グロリア・アロヨ

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グロリア・マカレイグ・マカパガル=アロヨ
Gloria Macapagal-Arroyo
グロリア・アロヨ

任期: 2001年1月20日

出生: 1947年4月5日
リサール州en:San Juan, Metro Manila
政党: en:Lakas-Christian Muslim Democrats
en:Kabalikat ng Malayang Pilipino
配偶: ホセ・ミゲル・アロヨ

グロリア・アロヨ(Gloria Macapagal-Arroyo、グロリア・マカレイグ・マカパガル=アロヨ、1947年4月5日 - )は、フィリピン共和国第14代大統領(在任2001年1月20日 - )。学歴フィリピン大学経済学部博士課程修了学位経済学博士(フィリピン大学)

目次

[編集] 人物

アロヨとアメリカ海兵隊

フィリピンの第9代大統領ジョスダド・マカパガル(Diosdado Macapagal)の娘として生まれた。地元の高校卒業後、2年間アメリカジョージタウン大学に留学、ビル・クリントン米大統領とクラスメートだった。その後、帰国しフィリピン大学から経済学博士号取得、大学教員からアキノ大統領に抜擢されて貿易工業省局長に就任した。さらに同省次官を経て、1992年5月史上最高得票で上院議員に当選した。この間1968年にホセ・ミゲル・アロヨ(Jose Miguel Arroyo)と結婚し、3人の子を儲けている。

[編集] 大統領として

1998年デヴェネシア(De Venecia)大統領候補の副大統領として立候補したが、フィリピンの大統領選挙は正副大統領の選挙が別に行われるため、デヴェネシア候補は落選、アロヨは副大統領として当選した。同年6月エストラダ大統領(Estrada)の副大統領に就任し、2001年1月20日エストラダ大統領に対する弾劾が成立すると大統領に昇格した。これに対してエストラダ派からアロヨ大統領の正当性を疑問視する声が高まり、最高裁判所の判決が下りているにもかかわらず、デモ暴動反乱が起こった。アロヨ大統領は当初1期で退任の意向であったが、思い直して2004年の大統領選挙に再度立候補し、次点候補に100万票以上の差を付けて当選した。しかし、公金を選挙資金に流用した疑惑が浮上して対立候補と揉めたが、2004年6月24日、議会によって当選を認められ、同30日セブ島で大統領就任式を挙げた。

またアロヨはイラク戦争に際し、フランスドイツロシア中国が反対した中、数少ない支持者となった。そのため、反米団体で構成されるICTI(イラク国際戦犯民衆法廷)は、ジョージ・W・ブッシュトニー・ブレア小泉純一郎に加えてアロヨも起訴していた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
ジョセフ・エストラダ
フィリピン共和国大統領
2001 -
次代:

最終更新 2009年10月13日 (火) 11:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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