コリアンアメリカン
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| コリアンアメリカン、韓国系アメリカ人 한국계 미국인、재미교포 |
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| 上段左から ハーバード・チョイ、マーガレット・チョー、ミシェル・ウィー、ピーター・S・キム |
| 総人口 |
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1,555,293(総人口の0.5%(2007年調査[1])) |
| 居住地域 |
| アメリカ西海岸、アメリカ南部、ニューヨーク都市圏、ハワイ州 |
| 言語 |
| アメリカ英語、朝鮮語 |
| 宗教 |
| キリスト教(プロテスタント)、仏教 |
| 脚注 |
コリアンアメリカン (Korean American) は朝鮮半島に血統的由来を有するアメリカ合衆国の住民。日本語や韓国語では大韓民国に血統的由来を有する米国民だけを指して韓国系アメリカ人(かんこくけいアメリカじん、한국계 미국인)と言うことが多い。大半が韓国系アメリカ人であるが、韓国成立以前の朝鮮から移民してきた人、中国朝鮮族(韓国系中国人)出身者、北朝鮮からの亡命者又は脱北者なども若干名存在する。韓国籍の人だけを指して在米韓国人ともいう。
目次 |
[編集] 現状
2005年の米国国勢調査ではコリアンアメリカンは約140万人とされ、そのうち約100万人は市民権を持たない、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州に集中する。また2003年の韓国外交通商部(省)の発表では韓国系アメリカ人および在米韓国人の総数は 2,157,498人とされている。
移民の波は1980年代から爆発的に始まり現在も続いており、年約2万人近くが移民している。韓国は現在アメリカ移民の出身国9位であり北米地域を除くとインド、中国、フィリピンに次いで多い。冷戦体制の崩壊や韓国の経済成長により、近年は韓国の教育制度を嫌い子弟に早期英語教育を受けさせるために移民する「教育移民」が増加している。ちなみに2000年の米国国勢調査によれば、日系アメリカ人の総数は約122万人程度で、もっとも人口が集中している都市は、カリフォルニア州の40万人とハワイ州の30万人である。これは主に19世紀後半の移民による。
韓国移民が集まる町にはキリスト教会が建てられ、韓人会が組織される。また自営業者が多いので、米国商工会議所に韓人支部が設けられることもある。韓国移民の大規模集住都市では韓国系のラジオ・テレビ局が設立され、韓国語放送を行っている。
[編集] 歴史
[編集] 第1期
朝鮮と米国の外交関係は1882年の米朝修好通商条約(翌年批准)によって開始され、1903年1月13日には朝鮮から米国への最初の移民103人がハワイに到着した。第1期のハワイ移民は韓国内の米国系キリスト教会によって組織されたため、クリスチャンが多く、日系人同様、大部分は砂糖キビ農園で働いた。しかし、1905年に日本が大韓帝国の外交権を掌握すると、米国への移民は規制され、集団移民は停止した。この時期に約7千人がハワイへ移住し、大部分は男性労働者であった。ただ1924年まで写真見合いによって約1,000人の女性が個別に米国へ渡航した。(英語でピクチャー・ブライドという。)
1904年から1907年にかけて約1,000人の韓国人がハワイからサンフランシスコに渡り、移民の波は米本土に広がった。1909年にはサンフランシスコで最初の韓国人政治組織である韓人協会が設立され、のちに日本の植民地支配に対する抵抗を訴えるに至った。
[編集] 第2期
朝鮮戦争終結から第2期の移民の波が始まる。1952年の移民国籍法では韓国に対して年間100人の移民枠が割り当てられた。1953年から1963年にかけての第2期の移民は米軍人と結婚した韓国人女性や養子として引き取られた戦争孤児であった。この時期に養子として海を渡った者は約5000人、米国軍人の配偶者の場合は約6000人と推定されている。ただ、軍人の妻にしても養子にしても最初からアメリカ人の被扶養者として入国するので、移民として扱われず、正確な統計は掴めない。
海外へ引き取られる韓国人養子(en)の問題はこれまでほとんど注目を集めなかったが、1991年にスウェーデンの韓国人養子を取り上げた映画『スーザン・ブリンクスーアリラン』(日本題:スーザンブリンクのアリラン)が公開されて韓国内でも大きな反響を呼び、1998年に金大中大統領が海外の成人養子29人を青瓦台に招待して、韓国が育てられなかったことを公式に謝罪した。
また1945年から1965年の20年間に留学生として約6000人がアメリカの大学に入学したが、その9割以上は永住資格や市民権を得てアメリカに残った。
[編集] 第3期
1965年の米国移民法改正によって韓国移民が米国に入りやすくなった現在までが第3期である。移民法改正後、米国はベトナム戦争に協力した韓国を同盟国として扱い、比較的大きな移民枠を設けた。1965年の韓国系アメリカ人数は約2.5万人であったが、1970年には5万人、1980年には35.7万人、1990年には70万人と膨れ上がった。とりわけ1980年代に約35万人が韓国から米国に渡っている。
この時期の移民は経済的理由だけでなく、北朝鮮との戦争の危険や国内の軍事独裁政権を嫌って移民する者も多かった。このため、韓国人移民は単身労働者ではなく、本国で貯蓄したある程度の資金をもって家族ぐるみで渡航する傾向が見られる。米国各地にコリア・タウンが形成され、"パパママショップ"と呼ばれる低所得者向けの個人商店や、クリーニング屋に従事する者が多い。
[編集] 米国社会との関係
[編集] ロス暴動
コリアン・アメリカンは非WASP系アメリカ人との衝突が多いことで知られている。
その原因については「韓国系住民は祖国で蓄えた資金を携えて渡航したために経済基盤がある程度はあったのが、成功することによって更に豊かになることができたため、米国内での地位も向上し、それによって他の貧しい有色人種や非WASPからの嫉妬を惹起した」とする見方と「コリアンアメリカンが有色人種への差別意識を露骨に表し続けた為」との見方がある。
しかし韓国系が大量流入する以前から日系中国系インド系等のアジア系がいたが、白人からの差別はあっても、有色人種間での大規模な摩擦は起こっていない。そのため、現在では後者の見方が有力である。コリアンアメリカンは主に競合のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。黒人からは「自分達を差別しながら商売するヤツラ」というイメージがついており、そうした日頃の黒人の韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている[2]。両者の間に感情的対立・衝突があったことはアイス・キューブの「BLACK KOREA」や映画the L.A. Riot spectacular、あるいはドラマLOSTなどからも窺える。
またKoreanという語が黒人差別者(ラテン系もまた)としての差別的意味合いを持つようになり、アパートやビルの賃貸・売却広告または名称に使ってはいけないというアメリカ連邦法院による仮処分命令が下されたことからも、ことの経緯は十分に推して量れる。
1992年4月29日にロサンゼルスのダウンタウンで起きた暴動(ロス暴動)において黒人の暴徒が放火や略奪を繰り広げた。五日間の騒ぎで死者は五十五人。千百以上の建物が炎上または崩壊した。その中で韓国系商店が占める割合が高かったのは、先の理由によるということが容易に推察できる。武装強盗に対して拳銃で自己防衛に出る韓国系住民の映像がテレビ放映されるなど、コリアンアメリカンの存在は大きくクローズアップされた。しかし実際には、暴動の被害者は韓国系住民だけではなくヒスパニックやインド系住民も含まれ、加害者側も黒人・ヒスパニックばかりではなくアジア系の移民も参加していた。この悲劇によって、アメリカ社会の人種間の軋轢が、従来の「白人vs有色人種」というお決まりの構図に留まらず、有色人種同士の中にも存在することを浮き彫りにする結果となった。
[編集] バージニア工科大学銃乱射事件
2007年4月16日、バージニア州ブラックスバーグのバージニア工科大学で起こった銃乱射事件の犯人が永住権を取得した韓国人であったこともあり、韓国系住民に対しての差別が懸念された。だが、報道機関などでは、韓国系であることは事実として述べたものの、差別的な報道をすることはなかった[3]。
詳しくは「バージニア工科大学銃乱射事件」を参照。
[編集] アフリカ系アメリカ人による韓国系アメリカ人の評価
黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」は「記者は生まれてこのかた韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視を手厳しく批判。また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。韓国企業を顧客に法律事務を担当した経験もあるM・カルフーン博士(現在日本で日本社会について研究中)は、「日本人と韓国人はまったく似て非なる人種。韓国人は妥協するとか、相手の意見を聞こうとかしない点で日本人とは大違いだった」と指摘している[要出典]。
前述のようにKoreanはアパートやビルの賃貸・売却広告または名称に使用する事を禁止されており、アフリカン・アメリカンの、コリアン・アメリカ人に対する不信感が伺える。
[編集] 単一民族国家意識
韓国人街は『禁煙規定や酒類販売規制が守られない無法地帯』と指摘され、黒人街に店を開いてヒスパニックを雇い、ロス暴動以降は報復のように『黒人立ち入り禁止』という看板が見られるようになった。
アメリカではアフリカ系を除き、ヨーロッパ系やアジア系、先住民の間で混血化が進んでいるが、韓国系コミュニティでは単一民族国家意識が強く、混血児を差別する傾向が見られる。ハインズ・ウォードは韓国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人のハーフであり、韓国またアメリカの韓国人社会での差別を訴えていた。
フルブライト・プログラムで渡米し、その後日本へ帰国した落合信彦はコリアンアメリカンの特徴として、①ハングリーで危険を顧みない。②家族の結束が強く、家族経営の店舗運営する者が多い。③排他的で他のエスニックグループ(民族ルーツ)との交流が比較的少ない。④一儲けして帰国する者が多い。⑤自己主張が強く、激しい。と分析している[2]。
[編集] 対日感情
韓国系アメリカ人には祖国と日本の間の歴史的経緯に由来する反日感情があり、アメリカ国内でそれを噴出している傾向がある。
[編集] 信仰
コリアン・アメリカンの大多数がプロテスタント教会に所属している。そのうち約半数が長老派教会、約1/4がメソジスト派教会、残りの約1/4がその他の諸派である。
[編集] 著名人
著名なコリアンアメリカンとしては1992年にコリアンアメリカンとして初めて米国議会に当選したジェイ・キム、連邦控訴院裁判官を勤めたハーバート・チョイや、1995年にヘミングウェイ賞を受賞した作家のチャンネ・リーなどがいる。 また韓国歌手としても活躍するリナ・パークもカリフォルニア生まれの韓国系米国人である。また俳優のダニエル・ヘニー、リンキン・パークのジョゼフ・ハーンやゴルフ選手のミシェル・ウィー、2006年スーパーボウルMVPのハインズ・ウォード、北海道日本ハムファイターズのターメル・スレッジなどがいる。
[編集] 出典
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 米洲韓人會 總聯合會(韓国語、英語)
- 韓国系アメリカ人博物館(英語)
- アリラン(아리랑) - 韓国系アメリカ人の歴史(英語)
- Korean American Heritage Foundation(英語)
- アジアの孤立派?韓国人
- 在米韓国人
最終更新 2009年11月21日 (土) 05:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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