コマンド部隊
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コマンド(英: commando)は、軍事用語で、主に突撃作戦を前提に編成され他にも奇襲・後方撹乱・偵察などを目的とする部隊のこと。通常、常備軍の中から精神力や身体能力の高い者を選抜されたエリート部隊、もしくは特殊部隊であることが多い。イギリスでは空挺および海挺の潜入作戦と破壊工作を主とするSASおよびSBSは小数あるいは単一の兵隊による行動を前提としておりこれらは「SpecialService」と呼ばれ区別される。コマンドはある一定規模の攻撃による敵陣突破、奇襲・後方撹乱などの作戦の遂行を前提としており最低でも数十人の部隊で行動する。
第二次世界大戦のナチス・ドイツの浸透突撃部隊であったStoßtruppenも機能上でコマンド部隊として分類される。有名なコマンド部隊としてイギリス軍のコマンド部隊やアメリカ陸軍のデルタフォースなどが挙げられる。近年は常備軍の中にあって対テロリスト部隊としての役割が与えられている。
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[編集] 語源
コマンドの語源はオランダ植民地支配下の南部アフリカ語(アフリカーンス語)で、部族対立の際に部族の中でコマンド・指揮つまり指揮系統における一部隊を結成したことに由来する。欧米語においてコマンドとは一部隊の名称でもある。第二次ボーア戦争当時の1900年においてボーア軍が動員した75,000人のオランダ系白人コマンドがゲリラ戦により、イギリス軍450,000人を効果的に引き付けたとされている。
[編集] 近代戦におけるコマンド部隊
[編集] 第二次世界大戦欧州戦線における例
- ドイツ軍ブランデンブルク部隊による後方攪乱
- ドイツ軍のハラルト・モルス率いる部隊によるイタリア首相ムッソリーニの救出作戦
- イタリア海軍コマンド部隊によるアレクサンドリア港攻撃
- イギリス軍に支援されたコマンド部隊によるノルウェーにおけるドイツの重水製造施設の破壊工作
- 1942年、アメリカ軍レンジャー部隊による北アフリカ西部侵攻戦での支援
[編集] 第二次世界大戦太平洋戦線における例
大日本帝国陸・海軍が大東亜戦争(太平洋戦争)で実施した作戦のうち、コマンド部隊を用いた例としては、終戦間近の1945年5月25日、義烈空挺隊による米軍占領下の沖縄県読谷飛行場に九七式重爆撃機を胴体着陸させ、航空機39機を破壊し、航空燃料の焼却に成功した例がある(侵入に成功した義烈隊は全滅)。 そのほか、現場レベルでのコマンド部隊的な活動が行われたことはあるが、コマンド部隊として、装備や訓練などを施して行われた上での事例としてはこの一例が成功した例としてアメリカ側戦史に記載されている。 (詳しくは義号作戦を参照)
イギリス連邦のオーストラリア軍・ニュージーランド軍・在豪イギリス軍が参加した「Zフォース」は、主にシンガポール停泊中の日本船を少人数で襲撃して戦果を挙げ、1943年9月26日のジェイウィック作戦では7隻の日本船を沈めることに成功し全員が無事帰還を果たしている。また、1944年10月10日に実施されたリマウ作戦では停泊中の日本船3隻を沈めたところで参加したZフォースのメンバー23人中13人が射殺、残る10名も翌年5月までに全員が逮捕されている。
[編集] 派生語
英語で"going commando"又は単に"commando"と言うとズボンの下に何もはいていない状態を指すスラングとして用いられる(主として米英加)。これは、アメリカのコマンド部隊で洗濯の手間を省くためパンツをはかない習慣が広まったことから言われるようになった。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年9月5日 (土) 23:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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