クロアチア独立国
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- クロアチア独立国
- Nezavisna Država Hrvatska
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← 1941年 - 1945年 →
国旗 国章 -
公用語 クロアチア語 首都 ザグレブ - 国王、元首
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1941年 - 1943年 トミスラヴ2世 1943年 - 1945年 アンテ・パヴェリッチ - 首相
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1941年 - 1943年 アンテ・パヴェリッチ 1943年 - 1945年 ニコラ・マンディッチ - 人口
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1941年 6,300,000人 - 変遷
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建国宣言 1941年4月10日 ユーゴスラビアに併合 1945年5月8日
通貨 クーナ (kn) 時間帯 UTC +1 (DST: +2) - 註1 : 元首は1943年までは国王、それ以降はポグラヴニク(クロアチア語で総統の意)
クロアチア独立国(クロアチア語: Nezavisna Država Hrvatska)とは、現在のクロアチアなどに存在した国家のひとつ。ナチスの傀儡国家である。独立国家クロアチアと訳されることもある[1]。
目次 |
[編集] クロアチア自治州
ユーゴスラビア王国は1918年に「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」として建国された当初から、セルビア人とクロアチア人の不和という問題を抱え、ヴェルサイユ体制に支えられたセルビア人の専制政治に対しクロアチア人が大きな不満を抱いていた。これを重く見たセルビア人の王アレクサンダルは、1929年クーデターを起こして独裁政権を樹立し、国号も「ユーゴスラビア」と改めた。しかしその後1934年、アレクサンダルがマルセイユで暗殺されるという事態が起こったため(当時クロアチア民族主義者の犯行と思われたが、現在真相は不明)、1939年ユーゴ政府は国内の一部をクロアチア自治州とすることで、セルビア人とクロアチア人との対立をなんとか収束しようとした。だがこの政策は国内の矛盾を拡大させただけで終わった。
[編集] クロアチア独立国
だがクロアチア民族主義者はこれに飽き足らず、北方で勢力を拡大していたナチスと関係を強くして、1941年4月1日にザグレブで蜂起して「クロアチア独立国」の建国宣言を発し、サヴォイア家からアオスタ公アイモーネを象徴君主として迎え、アオスタ公はクロアチア建国の英雄トミスラヴ王(Tomislav)の名を冠し、トミスラヴ2世として5月18日に形式上の国王に即位した。ただし、あくまで象徴的な意味合いだけで、決して如何なる実際上の権力も持っていなかった。また、トミスラヴ2世はクロアチア人によるテロを恐れ、自らの領国には足を踏み入れず、イタリアに留まった。
建国の先鋒となったのは、クロアチア民族主義団体ウスタシャのアンテ・パベリッチであった。パベリッチは独立と同時に国家元首(ポグラヴニク)となって首相と外相を兼務した。更に彼はアドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニを真似て単一政党による独裁政権を樹立する。他の政党はすべて非合法化され、ナチスのように自分の親衛隊を作った。なおウスタシャは旧ユーゴスラビア王国から以下の領土を割取した。
ウスタシャはかねてから計画していたと言われるこれらの地域のセルビア人を標的とした大量殺戮を開始し、一説に70 - 100万人近いセルビア人を強制収容所に収監して虐殺したといわれている。またセルビア人だけでなくユダヤ人やジプシー、更には同胞のクロアチア人の反対派までも大量に逮捕・収監した。特に悪名高いヤセノヴァッツ収容所は「バルカンのアウシュヴィッツ」と呼ばれた。更に1941年4月30日には、国籍法が採択され、全ての非アーリア系(クロアチア人はアーリア系とされた)市民は、無国籍者とされた。同日、民族間の結婚を禁止する法律も採択された。6月4日には、クロアチアの社会、青年、スポーツ、文化組織、文学及び報道、絵画、音楽、劇場、映画館に非アーリア人が参加することが禁じられた。
ユーゴスラビア王国の国土はクロアチア独立国・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリーの枢軸国軍によってあっという間に占領された。ユーゴ国王や政府要人はロンドンに亡命してセルビア人軍人を中心にチェトニックを組織し、クロアチア独立国に対抗した。だがチェトニックはクロアチア人を虐待するなど旧来のユーゴ軍の矛盾を内包していたため、セルビア人以外からはあまり支持されなかった。代わってドイツへの抵抗運動を指揮したのはユーゴスラビア共産主義者同盟のヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンであった。
1941年6月15日、クロアチア独立国は日独伊三国軍事同盟に加わり、6月26日には反共同盟に入った。また同年6月22日、独ソ戦の開戦とともにソ連に宣戦を布告、東部戦線に2万の兵を送り込んでいる。更に12月14日、米英に宣戦を布告。そして1942年9月、パベリッチはドイツを訪問し、アドルフ・ヒトラーの許可を得て、スラフコ・クワテルニクを解任し、政府の再編を行った。
1943年10月12日、イタリアが降伏したために、形式上の国王トミスラヴ2世は王位を放棄してしまう。更に1945年にはドイツの降伏によって「クロアチア独立国」そのものが崩壊し、パベリッチはスペインへ亡命。そして5月8日、クロアチアは独立を取り消され、その構成地域はすべてユーゴスラビアに戻された。領土は主にクロアチア社会主義共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国に分割された。
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クロアチア独立国の指導者アンテ・パベリッチ |
パベリッチとアドルフ・ヒトラー |
[編集] 外交
ナチスの傀儡国家とは言っても、承認を行った国も多く存在し、第二次世界大戦の終結以前にクロアチア独立国は枢軸国を中心として、ドイツの同盟国と傀儡国、中立国など、以下の19ヶ国の承認を受けていた。(枢)のついている国は枢軸国(離脱した国を含む)。
- ドイツ(枢)
- イタリア(枢)
- 日本(枢)
- ハンガリー(枢)
- ルーマニア(枢)
- ブルガリア(枢)
- フィンランド(枢)
- スペイン
- スロバキア(枢)
- デンマーク(ドイツ占領下)
- 中華民国南京国民政府(汪兆銘政権・枢)
- 満州国(枢)
- タイ(枢)
- スイス
- フランス(ヴィシー政権・枢)
- アルゼンチン
- スウェーデン
- バチカン
- セルビア救国政府(枢)
[編集] 脚注
- ^ 例えば、多谷千賀子『「民族浄化」を裁く—旧ユーゴ戦犯法廷の現場から—』岩波新書、2005年。ISBN 4004309735
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Independent State of Croatia - NDH
- Axis History Factbook - Croatia
- U.S. Holocaust Memorial Museum Holocaust era in Croatia (1941-1945)
- Independent State of Croatia's Military Decorations
- BBC News: Croatian holocaust still stirs controversy
- Biography of Pavelić
- Another Biography of Pavelic
- Two Bullets for Pavelić
- Miroslav Filipović-Majstorović
- Pavelic's escape to Argentina
- Ivan Goran Kovačić The Pit
- Jasenovac - a prisoner execution
- Independent State of Croatia proclamation
- genocide committed by Ustashi
- unindentified Croatian Ustasha
- Avro Manhattan: "The Vatican's Holocaust", a book about the Ustaše and the NDH
最終更新 2009年9月16日 (水) 05:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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