クリスチャン・クリエン

クリスチャン・クリエンの最新ニュースをまとめて検索!

クリスチャン・クリエン
基本情報
国籍 オーストリア
出身地 同・ホーエンエムス
生年月日 1983年2月7日(26歳)
F1での経歴
所属チーム ジャガー・レーシング
レッドブル・レーシング
ホンダ・レーシング・F1チーム
BMWザウバー
活動時期 2004 - 2006
出走回数 48
優勝回数 0
通算獲得ポイント 14ポイント(決勝最高位5位)
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2004年オーストラリアGP
初勝利 0
最終勝利 0
最終戦 2007年中国グランプリ
タイトル 0

クリスチャン・クリエンChristian Klien, 1983年2月7日 - )は、オーストリアホーエンエムス出身のF1ドライバー。

目次

[編集] F1以前の経歴

幼い頃からカートレースを始め、アイルトン・セナのレースを見たことでF1ドライバーとなることを決意した。1996年から1998年にかけ、クリエンはスイスとオーストリアのカートレースを転戦し、1996年にいきなりスイスのカートチャンピオンとなったのを手始めに、その後も幾つかのレースで勝利を収め、1999年には4輪レースに転向しドイツのフォーミュラ・BMWジュニアカップを戦い、4勝してシリーズをランキング4位で終えた。翌年はフォーミュラ・BMWのドイツ選手権にチーム・ロズベルグから参戦し、総合10位、新人の中では3番手でシーズンを終えた。2001年も同シリーズに参戦し、5勝するとともに、ランキング3位でシーズンを終え、この年はイタリア・フォーミュラ・ルノーの冬季選手権に参戦するため、JDモータースポーツと組み、同シリーズにおいて1勝を挙げるとともに、同チームとともに2002年ドイツ・フォーミュラ・ルノーに参戦。クリエンはここで4勝してドイツ・チャンピオンとなり、同シリーズのヨーロッパ選手権(ユーロカップ)においては5位を得た。

2003年はユーロF3にミュッケ・モータースポーツから参戦、ライアン・ブリスコーとタイトル争いを繰り広げ、4勝を挙げるがチャンピオンはブリスコーに譲る結果となる。同年には、ザンドフールトで開催されたマールボロ・マスターズにおいて優勝を遂げている。

[編集] F1

クリスチャン・クリエン
2005年アメリカGP

2004年レッドブルによる援助を受け、クリエンはジャガー・レーシングのシートを得て、念願だったF1参戦の夢を叶えた。

マネージャーは父のヨハネス・クリエンである。

[編集] 2004年

初年度のクリエンは同チームのファーストドライバーであり評価が高かったマーク・ウェバーと組むこととなり、大きなプレッシャーを抱えたものであったが、幾つかのレースにおいて内容でウェバーを上回るなど、時折り印象的な速さと能力を見せた。ベルギーGPにおいてF1での初ポイントを記録したが、結局このシーズンの入賞はこのグランプリのみとなり、ランキングは16位となった。

[編集] 2005年

2005年に向けてのシーズンオフのテスト期間中、クリエンはジャガー・レーシングを買収して発足したレッドブル・レーシングデビッド・クルサードヴィタントニオ・リウッツィとともに参加した。レギュラー候補を3人抱えていたレッドブルチームは、シーズン中、クリエンとリウッツィに数戦ずつ交代で走らせることを決め、クリエンはさしあたり、開幕戦から数戦をクルサードとともに戦うこととなった。

この年、クリエンは関係者の予想を裏切るレッドブルの意外な速さを武器に開幕直後から活躍を見せ、開幕戦オーストラリアGPと第2戦マレーシアGPで連続入賞を遂げ、予選グリッドも常に3列目、4列目に付けるという上々の滑り出しを見せた。第4戦サンマリノGPから第7戦ヨーロッパGPまではリウッツィにシートを譲ったが、残りのレースは全て任され、シーズン中に計5戦で入賞し、ランキング15位でシーズンを終えた。

シーズン前は、第8戦カナダGPでクリエンに一度シートが戻された後も、シーズン後半でまたリウッツィに再度の交代があるものと思われていたが、そうはならなかった要因としては、クリエンが力強いパフォーマンスを見せていたこと、2005年のレギュレーションでは予選出走順が前戦順位の下位からとなり、交互に出走することで予選が不利になるのを避けること、この時期レッドブルがミナルディを買収し、クリエン、リウッツィ両ドライバーに翌年のシートを確実に保証することが可能となったことなどが考えられる。

[編集] 2006年

2006年もレッドブルから参戦することとなったが、獲得ポイントはチームメイトのクルサードを下回る2ポイントにとどまり、第15戦イタリアGPを最後にシートをサードドライバーのロバート・ドーンボスに譲り、レッドブルから離脱することとなった。 レッドブル離脱前後から、中国・日本・ブラジルGPをスパイカーMF1のサードドライバーとして参加するべく動いていたが、スパイカーMF1がそれぞれアレクサンドル・プレマ、エイドリアン・スーティル、アーネスト・ヴィソをサードドライバーに起用すると発表したため、今年のF1公式セッション参加は無くなった。 2007年のシートを模索していたが、ホンダ・レーシング・F1チームよりサードドライバーとして迎えられた。

[編集] 2007年

ホンダでテストドライバーとして活動。イギリスGPではジェンソン・バトンが背中痛を訴えたため、プラクティスセッションを1度だけ走行した。この年限りでホンダを離脱することを表明しているため、結果的にホンダでの公式セッションはこの1度だけということになった。また、シーズン中からレースシート獲得を見据え、ベルギーテストではホンダに所属しながらスパイカーF1でテストをした。同週にはホンダでもテストを行っていたため、1週間(正確には3日のテスト日程)で2つのチームを経験したことになる(マクラーレンテストドライバーのペドロ・デラ・ロサも2008年11月のバルセロナテストで、マクラーレン・フォースインディア両方から参加)。シーズンオフのバルセロナテストではフォース・インディアでテストを行い、2008年のドライバー候補として名前が挙がったがシートを獲得できなかった。しかし2008年度のBMWザウバーのリザーブ兼テストドライバーとなることが決まった。

[編集] 経歴

[編集] F1以前

カテゴリ 所属チーム ランキング 優勝
1999年 ドイツ・フォーミュラ・BMW ジュニアカップ 4位 4勝
2000年 ドイツ・フォーミュラ・BMW チーム・ロズベルグ 10位 0勝
2001年 ドイツ・フォーミュラ・BMW チーム・ロズベルグ 3位 5勝
2002年 ドイツ・フォーミュラ・ルノー JDモータースポーツ 1位 5勝
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー 5位 -
2003年 ユーロF3 ミュッケ・モータースポーツ 2位 4勝
マールボロ・マスターズ 総合優勝

[編集] F1での年度別成績

(2006年第17戦終了時)

所属チーム 獲得ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数
2004年 ジャガー 3 16位 6位・1回 0回 10位・1回
2005年 レッドブル 9 15位 5位・1回 0回 4位・1回
2006年 2 18位 8位・2回 0回 8位・1回

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月12日 (木) 14:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【クリスチャン・クリエン】変更履歴

ご利用上の注意