コシツェ

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コシツェ
Košice

大聖堂
市章
位置
コシツェの位置の位置図
コシツェの位置
座標 : 北緯48度42分58秒 東経21度15分41秒 / 北緯48.71611度 東経21.26139度 / 48.71611; 21.26139
歴史
最初に文献に
登場した年
1230年
行政
スロバキアの旗 スロバキア
 州 コシツェ州
 県 Košice I, Košice II,
Košice III, Košice IV
 市 コシツェ
市長 František Knapík
地理
面積  
  市域 242.77km2
標高 206m
人口
人口 (2006年現在)
  市域 234,596人
    人口密度   966人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間UTC+1
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間UTC+2
郵便番号 040 00
市外局番 +421-55
ナンバープレート KE
公式ウェブサイト : www.kosice.sk
国立劇場と街の風景

コシツェKošice, ハンガリー語Kassa, ドイツ語Kaschau, ラテン語:Cassovia)はスロバキア第2の都市。人口は約24万2千人(2001年)。女子テニス選手マルチナ・ヒンギスの出生地。

2013年欧州文化首都になることが決定している。

目次

[編集] 地勢・産業

スロバキア東部に位置する代表的な工業都市。ホルナート川沿いに位置する。ハンガリー国境まで約20キロ、ウクライナの国境まで80キロ程度。近隣の都市としては、約30キロ北にプレショフ、75キロ南西にハンガリーのミシュコルツ、80キロ東にウクライナのウジホロドが位置している。

[編集] 歴史

1290年、ハンガリー王国のもとで都市として認められた。交易路の要衝に位置したため、中世より商工業が発展した。第一次世界大戦後、トリアノン条約によってチェコスロバキア領となるが、1938年よりハンガリーに編入された。第二次世界大戦末期にはコシツェ臨時政府が建てられ、第二次世界大戦後における社会主義政権の方針を定めた「コシツェ政府綱領」が出された。1993年のチェコ・スロバキア分離にともない、スロバキア領となった。

[編集] 統計

コシツェは2006年12月の調査で235,596人の人口がある。2001年調査によれば、人口の89.1%がスロバキア人、3.8%がハンガリー人、2.1%がロマ人、1.2%がチェコ人、0.5%がルシン人、0.5%がウクライナ人である。信仰は、58.3%がカトリック教会、19.4%が無宗教、7.パーセントが東方典礼カトリック教会、4.1%がルーテル教会である[1]

[編集] コシツェ出身の著名人

[編集] 姉妹都市

[編集] 参照

  1. ^ "Municipal Statistics". Statistical Office of the Slovak republic. 2008-02-17 閲覧。

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月24日 (火) 13:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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