グレート・ウェスタン鉄道

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グレート・ウェスタン鉄道の紋章の楯
グレート・ウェスタン鉄道の最初の終着駅であった、ブリストル・テンプル・ミーズ駅(写真の左側の建物)
グレート・ウェスタン鉄道線に建設された土木構造物の1つで、当時レンガアーチ橋として最大のスパンをもっていたメインヘッド鉄道橋(Maidenhead Railway Bridge

グレート・ウェスタン鉄道(グレート・ウェスタンてつどう、 GWR: Great Western Railway)は、ロンドンイングランド南西部、南ウェールズ地方とを結んでいた、イギリスのかつての鉄道会社である。1833年に設立され、1923年の鉄道会社の4大グループ化(Railways Act 1921)でも独立を維持し、1948年国有化されてイギリス国鉄のウェスタン・リージョン(Western Region)となった。グレート・ウェスタン鉄道の路線に相当する現在の路線についてはグレート・ウェスタン本線を参照。

GWRという略称にちなんで、しばしば「神の素晴らしい鉄道」(God's Wonderful Railway)と呼ばれたり、あるいは初期の路線が目的地へ直進していなかったことから冗談で「大遠回り」(Great Way Round)と呼ばれたり、また支線のいくつかは必要な時に随時運行していたことから「準備ができれば出発」(Goes When Ready)と呼ばれたりしていた。また多くの人々を南西部の行楽地へ輸送していたことから「休日線」(Holiday Line)という有名な名前もあった。会社のよく知られた塗装は独特のもので、機関車はインディアン・レッド(indian red)の台枠(後に黒になった)に濃緑色(middle chrome green)の車体で、客車はチョコレートとクリームのツートーンであった。

1999年、この鉄道の歴史的な重要性を鑑みて、文化・報道・スポーツ省(Department for Culture, Media and Sport)はグレート・ウェスタン鉄道の一部をUNESCO世界遺産暫定リストに登録した[1]2006年現在、ブルネルの生誕200年を記念して、世界遺産への推薦はイングリッシュ・ヘリテッジによって支持され、2007年にユネスコによって審査されることになった[2]

目次

[編集] 草創期

ダニエル・グーチ設計の1840年製ファイア・フライの複製

グレート・ウェスタン鉄道は、ブリストルの商人が、ブリストル港をイギリスで第2の港、対アメリカ貿易では首位のとして維持し続けようと望んでいたことから始まった。次第にの規模が拡大し、ブリストルのエイボン川(River Avon)が泥で埋まりつつあったこともあって、ロンドンと1830年代鉄道で結ばれたリヴァプールが港として非常に有力になり、ブリストルの地位を脅かしていた。この問題に対してブリストルは、ロンドンの関係者と協力して、北西へ向けて建設されつつあった他の鉄道路線よりも前例のない優れた規格の鉄道路線を敷設することで対処しようとした。

1833年、会社はブリストルでの会合で設立され、1835年議員立法法人格を取得した。当時27歳のイザムバード・キングダム・ブルネルが技師として任命され、2つの賛否の分かれる決定を行った。1つは、7フィート広軌(実際には7フィート0.25インチ = 2,140mm)を採用して、巨大な車輪と高速での円滑な走行を目指したことで、もう1つはマールボロ・ダウンズ(Marlborough Downs)の北を通りテムズ川の渓谷に沿ってロンドンへ至る経路を選択したことで、そこには重要な町は何もなかったが将来的にオックスフォードグロスターへの接続の可能性があった。ロンドンとブリストルの間の全区間に渡って彼は自分自身で調査を行った。

G.T.クラーク(G. T. Clark)はこのプロジェクトに技術者として参加し、通説によればテムズ川に架かるアッパー・バシリドン(Upper Basilidon)とマウルスフォード(Moulsford)でのパディントン駅を含む2箇所の区間の監督を担当した[3]。大規模な土工作業に関わった事が、クラークの地質学考古学への関心を惹き起こしたと思われ、また後に匿名でグレート・ウェスタン鉄道に関する本を執筆し[4][5]、ジョン・クック・ボーン(John Cooke Bourne)のリトグラフによるイラストと共に、ブルネルのやり方と広軌への批判を行っている。

ブルネルが独自の設計で発注した初期の機関車は、スター・クラス(GWR Star Class)以外は満足できるものではなく、当時20歳のダニエル・グーチが機関車に関して責任を負う技師長に任命された。ブルネルとグーチは、ロンドンからの緩やかな上り勾配がバースへ向かって急な下り坂に変わる位置にある、スウィンドンを機関車工場に選定した。

[編集] 開業

ロンドン、パディントン駅からメイデンヘッド(Maidenhead)近郊のタプロー(Taplow)までの最初の区間は、1838年に開通した。ブリストル・テンプル・ミーズ駅までの全線は、1841年にボックス・トンネル(Box Tunnel)が完成したことによって開通した。

ロンドンのターミナル駅パディントン

それ以来、吸収合併と新規建設により、次第に路線網を形成していった。以下にリストを示す。年は開業日/合併日を示す。

  • チェルトナム・アンド・グレート・ウェスタン・ユニオン鉄道(Cheltenham and Great Western Union Railway): 1841-1845
  • オックスフォード鉄道(Oxford Railway): 1843/1844
  • ブリストル・アンド・エクセター鉄道(Bristol and Exeter Railway): 1844
  • サウス・デボン鉄道(South Devon Railway): 1844
  • バークス・アンド・ハンツ鉄道(Berks and Hants Railway): 1845/1846
  • オックスフォード・アンド・ラグビー鉄道(Oxford & Rugby Railway): 1845/1846
  • バーミンガム・アンド・オックスフォード・ジャンクション鉄道(Birmingham & Oxford Junction Railway): 1846/1848
  • バーミンガム・ウルバーハンプトン・アンド・ダッドリー鉄道(Birmingham, Wolverhampton and Dudley Railway): 1846/1848
  • ウィルツ・サマーセット・アンド・ウェイマス鉄道(Wilts, Somerset and Weymouth Railway): 1848-1857
  • サウス・ウェールズ鉄道(South Wales Railway): 1850-1856
  • ウェスト・コーンウォール鉄道(West Cornwall Railway): 1852
  • シュルーズベリー・アンド・バーミンガム鉄道(Shrewsbury & Birmingham Railway): 1846-1849/1854
  • シュルーズベリー・アンド・チェスター鉄道(Shrewsbury & Chester Railway): 1846/1854
  • ウルバーハンプトン・ジャンクション鉄道(Wolverhampton Junction Railway): 1852/1854
  • コーンウォール鉄道(Cornwall Railway): 1859-1863
List of early British railway companiesも参照

グレート・ウェスタン鉄道は、世界で最初の商業用電信線を運営していた。この線は、パディントン駅からウェスト・ドレイトン(West Drayton)までの13マイル(21km)あり、1839年4月9日に運用開始した。

1846年にはグレート・ウェスタン鉄道は、ケネット・アンド・エイボン運河(Kennet and Avon Canal)を買収している。

[編集] 軌間戦争

1892年の広軌廃止後に解体待ちとなっているグレート・ウェスタン鉄道の広軌の機関車

ブリストル・アンド・エクセター鉄道は、1844年にエクセターに到達し、ブリストル・アンド・グロスター鉄道(Bristol and Gloucester Railway)は同年グロスターに広軌で到達した。グロスターには既に標準軌のバーミンガム・アンド・グロスター鉄道(Birmingham and Gloucester Railway)(1841年開業)が開通しており、結果として軌間の断絶が生じて、グロスターを通過する全ての旅客と貨物は乗換が必要となった。

これが「軌間戦争」(gauge war)の始まりであり、結果として議会の軌間委員会により、標準軌の方が好ましいと正式に報告された。

これにくじけないグレート・ウェスタン鉄道は、ウェスト・ミッドランズ(West Midlands)への進出を推し進め、ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道(London and North Western Railway)と激しい競争を繰り広げた。バーミンガムへは1852年バーミンガム・スノーヒル駅で到達し(当初はバーミンガムではなくラグビー(Rugby)へ建設予定であった)、ウルバーハンプトン・ロー・レベル(Wolverhampton Low Level)(最北の広軌駅)、バーケンヘッド(Birkenhead)(標準軌の路線で)へは1854年に到達した。ブリストル・アンド・グロスター鉄道はミッドランド鉄道(Midland Railway)に1846年に買収され、1854年に標準軌に改軌されて、ブリストルへは三線軌の路線となった。1860年代までには軌間戦争は広軌の敗北が決定的となり、グレート・ウェスタン鉄道は標準軌のウェスト・ミッドランズ鉄道(West Midlands Railway)を買収してパディントンまで三線軌を1861年に延ばし、1869年までにはオックスフォードより北には広軌の路線はなくなった。

一方で、グレート・ウェスタン鉄道の中核地域ではさらなる建設が進められ、サウス・デボン鉄道(South Devon Railway)が1849年に開通して広軌でプリマスへ到達し、コーンウォール鉄道(Cornwall Railway)はロイヤルアルバート橋を建設してコーンウォールへ、そしてペンザンス(Penzance)に1867年に到達した。サウス・ウェールズ鉄道(South Wales Railway)はネイランド(Neyland)へ1850年に開通し、ブルネルの設計したワイ橋(Wye bridge)によって1852年にグレート・ウェスタン鉄道と連絡した。ウェールズからグロスターを経由してロンドンへ行くルートは遠回りであったため、セバーントンネル(Severn Tunnel)の建設が1873年に始められたが、湧水のために工事が遅れて開通は1886年になった。

この時期でも標準軌への改軌は続けられており、1876年にはエクセターへ三線軌が到達した。この頃になるとほとんどの改軌は三線軌を経由せずに広軌から直接標準軌へ行われるようになった。最後の広軌から標準軌への改軌は、1892年5月に一晩で実施された[6]

[編集] 20世紀に入って

その時点では既に重荷になっていた広軌がなくなり、一般的に保守的であったグレート・ウェスタン鉄道では1890年代には様々なサービスの改善が進んだ。食堂車の導入、三等車の改良、蒸気暖房の導入、急行列車の高速化などである。これは路線の責任者であったT.I.アレン(T.I. Allen)にかなりを負っており、他にも才能ある重役たちがエドワード朝時代の鉄道を率いていった。ビスカウント・エムリン(Viscount Emlyn)は1895年から1905年までの会長、サー・ジョセフ・ウィルキンソンは1896年から1903年までのゼネラルマネージャー、さらにかつて主任技師長(Chief Mechanical Engineer)だったサー・ジェームズ・イングリス(Sir James Inglis)がその後任となり、また主任技師長にはウィリアム・ディーン(William Dean)に続いてジョージ・ジャクソン・チャーチウォード(George Jackson Churchward)が就任して1902年から1922年まで勤めた[7]

[編集] インフラストラクチャー

1890年代後半から、会社は大金を新線の建設や、遠回りになっている現在の路線を短縮する改良工事に注ぎ込むことができるようになった[8]。主な路線は以下の通りである。

  • サウス・ウェールズとブリストルを直結する路線、ウートン・バセット(Wootton Bassett)からブリストル郊外のセバーントンネルの入口まで1903年に開通
  • バークス - ハンツ線(Berks and Hants line)の延長、レディング - タウントン(Taunton)間、西イングランドへのショートカットが1906年に開通
  • バーミンガム直結線、ロンドンからアインホー(Aynho)まで、主にグレート・セントラル鉄道(Great Central Railway)と連絡して1906年 - 1910年に開通
  • チェルトナム・アンド・ハニーボーン鉄道(Cheltenham and Honeybourne Railway、1906年)とノース・ウォーウィックシャー線(North Warwickshire line、1909年)、バーミンガムからストラトフォード・アポン・エイヴォンを経由してチェルトナムやブリストルへ行く新経路
  • スウォンジ・ディストリクト線(Swansea District Lines)、南ウェールズのスウォンジを迂回する線が1913年に開通

関連する工事として、大西洋横断航路の旅客を惹き付けるためにフィッシュガード港(Fishguard Harbour)の工事をしたり、バーミンガム・スノーヒル駅の本格的な改良をしたりした。

[編集] 新型機関車

1902年以降、G.J.チャーチウォード[9]は、9種類の標準機関車を設計し、平坦な上面を持つベルペア火室(Belpaire firebox)、傾斜したボイラー、長い煙室、ボイラー上部からの給水、長いラップとトラベルを備えた弁装置を備え、各形式間で共通の標準化部品を使っていた。これらの多くは、40、97、98、99、115の5両の実験機から開発された。これらから2800型、2900型3700型4000型などが開発された。これらの機関車は、イギリスにおいて蒸気機関車が消滅するまで設計に影響を与え続けた成功作だった。有名な機関車としては、イギリスで最初の車軸配置4-6-2(2C1、パシフィック)の機関車であるNo.111 ザ・グレート・ベア(GWR 111 The Great Bear)と、3700型の1両で初めて100マイル毎時(160km/h)を記録した機関車であるNo.3440 シティ・オブ・トルーロー(GWR 3700 Class no. 3440 "City of Truro")がある(ただしこの速度は公認されたものではない)。

チャーチウォードはスウィンドン工場の改造も手がけ、1.5エーカー(6,000m2)のボイラー組立工場と、イギリスで最初の定置蒸気機関車試験プラントを建設した。

[編集] 1923年のグループ化

第一次世界大戦の勃発により、他の主要な鉄道会社と共にグレート・ウェスタン鉄道は政府の支配下に入った。大戦後、政府は恒久的な国有化も検討したが、結局鉄道網を4大グループに強制的に合併させることを選んだ。1923年1月1日に実施されたグループ化で、グレート・ウェスタン鉄道は単独で存続した。

[編集] 構成会社

新しいグレート・ウェスタン鉄道は、以下のような会社から構成された。

  • グレート・ウェスタン鉄道: 3,005マイル(4,836km)
  • バリー鉄道(Barry Railway Company): 68マイル(109km)
  • カンブリアン鉄道(Cambrian Railways): 295.25マイル(475.1km)
  • カーディフ鉄道(Cardiff Railway): 11.75マイル(18.9km)
  • リムニー鉄道(Rhymney Railway): 51マイル(82km)
  • タフ・ベール鉄道(Taff Vale Railway): 124.5マイル(200.4km)
  • アレクサンドラ(ニューポート・アンド・サウスウェールズ)ドックス・アンド・レールウェイ(Alexandra(Newport and South Wales) Docks and Railway): 10.5マイル(16.9km)

合計でグレート・ウェスタン鉄道の路線は3,800マイル(6,116km)になった。

新しいグレート・ウェスタン鉄道に含まれた全ての鉄道の詳細はList of constituents of the Great Western Railwayを参照。

さらに1930年に狭軌のコリス鉄道(Corris Railway)も合併している。

[編集] その他の統計

引き継いだ多くの設備は南ウェールズの石炭輸送のためのものであった。これはグレート・ウェスタン鉄道にとって成功であると思われたが、実際には海軍の燃料としての石炭使用が減少したために石炭輸送は大幅に減少し、10年内にグレート・ウェスタン鉄道自身がウェールズ炭の最大の使用者となった。

[編集] 1920年代の新機関車

1920年代には、チャーチウォードの後継者チャールズ・コレット(Charles Collett)が設計した4073型(キャッスル型)、6000型(キング型)の有名な2形式が登場した。1930年代は困難な時代となり、キャッスルやキングによって打ち立てられた記録は他の会社によって塗り替えられていったが、それでも会社は不況にも拘わらず比較的よい財務状態を保ち続けた。

[編集] 第二次世界大戦後

[編集] 国有化

第二次世界大戦では再び政府の直接管理が行われ、戦後は労働党政権下で鉄道網の国有化が計画された。戦争で被害を受けたグレート・ウェスタン鉄道は、1948年1月1日にイギリス国鉄の一部となった。グレート・ウェスタン鉄道最後の重役の1人であるハロルド・マクミランは、1951年総選挙ウィンストン・チャーチル率いる保守党が労働党政権を倒す一助となり、後に彼自身も1957年に首相に就任した。

[編集] 保存

グレート・ウェスタン鉄道の伝統は、ディドコット鉄道センター(Didcot Railway Centre)、サウス・デボン鉄道トラスト(South Devon Railway Trust)、セバーン・バレー鉄道(Severn Valley Railway)、ペイントン・アンド・ダートマス蒸気鉄道(Paignton and Dartmouth Steam Railway)、グロスターシャー・ウォーウィックシャー鉄道(Gloucestershire Warwickshire Railway)、ディーン・フォレスト鉄道(Dean Forest Railway)、テルフォード蒸気鉄道(Telford Steam Railway)、ウェスト・サマーセット鉄道(West Somerset Railway)、ティスリー機関車工場(Tyseley Locomotive Works)など多くの保存鉄道で生きている。スウィンドン蒸気鉄道博物館(Swindon Steam Railway Museum)は、グレート・ウェスタン鉄道の歴史の展示のために開設されている。

[編集] 名前の復活

1990年代初頭の鉄道網の民営化に際して、西部方面への旅客輸送を行う列車運行会社の名前として「グレート・ウェスタン」の名前が復活した。運営は現在ファースト・グレート・ウェスタンの名で行われている。

[編集] 文化的影響

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの「雨、蒸気、スピード - グレート・ウェスタン鉄道」

グレート・ウェスタン鉄道は、ボブ・ゴドフレイのアカデミー賞を取った1975年のアニメーション映画「グレート」の中でその栄光を描かれている。映画の中ではブルネルの技術的な達成が描かれている。映画の中では、"GWR"という題の特別に作られた歌をバックグラウンドに、使われなくなって放置されたグレート・ウェスタン鉄道の機関車のシーンがある。

GWR, we've never been that far, Brunel has had his first success. When he drew up the plans, the company said yes, that's how they opened up the west, it's too spectacular, it's GWR!

グレート・ウェスタン鉄道は、英国放送協会の子供向けテレビ番組シリーズ「神の素晴らしい鉄道」(God's Wonderful Railway)でも取り上げられ、1980年に放送された。

子供向けテレビ番組シリーズ「きかんしゃトーマス」では、ダックオリバーがグレート・ウェスタン鉄道の機関車として登場しており、原作にも登場している。

マニック・ストリート・プリーチャーズのボーカリスト、ジェームズ・ディーン・ブラッドフィールズ(James Dean Bradfield)の最初のソロアルバムはザ・グレート・ウェスタン(The Great Western)という名前で、彼が故郷の南ウェールズからロンドンへ向かう旅行について歌っている。

[編集] 脚注

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  1. ^ UNESCO (2007)
  2. ^ Morris (2006)
  3. ^ James, B. Ll. (2004) "Clark, George Thomas (1809–1898)", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, accessed 21 August 2007
  4. ^ [Clark, G. T.] (1839) Guidebook to the Great Western Railway
  5. ^ [Clark, G. T.] (1846) The History and Description of the Great Western Railway
  6. ^ Clinker, C. R. (1978). New light on the Gauge Conversion. Bristol: Avon-AngliA. ISBN 0-905466-12-8. 
  7. ^ MacDermot, vol. 2
  8. ^ Norris, John; Gerry Beale, John Lewis (1987). Edwardian Enterprise: a review of Great Western Railway development in the first decade of this century. Didcot: Wild Swan Publications. ISBN 0-906867-39-8. 
  9. ^ Rogers, H. C. B. (1975). G. J. Churchward - A Locomotive Biography. London: Allen & Unwin. ISBN 0-04-385069-3. 

[編集] 参考文献

  • Bryan, T. (2004) All in a Day's Work: Life on the GWR, Ian Allan, ISBN 0-7110-2964-4
  • Great Western Railway (1904) Rules and Regulations - For the Guidance of the Officers and Men, Reprinted 1993, Ian Allan, ISBN 0-7110-2259-3
  • MacDermot, E.T. (1964) History of the Great Western Railway. Volume One: 1833-1863, Reprinted 1982, Ian Allan, ISBN 0-7110-0411-0
  • MacDermot, E.T. (1964) History of the Great Western Railway. Volume Two: 1863-1921, Reprinted 1982, Ian Allan, ISBN 0-7110-0412-9
  • Morris, S. (2006) God's Wonderful Railway on track to be world heritage site, Guardian Unlimited 7 July 2006, www site (2007年5月19日アクセス)
  • Nock, O.S. (1962) The Great Western Railway in the nineteenth century, Ian Allan
  • Nock, O.S. (1964) The Great Western Railway in the twentieth century, Ian Allan
  • Nock, O.S. (1967) History of the Great Western Railway. Volume Three: 1923-1947, Reprinted 1982, Ian Allan, ISBN 0-7110-0304-1
  • Tourret, R. (2003) GWR Engineering Work, 1928-1938, Tourret Publishing, ISBN 0-905878-08-6
  • UNESCO World Heritage Centre (2007) The Great Western Railway: Paddington-Bristol (selected parts), Tentative Lists Database, United Nations Educational, Scientific and Cultural Organisation, www site (2007年5月19日アクセス)
  • Vaughan, Adrian (1990), Signalman's Reflections, Silver Link Publishing, ISBN 0-947971-54-8

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月8日 (日) 13:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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