クニマス

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クニマス

クニマスの標本
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分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 条鰭綱 Actinopterygii
: サケ目 Salmoniformes
: サケ科 Salmonidae
亜科 : サケ亜科 Salmoninae
: タイヘイヨウサケ属
Oncorhynchus
: ベニザケ O. nerka
亜種 : クニマス O. n. kawamurae
学名
Onchorhynchus nerka kawamurae
Jordan and McGregor, 1925
和名
クニマス
英名
Black kokanee
Local Salmon

クニマス(国鱒・学名Oncorhynchus nerka kawamurae)は、サケ目・サケ科に分類される淡水魚の一種。別名キノシリマスキノスリマスウキキノウオ。かつて秋田県田沢湖に生息していたが、絶滅した。現存している標本は20体あまり。産卵の終わったものをホッチャレ鱒、死んで湖面に浮き上がったものを浮魚(うきよ)という。

目次

[編集] 概要

体は全体的に灰色、若しくは黒色で下腹部は淡い。幼魚は9個前後のパーマークを有する。体長は30~40cm。皮膚は厚く、粘液が多い。同じベニザケの陸封型であるヒメマスなどに比べ瞳孔、鼻孔が大きく、体表や鰭に黒斑がない。成熟したオスでも「鼻曲がり」にはならない。幽門垂数はサクラマス程度の40~60と著しく少ない。しかし鰓耙数(さいはすう)は多い。また、胸、腹、尻鰭が長く、鰭の後縁は黒くなる。岩に付着した藻類プランクトンを餌としていたと考えられている。普段は田沢湖の深部に生息し、産卵期が近づくと浅瀬に現れた。

1925年に、ジョーダン(ジョルダン)と マクレガー[1] によりジョーダン&ハッブス[2]の論文内で "sp. nov" (新種)として発表されたが、記載文中ではベニザケの陸封型 ("land-locked derivative of 0. nerka") とされた。しかし、周年産卵すると点などから独立種(その場合の学名は Oncorhynchus kawamurae)とする意見もある。ただし、周年産卵するというのは実際に確認されたものでなく、伝承である。なお原記載におけるタイプ産地の表記は "Lake Toyama in the mountainous western part of Ugo in the norhewestern part of Hondo" となっている。

[編集] 絶滅

1940年第二次世界大戦の折に軍需増産をはかり鉱山への電力供給の為の発電所を通して玉川強酸性水が、田沢湖に大量に流入したため湖水が酸性化し絶滅した。現在ならば環境問題として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての戦時体制の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全く無かった。

しかしそれ以前に人工孵化の実験をする際等に、琵琶湖本栖湖西湖に、また詳しい場所は不明だが長野県、山梨県、富山県に発眼卵を送ったという記録があったため、田沢湖町観光協会は1995年11月から100万円、1997年4月から翌1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜した。しかし現在に至るまで見つかっていない。

漫画「釣りキチ三平 平成版」では、三平の祖父一平が密かに山中の地図に載っていない湖に移植し、そこで繁殖していたものが再発見される、というストーリーがあるが、あくまでフィクションである。

絶滅の原因は強酸性水の流入であるが、サケ科魚類の中でも浮上稚魚期のヒメマスが酸性の水に極めて弱い特性[3]を持っていたことも要因となっている。

[編集] 名前の由来

クニマス(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた佐竹藩主がクニマスを食べ、お国産の鱒ということから国鱒と名付けられた。原記載には "Kunimasu = Local Salmon" と訳されている。

キノシリマス(木の尻鱒)の語源は、辰子伝説エピソードの一つの、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところそれがキノシリマスになったという事から名付けられた。

ウキキノウオ(槎魚)は田沢湖の別名、槎湖(うききのみずうみ、さこ)、漢槎湖(かんさこ)から名付けられた。田沢湖に生息するすべての魚についてウキキノウオと呼ぶこともある。

種小名 kawamurae は、記載に用いられた標本をジョーダンに贈った川村多実二京大教授(当時)への献名である。

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資源のある高級魚であったため、専業の漁師が居た。クニマス漁は一年中行われ、刳り舟を使用した。漁法刺し網漁法で、は深部に、は浅くを下ろす。ただし少数であるが、雑魚網や一本釣も行われていたようである。1月-3月が最盛期で、漁で上がったクニマスはすぐに死に、徐々に白く変色したという。

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深所に生息するためか皮が硬いのが特徴であるが、白身で柔らかく非常に美味であった。地元でも祝い事や正月などのときにしか食べることのできない高級魚で、昭和天皇に献上された事もあり、大正時代には米一升と交換するほどの魚であったという。豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったといい、大半は雑魚箱に入れて角館町に売りに出るが、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。このため売り子は「軒打ち」と称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口にするのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の羽川氏は「子供のころよく獲れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。それでも風邪をひいたりすると、『早く治れ』と母が出してくれた」と当時について語っている。料理する場合は焼魚にする事が多かったようである。現在のヒメマスも美味な高級魚であるが、これと比較しても高品位であったとされている。

[編集] クチグロマス

クニマスと同じく、かつて田沢湖に生息し、酸性水の流入で絶滅した魚にクチグロマス(口黒鱒、学名なし)がある。こちらは非常に資料が乏しく詳しい事は不明だが、体長は25cm-35cm程度で水深50-100m付近に生息していたと思われる。また、クチグロマスはヒメマスとクニマスの雑種だとの説もある。

[編集] 標本の文化財登録

秋田県立博物館および仙北市田沢湖郷土史料館所蔵の液浸標本3体が、2008年7月、人為的に絶滅させた淡水魚の標本であり、また、その生物学的特徴を知るうえで貴重であるものとして田沢湖のクニマス(標本)として国の登録記念物に登録されている。動物関係および標本関係の登録記念物では第1号。

[編集] 原記載とタイプ標本

原記載は下記の米国のカーネギー博物館紀要第10巻2号(1925年6月27日付発行)にジョーダンとハッブスの共著論文として載せられているが、サケ科の部分のみはジョーダンとマクレガーの共著となっているため、記載者もこの二人となる。

  • David Starr Jordan and Ernest Alexander McGregor in D. S. Jordan and Carl Leavitt Hubbs, 1925 (27 June). Record of Fishes Obtained by David Starr Jordan in Japan, 1922. (The Salmonidae by D. S. Jordan and E. A. McGregor). Memoirs of the Carnegie Museum vol. 10, no. 2: 93-346, Pls. 5-12.

このうちクニマスの原記載はp.128-129(原記載文), p.332(pl.5の図版説明), Pls. 5, fig. 3(全形図), p.338(pl.8の図版説明), Pl.8, fig. 5(鱗の図)にあり、これらはウェブ上でPDFフィアルやテキスト化したものが閲覧できる[4]

原記載に用いられたのは成熟したオス3個体で、そのうちホロタイプはフィールド自然史博物館(登録番号:FMNH 58681 (元はカーネギー博物館:CM 7785))に、2個体のパラタイプはカリフォルニア科学アカデミー (California Academy of Sciences)(元はスタンフォード大学自然史博物館:SU 24107 (2))に所蔵されている[5]


[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ Ernest Alexander McGregor:1880-1975
  2. ^ Carl Leavitt Hubbs:1894-1979
  3. ^ サケ科魚類の発眼卵と稚魚の耐酸性評価PDF
  4. ^ 【原記載】:Memoirs of the Carnegie Museum vol. 10 (原書のPDFフィアルやテキスト化したものが閲覧できる)
  5. ^ Catalogue of fishes (California Academy of Sciences)

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月5日 (土) 14:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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