クリスティアーノ・ロナウド

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クリスティアーノ・ロナウド
名前
本名 クリスティアーノ・ロナウド・ドス
・サントス・アヴェイロ
愛称 ロニー、クライベイビー、CR
ラテン文字 Cristiano Ronaldo
基本情報
国籍 ポルトガル
生年月日 1985年2月5日(24歳)
出身地 フンシャル
身長 184cm
体重 82kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 レアル・マドリード
ポジション WG / FW
背番号 9
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2001-2003
2003-2009
2009-
ポルトガルの旗 スポルティングCP
イングランドの旗 マンチェスター・U
スペインの旗 レアル・マドリード
025 (3)
196 (84)
1 (1)
代表歴2
2003- ポルトガル 62 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年8月31日現在。
2. 2009年2月11日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OHICristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OHI1985年2月5日 - )は、ポルトガル出身のサッカー選手レアル・マドリード所属。ポジションはWGFWSMF

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

1985年2月5日、クリスティアーノ・ロナウド(フンシャルやリスボンの標準的発音では「ロナド」)は大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に生まれる。家族は両親と兄1人、姉2人で、ロナウドは末っ子である。父親のディニスは公務員として働く傍ら、地元のアンドリーニャというサッカークラブの管理を手伝っており、ロナウドはこのクラブで6歳の時にサッカーを始める。4年後の1995年にアンドリーニャに在籍していた人物が運営するCDナシオナルに入団。この頃からロナウドの名が注目されはじめ、一年後にスポルティング・リスボンのスカウトを受けて、母親と共にリスボンへ移住。しかし、リスボンの学校にはなじめず、登校を避けるようにユースアカデミーに通うようになり、最終的には退学する。本人によると訛を馬鹿にされたいじめにあっていたらしい。

一方サッカーでは急速な成長をみせてユースを駆け上がり、2001年9月29日のスポルティング・ブラガ戦で17歳にしてプロデビュー。以降25試合に出場し、クラブ史上最年少ゴールも決めるがすぐさまリスボンを離れることになる。

[編集] マンチェスター・ユナイテッド

ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスは、ロナウドがデビューした時分から注目しており、ロナウドの獲得を逸早く監督アレックス・ファーガソンに進言していた。ロナウド獲得には当時リバプールも積極的に動いており、一時期リバプールへの移籍が本人のコメントからも予想されたが、プレミアリーグ03-04シーズン開幕3日前の8月10日に移籍金1,224ポンド(当時の日本円にして約24億円)、5年契約でユナイテッドへの入団が決定。更にベッカムがレアル・マドリードへ移籍したことで、空いた背番号7の着用が決まる。ロナウド自身はトップチームの全選手を含めて空き番号になっていた28を希望しており、背番号7はファーガソンの指名で決まっている。

プレミアリーグ03-04シーズン、オールド・トラッフォードボルトンを迎えての開幕戦にロナウドは控えとしてメンバー入りし、後半16分からの途中出場でプレミアデビュー。以後、比較的先発で出場することが多くなるが、控えと先発を行き来するような状態で、ファーガソンが上手く振り分けて成長を促していたとされる[1]

06-07シーズンは17ゴール、14アシストと共に自己最多記録をマークし、チームの優勝に貢献。自身もPFA年間最優秀選手賞FWA年間最優秀選手賞を受賞した。また、バロンドールの投票ではカカーに次ぐ2位となった。翌07-08シーズンは開幕からゴールを量産し、チームのリーグ2連覇に貢献。アラン・シアラーの持つシーズン最多得点記録タイの31得点で得点王になった。これらの活躍でPFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を2シーズン連続で受賞。プレミアリーグの上位チームに対して目立った成績を残していないと揶揄する声があるが、実際には31得点中5点を3位から5位までのチームから奪っている。唯一2位チェルシーに対してのみ無得点だったが、後述するように07-08チャンピオンズリーグ決勝戦でチーム唯一のゴールを挙げている。

07-08チャンピオンズリーグでも8得点を挙げて得点王を受賞。ユナイテッドの9シーズンぶり3回目のチャンピオンズリーグ優勝に貢献する。 2008年5月21日に行われた決勝戦では、大舞台でチェルシーから先制ゴールを奪うも、チェルシー側もフランク・ランパードが同点ゴールを決めて反撃。延長戦でも決着がつかずPK戦となり、ロナウドは3人目のキッカーを務めるもペトル・チェフにコースを読み切られてセーブされ失敗。しかしチェルシーも5人目のキッカーのジョン・テリーが雨でぬかるんだピッチに足を滑らせて痛恨のミスキックで失敗し、その後ファン・デル・サールの好セーブによって、ユナイテッドの勝利が決定した。その瞬間、ロナウドはピッチに倒れこんで号泣し、ガリー・ネヴィルライアン・ギグス、ファーガソン監督らに助け起こされてようやく味方の歓喜の輪に加わった。

これらの活躍が認められ、この年のバロンドールFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。 しかし、これだけの実績をあげてもなお各国上位チームに対して目立った成績を残していないと揶揄する声は消えていない。

2008年夏、かねてよりロナウド獲得をめざしていたレアル・マドリードが、移籍成立は時間の問題とメディアを通じてアピールしたことによりロナウドをめぐる移籍騒動が勃発。正式なオファーを出さないまま一方的な発表を行った事に対してユナイテッド側が猛反発し、法的手段も辞さない構えを見せるなど話が大きくなる。ロナウド自身はこの騒動に関し公には沈黙を守っていたが、「子供の頃からの憧れのクラブであるレアル・マドリードへの移籍が実現するかもしれない」と気持が傾いていた事を残留宣言の中で認めている。最終的にファーガソン監督と話しあった結果、ロナウドは残留を決意し、ユナイテッド公式ホームページに残留宣言が掲載された[2]。その中で今回の移籍騒動については「(両クラブやその関係者にではなく)自分に責任がある」としている。

2009年夏、ロナウドは退団希望を正式に表明。ユナイテッドも、正式なオファーを出したレアル・マドリードとの移籍交渉を許可した。

[編集] レアル・マドリード

レアル・マドリードはジネディーヌ・ジダンの記録を上回る史上最高額の8000万ポンド(約128億円)の移籍金を一括でマンチェスター・ユナイテッドに支払い、7月1日付でロナウドは正式にレアル・マドリードの選手となった。 7月6日、レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナべウで入団発表が行なわれ、背番号は「9」と発表された。入団発表には8万人のファンが集まった。1984年にSSCナポリに加入したディエゴ・マラドーナの7万5000人を抜き、史上最多の人数がつめかけたお披露目式となった[3]

[編集] 代表

プレースタイルなどからルイス・フィーゴの後継者と評する声もある。2003年8月のカザフスタン戦で初キャップを記録。EURO2004では初戦のギリシャ戦で代表初得点を決め、全試合に出場して準優勝に貢献。また、同年に開催されたアテネ五輪・サッカーにも出場。この大会で、ロナウドは、モロッコ戦で1ゴールを記録した。ドイツワールドカップでも代表の主力メンバーとして活躍。EURO2008本大会にて、フィーゴの7番を継承した。それまでもキャプテンマークを巻く機会はあったが、大会終了後にカルロス・ケイロスが監督に就任してからは、代表チームのキャプテンを務めている。

[編集] プレースタイル

敵陣を切り裂く鋭いドリブルと卓越した得点感覚,多彩な得点パターンを持つウイングである。ユナイテッド移籍直後に比べると抑え気味になりつつあるが、シザースを多用したフェイントを駆使し、小刻みに踏むステップを織り交ぜたドリブルで突破を図る。時折エラシコやラボーナ等の高度な技も見せ、一種のパフォーマンスのような形で個人技を披露することもある。イングランドに来た当初は球離れの悪さで決定的なタイミングを逃したり、ドリブル突破が必ずしもチャンスに繋がらなかった為に批判を浴びていたが、近年はチームプレーを重視しつつ必要と判断すれば個人技を繰り出すというスタイルへの変化が見られ、ドリブル自体も速いタイミングでゴールへ向かうことが多く、随所に得点を意識したプレーが見られる。

シュート力が非常に高く、高精度のミドルシュートでゴールを狙う事ができる。利き足でない左足でも高いレベルのプレーが可能で、左右どちらのサイドでも実力を発揮する。

FKの精度も高く、特に揺れながら落ちる無回転FKの精度はジュニーニョ・ペルナンブカーノアンドレア・ピルロと並び称される。ただし前者の二人がカーブでコースを変えるキックも得意とするのに対し、ロナウドの場合は曲げて蹴るFKは苦手であり,無回転FKを多用する傾向にある。FKの場面において、ユナイテッドでは角度がない場合はギグス、ゴールが狙える位置ではロナウドが蹴る傾向にある。 またセットプレーの際にはゴール前での競り合いにも積極的に参加し、高いジャンプ力を活かした打点の高いヘディングでゴールを決めることも多い。さらに、カウンター時には自陣から長距離をフリーランニングして攻め上がることが多く、非常に攻撃的な選手であるといえる。接触プレーでは逆らわず倒されることが多く、ダイバーという不名誉なあだ名で呼ばれることもある。

マンチェスター・ユナイテッド時代は同僚のFWであるルーニーやテベス、ベルバトフらと比べると献身的とされるようなプレーが少なく、また前線にスペースがあって初めて活きるプレーヤーであるためにチームが守備的に固める時は1トップを任せられることが多かった。

[編集] エピソード

  • 少年時代のアイドルはディエゴ・マラドーナで、好きなチームはベンフィカ[4]。ベンフィカのライバルであるスポルティング・リスボンのユースに入団したのは、母親がスポルティングのファンで喜ばせたかったというのが理由の1つらしい。
  • スポルティング時代からコーチ陣揃って認めるほどの練習家で、現在でも居残り練習を積極的に行っている。
  • ユナイテッドでのデビュー戦後、ジョージ・ベストは「ここ数年、第2のジョージ・ベストだと言われた選手は何人かいるが、私がそれをほめ言葉と感じたのは彼が初めてだ(There have been a few players described as the new George Best over the years, but this is the first time it's been a compliment to me.)」と語っている[5]
  • かつてはゴールを決めるとユニフォームを脱ぐパフォーマンスで引き締まった上半身を披露していたが、FIFAによってストリップが原則禁止となった為に現在は控えている。
  • 2006年11、12月にプレミアリーグ月間MVPを2ヶ月連続して受賞。ロビー・ファウラーデニス・ベルカンプに続くプレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった。
  • 2007年2月6日に行われたブラジルとの親善試合では、数日前に亡くなったポルトガル協会カルロス・シルヴァ副会長の遺言により、初めて主将を任された。それ以降、本来の主将ジョルジ・アンドラーデおよび副主将ヌーノ・ゴメスが不在の時は、ロナウドが第3候補として主将を務めている。
  • クラブにおいても、2008年3月19日の対ボルトン戦で初めてキャプテンマークを巻いて出場した。
  • PFA(プロフットボール協会)による2006-2007年の年間最優秀選手賞最優秀若手選手賞をダブル受賞し、1977年のアンディ・グレイ以来30年ぶり史上2人目の栄誉を勝ち取った。またファンの投票による年間最優秀選手賞にも選ばれ、史上初の三冠達成を果した。2007-2008年の年間最優秀選手賞も受賞し、連覇を果たす(最優秀若手選手賞は、アーセナルセスク・ファブレガスが受賞)。
  • 2007年に来日した際、TBSスーパーサッカーのインタビューに出演する予定だったが、体調不良によりキャンセルしたためチームメイトのリオ・ファーディナンドが代理を務めた。また、ロナウド本人が拙い日本語で謝罪する映像も流れた。
  • 2008年にスイスとオーストリアで共同開催されたEURO2008で、LG電子が実施した欧州の女性1万2000人による最もハンサムな選手の人気投票で1位となる。特にイタリア、ドイツ、スウェーデンからの票が多かったとのこと。

[編集] その他

  • 名前の由来は、父親が「ロナルド・レーガン元アメリカ大統領のようになってほしい」との意味が込められている。「クリスティアーノ・ロナルド」と呼称する日本のメディアがあるが、これは、現地音主義に立ち、ポルトガル本国およびマデイラの発音に準じたもの(ロナウドまたはホナウドは本来ブラジル発音)なのか、このエピソードに準じたものかは即断できない。
  • 父親はアルコール中毒(05年9月に死去)、兄はドラッグ中毒に陥った過去があり、このような経緯からサッカー選手としてそれらは悪影響になると考えている為か飲酒や喫煙は一切していない。
  • 故郷フンシャルに自分のファッションブランド「CR7」の店を開いている。2人の姉が経営しており、08年10月にリスボンに2号店を開店している。また下の姉カティアはポルトガルで歌手をしており「Ronalda」という芸名でCDデビューしている。
  • サッカーの次に好きなスポーツは卓球。その腕前は、ポルトガル時代にプロにスカウトされたほど[6]
  • 2009年1月8日午前、マンチェスター空港近くの道路でトンネルの壁に正面から衝突し、前方部分が大破する自動車事故を起こした。運転していたフェラーリ・599は前方部分が大破したものの、ロナウド本人に怪我はなかった。なおこの事故でクラブからは罰金を科されている[7]

[編集] 所属クラブ

[編集] タイトル

[編集] クラブ

マンチェスター・ユナイテッド時代のC・ロナウド。

[編集] 個人

[編集] 個人成績

クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 期間通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
スポルティング-CP 2002-03 28 25 3 - 3 2 - 3 0 0 31 5 -
通算 25 3 - 3 2 - 3 0 0 31 5 -
マンチェスター・ユナイテッド 2003-04 7 29 4 4 6 2 0 5 0 0 40 6 4
2004-05 7 33 5 4 9 4 0 8 0 0 50 9 4
2005-06 7 33 9 6 6 2 1 8 1 0 47 12 7
2006-07 7 34 17 14 8 3 1 11 3 5 53 23 20
2007-08 7 34 31 8 3 3 11 8 1 48 42 9
2008-09 7 33 18 6 2 1 12 4 2 47 23
通算 196 84 42 34 15 2 55 16 8 285 115 42
レアル・マドリード 2009-10 9 -
通算 - - - - - - - - - - - -
総通算 221 87 36  35 16 2 58 12 6 316 120 42

[編集] 出演CM

[編集] 脚註

  1. ^ 金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、275-273頁を参考
  2. ^ マンチェスター・ユナイテッド公式ホームページ 特集:ロナウド、移籍騒動の真相を告白
  3. ^ ニッカンスポーツ (2009.7.8). "Cロナウド入団会見に史上最多の8万人". 2009.7.21 閲覧。
  4. ^ livedoorスポーツ (2008.1.23). "ロナウド母が移籍熱望「レアル入団が実現するまで死ねない」". 2009.7.15 閲覧。
  5. ^ マンチェスター・ユナイテッド公式ホームページ 特集:コメント集:ロナウド
  6. ^ 2008年12月14日放送『サッカークラブ世界一決定戦!超驚き感動秘映像SPパート1』(日本テレビ)
  7. ^ 時事ドットコム (2009-01-08). "ロナルドが自動車事故=愛車フェラーリ大破、けがはなし". 2009-01-09 閲覧。

[編集] 外部リンク

先代:
カカ
UEFAチャンピオンズリーグ得点王
2007-08
次代:
リオネル・メッシ


mwl:Cristiano Ronaldo

最終更新 2009年9月16日 (水) 15:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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