クワメ・エンクルマ

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フランシス・ンウィア・コフィア・ンクルマ
Francis Nwia Kofia Nkrumah
クワメ・エンクルマ

ガーナ共和国
初代大統領
任期: 1960年7月1日1966年2月24日

出生: 1909年9月21日
ンクロフル
死去: 1972年4月27日
ブカレスト
ソ連で発行されたエンクルマの肖像切手(1989年)

クワメ・ンクルマKwame Nkrumah, 本名:Francis Nwia Kofia Nkrumah 1909年9月21日 - 1972年4月27日)は政治家ガーナ初代大統領。ガーナの独立運動を指揮し、アフリカの独立運動の父といわれる。マルクス主義者。日本語では姓がンクルマと表記される場合もある。エンクルマは語頭で「ン」を発音することができない英語での読み方。

目次

[編集] 生涯

イギリス領の植民地ゴールド・コーストにて、アカン族の鍛冶屋の家に生まれる。幼少より成績優秀で親族に借金してアメリカ合衆国に留学した。

1935年イタリアエチオピア侵攻を聞いて激怒し、植民地制度の打倒を志す。イギリスに渡り、宗主国で優遇されるアフリカ出身のエリートの説得に奔走した。1945年にはジョージ・パドモアと共に第五回パン・アフリカ会議の書記を務める。

第二次世界大戦後、帰国したエンクルマは地元の自治組織の重要人物として迎えられるが、組織は宗主国イギリスを恐れ穏健的であった。1949年エンクルマは会議人民党を結成、即時独立の要求を掲げ、ストライキなど強硬な政策を打ち出した。穏健派によって逮捕されるが、1951年の選挙で会議人民党は第一党となり、釈放された。そして、1957年にゴールドコーストはトーゴランドと共にガーナとしてイギリスより独立、初代首相に就任した。

1958年アフリカ各地の指導者を首都アクラに集め、パドモアと共に全アフリカ人民会議を開催し、パトリス・ルムンバらに大きな影響を与えた。またアフリカを統一国家とするアフリカ合衆国の構想も謳われた。しかし、1960年1月チュニジアで開かれた第二回会議では、独立要求こそ謳われたが、アフリカ統一に関する議論はほとんど行なわれなかった。7月に共和制を採用し、エンクルマは初代大統領に就任した。

1961年コンゴ動乱で、穏健派と強硬派が対立したが、エチオピアの介入で和解、折衝案を盛り込んだアフリカ統一機構(OAU)が設立された。政治的統一は排除されたが、アフリカ諸国の相互援助は謳われた。エンクルマは植民地支配を受ける地域や独立間もない国家への支援を積極的に行ったが、結果的に豊かだったガーナの財政は傾いた。反発する大臣らを解任し独裁を敷き、アコソンボダムを建設させた。

1966年2月24日北京ハノイへ外遊中に警察クーデターがあり失脚。以後、ギニアで亡命生活を送った。

1972年4月27日、医療のため訪れたルーマニアブカレストで病死。暗殺説もある。

[編集] 著作

  • 『わが祖国への自伝』
  • 『アフリカ解放の道』
  • 『自由のための自由』

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
なし(植民地時代)
ガーナ共和国大統領
1960年 - 1966年
次代:
ジョセフ・アンクラ

arz:كوامى نكروما

最終更新 2009年11月24日 (火) 15:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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