ケベック州

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ケベック州
le Québec
ケベック州の旗 ケベック州の州章
州旗 (州章)
モットー: "Je me souviens"
(英語:"I remember")
(フランス語:私は忘れない)
ケベック州の位置
基本データ
州花 イリス・ベルシコロル
Blue Flag Iris
州木 イエローバーチ
Yellow Birch
州鳥 シロフクロウ
州都 ケベック・シティ(ヴィル・ド・ケベック)
最大の都市 モントリオール
州の公用語 フランス語
面積
 - 総計
 - 陸地
 - 水域(割合)
最高標高
(国内第2位)
1,542,056 km²
1,183,128 km²
176,928 km² (11.5%)
1,652 m
人口2009年
 - 総計
 - 人口密度
(国内第2位)
7,782,561 
5.63 人/km²
GDP2006年
 - 州合計
 - 1人当たり
(国内第2位)
2,851億5,800万[1]カナダドル
3万7,278カナダドル
連邦政府加入
 - 順番
 - 加入年月日

1番目
1867年7月1日
時間帯 【西経63度以西】(大部分)
東部標準時(EST、UTC-5
東部夏時間(EDT、UTC-4

【西経63度以東】
大西洋標準時(AST、UTC-4
夏時間は採用していない。

略称
 - 郵便
 - ISO 3166-2
 - 郵便番号

QC
CA-QC
G H J
公式サイト www.gouv.qc.ca
行政
副総督 Pierre Duchesne
州首相 ジャン・シャレ
Jean Charest
自由党
カナダ議会
 -下院議席数
 -上院議席数

75
24

ケベック州: le Québec: Quebec)は、カナダ東部のの1つである。公式の綴りはフランス語公用語)、英語ともにアキュート・アクセントの付いたQuébecである。略語QC、Que.またはPQ(Province du Québecの略、現在はあまり用いない)。漢字による当て字で「貴壁」や「給卑克」と表記される。カナダ国内では唯一、フランス語のみを公用語に定めている。

総面積1,542,056平方キロ [1]、人口約778万人(2009年現在)[2]カナダの州・準州の中で、面積はヌナブト準州に次いで第2位。人口はオンタリオ州に次いで第2位。州都はヴィル・ド・ケベック(ケベック市)だが、州最大の都市はモントリオール。モントリオールはフランス語圏の都市としてはパリに次ぐ規模である。

目次

[編集] 歴史

主要記事:History of Quebec

[編集] 先コロンブス期

クリストフ・コロン(クリストファー・コロンブス)がアメリカ大陸に到達するまでは、この地域にはアルゴンキン族、(クリー族(Cree)、ミックマック族(Micmacs)含む)、及びイロコワ族、(モホーク族(Mohawks)含む)などの狩猟インディヘナが居住していた。また北部にはイヌイット族も居住していた。

[編集] フランス人の入植

1492年スペインカトリック両王の命を受けたジェノヴァ人の航海者クリストーバル・コロンイスパニョーラ島へ到達し、アメリカ大陸を「発見」すると、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が進み、ケベックにも1534年フランス王フランソワ1世の命を受けた探険家、ジャック・カルティエが到達した。カルティエはセントローレンス湾周辺を探検し、この地を「ヌーヴェル・フランス」(新フランス)と名付け、フランス王による領有を宣言した。

[編集] ラ・ヌーヴェル・フランス

1604年サミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベック(現在のケベック市)が建設された。ケベック植民地が創設されたことによりフランス人による開拓が進み、1642年にはヴィル・マリー(後のモントリオール)市が建設された。「ヌーヴェル・フランス」(北米フランス植民地)はミシシッピ川流域にまで及んだ。その後、イギリスとフランスの間での北米の覇権争いが続いた。

[編集] イギリスの支配

18世紀七年戦争(特に北米での戦争を「フレンチ・インディアン戦争」と呼ぶ)により、ケベックが英軍に占領されると、講和条約でイギリス領となった。当時のフランス系住民は約6万であった。しかし、英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められ、フランス色が残った。

このため、カナダは英語フランス語を国の公用語としているが、ケベック州では今日までフランス語のみが公用語となっている。

[編集] 連邦への加盟

1776年イギリスから独立したアメリカは、ケベックの反英感情の強さをテコに連邦参加を呼びかけていたが、当時のケベックの住民はアメリカよりはイギリスに付いていた方が得策と考えていた。1791年にケベックは、アッパー・カナダ(後のオンタリオ州)とロウアー・カナダ(後のケベック州)に分割された。1867年のカナダ自治領(Dominion of Canada)の成立により、ロウアー・カナダ植民地はケベック州となった。もともとかなり貧しい州で、社会的にも遅れていたため、近代化がなかなか進まなかった。経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、州予算も連邦政府に大きく頼っていた。フランス系の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に携わった。1920年代以降の、電力と非鉄金属などの重工業化もイギリス系とアメリカ資本を中心に行われた。産業化の過程で、商業に従事するイギリス系の人々との経済的格差が広がり、フランス系住民は「二級市民」として劣等意識を持つようになった。

[編集] 「静かな革命」

しかし、1960年代の州政府による一連の社会改革(公的部門を基にした経済自立戦略)は、英語系によるケベック経済の支配構造を変え始め、教会による教育・社会福祉への関与も州政府の役割に取り替えた。これは自由党ジャン・ルサージュ州首相がはじめた「静かな革命」と呼ばれるもので、民族主義と社民主義に動機付けられた。 1965年に、州民の年金と公共保険を扱うためのケベック貯蓄投資公庫(ケス・デポ)が設立されたが、同社は債券や株式への投資などを行っており、その後の州の経済発展に寄与している。また、同じ公的部門のハイドロ・ケベック電力公社は、北米で最も安い料金で消費者に電気を供給しているが、同社はアルミニウムのような産業を拡張するのを助けるために設立された。1976年まで職場において、ボスの言語は英語、労働者はフランス語とされ、企業内は英語に限られていた。

[編集] 現代のケベック

カナダからの分離主義的傾向が永年にわたってくすぶり、1970年には過激派ケベック解放戦線」のテロで州副首相が誘拐、殺害される惨事(オクトーバー・クライシス)も起こった。政治レベルでの連邦政府への反感も根強いが、独立を巡って1980年1995年に行われた住民投票では、2回とも否決された。1980年の住民投票では独立反対の割合が約60%。1995年の投票ではモントリオール市民、先住民ならびにメティス(先住民との混血者)たちの反対票が勝敗を決したものの、反対票の割合は約50.6%と賛成と反対の差が縮まっており、第3回目の住民投票が行われた場合はどうなるかわからない状況である。連邦主義の政治家の中には、「インディアン独立カード」を使ってケベックを牽制する者もいた。この背景には、社会的経済的主導権をフランス系住民が完全に握るべきだという主張と、フランス系住民の出生率低下・移民の増加による民族構成変化への不満がある。単純に見ると、独立運動は労働組合と地方の住民に根強い人気があり、不況になると勢いづき、景気が回復すると下火になる。

また、旧英領北アメリカ(British North America)法を踏襲した1982年のカナダ新憲法をケベック州のみが批准しておらず、これも火種のひとつとなっている。 なお、1967年にはモントリオール万国博覧会(EXPO'67)が開催されている。また、1976年モントリオールオリンピックも開催されている。

[編集] 政治

州議会では、事実上、独立派で左翼のケベック党と中道左派の自由党二大政党制が成立しており、民主行動党(保守)の支持は弱い。しかし、連邦議会選挙になると、自由党の票は新民主党(社民主義)に食われ、その結果独立派のケベック連合が議席数で漁夫の利を得る。なぜなら新民主党は、ケベック州議会選には参加せず、連邦選挙のみ候補者を立てているからである。

1970年代前半までは自由党とユニオン・ナショナル(保守)の二大政党制だった。

ケベック州の独立については、緑の党も含めて他のどの政党からも容認されていない。ケベック州民以外のカナダ人は、ケベックを国家のアイデンティティーにとって不可欠の要素の一つと考えている。

[編集] 地方行政区分

詳細は「ケベック州の地方行政区」を参照

[編集] 地理

主要記事:Geography of Quebec

南から西にかけてオンタリオ州と接し、西北部はハドソン湾に面する。北部は北極海に面し、ラブラドール半島の東北部はニューファンドランド・ラブラドール州ラブラドール地方となっている。東部は大西洋に繋がるセントローレンス湾に面し、ノバスコシア州アメリカ合衆国東北部に接する。最高峰はディバーヴィル山(1,622m)。南部には平野広がり、アメリカ合衆国との国境を形成しているオンタリオ湖からセントローレンス川を伝ってセントローレンス湾に水が流れ、大西洋に至る。州人口の大部分は州南部のセントローレンス川流域に居住している。北部はラブラドール半島に属し、タイガツンドラ、湖、川が広がる。人口は極僅かで、小さな集落見られる程度となっている。

また、セントローレンス湾にアンティコスティ島や、マドレーヌ諸島を領有している。

[編集] 主要都市

[編集] 経済

主要記事:Economy of Quebec

ケベックの経済はカナダの州では第2の規模であるが[3]、州民一人当たりのGDPは10番目に過ぎず、連邦政府からの移動支払いに助けられているのが実態である。カナダでは、地方の財政能力を等しくするため、あまり裕福でない行政区に支払いをするが、この平等化支払いプログラムで最大の受益者は常にケベック州民だった[4]。 2009–2010の会計年度におけるプログラムの総量はおよそ142億カナダドルで、その半分以上の83億5500万ドルがケベックに支払われている[5]。それでもケベック州政府は不満だと言い、さらに10億ドルの増額を要求した[6]

彼らの生活水準(一人当り購買力平価)はオンタリオ州より18%低く、北米全体では57番目である。就労人口の約4割が労働組合に属し、北米で二番目に高い最低賃金も雇用創出の足かせになってる。また、他のカナダ諸州と同様アメリカ合衆国との貿易に大きく依存しており、北米自由貿易協定の発効以後、ケベックの産業は痛みを伴う構造改革を強いられ、多角化せざるを得なかった。1976年以降の州政府によるフランス文化促進策を嫌って、約20万の英語を話す人材と多くの企業や投資資金がトロントなど他の地域に移転した。

[編集] 観光

[編集] リゾート地

[編集] 主な企業

ケベック州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。

[編集] 交通

[編集] 空港

[編集] 州民

ケベック州は植民地時代においてイギリスよりも先にフランス人の入植が始まったため、州民の圧倒的多数がフランス系であると考えられるが、国税調査では66.2%がカナダ人、30.8%はフランス人と答えている。

ケベック州は歴史的にイギリス人イタリア人アイルランド人ドイツ人スコットランド人ポーランド人中国人ユダヤ人レバノン人スペイン人ポルトガル人など多くの移民を受け入れており、近年では同じくフランス語圏であるハイチや、マグリブアルジェリアモロッコからの移民も多い。

また、先住民のインディオ諸部族や、混血者のメティスなども存在する。

[編集] 言語

ケベック州はカナダ、及び米州で最大のフランス語話者を擁する。

公用語フランス語ケベック・フランス語)のみだが、人口の約8%の州民の母国語英語である。イタリア語スペイン語アラビア語などの移民の言語も話されている。モントリオールとその周辺では英仏二か国語が話され、特にモントリオール西部はほぼ英語圏であり、多くの住民がバイリンガルもしくはトリリンガル。それ以外の多くの地域(イースタンタウンシップス地方では英語も話されている)ではフランス語しか通じない。ケベック独立運動が盛んになり始めた1970年代は英語系住民とフランス語系住民の対立が根強かったが、今では、二言語教育が盛んであり、英語を母国語とする住民はイマージョン・プログラムでフランス語を習得し、一方、フランス語を母国語とする住民は、就職に有利な英語をバンクーバーなどカナダの他の州へ留学して学ぶ人も多い。

ただ、言語の問題は微妙な問題であり、Bill101というフランス語を守る法律をめぐっては、英仏言語間の根深い問題をはらんでいて独立問題の大きな原因ともなっている。

2006年の国勢調査では、フランス語を母国語とする州民は5,877,660人で、そのうち3,770,910人はフランス語しか話さないが、残り2,105,815人は英語も話すバイリンガルと答えている[7]

[編集] 宗教

ケベック州民の大多数を占める、フランス系カナダ人やフランス人は自らのアイデンティティを守る精神的な支柱として、ローマ・カトリックを信仰しているため、ケベック州はカナダで最もカトリックが強力な州となっている。カトリックは州民の約83%によって信仰されている。

その他にはプロテスタント諸派、東方正教イスラム教ユダヤ教ヒンドゥー教シーク教ヴードゥー教が信仰されており、無宗教者もいる。

  • サン・ジョセフ礼拝堂 - ケベック州最大規模のカトリック教会。
  • サンタンヌ・ド・ボープレ大聖堂 - ケベック州2番目の大きさをもつカトリック教会。
  • 世界の女王マリア大聖堂 - ケベック州3番目の大きさのカトリックの教会。
  • ノートルダム大聖堂 - 北米で最も大規模なローマ・カトリック聖堂。

[編集] 教育

[編集] 大学

ケベック・シティ

  • ケベック大学 (Université du Québec)
  • ケベック大学州立行政学院 (École nationale d'administration publique)
  • ケベック大学州立科学研究所 (Institut national de la recherche scientifique)
  • ラヴァル大学 (Université Laval)

モントリオール

ガティノー

  • ケベック大学ウタウエ校 (Université du Québec en Outaouais)

サグネー

  • ケベック大学シクチミ校 (Université du Québec à Chicoutimi)

シェルブルック

トロワ・リヴィエール

  • ケベック大学トロワ・リヴィエール校 (Université du Québec à Trois-Rivières)

その他

  • ケベック大学アビチビ・テミスカミング校 (Université du Québec en Abitibi-Témiscamingue)
  • ケベック大学リムスキー校 (Université du Québec à Rimouski)

[編集] 文化

主要記事:Culture of Quebec

米州、及びフランス語圏でも最大級のフランス語都市であるモントリオールが文化の中心であり、ケベック文化が栄えている。

[編集] 食文化

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[編集] 文学

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[編集] 映画

モントリオールでは例年モントリオール国際映画祭 (WFF)が開かれる。

[編集] 音楽

クラシックの分野ではモントリオール交響楽団が有名である。ジャズの分野では毎年7月上旬開催、モントリオール国際ジャズフェスティバル (MIJF)約2週間で200万人の聴衆が集まる。

[編集] 世界遺産

ケベック州内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在する。詳細は、ケベック州の世界遺産を参照。

[編集] スポーツ

※ケベック・ノルディクス→コロラド・アバランチ

※モントリオール・エクスポズ→ワシントン・ナショナルズ

[編集] スポーツイベント


[編集] 著名な出身者

詳細は「ケベック人の一覧」を参照

[編集] その他情報

[編集] 脚註

  1. ^ Gross domestic product, expenditure-based, by province and territory
  2. ^ Statistics Canada. "Canada's population estimates 2009-26-03". 209-07-04 閲覧。
  3. ^ "Gross domestic product, expenditure-based, by province and territory". Statistics Canada (2009-04-27). 2009年10月27日 閲覧。
  4. ^ Claude Bélanger (1999). "Equalization Payments - Quebec History". Marianopolis College. 2009年10月23日 閲覧。
  5. ^ "Equalization Program". Department of Finance Canada (2009-01-01). 2009年10月23日 閲覧。
  6. ^ “[argues Ottawa shorted province $1B in federal budget]”. CBC News. (January 27, 2009). http://www.cbc.ca/canada/montreal/story/2009/01/27/mtl-qc-budget-reaction-0127.html 2009年10月27日 閲覧。 
  7. ^ "2006 Census of Population". Statistics Canada (06/12/2008). 2009-10-31 閲覧。

[編集] 参考文献

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月6日 (金) 23:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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