グランツール

グランツールの最新ニュースをまとめて検索!

グランツール: Grand Tour: Grands Tours: Grande Giro西: Grandes Vueltas: Grote Ronde)は、ヨーロッパで開催される自転車のプロロードレースのうちジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称である。三大ツールともいう。

目次

[編集] 概要

ステージレースはジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャ以外にも数多存在するがこの3レースはいずれも実施期間及び走行距離がとりわけ長く(およそ3週間にわたり3000km以上の距離を走る)、しかも平地・山岳・タイムトライアルというそれぞれ要求される能力が異なる種目で総合的な力を発揮できなければ良い成績を収められないという点において共通しており「最大・最高のステージレース」という意味合いから「グランツール」の名が冠せられている。それゆえ過酷さも他のレースとは桁違いであり、優勝することはもとより完走することさえ困難である。しかしその一方で知名度や賞金額も高いため、総合優勝者ともなれば最上級の賞賛が贈られるのはもちろんのこと出場するだけでも名誉なレースである。

中でもツール・ド・フランスはグランツールの中で最も歴史があり他の2レースと比較した場合、出場選手のレベルが相対的に高い。さらに知名度も高くロードレースに関心のない人もツールだけは特別に興味を持っていることが多く、大会期間中にテレビ中継等で観戦する人は世界で10億人を超すとも言われている。そのためツール・ド・フランスを「世界最大の自転車レース」と呼び、スポーツイベントとしてはオリンピックサッカーワールドカップと同格の「世界三大スポーツ競技大会」に位置づける人もいる。

しかしながらツール・ド・フランスがグランツールの中で最も過酷なレースかというと必ずしもそうとは言えず、山岳コースの設定はジロ・デ・イタリアのほうが厳しいと見る人も多い。そのためツール・ド・フランスが「世界最大の自転車レース」ならジロ・デ・イタリアは「世界最高の自転車レース」と評されることがある。

[編集] 各グランツールの特徴

[編集] ツール・ド・フランス

ツール・ド・フランスにおいては、「山岳コースではなるべく消耗が少ない走りに終始し、個人タイムトライアルで一気に勝負をつける」という戦法[1]を総合争いの選手が使う場合が多く、5連覇を達成したミゲル・インドゥラインはそうした走り方の典型であった。また1989年の大会で大逆転優勝を収めたグレッグ・レモンもプロローグを除くタイムトライアルで常に勝利した。

そのほかエディ・メルクスランス・アームストロング、後にドーピング疑惑で優勝を剥奪されたフロイド・ランディスら山岳で積極的に攻撃を仕掛けたことで有名な選手たちもタイムトライアルでは圧倒的な力を示している。逆に8度の表彰台を経験しながらも、ついに中央に立つことがなかったレイモン・プリドールや6度の総合2位を経験しているヨープ・ズートメルクは個人タイムトライアルで総合首位者に差を広げられるケースが多かった[2]

グランツールの中で唯一、アルプスとピレネーの両方を走るレースでもある。

[編集] ジロ・デ・イタリア

ジロ・デ・イタリアはツール・ド・フランスよりも山岳コースの設定回数が多く、またツール・ド・フランスより山岳コースの難度が高い傾向がある[3]。そのため山岳が得意な選手に有利な大会とされる[4][5]

またほかのグランツールにおいてポイント賞はスプリンター型の選手が獲得するのが常だが、ジロ・デ・イタリアの場合は上りのあるレースにおいて実績を挙げている選手が獲得するケースも少なくない。

1970年代から1990年代半ばの総合優勝者については選手の国籍が多様化していたが、ブエルタ・ア・エスパーニャが1995年に従来の春開催から夏場の開催へと移行したことやツール・ド・フランス7連覇中時代にランス・アームストロングがジロを回避しツール一本に照準を定める形を取っていたことから、それに倣う選手が増加しはじめた。ちなみに1996年に優勝したパヴェル・トンコフロシア)以降、2008年アルベルト・コンタドールスペイン)が優勝するまでイタリア国籍以外の優勝者が出ていなかった。

[編集] ブエルタ・ア・エスパーニャ

山がちなスペインの地形上、しばしば厳しい勾配の激坂が登場する(2008年には最大23.6%、1km平均でも20%オーバーというステージもあった)。それに加えTTが短い(15km台のTTが設定された年もある)、山岳山頂ゴールステージそのものが多い、平坦ステージでも150km台と短いステージが多く大逃げが決まりにくいなどあり、ジロ・デ・イタリア以上に山を上れるクライマー系に近いライダーが総合上位へ来やすい。

かつて春期開催だった頃はジロ・デ・イタリアと開催期間が近い、ないし重なってしまうという日程的な問題があり有力なオールラウンダーやクライマーはジロ・デ・イタリアやその後のツール・ド・フランスに回ることも少なくなかった。一方、有力スプリンターのなかにはブエルタ・ア・エスパーニャを選択する選手もおりスプリンタータイプの選手が総合優勝を果たすこともあった。

今のように秋口の開催になってからは9月末に行われるUCI世界選手権への調整レースと割り切り、最初から2週目途中まで走りきり計画的なリタイアを決行する選手も多いため、最終日にはプロトンが150人程度に減っている事も珍しくない。

[編集] ダブルツールについて

一般的には「ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア]で優勝すること」、あるいはツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアという2つの大会そのものをダブルツールという形で呼ばれていた。

一方、ブエルタ・ア・エスパーニャの創設は1935年であり上記の2つのグランツールよりも30年近く遅れて始まったことやスペイン内戦等による国内情勢の不安や財政問題等が重なって大会初期には中止が相次いだこと、またその影響を受けチャレンジ・デスグランジュ=コロンボ(当時の年間表彰制度)の対象に入っていなかったことも重なり加えて上記に示す通り、ブエルタ・ア・エスパーニャとジロ・デ・イタリアについては長らく実施時期が接近または重複するケースがあったことから同一年度に全グランツールの出場を果たす選手はほとんどおらず、かつ総合優勝を狙うような有力選手はジロ・デ・イタリアに出場することが多かったことから長らく過小評価されていた。

そして1949年ファウスト・コッピが史上初めてツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを同一年に制覇したことから、ジロとツールを制することが真のチャンピオンであるという見方が広まったことがダブルツールという俗称を生み出した要因となっている。

しかし現在は日程的にはグランツール全ての大会に出場することが可能であるほか、UCIプロツアーでは2007年までジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ同格とされていた(ただし2008年からグランツールはUCIプロツアーから離脱。詳細は後述)。

このためツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャ、あるいはジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャという組み合わせではダブルツールと言えないのかという疑問が呈される事態も生まれ「ダブルツール」という呼称は以前より一般的な言い方とはされておらず、その意味合いも変わりつつある[6]

[編集] UCIプロツアー離脱問題

[編集] 当初から折り合わず

2005年からはじまったUCIプロツアーはグランツールの価値を高く認識していた。ツール・ド・フランスは最上級のカテゴリーA級に位置づけ、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャはカテゴリーB級に位置づけていた。また、プロツアーとしては2007年までグランツールを対象レースに組み込んでいた。

しかしプロツアー参加チームに出場を限定するとしていた国際自転車競技連合(UCI)の考え方に対しASO(ツール・ド・フランスの主催者)、RCS(ジロ・デ・イタリアの主催者)、ウニパブリック(ブエルタ・ア・エスパーニャの主催者)がプロツアー制定当初より猛反発。度々これら主催者側は主催者希望チーム枠の扱いを巡ってUCIとの対立姿勢を強め、制定初年度よりプロツアー離脱をほのめかしていた。

そしてプロツアー制定2年目となる2006年ジロ・ディ・ロンバルディアのレース終了後に本来ならばプロツアーの表彰式が行われる予定であったにもかかわらず同レースの主催者であるRCSがこれを拒否したことから、UCIと主催者グループとの間の対立が表面化した。

[編集] 事実上の決別

UCIは懐柔策として、2007年のグランツールについては主催者側が希望するチーム(いわゆる「ワイルドカード」)枠を認めることでグランツールのプロツアー離脱を防止した。しかし同年に発生したユニベットチームを巡る問題(詳細はUCIプロツアー#グランツールとの主導権争いを参照)を発端にUCIと主催者グループの対立構図は決定的となり、ついに主催者グループ側はUCIとの事実上の決別姿勢を明らかにした。

またUCIも主催者グループの主張を認め、2008年のプロツアーよりグランツールは全て離脱することになった。この他主催者グループが運営を行っている他のステージレースやワンデーレースにおいても離脱が相次いだことから2007年においては対象となるレースが26だったが、2008年度は当初は17へ大きく減少(さらにその後2レースキャンセル)する事態(ツアー・ダウンアンダーの格上げや開催地未定の新設レース(仮称:ファイナルレース)[7]を含めて)となった。

[編集] ついに完全離脱

一方、主催者グループ側は水面下でUCIプロツアーに代わりうる新シリーズの制定に動いていたがUCIはこれを認めなかった。UCIはツールについては国別対抗戦形式である北京オリンピック世界選手権自転車競技大会とともに新設のUCIワールドツアー(仮称)に組み込こみプロツアー参加チームにも積極的にツールへの参加を促す制度を制定した。

しかしジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャについてはプロツアーのいわば「下部組織」という位置づけとなっているUCIコンチネンタルサーキットの中のUCIヨーロッパツアーに組み入れられるという、事実上の「格下げ」処置を行うことになった。この他UCIはツール以外のプロツアー離脱レースについては全てヨーロッパツアーへと組み入れる方針を示していた。それは主催者グループ側に対する一種の「報復処置」の意味合いがあった。しかもUCIのこの処置については形の上ではジロ、ブエルタが例えば同じステージレースでありながらもツール・ド・スイスなどのプロツアー対象レースよりも格下になるということをも意味していた。

こうした一連のUCIの方策に対し、主催者グループ側は当然のことながら猛反発。またUCIもコンチネンタルサーキットのレースは現在最高カテゴリーは「HC」であるがジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャを含めたプロツアー離脱レースについてはHCを上回るカテゴリーの制定を検討した。しかし2008年1月2627日の両日にイタリアトレヴィーゾで行われた会談において主催者グループ側はプロツアー制度そのものを廃止し、一連の混乱を収拾するべく主催者グループ側主導による新制度の制定を2008年度シーズンから実施するよう改めて要求。UCIも形はともあれ大意では主催者グループ側の主張を認めるという懐柔策を打ち出しつつもプロツアー制度の維持とツール・ド・フランスについてはプロツアーライセンス取得全18チームの出場を義務付けたことに対し、ツール・ド・フランス主催者のASOが頑なに拒絶姿勢を示したことから物別れに終わった。しかもこの会談の不調は、グランツール以外のレースにも大きな影響を及ぼした。

[編集] 新シリーズの誕生

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

結局、2008年シーズンはジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャやいくつかのクラシックレースなどプロツアー離脱レースはその地位が未定なまま開催されたが、これらのレースの持つ伝統と格式ゆえか当初懸念されていた出場選手やレースの質の低下はあまり見られずに済んだ。またUCIと主催者グループの間で歩み寄りがなされた結果、2009年シーズンからはこれら離脱レースを含んだ新たなシリーズ「UCIワールドカレンダー」が開催された。

[編集] グランツールにおける主な記録

グランツールとしての公式的記録に関する事項は主に完全制覇(全ての大会で総合優勝を果たすこと)、同一年度に2つ以上大会を制覇すること、同一大会における主要3部門(総合優勝、ポイント賞、山岳賞)獲得、同一年度における全大会区間優勝達成などに集約されるが達成されたこと自体が困難であるという意味合いから同一年度に主としてツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアの2つのグランツールレース及び、ワンデイレースである世界選手権のいわゆるトリプルクラウンを達成した場合についても公式的記録事項とみなす場合がある。

[編集] 全グランツール総合優勝達成者

全ての大会で総合優勝を果たした選手。過去に5人の達成者がいる(達成順に列挙)。

ジャック・アンクティル フランス
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1957年 1961年 1962年 1963年 1964年
ジロ・デ・イタリア 2回 1960年 1964年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1963年
フェリーチェ・ジモンディ イタリア
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 1回 1965年
ジロ・デ・イタリア 3回 1967年 1969年 1976年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1968年
エディ・メルクス ベルギー
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1969年 1970年 1971年 1972年 1974年
ジロ・デ・イタリア 5回 1968年 1970年 1972年 1973年 1974年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 1973年
ベルナール・イノー フランス
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 5回 1978年 1979年 1981年 1982年 1985年
ジロ・デ・イタリア 3回 1980年 1982年 1985年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 2回 1978年 1983年
アルベルト・コンタドール スペイン
大会名 優勝回数 優勝年度
ツール・ド・フランス 2回 2007年 2009年
ジロ・デ・イタリア 1回 2008年
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1回 2008年

なお同一年度における全グランツール総合優勝達成者は2008年時点現在、1人もいない。

[編集] 「ダブルツール」に関連する記録

「ダブルツール達成」とは1949年にファウスト・コッピが初めて同一年度にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアで総合優勝を達成したことに起因して、以後もツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアの2つのレースを同一年度に制することに対する俗称として用いられてきた。しかし現在はブエルタ・ア・エスパーニャを含めた3つのグランツールレースのうち、同一年度に2つのレースを制覇したことへの意味合いに変わりつつある。

[編集] ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア

過去に7人の達成者がいる(達成順に列挙)。

ファウスト・コッピ イタリア
達成回数 達成年度
2回 1949年 1952年
ジャック・アンクティル フランス
達成回数 達成年度
1回 1964年
エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
3回 1970年 1972年 1974年
ベルナール・イノー フランス
達成回数 達成年度
2回 1982年 1985年
ステファン・ロッシュ アイルランド
達成回数 達成年度
1回 1987年
ミゲル・インドゥライン スペイン
達成回数 達成年度
2回 1992年 1993年
マルコ・パンターニ イタリア
達成回数 達成年度
1回 1998年

[編集] ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャ

過去に2人の達成者がいる(達成順に列挙)。

ジャック・アンクティル フランス
達成回数 達成年度
1回 1963年
ベルナール・イノー フランス
達成回数 達成年度
1回 1978年

[編集] ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ

過去に3人の達成者がいる(達成順に列挙)。

エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
1回 1973年
ジョヴァンニ・バッタリン イタリア
達成回数 達成年度
1回 1981年
アルベルト・コンタドール スペイン
達成回数 達成年度
1回 2008年

[編集] 同一レース主要3部門獲得者

同一レース主要3部門獲得とは総合成績、ポイント賞、山岳賞の3つの賞について同一レースでそのいずれにおいても1位になることを指す(いわゆる三冠)。過去に3人の達成者がいる(達成順に列挙)。

エディ・メルクス ベルギー
大会名 達成年度
ジロ・デ・イタリア 1968年
ツール・ド・フランス 1969年
トニー・ロミンゲル スイス
大会名 達成年度
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1993年
ローラン・ジャラベール フランス
大会名 達成年度
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1995年

[編集] 同一年度全グランツール区間優勝達成者

過去に3人の達成者がいる(達成順に列挙)。

ミゲル・ポブレット( スペイン
達成回数 達成年度
1回 1956年
ピエリーノ・バフィ( イタリア
達成回数 達成年度
1回 1958年
アレサンドロ・ペタッキ イタリア
達成回数 達成年度
1回 2003年

なおグランツールの山岳賞に関連する項目は山岳賞、ポイント賞に関連する項目はポイント賞を参照のこと。

[編集] トリプルクラウンに関連する記録

ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア両レースの総合優勝に加え、世界選手権の個人ロードレース種目も併せて同一年度に制覇することを俗に「トリプルクラウン」と呼ぶことがある。過去に2人の達成者がいる(達成順に列挙)。

エディ・メルクス ベルギー
達成回数 達成年度
1回 1974年
ステファン・ロッシュ アイルランド
達成回数 達成年度
1回 1987年

なお全てのグランツールレースへの同一年度出場が日程的に可能[8]となり、UCIプロツアーにおいてブエルタ・ア・エスパーニャがジロ・デ・イタリアと同格の位置づけをされていた上にレースの形態が違う世界選手権を同一視することは望ましくないという観点から考えると現在ではこのような呼び方は適当ではないと考えられている向きもある。但し達成そのものは非常に困難であり、俗称として今後も継承されていくものと考えられる。

[編集] グランツール歴代総合優勝者

ジロ・デ・イタリア ツール・ド・フランス ブエルタ・ア・エスパーニャ
1903年   モリス・ガラン  
1904年 アンリ・コルネ
1905年 ルイ・トゥルスリエ
1906年 ルネ・ポティエ
1907年 ルシアン・プティブルトン
1908年 ルシアン・プティブルトン
1909年 ルイジ・ガンナ フランソワ・ファベール
1910年 カルロ・ガレッティ オクタブ・ラピーズ
1911年 カルロ・ガレッティ ギュスタヴ・ガリグー
1912年 アタラチーム[9] オディル・ドフレイエ
1913年 カルロ・オリアーニ フィリップ・ティス
1914年 アルフォンソ・カルツォラーリ フィリップ・ティス
1915年 第一次世界大戦の影響により中止
1916年
1917年
1918年
1919年 コスタンテ・ジラルデンゴ フィルマン・ランボー
1920年 ガエターノ・ベローニ フィリップ・ティス
1921年 ジョバンニ・ブルネーロ レオン・シウール
1922年 ジョバンニ・ブルネーロ フィルマン・ランボー
1923年 コスタンテ・ジラルデンゴ アンリ・ペリシエ
1924年 ジュゼッペ・エンリッチ オッタビオ・ボテッキア
1925年 アルフレッド・ビンダ オッタビオ・ボテッキア
1926年 ジョバンニ・ブルネーロ ルシアン・ビュイス
1927年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1928年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1929年 アルフレッド・ビンダ モリス・ドゥワエル
1930年 ルイジ・マルキシオ アンドレ・ルデュック
1931年 フランチェスコ・カミュッソ アントナン・マーニュ
1932年 アントニオ・ペゼンティ アンドレ・ルデュック
1933年 アルフレッド・ビンダ ジョルジュ・スペシェ
1934年 レアルコ・グエラ アントナン・マーニュ
1935年 バスコ・ベルガマスキ ロマン・マース グスタフ・デロール
1936年 ジーノ・バルタリ シルベール・マース グスタフ・デロール
1937年 ジーノ・バルタリ ロジェ・ラペビー スペイン内戦の影響により中止
1938年 ジョバンニ・パレッティ ジーノ・バルタリ
1939年 ジョバンニ・パレッティ シルベール・マース
1940年 ファウスト・コッピ 第二次世界大戦の影響により中止
1941年 第二次世界大戦の影響により中止 フリアン・ベレンデーロ
1942年 フリアン・ベレンデーロ
1943年 第二次世界大戦の影響により中止
1944年
1945年 デリオ・ロドリゲス
1946年 ジーノ・バルタリ ダルマシオ・ランガリカ
1947年 ファウスト・コッピ ジャン・ロビック エドゥアール・バンディック
1948年 フィオレンツォ・マーニ ジーノ・バルタリ ベルナルド・ルイス
1949年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ 中止
1950年 ユーゴ・コブレ フェルディ・キュプラー エミリオ・ロドリゲス
1951年 フィオレンツォ・マーニ ユーゴ・コブレ 中止
1952年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ
1953年 ファウスト・コッピ ルイゾン・ボベ
1954年 カルロ・クレリッチ ルイゾン・ボベ
1955年 フィオレンツォ・マーニ ルイゾン・ボベ ジャン・ドット
1956年 シャルリー・ゴール ロジェ・ワルコビャック アンジェロ・コンテルノ
1957年 ガストネ・ネンチーニ ジャック・アンクティル ヘスス・ロローニョ
1958年 エルコーレ・バルディーニ シャルリー・ゴール ジャン・スタブリンスキ
1959年 シャルリー・ゴール フェデリコ・バーモンテス アントニオ・スアレス
1960年 ジャック・アンクティル ガストネ・ネンチーニ フランツ・デ・ムルダー
1961年 アルナルド・パンピアンコ ジャック・アンクティル アンジェリーノ・ソレール
1962年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ルディ・アルティヒ
1963年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル
1964年 ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル レイモン・プリドール
1965年 ビットリオ・アドルニ フェリーチェ・ジモンディ ロルフ・ウォルフショール
1966年 ジャンニ・モッタ ルシアン・エマール フランシスコ・ガビーカ
1967年 フェリーチェ・ジモンディ ロジェ・パンジョン ヤン・ヤンセン
1968年 エディ・メルクス ヤン・ヤンセン フェリーチェ・ジモンディ
1969年 フェリーチェ・ジモンディ エディ・メルクス ロジェ・パンジョン
1970年 エディ・メルクス エディ・メルクス ルイス・オカーニャ
1971年 ゴスタ・ペーテルソン エディ・メルクス フェルディナン・ブラック
1972年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1973年 エディ・メルクス ルイス・オカーニャ エディ・メルクス
1974年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1975年 ファウスト・ベルトリオ ベルナール・テブネ アウグスティン・タマメス
1976年 フェリーチェ・ジモンディ ルシアン・バンインプ ホセ・ペサロドーナ
1977年 ミッシェル・ポランティエール ベルナール・テブネ フレディ・マルテンス
1978年 ヨハン・デミュンク ベルナール・イノー ベルナール・イノー
1979年 ジョゼッペ・サローニ ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク
1980年 ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク ファウスティーノ・ルペレス
1981年 ジョバンニ・バッタリン ベルナール・イノー ジョバンニ・バッタリン
1982年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー マリノ・レハレタ
1983年 ジュゼッペ・サローニ ローラン・フィニョン ベルナール・イノー
1984年 フランチェスコ・モゼール ローラン・フィニョン エリック・カリトゥー
1985年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー ペドロ・デルガド
1986年 ロベルト・ヴィセンティーニ グレッグ・レモン アルバロ・ピーノ
1987年 ステファン・ロッシュ ステファン・ロッシュ ルイス・エレラ
1988年 アンドリュー・ハンプステン ペドロ・デルガド ショーン・ケリー
1989年 ローラン・フィニョン グレッグ・レモン ペドロ・デルガド
1990年 ジャンニ・ブーニョ グレッグ・レモン マルコ・ジョヴァネッティ
1991年 フランコ・キオッチョーリ ミゲル・インドゥライン メルチョル・マウリ
1992年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1993年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1994年 エフゲニー・ベルツィン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1995年 トニー・ロミンゲル ミゲル・インドゥライン ローラン・ジャラベール
1996年 パヴェル・トンコフ ビャルヌ・リース[10] アレックス・ツーレ
1997年 イヴァン・ゴッティ ヤン・ウルリッヒ アレックス・ツーレ
1998年 マルコ・パンターニ マルコ・パンターニ アブラハム・オラーノ
1999年 イヴァン・ゴッティ ランス・アームストロング ヤン・ウルリッヒ
2000年 ステファノ・ガルゼッリ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2001年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング アンヘル・カセーロ
2002年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング アイトール・ゴンザレス
2003年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2004年 ダミアーノ・クネゴ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2005年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング デニス・メンショフ[11]
2006年 イヴァン・バッソ オスカル・ペレイロ[12] アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007年 ダニーロ・ディルーカ アルベルト・コンタドール デニス・メンショフ
2008年 アルベルト・コンタドール カルロス・サストレ アルベルト・コンタドール
2009年 デニス・メンショフ アルベルト・コンタドール アレハンドロ・バルベルデ

[編集] 脚注

  1. ^ ジャック・アンクティルが確立したとされる
  2. ^ 詳細は1961年から1982年頃までのツール・ド・フランス各年度の項目を参照。
  3. ^ 例えばツールでしばしば山岳ステージで登場するラルプ・デュエズは登坂距離15.5kmで平均勾配7.9%、最大勾配11.5%【山岳チェック】第16ステージ、ラルプ・デュエズモン・ヴァントゥは登坂距離21.1km、平均勾配7.6%、最大勾配10.6%コースプロフィール。これに対し、2007年のジロで登場したゾンコラン峠は登坂距離10.1km、平均勾配11.9%、最大勾配22%コースプロフィール、2008年の第16ステージ山岳個人TTで登場したプラン・デ・コロネスは登坂距離12.85km、平均勾配8.4%、最大勾配24%、さらに後半5kmは未舗装路になっているコースプロフィールなど、登坂距離は短いものの勾配の厳しい山岳が多く登場する。
  4. ^ 2001年、2003年のジルベルト・シモーニ、2004年のダミアーノ・クネゴなど近年もピュアクライマーとされる選手が総合優勝した例があるシモーニをクライマーとしている記事の例クネゴをクライマーとしている記事の例
  5. ^ ちなみにジロ・デ・イタリアで山岳賞が設けられたのは1933年ツール・ド・フランスも同年に最初に山岳賞が設けられたが、開催時期の点でグランツールにおける最初の山岳賞制定はジロ・デ・イタリアということになる。初代山岳賞受賞者はアルフレッド・ビンダであるが、同時に5度目の総合優勝を達成。過去4回の総合優勝を達成した際にも山岳コースでは圧倒的な強さを示している。
  6. ^ とりわけイタリア人にとってみれば、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアは同格の存在であるという意識も影響しているようである。イタリアではツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを同一年に制した選手に対して、カンピオニッシモと呼ぶケースもあるようだがフランス人やスペイン人はそのような言い方はまずしない。[要出典]
  7. ^ 結局、このレースは開催されないことになった。
  8. ^ 1994年までは概ねブエルタが4月から5月、ジロが5月から6月の開催であったが両レースの日程間隔は非常に短く、年によっては日程が重複するケースもあった。
  9. ^ 個人優勝表彰としてはカルロ・ガレッティ、ジョバンニ・ミチェレット、エベラルド・パヴェシの3人が対象。したがってカルロ・ガレッティがジロ・デ・イタリア史上初の総合3連覇を達成した形となる。
  10. ^ 後日自身の口から当時禁止薬物を使用していたという告白がなされ、それに基づき国際自転車競技連合(UCI)がマイヨジョーヌの返還を求めている。[1]
  11. ^ 総合首位は当初ロベルト・エラスだったがレース後行われたドーピング検査の結果失格となり、同2位のデニス・メンショフが繰り上げ優勝となった。
  12. ^ 全レース終了後に行われたドーピング検査において、総合1位となったフロイド・ランディスの体内から多数の禁止薬物が検出された。これを受けランディスの総合優勝は保留とされ、その後公聴会などの調査が続けられた。1年以上に亘る調査の結果、2007年9月20日に「アメリカ合衆国反ドーピング機関」(USADA)が後日ランディスの総合1位記録を取り消し失格とする告知を出したことからオスカル・ペレイロの繰り上げ優勝はこの時点で決定的となった。21日には、UCIが正式にランディスの失格とペレイロの優勝を認定し優勝が決定。そして同年10月15日に総合ディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与された。[2]

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月23日 (水) 15:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【グランツール】変更履歴

ご利用上の注意