ケーエープロダクション
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | ケーエー |
| 本社所在地 | 〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋2丁目4番57号 |
| 電話番号 | 06-6623-4531 |
| 設立 | 1968年(昭和43年)4月 |
| 業種 | 芸能事務所 |
| 事業内容 | 芸能人のマネージメント及びプロデュース他 |
| 代表者 | 代表取締役 藤井康民 |
| 資本金 | 1000万円 |
| 関係する人物 | 秋田実 |
| 外部リンク | ケーエープロダクションホームページ |
ケーエープロダクション(KA Production)は、大阪市阿倍野区に本社を持つ芸能事務所。代表者は藤井康民。
目次 |
[編集] 沿革
戦後、阪急電鉄創業者である小林一三は、宝塚に宝塚新芸座を設立して、新たな演劇興行を模索していた。戦前吉本興業で漫才を創設した秋田実を招聘し、演芸と演劇を融合することに成功。ミヤコ蝶々、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケら看板芸人の活躍で好評を得た。しかし、「モダン寄席」を作る約束で秋田を呼んだ小林は次第に演劇指向になり、宝塚新芸座は軽演劇が主体になる。演芸指向の秋田は袂を分かつことになった。
こうして1956年ケーエープロダクションのルーツとなる事務所・上方演芸を秋田実と新芸座時代の部下であった藤井康民が設立。大阪難波の戎橋松竹、千日前の歌舞伎地下演芸場に芸人を供給することになった。1958年、松竹の斡旋でともに道頓堀角座に芸人を供給していた新生プロダクションと合併し、松竹新演芸(現在の松竹芸能)と改称するが、寄り合い所帯であるためか後に運営方針などで両派はしばしば対立していた。
その後、阿倍野に多く地所を持つ岸本ビルが、阿倍野再開発の一環として「モダン寄席」を設置することで秋田・藤井とで協定することとなり、松竹芸能から秋田一派が出て行く形で1968年に設立された。(ケーエーのKは岸本、Aは秋田を表すとされる。)
阿倍野に「モダン寄席」は設けられたものの、再開発事業等の見直しで閉鎖され、1969年、岸本ビルとも袂を分けた。同年東宝系列の梅田OSミュージックホール跡に開設した梅田トップホットシアターに、多くの芸人を供給することになる。同劇場には海原お浜・小浜、若井はんじ・けんじ、横山ホットブラザーズ、海原千里・万里らケーエープロ専属の漫才師や、米朝事務所所属の落語家等が連日舞台に出演していた。1976年に閉館。以後、吉本興業と松竹芸能に次ぐ、芸能プロダクションのひとつとして存在している。重鎮クラスと若手の知名度に大差があるが若手の頑張りと奮起が期待されるところである。
スタッフの田中宏治が独立しスパンキープロダクション設立。
[編集] 主な所属タレント
- 海原小浜
- 横山ホットブラザーズ
- 海原さおり・しおり
- 月亭可朝
- 立山センター・オーバー
- 若井りき・ゆうき
- T.AKIRA
- 朝宮真由
- ふうらいぼう。
- 浜野千春
- レモンスカッシュ
[編集] 過去に所属していたタレント
- 海原お浜・小浜(お浜の引退に伴うコンビ解消)
- 若井はんじ・けんじ(はんじの逝去に伴うコンビ解消)
- 海原千里・万里(結婚によるコンビ解散・引退。程なく千里は上沼恵美子の名前で芸能界に復帰し、他社所属タレントとして活動中)
- 海原かける・めぐる(めぐるは現在池乃めだかの名前で吉本新喜劇の舞台やタレントとして活動中。また、かけるは小浜の実子で、吉本興業所属の漫才師海原やすよ・ともこの実父。)
- 若井小づえ・みどり(現・吉本興業所属。小づえは1999年に他界)
- 海原はるか・かなた(現・松竹芸能所属)
- 大木こだま(現・吉本興業所属)
- 長江健次(現・オフィスアンテナ所属)
- イー☆リャン(オフィス北野に移籍、2008年12月23日で解散)
- 村上三奈
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月14日 (金) 09:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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