グーシ・ハーン
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グーシ・ハーン(Güsi Qaγan, 中国語:顧實汗/固始汗, 現代モンゴル語:Гүүш-Хаан、1582年 - 1654年)、別名グシリ・ハーン、本名トゥルバイフ(オイラト語: Töröbaikhu, ハルハ語(現代モンゴル語): Төрбайхトゥルバエフ)は、17世紀中頃のモンゴルのオイラト四部のひとつホショードの首領。チベットに遠征し、ダライ・ラマの権威の下にグシ・ハン王朝を樹立した。
[編集] 概要
トゥムドの生まれであったアルタン・ハーンから代わった。彼の軍事援助によりチョクト・ホンタイジ政権、ペリ王国、ツァントェ王国は滅ぼされ、ダライ・ラマ5世率いるゲルク派がチベットを掌握することができた。
17世紀初頭、チベットではカルマ派とツァンのシンシャク氏が台頭していた。第五世ダライ・ラマ ロサン・ギャツォの摂政ソナム・ラプテンの、ゲルク派への援助の求めに応じたグーシ・ハーンは、1637年に青海にてチョクト・ホンタイジを破り、ダライ・ラマから「護教法王」(śasin i bariγci nom un qaγan)の称号を授かる。1640年ツァン軍とその味方であるチャハルおよびハルハのモンゴル部族(これら東モンゴルは同時に東から満州族の侵略を受けていた)を打ち破りカムを平定。1642年にはツァン地方も平定し、同年4月に支配権を正式にダライ・ラマへ献上した。
彼の10人の息子のうち8人はアムドで戦略的に重要な青海湖周辺を治めた。この時定着したモンゴル人集団は次第にチベット化していった。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年10月6日 (火) 09:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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