は1問毎にアンケート対象が異なる問題が出題されたが、後にテーマを発表して5問全てアンケート対象が同一である問題を出題する方式に変わった)。解答出来る権利は1人1回(すなわち、一問一答。相談可)のみで5人挑戦した結果、得た点数によってハワイ旅行を獲得できる人数が決定した。パネルは空港の出発案内板を模したソラリー式(フラップ式)表示装置が使われていた(前期はCM中にキャスター式のパネルをスタジオ中央に移動する作業方式だったが、後期はCM前のアタック音の時に天井からパネルが降りていく仕組みで、終了後は天井へ戻された)。解答者が答えを言った後、関口が「トラベルチャンス!!」と発するとドラムロールが鳴り、フラップ版が動き、その際飛行機のマークが出て左から右へ動いた後(パラパラ漫画みたいなもの)、正解の場合はチャイムが鳴りながらフラップ板に答えと順位、右側のフラップ板に人数が表示、不正解の場合はブザーが鳴り、フラップ板に「×」マークが表示(画面にも□の中に×マークが出る)右側のフラップ板に「0」が表示される。右上には合計得点が表示され、更に上部に百太郎のランプが5つ並んでおり、獲得人数に応じてランプが点く。なお、2チーム対戦形式のトラベルチャンスと最終回生放送スペシャルでは通常問題と同じく9分割のマルチスクリーンが使われた。また、2004年3月の『ぴったんこカン・カン春の祭典』では得点部分がデジタル表示となった。スタート当初は総合計が記されなかったが、後に「TOTAL」と記された。
  • 最終的に60点以上を獲得するとど迫力あるファンファーレが鳴り、天井に吊るされている板に乗った大量の紙吹雪風船が降り、さらには客席から紙テープが飛んだ。ハワイ行きは60点台で1人、70点台で2人、80点台または90点台で3人、100点台または110点台で4人、120点以上で全員となった。テレビ画面には「おめでとう!! ハワイの旅○名様ご招待」の字幕スーパーが表示される(1991年3月までは勝利したチームの色の文字で[2]1991年4月からは金色の文字で表示された[3])。また、60点未満(59点以下)しか獲得できなかった場合間が抜けたファンファーレが流れ、紙吹雪と風船は降らず、旅行獲得者なし・全員見送りで失格(画面上では「残念!」表示)となった。客席からの紙テープも飛ばなかった。高得点を稼ぎつつ、問題途中で120点以上に達した場合は先述の規定に倣いつつ、その時点で問題が残っていてもそのまま打ち切って全員ハワイ旅行獲得決定となる。
  • 前身の「家族対抗…」時代の前期は解答者席ではなく、「トラベルチャンス」のパネルの前で紙吹雪が降った。
  • 海外旅行は当初、シンガポール・バンコク・香港の3カ所で後にグアム・サイパンの2カ所だったが、最終的にハワイに落ち着いた。前身の『家族対抗クイズ合戦』も同じパターンだった。
  • 回によっては、1人ずつ用意された5問の中から問題・アンケート対象を選択できる「えらべるトラベル」や、一方の集団に聞いた結果を参考に、対照的なもう一方の集団に同じ質問をした時の結果を予測する「くらべるトラベル」等、趣向を変えた企画で行った事もあった。
  • ハプニングとして、スタッフのミスで失格になったのに紙吹雪と風船を降らせてしまった回もあったり、誰もいない敗者チームの解答席に紙吹雪と風船を降らせてしまった回もあった。また「トラベルチャンス」の最中に板に乗っかっていた風船が落ちて来たり(関口が「もう5人獲得になったの?」と発言した)、何かの拍子で風船が割れてしまうハプニングもあった。

[編集] その他

  • 全員見送り・失格となるBGMは3代のパターンがあって、初代は前半のクイズで3問×がついたときと逆転チャンスで失敗した時と同じもの(最後に「コケ」と入る音調のもの)、2代目は「ヒュー~ドン」の音調のもの、3代目はしおれた雰囲気のものとなる(なお、3代目のBGMは出身大学別の芸能人チーム対戦で最下位になったチームでも流れていた)。旅行獲得者はキャラクターだった「百太郎」の帽子バッグがもらえた。獲得できなかった人と敗者チーム全員は「見送り」の旗を持っていた(「見送り」の旗はフジテレビ系「クイズ!年の差なんて」でも色違いで使用された。)。また、到底5名獲得が困難となった場合、誤答したり下位の答えを挙げた人に予め「見送り」の旗を持たせることも見られた。
  • ほとんどの回で最低1人ハワイ獲得者が出来たが、ハワイ旅行全員見送り、失格となった回も毎年数回は必ずあった(4人目まで不正解で0点、または低得点しか獲得出来ず、アンカーでようやく1位の点数を獲得しても1人獲得条件の60点にならず、失格するケースもあった。また、ある出場者が5人全員獲得すると宣言しながら、結局失格となる不運な結果になった回や2週連続で失格となったことも過去にあった)。
    中にはハワイ旅行が1人も獲得できず、あまりの悔しさに号泣した人もいた。
  • 1989年5月1日放送の第515回では10周年スペシャルトラベルチャンスの時は史上初のチーム対戦を実施。1対1の早押しで、先に解答権を得た人から1個答えを挙げて、その答えの点数を加算。全5組を終えて、獲得した点数の多かったチームが優勝・点数に応じた人数分の旅行獲得(獲得人数の点数の条件は通常と同じ)、点数の少なかったチームは準優勝・点数に関わらず全員「見送り」というのもあった。10周年スペシャルトラベルチャンスはハワイ旅行ではなく、オーストラリア旅行だった。この対戦形式のトラベルチャンスはそれ以降もスペシャル版や1992年8月101724日放送(第678回~第680回、夏休み高校生大会)でも行われた。
  • 過去の放送の中には4人目までに得点が120点以上を獲得・全員獲得が確定して、アンカーを行わずに終了した回があるが、放送されなかった問題は宿題クイズとして扱われた。
  • 1989年12月18日と同年12月25日1990年1月8日の放送(第547回~第549回)では、3回連続でトラベルチャンスで全員が獲得しハワイ旅行に行くことができた事もあった。
  • ハワイ旅行獲得人数が4人以下の場合、司会の関口は女性解答者を優先的に帽子をかぶせ、男性解答者に見送りの旗を持たせることが多かった。そのために、「関口は女性に対する態度が甘い」、「帽子は高得点を取った順からかぶせるべき」などという批判の投書が番組に多く寄せられていた。時には子供を優先に帽子をかぶせるケースもあったが、こちらはあまり批判の投書は無かった(子供に楽しい思い出を作らせるための配慮と思われる)。1989年5月22日放送の第518回ではトラベルチャンスで女の子が答えた回答が×だったが、関口はその女の子に見送りのフラッグを持たせないで赤い百太郎の帽子をかぶせていた事もあった。
  • 2004年4月の『ぴったんこカン・カン春の祭典』での「トラベルチャンス」は解答者が1・2回戦が3人、3回戦が6人で、1・2回戦では70点以上で全員獲得、60点台で4人、50点台で3人、40点台で2人、30点台で1人、30点未満だと失格、3回戦のみ75点以上で全員獲得、65点から74点までだと5人、55点から64点だと4人、45点から54点だと3人、35点から44点だと2人、25点から34点だと1人で、24点以下だと失格となった。また、「素晴らしい!全員ハワイ獲得!」(久本が担当して全員獲得)、「うん、ちょっと迷っているか?」(最後の問題)→(その問題が0人で不正解となってしまい)「残念!ハワイ旅行はお二方のみ!」(安住が担当して2人しか獲得出来ず)などと実況までしていた。
    • 余談だが、安住が司会をしていた最後の問題は、「急いで食べられる食事といえば何?」で、その問題の解答者で、『新しい風』に出演していた山下真司は「カメラマンは友達が多いから大丈夫よ!」・「簡単じゃない、こんなもん!」となどど大口をたたきながら「ラーメン」と解答した。しかしながら、結果は0点で不正解となってしまい、相手チームの『オレンジデイズ』に出演していた柴咲コウや観客などからの失笑を買い、大恥をかく羽目に。
  • 『クイズ100人に聞きました』時代では関口がハワイ獲得者確定時に実況することはなく、エンディングの歓声と拍手が渦巻く中、橋本がハワイ獲得人数と獲得賞金を早口で紹介。5人獲得時の「よかったですねえ」と心から喜ぶ声に好感が持たれた。その一方、失格になった時やハワイ旅行獲得人数が4人以下だった時は「うーん、残念。おしかったですね」などと激励、その人柄の良さが評判だった。
  • 放送期間中に出題用としてではなく、答えが一つになる問題を探していたほか毎年1回必ずプロ野球ペケチーム(今年優勝しそうもない球団)の予想もあった(死者に鞭を打つと困るためトップになった球団は公表しなかったが、残りの球団の順位がすべて公表されるため、わかる)。
  • 賞金は1点につき500円(後に1987年10月から700円に変更、1991年4月から4問目が最終問題の時期と末期・SAMBA TVは1,000円)。このほかに1987年10月5日放送の第438回では19:00に引越しした記念として7時(7:00)にちなんで両チームに700円が、1991年1月28日放送の第600回では記念に両チームに600円が特別に賞金に加算されたり、300回、400回、500回、600回ごとにお祝いとしてスタジオの観客に記念品として放送回数が焼印された紅白饅頭がプレゼントされた。
  • 解答者が制限時間内に解答しているにもかかわらず、なぜか時間切れのブザーが鳴って失格となってしまった事がよくあった。しかも、失格となった解答者が答えた解答を逆に相手チームの解答者が答えて正解となった事も。

[編集] 団体戦ルール

1992年8月101724日放送の「夏休み高校生大会」(第2次予選)や「クイズまるごと大集合」などでは団体戦で行われる事もあった(『クイズまるごと大集合1990年』(1990年10月2日放送)から)。ルールは以下の通り。

  • 早押しで、早く押したチームから順番に最大で4番目のチームにまで解答権が与えられる。
  • 1番目(~3番目)に解答権を得たチームは×が1個付くまで解答できる。その時、全部の答え(残り1枚の答え)が開いた時点で終了。全部の答えを開けたチームが、その問題の得点を総取りできる。
  • ×が付いたら、次のチームに解答権が移動。
  • 3番目のチームが間違うと4番目のチームに解答権、但し答えられるのは1回のみ。正解なら、これまでに開けた答えの点数を全て獲得。×が付いてしまったら、1番目~3番目のチームがそれぞれ自分のチームが開けた答えの点数を獲得。

[編集] パロディ

[編集] スタッフ

  • 構成:日野原幼紀、福岡秀広、大倉利晴、高橋秀樹、零弘幸、池田裕幾他
  • 音楽:服部克久、安川宙志
  • プロデューサー:森勲、三角英一、岩原貞雄(プロデューサーの殆どが居作昌果の元で育った部下たちである)
  • ディレクター:加藤嘉一(当番組司会の関口が司会を担当していた「クイズまるごと大集合」の後番組「オールスター感謝祭」立ち上げ初代プロデューサー、現・TBSラジオ&コミュニケーションズ社長)、伊佐野英樹、小玉滋彦、熊谷信也他
  • 美術デザイン:加藤昌男
  • 美術制作:和田一郎、金野寿雄
  • 作画:阿部明

[編集] 補足

  • この番組は、門戸が狭い視聴者参加のクイズ番組の一つに挙げられていた。実際1980年代前半には競争率1000倍[4]にもなったといわれている。
  • 過去の放送の中には本番中に早押しボタンを押す際に勢いをつけ過ぎて壊れるハプニングがあった(1回は最終問題だったため事なきを得たものの、もう1回は最初の問題で発生したので、スタッフが修理してその後再開)。
  • セットの9分割スクリーン(リアプロジェクション式9画面マルチスクリーン)の作り方、操作方法はABC製作のクイズ番組『霊感ヤマカン第六感』のスタッフに作り方を聞いて作られたものであった。「家族対抗クイズ合戦」時代の初期は画面の切り替わりが一旦消灯して再表示するしくみだったが、後にフェード表示で切り替わるしくみに変更された。消灯した時点で正解か不正解かがわかってしまい面白みが減るのを防ぐためだと思われる。東海テレビ家族対抗チャンスクイズ」でも使用された(こちらは、「霊感…」同様に一旦消灯して再表示するものだった)。
  • マスコットとして「百太郎(ひゃくたろう)」が番組開始当初から設定されていた。当初はイラストばかりだったが後に着ぐるみが作られ、スタジオやロケなどに登場するなど活躍していた。百太郎はホッキョクギツネであるが、「これは何の動物だと思うか」という問題が出題されたことがある(多くの人が思った答えを当てる)。
  • 1回だけトラベルチャンス中にニュースが番組を中断して挿入されてしまい、次番組『わいわいスポーツ塾』以降の番組が10分繰り下がってしまったことがあった。他系列の同時ネット番組が無いJNN系列ならではのエピソードである。
  • 「耳の大きな動物といえば?」という問題で全部の回答が開いて合計が99だったということがあった。「じゃあ、残り1つはなんだったんでしょう?」と回答外の答が紹介されたことがあった(ちなみに残り1つは「江川卓」だった)。
  • 1979年4月2日放送の第1回は、当時プロボクシング世界チャンピオンだった具志堅用高の家族(テロップでは「協栄ジム 具志堅チーム」)と一般人家族の対戦だった。「トラベルチャンス」は具志堅チームが挑戦したが、第1回早々海外旅行獲得はならず、失格となった。このときの橋本の関口紹介のコメントは「進行は、100人に聞いた結果選ばれた関口宏(この時は「せきぐちー」とは伸ばなかった)」であった。この回で出題された「しりとりで卵と言ったら次は何?」という問題は12年後の600回記念でも出題された。
  • 1981年ごろ、山田邦子も芸能界デビュー前に家族で挑戦したが予選で敗退した。またこのころ、芸能界デビュー前の山口美江が出題用の街頭アンケートに答えている。山田は後に芸能界に入る前、父から芸能界に入る事を反対されて、山田が芸能界に入るときに関口が懸命に山田の父を説得し最終的に認められたという逸話がある。現在も山田に取って関口は恩人である。
  • 1984年ごろ、島田奈央子(島田奈美)もアイドルとしてデビューする前に一家で番組に出場した(島田がパーソナリティを務めていたラジオ番組『RADIO-izm』(FM-FUJI)でも話したことがある他、『ザ・ベストテン』でもVTRが放送された。1989年5月1日放送の「10周年記念チャンピオン大会」(第515回)でも紹介があった)。
  • 1987年12月28日放送の第450回では本放送期間中にたった1度だけ同点決勝があった。これは最終問題が終わった時点で同点となったため。万が一同点の場合に備えての決勝問題が通常問題とは別に用意されていた。最終回ではこのときの決勝問題をそのまま流用して通常対戦を行った。
  • フジテレビのバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、本家がOA中にも関わらず番組のパロディがOAされた(タイトルは「クイズ5,6人に聞いちゃいました」)。司会役は関口に扮した内村光良(その時の役名"関(カタカナの「ロ」)宏")であったがなんとゲリラで関口本人が登場し、司会を務める。本家同様、解答席に寄りかかるが、一見同じように見えるセットが本物に比べて高さが低かったらしく、「低いんだよね~」と言ったり、内村扮する関ロに対して司会ぶりや進行振りをダメ出しをした。
  • 1992年7月20日放送の第675回では対戦チームの苗字がいずれも「鈴木」だった(TBSチャンネルでは2006年1月916日に再放送)。
  • 1992年8月3日放送の第677回ではウルトラマンチーム仮面ライダーチームが対決(TBSチャンネルでは放送なし)。
なお小林はウルトラシリーズにも出演している為、ウルトラチームから「裏切り者!」と呼ばれ、場内の笑いを誘った。
  • レギュラー放送での番組対抗戦は、既に『家族対抗クイズ合戦』の時に1回だけ行われていた。出場番組は、『スポーツケンちゃん』と『コメットさん(新)』だった。どちらも国際放映の作品であり、さらに家族がテーマの番組だった。
  • 1992年9月28日の最終回(第684回)では1時間の生放送スペシャルでハワイ旅行大放出の回であった。人気番組出演者、タレント、TBSアナウンサー、一般家族の計10チームが出場。1問だけの勝負で勝ったチームがトラベルチャンスの挑戦権が与えられた。生放送の時間内にたくさんのチームにハワイ旅行獲得の瞬間を見ることができた。残り時間があれば1度勝負に敗れたチーム同士での敗者復活もあった(1回だけ行うことができた)。生放送だったため忙しさのあまり「×」のプラカードを渡すつもりが「見送り」の旗を渡す場面も見られた(TBSチャンネルでは放送なし)。
  • 1988年3月29日放送の『クイズまるごと大集合1988年』で『100人に聞きました』の問題の中に南極越冬隊員37人に聞いた問題も出題された(質問は「仕事がない時は何をして過ごす?」だった。出場チームの解答者の中には「人形と遊ぶ」という珍解答もあった)。この時の『クイズまるごと大集合』の第1次予選の『100人に聞きました』では1問勝負で勝ったチームには無条件で100点が加算される設定となっていたため、本放送にはまったくない100人に満たない人数で聞いた問題も存在していた。
  • また、『クイズまるごと大集合』では競馬にまつわる問題で別の回答から「調教師」が開いてしまい、大橋巨泉からクレームがあった。そのため得点こそ認めるが解答権は失うと言う異例の措置が取られた。
  • 解答後はカメラがパネルに向かってズームするが、最後の1枚の際はそのパネルに向かってズームする。
  • 答えた解答が正解の解答と微妙な場合、判定の為少しの間が空く事がある。それで不正解の場合は大きなヒントとなる。
  • 解答者が上手く説明出来ず、まとめられない解答があると、関口は少しの間の後「それ!」と言って判定を委ねる事があった。大抵は不正解の場合が多い。
  • 曖昧な答の言い直しを促すチャイム音を、司会の関口は「チンポン」と表現していた。視聴者から言葉の響きに「違和感」がある等の投書が寄せられたりしたものの、関口は「別におかしくないと思いますが」として、言い替えることは無かった
  • 1990年頃、出身大学対抗の芸能人大会があり、日本大学をはじめ、同窓生同士の男女混成の5人衆がクイズに挑んでいた。また同時期の正月特番で芸能人の出身県別対抗大会があった。男女3人組で1問先取勝ち抜きトーナメント方式だった。山梨県代表ではプロレスラージャンボ鶴田も出演していた。
  • 番組終了から3ヵ月後の1993年1月、正月特番で再登場した(チームは大学生チーム、解答者はみのもんた渡辺正行)。
  • 得点表示は一般的なデジタル数字7セグメントディスプレイ)表示であるが、唯一「4」だけ通常のデジタル表示で使われるデザインではなく、横棒の右側部分が突き抜けていた。
  • 1990年1月8日の放送(第549回)で使用されている音楽(テーマソングや、あるあるある~の時や、3人×の音楽)がリニューアルされた。その後今回のリニューアルが良かったか良くなかったか葉書によるアンケートが行われた。良かったと書いた人には抽選で賞品が当たるというアンケートだったにも関わらず、良くなかったという葉書が届いていた(番組内では「大失敗」と書かれた葉書を紹介していた)。やはり違和感があったためか1991年4月にあるあるある~のBGMは元の曲をアレンジしたものに変えられた。(テーマソングはアレンジされ、3人×の音楽はそのまま使われた)
  • 番組のコンセプトそのままに、海外でも同様のクイズ番組が放送されている。

[編集] セット

[編集] 番組の音楽

[編集] パロディ

  • 1983年ごろ放送のフジテレビジョン「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン・クイズ番組の巻」でビートたけしらがクイズ100人に聞きましたのクイズに挑戦するストーリーがあった。
    • 本家との相違点
      • パネル表示の画面の切り替わりが手動式で下にパネルが下がる方式となっていた。
      • マスコットマークも西武ライオンズのレオマークが使われていた(球団からの使用許諾が降りた為、使用出来たと思われる)。
      • トラベルチャンスが無く、優勝チームはハワイ獲得となった(あくまでもパロディで、実際にはハワイ獲得していない)。
  • ビートたけしの全日本お笑い研究所日本テレビ)でも1988年6月15日放送の「北野さん一家のクイズ日記」のコーナーで「クイズ100人に聞いちゃいました」があった。
    • 本家との相違点
      • 解答パネラーは1チームで3人だった。
      • 答えの数が4個である。
      • 点数表示がデジタル式ではなく、電球方式であった。
      • パネル表示の画面の切り替わりが手動式で、パネルが横回転出来る方式となっていた。
      • 先攻チームが1つでも「×」マークが付くと、解答権は後攻チームに移っていた。
      • マスコットマークも番組オリジナルのウサギをイメージしたイラストが使われていた。
      • トラベルチャンスが有り、優勝チームはハワイ獲得となった(あくまでもパロディで、実際にはハワイ獲得していない)。
  • 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)でも「クイズ役人に聞きました」のコーナーがあった。
    • 本家との相違点
      • パネル表示の画面の切り替わりが手動式で下にパネルが下がる方式となっていた。
      • マスコットマークも番組オリジナルのスイカをイメージしたイラストが使われていた。
      • 出場チームも山田さんチームと、渡辺さんチームと固定していた。
      • トラベルチャンスが無く、賞金も賞品も無かった。
  • ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!(フジテレビ)でも「クイズ5,6人に聞きました」のコーナーがあった。
    • 本家との相違点
      • 答えの数が4・5個である。
      • 出場チームも南原清隆扮するくわやま雄三チームがレギュラーとなっていた。
      • 屋根裏のアナウンサーを境鶴丸アナウンサーが担当し、締めくくりのナレーションも無かった。
      • マスコットマークも番組オリジナルのウッチャンナンチャンのイラストが使われていた。
      • 解答席の高さが低く、賞金表示のソラリー表示も無かった(特に本家の関口宏が出演した時に解答席の高さが低い事をダメ出しした)。
      • トラベルチャンスが無く、賞金も賞品も無かった。
  • それゆけ!マーシーMBS制作・TBS系)でも「芸能人とデート」のコーナーがあり、クイズ100人に聞きましたと同じ手法だった。
    • 本家との相違点
      • 答えが芸能人にまつわるエピソードで9個あった。
      • 出場チームが女性チーム3人1組で2チームだった。
      • パネルの前に設置されている解答台がなく問題の早押しも解答席から押す形でシンキングタイムの音楽も流れていた。
      • 解答席の賞金表示のソラリー表示が無かった。
      • 誤答時のテロップが「×」マークではなく田代まさしの似顔絵が流れていた(涙を流すアレンジが施されていた)。
      • トラベルチャンスが無く、賞品は勝者の代表者に芸能人とのデートタイムと収録したテープをプレゼントだった。

[編集] クイズ100人に聞きました形式のクイズを行っていた番組

この形式は『スーパークイズスペシャル』と『島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』でも行われた。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、1984年10月1990年9月の間も、新潟放送または北陸放送、さらには現在の岐阜県飛騨市と隣り合う中部日本放送の受信が可能な地域では視聴可能であった。
  2. ^ 画面に何度も点滅する表示だった。
  3. ^ 文字が画面中央から拡大してきて、ファンファーレが終わると同時にそのまま前に行く表示だった。
  4. ^ 1983年8月24日スポーツニッポン内の記事より。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 番組の変遷

[編集] 家族対抗クイズ合戦時代

TBS 日曜午後2時後半枠(1978年4月 - 1979年3月
前番組 番組名 次番組
オーケストラがやってきた
※同11:00に枠移行
家族対抗クイズ合戦
ペア対抗クイズ合戦

[編集] クイズ100人に聞きました時代

最終更新 2009年12月2日 (水) 11:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【クイズ100人に聞きました】変更履歴

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