ワシントンD.C.

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ワシントンD.C.
Washington, District of Columbia

ワシントンD.C.市街
市旗 市章
愛称 : 「DC"、"特別区(The District)」
標語 : "すべてに正義(公平)を"
"Justitia Omnibus(Justice for All)"
位置
ワシントンD.C.の位置の位置図
ワシントンD.C.の位置
座標 : 北緯38度53分42.4秒 西経77度02分12.0秒 / 北緯38.895111度 西経77.036667度 / 38.895111; -77.036667
歴史
首都移転 1800年
行政
アメリカ合衆国
  (連邦政府直轄地)
 市 ワシントンD.C.
市長 エイドリアン・フェンティ
民主党
地理
面積  
  市域 177.0km2(68.3mi2
    陸上   159.0km2(61.4mi2
    水面   18.0km2(6.9mi2
      水面面積比率     10.2%
標高 0-125m(0-410ft
人口
人口 2000年現在)
  市域 572,059人
    人口密度   3,597.9人/km2(9,316.9人/mi2
  都市圏 4,796,183人
その他
等時帯 東部標準時UTC-5
夏時間 東部夏時間UTC-4
公式ウェブサイト : District of Columbia

ワシントンD.C.Washington, D.C.)は、アメリカ合衆国首都である。正式名称はワシントン・コロンビア特別区(ワシントン・コロンビアとくべつく、Washington, District of Columbia)という。ワシントン市という表記がなされることもある。同国東海岸ポトマック川河畔に位置する。国際的に強大な政治的影響力があり、2008年には、グローバリゼーションと世界都市の研究グループおよびネットワーク(GaWC)により、第2級世界都市+に選ばれている[1]

目次

[編集] 概要

"D.C." は "The District of Columbia"(コロンビア特別区)の略で、南アメリカコロンビア共和国と同様、アメリカ大陸の「発見」者クリストファー・コロンブスにちなんだ名である。日本のマスメディアなどでは、ワシントンD.C.のことを単に「ワシントン」と呼び、ワシントン州のことはワシントンD.C.との混同を避けるべく常に「州」を付して「ワシントン」と呼ぶのが一般的である。なお、漢字による当て字は華盛頓で、華府と略す。

コロンビア特別区は1790年7月16日に設立された。ワシントン市(The City of Washington)はコロンビア特別区内の独立した地方自治体であったが、1871年の連邦法により、この領域全体を統治する単一の政府が設立され、ワシントン市とコロンビア特別区が統合された。

ポトマック川の北岸に位置し、南西をバージニア州に、その他の方角をメリーランド州に接している。人口は572,059人(2000年国勢調査[2]であるが、労働時間帯には近郊からの通勤者により100万人を超える。ワシントンD.C.を中心に、メリーランド州、バージニア州北部、さらにはウェストバージニア州の極東部2郡をも含む首都圏は4,796,183人(2000年国勢調査)[3]の人口を抱え、アメリカ合衆国内で7番目に人口の多い都市圏である。北東約65kmにはワシントンD.C.より人口規模の大きい、メリーランド州の最大都市ボルチモア(人口651,154人、2000年国勢調査[4])が位置している。ボルチモアとワシントンD.C.の都市圏をあわせたボルチモア・ワシントン複合都市圏(正式名称: ワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏[5])の人口は7,572,647人(2000年国勢調査)を数える。

アメリカ合衆国憲法1条により、各州とは別に、恒久的な首都としての役割を果たすため連邦の管轄する区域が与えられている。アメリカ合衆国政府の三権の最高機関(大統領官邸である「ホワイトハウス」、連邦議会議事堂連邦最高裁判所)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、多くの国の記念建造物や博物館(スミソニアン博物館など)も置かれている。同市のナショナル・モールにおける博物館群は質・量ともに世界でもトップクラスであり、観光資源にもなっている。ポトマック川の河畔にあるの木々は、アメリカ合衆国内で有数の桜の花見の名所である。

172か国の大使館に加え、世界銀行国際通貨基金(IMF)、米州機構(OAS)、米州開発銀行、汎アメリカ保健機関(PAHO)の本部も置かれている。労働組合、ロビー団体、職業組合など、各種団体の本部もある。

連邦議会がワシントンD.C.における最高権限を有しているので、同区の居住者は各州の居住者と比べ自治権を与えられていない。連邦議会に関してワシントンD.C.は、下院に本会議での投票権を有しない市代表(代議員)を選出しているものの、上院議員の議席は与えられていない。ワシントンD.C.が州であったとすれば、面積ではロードアイランド州に後れて最下位、人口では最下位から2番目(最下位はワイオミング州)であるが、人口密度では1位、州民総生産では35位、また黒人の比率では1位であり、国全体のマジョリティ(非ヒスパニック系白人)とマイノリティとは反転している。

首都としての機能を果たすべく設計された、計画都市である[6]

現在、ワシントンD.C.においては死刑制度が廃止されている。

[編集] 歴史

詳細は「ワシントンD.C.の歴史」を参照

アメリカ合衆国憲法第1条第8節第17項によって、連邦議会にアメリカ合衆国の首都を設立する権限が与えられた。同条によれば、「ある州が譲渡し、連邦議会が受諾することにより、合衆国政府の所在地となる地区(ただし10マイル四方を超えてはならない)」が認められた[7]ジェームズ・マディスンは、1788年1月23日の『ザ・フェデラリスト』第43篇で、合衆国の首都は、その持続と安全のため、各州からは別個のものとすべきだとして、連邦の管轄する区域の必要性を説明した[8]。1783年には、フィラデルフィアに置かれていた連邦議会に対し、兵士らの暴動により攻撃が加えられたことも、合衆国政府が安全に配慮する必要性があることを強調することとなった[9]

憲法は新たな首都の場所を特定していなかったが、マディスン、トーマス・ジェファーソン及びアレクサンダー・ハミルトンの3人は、1790年、首都を南部に置くことを条件に、合衆国が州の発行した戦時負債を肩代わりするとの合意に達した(後に1790年協定として知られる。)[10]

ピエール・シャルル・ランファンによるワシントン市の計画図

1790年7月16日、合衆国首都設置法(The Residence Act)により、新しい恒久的な首都がポトマック川河畔に置かれることになり、詳細はジョージ・ワシントン大統領により選定されることとなった[11]。当初の形は、合衆国憲法により認められていたとおり、一辺が10マイル(16 km)のダイヤモンド型で、100平方マイル(260 km2)であった。新首都建設のためメリーランド州バージニア州が領土の一部を割譲し、新しい「連邦の市」はそのうちポトマック川の北岸に建設されることとなった。もっとも、同じ100平方マイルの地区内には既に二つの独立した自治体(1749年に設立されたアレクサンドリア市[12]と、1751年に設立されたジョージタウン[13])があった。1791年9月9日、この連邦の市はジョージ・ワシントンに敬意を表してワシントン市と命名され、この100平方マイルの地区全体はコロンビア区 (Territory of Columbia) と名付けられた[14](コロンビアは、当時合衆国を指す詩的な名称として使われていた言葉である。)。連邦議会は、1800年11月17日、ワシントンで最初の議会を開催した[15]

1801年のコロンビア特別区基本法 (The Organic Act) により、正式にコロンビア特別区が編制され、アレクサンドリア市、ジョージタウン市、ワシントン市を含む連邦の管轄地域全体が、連邦議会の排他的支配下に置かれた[16]。さらに、特別区内で自治体に組み込まれていない領域は、二つの郡 (county) に組織された。すなわち、ポトマック川北岸のワシントン郡と南岸のアレクサンドリア郡である。同法制定後は、特別区内の市民はメリーランド州やバージニア州の住民ではなくなり、議会の代表権もなくなることとなった[17]

19世紀のフォード劇場。1865年リンカーン大統領暗殺の場となった。

米英戦争の中、1814年8月24日から25日にかけて、イギリス軍がアメリカ軍によるヨーク(現在のトロント)焼き討ちの報復として首都を焼き討ちした。議会議事堂財務省ホワイトハウスはこの攻撃の中で焼かれ、破壊された[18]。ほとんどの政府の建物は速やかに修復されたが、議事堂は大規模な建設工事が行われ、1868年になって初めて完成を見た[19]

1830年代、特別区の南にあるアレクサンドリア郡は、より内陸に位置しチェサピーク・オハイオ運河に面したジョージタウン港との厳しい競争などにより経済的に落ち込んでいた[20]。当時、アレクサンドリアは奴隷貿易の主要な市場であったが、奴隷廃止論者が首都における奴隷制を終わらせようとしているとの噂が流れた[21]。富をもたらす奴隷貿易ができなくなることを避ける目的もあって、1846年、アレクサンドリアのバージニア州への返還の可否について住民投票が行われ、可決された。同年7月9日、連邦議会は、特別区のうちポトマック川より南の領域(約100km2)をバージニア州に返還することに同意した[20]。この土地は現在はアーリントン郡に属し、アレクサンドリア市の一部をなす。この結果、ワシントンD.C.は、頂点を北に向けた正方形のうち、南西部の川に区切られた区画を除いた形をなすことになった。なお、その4年後、1850年協定により、特別区内における奴隷貿易(奴隷制そのものではない)が禁止された[22]

ワシントンは、1861年の南北戦争勃発までは小さな町であった。南北戦争の結果、合衆国政府は大きく膨張し、それにより町の人口も著しく増大した。解放奴隷の大量の流入もこれに寄与した[23]。1870年までに、特別区の人口は、13万2000人近くにまで増えた[24]。しかし町の成長にもかかわらず、ワシントンの道路は未舗装であり、基本的な衛生設備もないなど、条件が非常に悪かったため、首都を別の場所に移転することを提案する連邦議会の議員もいた[25]

1871年のコロンビア特別区基本法 (the Organic Act of 1871) により、連邦議会は、特別区全体の新しい政府を創設し、ワシントン市、ジョージタウン市及びワシントン郡を一つの自治体に統合した[26]。この町が「ワシントン」と「コロンビア特別区」の両方の名前で知られているのはこのためである。同じ法律の中で、連邦議会は公共事業委員会を設立し、町の近代化に当たらせた[27]。1873年、ユリシーズ・グラント大統領は、同委員会の最も有力なメンバーであるアレクサンダー・シェパードを新たに設置された知事職に任命した。その年、シェパードは2000万ドルを公共事業に費やし(2007年は3億5700万ドル)[28]、ワシントンの近代化を行ったが、同時に財政を破綻させることにもなった。1874年、連邦議会はシェパードの知事職を廃止して直接統治を選んだ[25]。更なる町の改修作業は、1901年に行われたマクミラン・プラン (McMillan Plan) を待たなければならなかった[29]

特別区の人口は、しばらくの間比較的安定していたが、1930年代の世界恐慌において、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策立法により、ワシントンの官僚が増加した。第2次世界大戦で政府の活動は更に増大し、首都における政府職員の数も増加した[30]。1950年までに、特別区の人口は80万2178人というピークに達した[31]

1961年アメリカ合衆国憲法修正第23条[32]により、ワシントンD.C.市民に初めて大統領選挙の選挙権が与えらえた。コロンビア特別区全体に対して、人口の最も少ない州に与えられる、選挙人3人の定数が確保された。

公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア1968年4月4日に暗殺された後、特別区(主に北西地区のUストリート、14番ストリート、7番ストリート)で暴動が発生した。暴動は3日間続き、1万3000人以上の連邦警備隊とコロンビア特別区州兵がようやく鎮圧に成功した。多くの店やその他の建物が焼かれ、多くが1990年代後半に再建されるまで荒廃したままであった[33]

1973年、連邦議会はコロンビア特別区地方自治法(Home Rule Act)を制定し、特別区に公選制の市長議会を導入することとした[34]1974年、市長の公選が行われ、1975年、行政委員会委員長であった民主党のウォルター・ワシントン (Walter Washington) が特別区初めての公選の市長、かつ特別区初めての黒人の市長となった[35]

1979年、マリオン・バリー (Marion Barry) が市長に選ばれ、4年間の任期を3期続けて務めた。しかし、1991年、3期目の任期中に、麻薬の使用によりFBIのおとり捜査で逮捕され、コカイン所持により6か月の懲役刑を受けた。この問題のためバリーは再選挙には出馬しなかった[36]

1991年、次に市長となったシャロン・プラット・ケリー (Sharon Pratt Kelly) は、アメリカの大都市で初めて市長になった黒人女性である[37]1994年、ケリーの任期が満了すると、マリオン・バリーが市長に返り咲いた[36]1998年、エール大学卒の弁護士、アンソニー・ウィリアムス (Anthony Williams) が市長に選ばれて2期務め、2007年1月からは現在のアドリアン・フェンティ (Adrian Fenty) が市長を務めている[38]

1995年までに、市は債務超過のため支払不能になりかけていた[36]。これを受けて、連邦議会はコロンビア特別区財政管理委員会を設立し、市のすべての支出を監督させることとした[39]。特別区は、2001年9月に財政管理権限を回復し、同委員会の活動は中止された[40]

2001年9月11日、テロリストがアメリカン航空77便をハイジャックし、ワシントンD.C.郊外のバージニア州アーリントンにある国防総省ペンタゴン)に航空機を突入させた。ユナイテッド航空93便もホワイトハウス又は連邦議会議事堂のいずれかを標的としていたが、同機はペンシルベニア州シャンクスヴィル近くで墜落した[41][42]。ペンタゴンへの攻撃が行われた場所には、2008年9月11日、ペンタゴン記念館がオープンした[43]

[編集] 地理

[編集] 市域

ワシントンD.C.の航空写真。市街東部から西南西方向を望む。写真中央が連邦議会議事堂、右下が連邦最高裁判所、左下は連邦議会図書館。右上の細長い白い塔はワシントン記念塔。ホワイトハウスはその右手に位置するが写っていない。議事堂から右斜め上方へ延びる舗装道路(ペンシルベニア通り)の先にある。また、議事堂から記念塔を経てポトマック川に至る細長い緑地はナショナル・モールと呼ばれる。ペンタゴンは写真左上の川向こうに写っている。

ワシントンD.C.は、全部で68.3平方マイル(177 km2)の市域を有し、そのうち61.4平方マイル(159 km2)が陸地、6.9平方マイル(18 km2、10.16%)が水面である[44]。特別区は、当初100平方マイル(260 km2)の面積を有していたが、1846年に南の一部をバージニア州に返還したため、この面積となっている。現在の市域は、メリーランド州から割譲された領域のみから成っている[45]。そのため、ワシントンD.C.は南東・北東・北西をメリーランド州に、南西をバージニア州に囲まれている。特別区内には、三つの大きな天然の河川がある。ポトマック川、アナコスティア川、ロック・クリークである。アナコスティア川とロック・クリークはポトマック川の支流である[46]

合衆国首都設置法は、ワシントン大統領に、東はアナコスティア川の河口までの範囲で新しい首都の正確な位置を選ぶ権限を与えた。しかし、ワシントン大統領は、区の南端にアレクサンドリア市を含むようにするため、この連邦の領域の境界を南東に動かした。1791年、連邦議会はワシントン大統領の選んだ区域を認めるため、合衆国首都設置法を修正し、これによりバージニアから割譲された領域も含まれることとなった[47] 。この場所は、多くの利点を有していた。ポトマック川は特別区まで航行可能であり、船による交通が可能であった。また、アレクサンドリアとジョージタウンの既成の港は、市にとって重要な経済的な基盤を提供した。さらに、内陸の特別区は、北西部領土に近かった[47]。1791年から1792年にかけて、アンドリュー・エリコットとベンジャミン・バネカーが特別区の境界を調査し、1マイルごとに境界石を設置した。その多くが今も残っている[48]

都市伝説として伝えられるところとは異なり、ワシントンD.C.は沼地を埋め立てて建設されたわけではない[49]。確かに二つの川とその他の小川に沿って湿地が広がっていたものの、特別区の領域のほとんどは農地と樹木に覆われた丘から成っていた[47]。特別区内で、自然の状態で最も高い地点は、海抜125メートルのテンリータウンである[50]。最も低い地点は海水面と同じポトマック川である。ワシントンD.C.の地理的な中心点は、北西地区の4番ストリートとLストリートの交差点付近に位置する[51]

[編集] 自然

チェサピーク・オハイオ運河。ジョージタウン近くを通る。

アメリカ合衆国国立公園局は、ロック・クリーク公園、チェサピーク・オハイオ運河自然歴史公園、ナショナル・モール、セオドア・ルーズベルト島、アナコスティア公園など、ワシントンD.C.の自然生育地のほとんどを管理する[52]。国立公園局による管理外の重要な自然生育地としては、農務省の管轄である国立森林公園があるのみである[53]。ポトマック川の上流(ワシントンD.C.の北西)にはグレイト・フォールズ(Great Falls)がある。19世紀には、輸送船の交通がこの滝を迂回できるようにするため、ジョージタウンに端を発するチェサピーク・オハイオ運河が用いられた[54]

1965年リンドン・ジョンソン大統領はポトマック川を「国の恥」と呼び、1966年の清流回復法(the Clean Water Restoration Act)の必要性を訴える材料とした[55]。現在では、この川は活気のある暖水漁業の場となっており、自然に繁殖したハクトウワシも川岸に戻った[56]。高度に都市化した景観にもかかわらず、ワシントンD.C.は、都市における野生生物の管理、外来種の管理、都市流水の回復、都市流水における水エコロジーなどの研究の中心地となっている[57]。国立公園局の都市エコロジーセンターは、この地域における専門的知見と応用科学を提供する場となっている[58]

[編集] 気候

ワシントンD.C.の気候は、ケッペンの気候区分によれば温暖湿潤気候(Cfa)であり、これはアメリカの中部大西洋岸諸州のうち海域から離れた地域に典型的に見られる気候である。四季がはっきり分かれており、春と秋は温暖で湿度も低いのに対し、冬は低温が続き、1年に平均420mmも降雪量がある[59]。冬の最低気温は、12月中旬から2月中旬にかけては零下1 °C(30 °F)くらいになることが多い。まれではあるが、猛烈なふぶきが2、3年ごとにワシントンD.C.を襲う。最も激しい嵐は、ノーイースターと呼ばれ、これはアメリカ東海岸全体に影響を及ぼすのが普通である[59]。夏は高温多湿となる傾向があり、7月と8月の日中最高気温は平均30 °C前後(80 °F台)である[60]。夏には高温・多湿という組み合わせのため、激しい雷雨が非常に頻繁に発生し、場合によってはこの地域に竜巻を発生させることもある。

ハリケーン熱帯低気圧)ないしそれが温帯低気圧化したものが、夏の終わりから初秋にかけてこの地域を通過することが時々ある。ワシントンD.C.は内陸に位置していることもあって、ハリケーンはここに来るころには勢力が弱まっていることが多い。しかし、満潮・高潮・雨水が合わさることによって引き起こされるポトマック川の氾濫は、ジョージタウンやバージニア州アレクサンドリア近くにまで大規模な財産的被害をもたらすことが知られている[61]

記録されている史上最高気温は1930年7月20日と1918年8月6日の41 °C(106 °F)である。史上最低気温は1899年2月11日の零下26.1 °C(-15 °F)であり、これは1899年の記録的猛ふぶき(the Great Blizzard)の時のものである。32 °C(90 °F)を超える日数は平均36.7日であり、氷点下となる夜は平均64.4日である[59][60]

ワシントンD.C.の気象データ
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間
史上最高気温(°C) 26 29 34 35 37 39 41 41 40 36 30 26 41
平均最高気温(°C) 6 8 13 19 24 29 31 30 26 20 14 8 19
平均最低気温(°C) -3 -1 3 8 13 18 21 21 17 10 4 0 9
史上最低気温(°C) -26 -26 -16 -9 1 6 11 9 2 -3 -12 -25 -26
降水量(mm) 81.3 66 91.4 71.1 96.5 78.7 91.4 86.4 96.5 81.3 76.2 76.2 993.1
出典:The Weather Channel[62]

[編集] 町並み

[編集] 都市設計

ワシントンD.C.は四つの地区に分かれる。

ワシントンD.C.は計画都市である。ワシントン市の設計は、ピエール・シャルル・ランファンの労によるところが大きい。ランファンはフランス生まれの建築家・技師・都市設計家であり、当初、軍の技師としてラファイエットとともにアメリカ植民地に来た。1791年、ランファンはバロック様式をもとに基本計画を作成した。これは、環状交差路から放射状に広い街路が伸びているものであり、開かれた空間と景観作りを最大限に重視したものであった[63]。しかし、20世紀初頭には、開放された公園と壮麗な国の記念建造物というランファンの都市計画の構想は、スラム街や乱開発された建物によって損なわれてしまっていた。その中にはナショナル・モールの中の鉄道の駅もあった[29]。1900年、連邦議会は、ジェームズ・マクミラン上院議員率いる両院合同協議会を設置し、ワシントンD.C.の儀礼の中心地の美化に当たらせた。マクミラン計画として知られるこの計画は1901年に仕上がり、その中には連邦議会議事堂の敷地やナショナル・モールの景観再整備、新しい連邦の建物・記念館の建設、スラム街の一掃、全市を横断する新しい公園のシステムの構築が含まれていた。委員会から任命された建築家たちは市の本来の設計には手を加えなかった。建築家たちのなすべきことは、ランファンの意図したデザインの壮大な仕上げをすることであると考えられた[29]

夜のリンカーン記念館ワシントン記念塔、連邦議会議事堂

1899年に20階建てのカイロ・アパートメント・ビルが建設された後、連邦議会は建造物の高さを制限する法律(the Heights of Buildings Act)を可決し、連邦議会議事堂より高い建物を建ててはならないと宣言した。この法律は1910年に改正され、建物の高さが、面する道路の幅員に20フィート(6.1m)を加えた長さを超えないよう規制された[64]。今日、ワシントンD.C.の建物群のシルエットは低く広がっており、トーマス・ジェファーソンの、ワシントンD.C.を「低層で便利な」建物と「明るく風通しのよい」街路を備えた「アメリカのパリ」にしたいという願いに忠実である[64]。その結果、ワシントン記念塔がずっとワシントンD.C.で最も高い建造物のままである[65]。しかしながら、ワシントンD.C.の高さ制限は、同市で廉価な住宅が限られていることやスプロール現象による交通問題の発生の最大の原因であるとして、批判されている[64]。ワシントンD.C.の高さ制限を逃れるため、ダウンタウンの近くとしては、ポトマック川の対岸であるバージニア州ロズリンに高層の建物が建てられることが多い[66]

[編集] 街路

ワシントンD.C.は四つの地区(quadrant)に不均等に分かれている。北西地区(Northwest)、北東地区(Northeast)、南東地区(Southeast)、南西地区(Southwest)である。各地区の境界を画す軸は連邦議会議事堂から放射状に伸びている[67]。すべての通りの名称には、地区名の省略形(NWなど)が付いており、その場所を明らかにしている。市内のほとんどの地域で、街路は碁盤目状に整備されており、東西方向の通りにはアルファベットで(例えばC Street SW)、南北方向の通りには数字で(例えば4th Street NW)名前が付けられている[67]。環状交差路から放射状に伸びる街路には、主に各州の名前が付けられており、50州すべてが名称の中に含まれている。ワシントンD.C.の街路の中には、特に注目すべきものがある。ペンシルベニア通り(Pennsylvania Avenue)は、ホワイトハウスと連邦議会議事堂をつないでおり、Kストリートには多くのロビー団体の事務所が入居している[68]。ワシントンD.C.には172か国の外国の大使館[69]があるが、そのうち57の大使館はマサチューセッツ通り(Massachusetts Avenue)の地区にあり、正式名称ではないが大使館通り(Embassy Row)として知られている[70]

[編集] 建築

2007年、ホワイトハウスはアメリカ建築家協会(AIA)が選ぶ「アメリカ建築傑作選」で2位にランクされた。

ワシントンD.C.の建築物はバラエティに富んでいる。アメリカ建築家協会が選ぶ2007年の「アメリカ建築傑作選」では、10位までにランクされた建物のうち六つがワシントンD.C.にある[71]。すなわち、ホワイトハウス、ワシントン大聖堂、トマス・ジェファーソン記念館、連邦議会議事堂、リンカーン記念館ベトナム戦争戦没者慰霊碑である。新古典主義、ジョージ王朝様式、ゴシック様式や現代の建築様式が、これら六つの建物すべてに、またワシントンD.C.の他の著名な大建造物にも反映されている。大きな例外が、フランス第二帝政様式による建物で、アイゼンハワー行政府ビル(旧行政府ビル)やアメリカ議会図書館などがある[72]

ワシントンD.C.の中心市街を離れると、建築様式はさらに多様化する。「オールド・シティー」(ランファンによって設計された地域)では、歴史的建造物は主にアン女王様式、シャトー様式、リチャードソン・ロマネスク様式、新ジョージア王朝様式、古典的装飾様式、また様々なビクトリア朝様式で設計されている。オールド・シティーでは19世紀からのロウハウス(長屋)が特に目立っており、連邦様式や後期ビクトリア朝様式に従うものが多い[73]。ジョージタウンは、ワシントン市よりも先に建設されたため、この地域はワシントンD.C.の中でも最も古い建築物を誇る。ジョージタウンのオールド・ストーン・ハウスは1765年に建てられ、市内で最も古い建物となっている[74]。もっとも、この地域における現在の住宅のほとんどは1870年代になって初めて建てられたもので、当時の後期ビクトリア朝様式を反映している。1789年に創立されたジョージタウン大学は、周囲の建物とはさらに一線を画しており、ロマネスク様式とゴシック・リヴァイヴァル建築が融合した建築が特徴である[72]

[編集] 人口動態

2007年のアメリカ合衆国国勢調査局の推計によれば、ワシントンD.C.の居住者人口は588,292人であり、2000年の国勢調査で572,059人以来、増加傾向が続いている。これは50年間の減少傾向からの反転である[75]。他方、労働時間帯には、近郊からの通勤により、ワシントンD.C.の人口は推計で71.8%膨らみ、日中人口は100万人を超えるとされている[76]。周辺のメリーランド州やバージニア州の郡を含むワシントン首都圏は、2007年の推計で約530万人の居住者を有し、アメリカで8番目に大きな都市圏である(2000年国勢調査時には約470万人、第7位)。ボルチモア及びその近郊も合わせたボルチモア・ワシントン複合都市圏(ワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏)は、2007年の推計では約820万人(2000年国勢調査時には約750万人)を超える居住者人口を抱え、ニューヨークロサンゼルスシカゴに次ぐ、アメリカ合衆国内第4の広域都市圏である[77]

以下にワシントンD.C.における1800年から2007年までの人口推移を表で、また1850年以降の人口推移をグラフで示す[78]。なお、2007年の数値は推計である[75]

統計年 人口 増減率
1800 8,144 -
1810 15,471 90.0%
1820 23,336 50.8%
1830 30,261 29.7%
1840 33,745 11.5%
1850 51,687 53.2%
1860 75,080 45.3%
1870 131,700 75.4%
1880 177,624 34.9%
1890 230,392 29.7%
1900 278,718 21.0%
1910 331,069 18.8%
1920 437,571 32.2%
1930 486,869 11.3%
1940 663,091 36.2%
1950 802,178 21.0%
1960 763,956 -4.8%
1970 756,510 -1.0%
1980 638,333 -15.6%
1990 606,900 -4.9%
2000 572,059 -5.7%
2007 588,292 2.8%

[編集] 人口構成

「友情の門」。チャイナタウンの中心にある。

2006年における人口の割合は、55.4%がアフリカ系アメリカ人(黒人)、34.5%がコーカサス系(白人)、8.2%がヒスパニック(人種は様々)、5.1%がその他(インディアン、アラスカ先住民、ハワイ先住民、南洋諸島先住民など)、3.4%がアジア系、1.5%が混血である[79]。黒人はワシントンD.C.で最も多くを占めるものの、郊外へ去る者が多いため、その人口は一貫して減少傾向にある。同時に、ワシントンD.C.で昔から黒人の居住地域であった多くの場所が高級住宅化していることもあり、白人の人口は一貫して増加傾向にある[80]。このことは、2000年と比べて、アフリカ系アメリカ人の人口が6.2%減少し、反対にコーカサス系は13.8%増加していることに表れている[79]。移民の主な出身地としては、エルサルバドルベトナムエチオピアなどがあり、エルサルバドル人はマウント・プレザント近辺に集まっている[81]

2000年の国勢調査によって、ワシントンD.C.の成人のうち推計3万3000人が自らをゲイレズビアン又はバイセクシュアルであると考えていることが明らかになった。これは市の成人人口の8.1%に当たる[82]。このようにLGBTの人口は相当大きく、また政治的風土もリベラルであるが、連邦議会における反対論も原因して、同性結婚はワシントンD.C.の法律では認められていない[83]。しかし、家庭内パートナーシップ法(Domestic partnership law)によって、同性のカップルも、他の法域で認められているシビル・ユニオン(civil union)と似た法的取扱いを受けることができる[83]

2007年の報告によって、ワシントンD.C.の居住者の3分の1が機能的非識字(仕事や日常生活上の読み書き能力が不十分である状態)であることが分かった。これに対し、全国における割合は5分の1である。英語に習熟していない移民も、その一つの原因であると考えられている[84]。2005年に行われた研究では、ワシントンD.C.の5歳以上の居住者のうち85.16%が家で英語のみを使用しており、8.78%がスペイン語を使用していることが分かった。フランス語がそれに次いで1.35%である[85]。機能的文盲率の高さとは対照的に、ワシントンD.C.の居住者のうち45%が少なくとも4年制大学の学位を持っており、国内で4番目に高い割合である[86]

また、2000年のデータによると、半数以上の居住者が自分をキリスト教徒であると考えている。28%がカトリック、6.8%が南部バプテスト連盟、1.3%が正教会(ギリシャ正教)又は東方諸教会、21.8%が他のプロテスタント教派である。イスラム教徒は人口の10.6%、ユダヤ教徒は4.5%、26.8%は無宗教である[87]

[編集] インディアン部族

この地に先住したインディアン部族はコノイ族、デラウェア族、ナンチコーク族、ポウハタン族ショーニー族、サスケハンナ族など。そのことごとくがアメリカ政府に虐殺され、19世紀には他州へと強制移住させられた。この地に残ったインディアン部族はすべて「絶滅部族」とみなされ、保留地(Reservation)を没収されていて、部族単位では存在しないことになっている。

1968年の、ワシントンD.C.での「貧民層の救済キャンペーン」は、「アメリカインディアン国民会議」が黒人団体と合同で主催した

1944年にワシントンD.C.に結成された「アメリカインディアン国民会議(National Congress of American Indians)」は、インディアン寄宿学校で白人同化教育を受けた、全米のインディアンたちによる初の本格的なロビー運動組織である。彼らは「大声でほえまくる赤い番犬」と呼ばれたが、活動自体は保守的で、AIMなどとは違い、若い世代からは「白人寄り」と批判された。

2004年には、この地に全米のインディアン部族の文化展示を目的とした「国立アメリカ・インディアン博物館」が開設された。

≪アメリカ連邦政府に公認要求中のインディアン部族≫

※「亀の島」はインディアンが北米大陸を指す呼び名

[編集] インディアン・カジノ

現在のところ、ワシントンD.C.でインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。同地ではインディアン部族は存在しないことになっており、今後も開設される望みは薄い。

[編集] 内務省BIA

ワシントンD.C.にはアメリカ内務省、BIA(インディアン管理局)がある。BIAは内務省の出先機関であり、インディアン部族の公認権限を持ち、彼らに「連邦が保留した土地」(Reservation)を「与え」、その保留地に管理官を駐在させて部族政府の監視・管理を行う行政機関であり、インディアンの生殺与奪権を握るアメリカ合衆国内のインディアン行政官庁の総本山である。

1824年の発足以来、BIAはインディアンの権利を搾取する官僚組織として腐敗し続け、インディアンたちからは、「インディアンのバスティーユ監獄」と呼ばれた。1973年のラコタスー族の「ウーンデッド・ニー占拠」の際には腐敗したオグララ部族政府を援助し、部族政府によるスー族部族員へのテロ弾圧を支援している。このBIA局長には20世紀になってからインディアンの個人が選ばれるようになったが、官僚機構の中の傀儡、お飾りに過ぎず、しばしば部族会議との癒着などが批判されたのである。

ポーニー族出身のBIA副長官、ケビン・ガバー(1997~2001年まで就任)が、2世紀近くにわたる内務省BIAの対インディアン政策の犯罪性を認め、その施政を正式に民族浄化であるとし、「歴史的謝罪」を行ったのは、ようやく21世紀を前にした、2000年になってからのことであった。

[編集] インディアンによる内務省BIA本部ビル占拠

1972年、全米最大のインディアン権利団体「アメリカインディアン運動(AIM)」は、ワシントンD.C.にある「アメリカインディアン国民会議」の建物に対議院活動事務所の設置を企画し、ニューメキシコに本部を置く「全米インディアン若者会議(National Indian Youth Council)」と合同で「破られた条約の旅(Trail of Broken Treaties)」を決行した。

この「破られた条約の旅」は、10月末の大統領選の日に合わせてロサンゼルスシアトルサンフランシスコの三地点から自動車キャラバン隊が同時出発し、途中各地のインディアン保留地で文化交流を行うとともに参加者を募り、ワシントンD.C.まで行進するという平和的な非暴力要求デモだった。ミネソタ州セントポールで合流した一隊は、インディアンと連邦政府間の条約事項の尊重と権利の保護を20項目の条文にまとめ、10月3日、ワシントンD.C.に到着し、内務省BIA本部ビルへ向かった。彼らは内務省BIAに以下の20項目の要求を突きつけた。

1)1871年までにアメリカ連邦政府とインディアン部族が結んだ条約の回復。
2)インディアンの独立国家のための新しい条約権限の設立。
3)アメリカ連邦議会での、インディアン代表者の演説権。
4)インディアンとの条約に対する連邦側の責任と違反のチェック。
5)批准されていない条約を上院議案に提出する。
6)すべてのインディアンと条約関係を結ぶ。
7)アメリカ連邦政府が条約権限を違反したインディアン国家に対する救済。
8)条約をきちんと解釈し、インディアンの権利を認定する。
9)インディアンの結びつきを再建するための、共同の議会委員会の設置。
10)アメリカ合衆国内の、インディアン部族から強奪した1億1000万エーカーの土地の返還。
11)解消終了された権利の回復。
12)州政府におけるインディアン国家の管轄権所有を廃止する。
13)インディアン犯罪の連邦保護。
14)BIA(インディアン管理局)の廃止。
15)アメリカ連邦政府にインディアン関係の新しいオフィスを設立する。
16)アメリカ合衆国とインディアン国家間の破られた憲法条約を修復するためのオフィスの新設。
17)州政府が制限している、インディアン国家の交易品の商業規制、税負担の免除。
18)インディアンの信教の自由と、文化的独立の保護。
19)全国のインディアンに地方選択権による投票所を設立し、インディアン組織に対する政府規制を解除する。
20)すべてのインディアンの人々のために、健康保険、住宅、仕事、経済発展、教育を再生する。

しかし、内務省はこの「破られた条約の旅」への一切の援助を禁ずる通達を各官庁・団体に出し、これを無視する構えを採った。インディアンデモ隊はやむなくBIA本部へ押し掛け、ここにバリケードを張ってビル占拠を行った。彼らは20項目の要求をBIAに突きつけ、籠城・交渉は一か月続いた。インディアンたちは「我々はここを死守する。死ぬにはもってこいの日だ」と宣言、死を覚悟して顔を塗装して「死の歌(インディアンたちの辞世の歌)」を歌い、ビルを包囲した警官隊との睨み合いは全米に連日中継報道された。

アメリカ合衆国は大統領選を控え、強硬策を回避した。11月7日、リチャード・ニクソン大統領が再選され、内務省は20項目について検討することを条件に翌日の占拠解除を求める手打ちを行った。インディアンたちは帰路の経費6万4千ドルを要求、ニクソン大統領は選挙予算からこれを支出した。

AIMのデニス・バンクス、ラッセル・ミーンズらはBIAビル占拠中に、BIAとその傀儡である各地の保留地の部族政府との癒着、不正経理、横領を示す重要書類をごっそり持ち帰り、BIAを激怒させた。以後、内務省は反AIMキャンペーンを行いこれを攻撃した。

[編集] インディアンによる「ロンゲスト・ウォーク」

1977年、カーター政権で、アメリカ上下院はインディアン絶滅方針を強化し、「部族に対する連邦公認の打ち切り」、「保留地の縮小・解消」、「自治権の剥奪」などの重要法案が次々に議会小委員会に提出された。これに危機感を募らせたAIMのデニス・バンクスは、この絶滅政策に対抗する運動として、アルカトラズ島からワシントンD.C.までの命がけの徒歩横断行進を提唱、全米のインディアン・非インディアンに呼びかけ、大きな賛同と志願者を得た。これは「インディアン移住法」下での、涙の道などの19世紀の全米のインディアン部族に対する保留地強制移住を再現させる試みでもあった。

1978年2月11日、「アルカトラズ島占拠抗議」の記念の地であるアルカトラズ島を起点に「第1回ロンゲスト・ウォーク(最長の徒歩)」は決行され、極寒と酷暑の中を徒歩で大陸横断すべく、インディアンとその賛同者の白人、黒人、アジア人、日本人、また豪州のアボリジニなど各国の先住民たちが一路ワシントンD.C.を目指した。インディアンたちは伝統の儀式でこの行進を鼓舞し、朝夕に欠かさずパイプによる精霊への祈りを捧げた。

1978年7月15日、5カ月かけた大陸徒歩横断ののち、4000人に膨れ上がった行進隊はついにワシントンD.C.に到着。このニュースは全米に報じられた。そしてこの非暴力抗議運動は、議会の反インディアン法案を黙らせたのである。以来「ロンゲスト・ウォーク」は毎年続けられている。

[編集] 治安

ワシントンD.C.における殺人発生件数の推移(1986-2005年)

1990年代初頭に凶悪犯罪の波が訪れた時、ワシントンD.C.はアメリカの「殺人首都」(murder capital)として知られ、殺人事件の発生数において、ルイジアナ州ニューオーリンズとしばしば肩を並べていた[88]。謀殺(計画的殺人)の発生件数は1991年に482件であったが、1990年代を通じて犯罪の激しさは大幅に緩和した。2006年までに、市内における謀殺の件数は169件にまで減少した[89]。窃盗や強盗など各種の財産犯も、同様の割合で減少した[90]

多くの大都市と同様、犯罪の発生率が高いのは違法薬物やギャングと関係のある地域である。より富裕な地域であるワシントンD.C.北西地区(高級住宅街であるジョージタウンなど)では犯罪発生率は低いが、東に行くに従って増加する。コロンビア・ハイツやローガン・サークルのように、一時は凶悪犯罪がはびこったものの、ジェントリフィケーション(高級住宅化)の影響を受けて安全と活気を取り戻しつつある地域も多い。その結果、ワシントンD.C.における犯罪は、さらに東方、メリーランド州プリンスジョージ郡との境界を越えるところまで追い払われつつある[91]

ワシントンD.C.における殺人事件発生地点の分布(2004-2008年)。NE(北東)とSE(南東)に圧倒的に多いことがわかる。

特に危険なのは市南東部のアナコスティア地区(Anacostia)である。ワシントンD.C.で起こる殺人の約3分の1はこのアナコスティア地区内で発生している[92]1950年代までは白人の中流階級の住宅地であったが、州間高速道路の発達により人口が郊外へ流出、住民層が大きく変わり、治安が著しく悪化した。現在、この地区の黒人人口率は92%に達する。また、市の北東部も治安の悪い地域である(右図参照)。市境を越え、メリーランド州側にも治安の良くないエリアが広がっている。

2008年6月26日、連邦最高裁判所は、ワシントンD.C.対ヘラー事件において、ワシントンD.C.が1976年に行った拳銃の所持禁止は、アメリカ合衆国憲法修正第2条で定められた銃所持の権利を侵すものであると判示した[93]。もっとも、この判決は、どのような形での銃規制も一律に禁止するものではない。銃器の登録制を定める法律は依然有効であり、ワシントンD.C.による殺傷能力の高い攻撃用武器の禁止も有効である[94]

[編集] 経済

ジョージ・ワシントン大学のプロフェッサーズ・ゲート。同大学はワシントンD.C.の民間で最大の雇用を有する。

ワシントンD.C.では、経済が多角的に成長しつつあり、専門的職業やホワイトカラーのサービス業の割合が増加している[95]。ワシントンD.C.の2007年における州民総生産は938億ドルであり、これは50州と比較すると35位に位置づけられる[96]。2008年3月の時点で、連邦政府がワシントンD.C.における雇用の27%を占めている[97]。このために、ワシントンD.C.は全国的な経済の停滞の影響を受けていないと考えられている。連邦政府の活動は景気後退期においても継続するからである[98]。もっとも、2007年1月時点で、ワシントン地域の連邦職員は、全米の連邦職員数の14%を占めるにすぎない[99]。法律事務所、独立契約就業者(インディペンデント・コントラクター。軍事関係と非軍事の双方がある。)、非営利団体、ロビー団体、全国労働組合、職業団体といった多くの組織が、連邦政府に近接した場所を求めて、ワシントンD.C.内又はその近郊に本部を置いている[68]。2008年5月現在、ワシントン首都圏の失業率は3.5%であり、国内40の大都市圏の中で最も低い。これは、同時期の全国平均失業率の5.2%と比べても低い[100]

ワシントンD.C.では政府関連の産業、特に教育、金融、科学研究の分野が成長している。非政府関連としては、ジョージ・ワシントン大学ジョージタウン大学、ワシントン病院センター、ハワード大学、連邦住宅抵当公庫が市内における雇用主体の上位5位である[101]。ワシントンに本拠を置くフォーチュン1000企業(フォーチュン誌が選ぶ上位1000企業)は5社あり、そのうち2社はフォーチュン500にも入っている[102]。ワシントンD.C.は、国際不動産投資においてはロンドンニューヨークパリに次ぐ先進的地位を得ている[103]。2006年、「エクスパンション・マガジン」誌は、D.C.を国内で最もビジネスの拡大に適した10の地域の一つに挙げた[104]。ワシントンは、商業オフィスの面積に関しては、ニューヨーク、シカゴに次いでアメリカで第3に大きい商業地域を有している[105]

ワシントンD.C.では、ジェントリフィケーション(高級住宅化)の努力が実りつつあり、特にローガン・サークル、ショー、コロンビアハイツ、Uストリート地帯、14番ストリート地帯の近隣で著しい[106]。いくつかの地域では、1990年代末の地下鉄(メトロ)グリーンラインの敷設により開発が進んだ。地下鉄網によって、これらの地域は商業地域と結ばれた[107]。2008年3月にコロンビアハイツにできた新しいショッピングモールは、ワシントンD.C.で40年ぶりの新しい大規模ショッピングセンターとなった[108]。多くの都市と同様、ジェントリフィケーションはワシントンD.C.の経済を活性化させているが、その利益が均等に配分されているとはいえず、貧困層にとっては直接の救いになっていない[106]。例えば、ワシントンD.C.の失業率は市の中で大きく異なっている。2008年5月において、北西地区北部の裕福な第3地区では失業率が1.7%であったのに対し、南東地区の貧しい第8地区では17.2%であった[109]。2005年において、アメリカの50州と比較すると、ワシントンD.C.は1人当たり収入が高いものの、貧困率もまた高く、全住民における経済的格差を際だたせている[44]

[編集] 文化

[編集] 史跡・博物館

ナショナル・モールは、ワシントンD.C.の中心にある、広大で開放されたエリアである。モールの中心にはワシントン記念塔がある。また、モールの中には、リフレクティング・プールの西端と東端にリンカーン記念館と第二次世界大戦記念碑があるほか、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、アルバート・アインシュタイン記念碑もある[110]国立公文書館には、アメリカ史にとって重要な何千もの文書が収蔵されており、その中にアメリカ独立宣言アメリカ合衆国憲法権利章典の原本も含まれている[111]

モールのすぐ南、タイダル・ベイスン(ポトマック川に隣接する池)は、桜並木で彩られている。この桜は日本から贈られたものである。タイダル・ベイスンの周りには、フランクリン・ルーズベルト記念公園、トマス・ジェファーソン記念館、D.C.戦争記念碑がある[112]

スミソニアン協会は、1846年に連邦議会によって創設された教育目的の基金で、ワシントンD.C.内にある国立の博物館・美術館のほとんどを管理している。アメリカ合衆国政府がスミソニアン協会に一部資金を提供しており、収蔵品を入場料無料で公開しているのはこのためである[113]。スミソニアンの博物館の中でも最も来場者が多いのが、ナショナル・モール内にある国立自然史博物館である[114]。このほかに、モール内にあるスミソニアンの博物館・美術館としては、国立航空宇宙博物館国立アフリカ美術館国立アメリカ歴史博物館国立アメリカ・インディアン博物館アーサー・M・サックラー・ギャラリーフリーア美術館(サックラー・ギャラリーとフリーア・ギャラリーはいずれもアジアの美術・文化に焦点を当てている)、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭芸術産業館スミソニアン協会本部(「キャッスル」とも呼ばれる)がある[115]

スミソニアン・アメリカ美術館(正式には国立アメリカ美術館、National Museum of American Art)と国立肖像画美術館(National Portrait Gallery)は、ドナルド・レイノルズ・センターという、チャイナタウン近くの同じ建物に入っている[116]。レイノルズ・センターは旧特許庁ビルとも呼ばれている[117]。レンウィック・ギャラリー(Renwick Gallery)は、正式にはスミソニアン・アメリカ美術館の一部だが、ホワイトハウス近くの分館にある。その他のスミソニアン博物館・美術館としては、南東地区のアナコスティア博物館、ユニオン駅近くの国立郵便博物館、ウッドリー公園内の国立動物園がある。

ナショナル・ギャラリー東館。現代美術を収蔵する。

ナショナル・ギャラリーは、ナショナル・モール内の連邦議会議事堂近くにあるが、スミソニアン協会のものではない。完全にアメリカ合衆国政府が所有しており、そのためこれも入場料が無料となっている。ギャラリーの西館では、19世紀のアメリカ、ヨーロッパ美術の収蔵品にスポットが当てられている[118]。東館は、建築家のイオ・ミン・ペイによって設計されたもので、現代美術を取り扱っている[119]。スミソニアン・アメリカ美術館と国立肖像画美術館はよくナショナル・ギャラリーと間違われるが、実際は完全に別の組織である。ジュディシャリー・スクエア近くのナショナル・ビルディング博物館(National Building Museum)は連邦議会が創設したもので、その時々の特別展を行っている。

ワシントンD.C.には私設の美術館も多く、重要な収蔵品・展示品を一般に公開している。女性芸術美術館(National Museum of Women in the Arts)、コーコラン・ギャラリー(Corcoran Gallery。ワシントンD.C.で最大の私設の美術館)、デュポン・サークルにあるフィリップス・コレクション(Phillips Collection。アメリカで最初の、現代美術を扱う美術館)[120]などである。その他、ワシントンD.C.内の私設の博物館としては、ニュージアムNewseum)、国際スパイ博物館International Spy Museum)、ナショナルジオグラフィック協会博物館、科学博物館(Marian Koshland Science Museum)がある。ナショナル・モール近くのホロコースト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)では、ホロコーストに関する展示品、文書、工作物が保管されている[121]

[編集] 舞台芸術・音楽

ケネディ・センターはポトマック川沿いにある。

ワシントンD.C.は、国内の芸術の中心地の一つである。ジョン・F・ケネディ・センターは、ワシントン・ナショナル交響楽団、ワシントン・ナショナル・オペラ(Washington National Opera)、ワシントン・バレエ(Washington Ballet)の本拠地である。毎年、舞台芸術の分野でアメリカの文化に大きく貢献した人に対し、ケネディ・センター名誉賞が与えられる[122]大統領ファーストレディーが名誉賞の授賞式に出席するのが通例である。これは、ファーストレディーがケネディ・センター理事会の名誉会長であるためである[123]

アリーナ・ステージ(Arena Stage)は、アメリカで最も早い時期にできた非営利の地方劇場の一つで、1シーズンに古典的作品や新しいアメリカ演劇などを取り上げた八つの舞台を上演する[124]。シェークスピア劇場(Shakespeare Theatre)は、1985年に設立された非営利の劇場であり、その古典的演劇に対する再解釈や演出手法に対しては、評論家から「世界で最も素晴らしい三つのシェークスピア劇場のうちの一つ」と評価されている[125]

ワシントン北西地区のUストリート地帯は、「ワシントンのブラック・ブロードウェイ」として知られる。ボヘミアン・カバンズ(Bohemian Caverns、ナイトクラブ)やリンカーン・シアター(Lincoln Theatre)があり、そこではワシントン生まれのデューク・エリントンジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスなど音楽史の伝説的人物が演奏していた[126]。その他のジャズクラブとして、アダムズ・モーガンにあるマダムズ・オーガン(Madam's Organ)やジョージタウンにあるブルース・アリーなどがあり、モダン・ブルースが演奏されている。

ワシントンD.C.には、ここで生まれたゴーゴー(Go-go)と呼ばれる固有の音楽ジャンルがある。ファンクを受け継ぎ、駆り立てるようなパーカッションとR&Bの味わいが、ライブのセッションと激しいダンスのリズムを一体化させている。最も成功したミュージシャンが、D.C.のバンドを率いたチャック・ブラウン(Chuck Brown)であり、彼は1979年のレコード"Bustin' Loose"でゴーゴーを全国の注目の的とした[127]

ワシントンD.C.は、アメリカのインディーズ文化・音楽にとっても重要な中心地である。イアン・マッケイの作ったディスコード・レコードは、1980年代のパンク・ロックや、更には1990年代のインディー・ロックが生まれる上で最も重要な役割を担ったインディーズ・レーベルの一つである[128]。ワシントンのインディーズ・レーベルの歴史には、ティーンビート・レコード、ディスコード・レコード、シンプル・マシンズ、ESLミュージックなどが登場する。Uストリート近くのブラックキャット(The Black Cat)や9:30クラブ(9:30 Club)といった、現代のオルタナティブ・ミュージックやインディーズ音楽を演奏するナイトクラブの存在によって、大衆的な音楽は、より小規模でうち解けた雰囲気のクラブに持ち込まれている[129]

[編集] マスメディア

[編集] 新聞

ペンシルベニア通りの新聞社の並び。1874年。

ワシントンD.C.は、国内そして国際メディアの一大中心地である。ワシントン・ポストは1877年に創刊され、ワシントンD.C.で最も歴史があり、かつ最も読まれている日刊地方紙である[130][131]。同紙で最も注目されるのは、国内・国際政治についての取材範囲の広さ、そしてウォーターゲート事件の暴露であろう[132]。同紙――「ザ・ポスト」と広く呼ばれている――は、ずっと三つの版しか印刷していない。それぞれワシントンD.C.、メリーランド州、バージニア州向けのものである。広域の全国版はないにもかかわらず、同紙は2008年3月現在において国内の全日刊紙の中で6番目に多い発行部数を誇っている[133]。国内で最大の発行部数を有する日刊紙であるUSAトゥデイは、本部をバージニア州マクリーン近郊に置いている[134]。ワシントン・ポスト社は、「エクスプレス」というフリーの通勤客向け日刊紙を発行しており、時事、スポーツ、エンターテイメントを短くまとめている。また同社はスペイン語紙El Tiempo latinoも発行している。

そのほかの日刊地方紙としてワシントン・タイムズ、週刊のオルタナティブ紙[135]としてワシントン・シティ・ペーパーの両紙も、ワシントン地域で相当数の読者を得ている[136][137]

また、地域や文化的なテーマに焦点を当てたコミュニティ紙、専門紙も多い。週刊のワシントン・ブレード紙とメトロ・ウィークリー紙は、LGBTに関する話題を取り上げたものである。ワシントン・インフォーマー紙とワシントン・アフロ・アメリカン紙は、黒人コミュニティにとっての関心事項にスポットを当てたものである。そのほか、カレント・ニューズペーパーが発行するいくつかの地区新聞がある。ヒル紙とロール・コール紙は、連邦議会と連邦政府に関する話題のみに的を絞ったものである。

[編集] 放送

ワシントン首都圏は、230万8290世帯(アメリカ人口の2.05%)を擁する、アメリカで9番目に大きなテレビのマーケットである[138]。いくつかのメディア会社とケーブルテレビのチャンネルがワシントンD.C.に本社を置いている。C-SPANブラック・エンターテインメント・テレビジョン(BET)、ナショナルジオグラフィックチャンネル、スミソニアン・ネットワークス、XMサテライト・ラジオ、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)、ディスカバリー・コミュニケーションズ社(メリーランド州シルバー・スプリングに所在)、公共放送サービス(PBS。バージニア州アーリントンに所在)などがある。アメリカ政府の国際ニュースサービスであるボイス・オブ・アメリカ(VOA)は、本部を連邦議会議事堂近くの南西地区に置いている。同じくD.C.に本拠地を置くラジオ・ワンは、アメリカで最大のアフリカ系アメリカ人向けテレビ・ラジオの複合企業であり、メディア界の大物キャシー・ヒューズによって設立された[139]

参照:ワシントンD.C.のラジオ放送局の一覧

[編集] スポーツ

ワシントンD.C.は、五つの大きなプロスポーツチームの本拠地となっている。バスケットボールのワシントン・ウィザーズNBA)とアイスホッケーのワシントン・キャピタルズNHL)は、いずれもチャイナタウンにあるベライゾン・センターでプレーしている。2008年にD.C.南東地区にオープンしたナショナルズ・パークは、ワシントン・ナショナルズメジャーリーグベースボール)の本拠地である。D.C. ユナイテッドメジャーリーグサッカー)は、ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムでプレーしている。フットボールのワシントン・レッドスキンズNFL)は、メリーランド州ランドーバーにあるフェデックスフィールドである。

ワシントン地域には、女子プロスポーツチームもたくさんある。バスケットボールのワシントン・ミスティクスWNBA)はベライゾン・センターで、ソフトボールのワシントン・グローリー(ナショナル・プロ・ファストピッチ)はウェストフィールド・ハイスクール・スポーツ・コンプレックス(バージニア州フェアファクス郡)でそれぞれプレーしている。サッカーのワシントン・フリーダムは、2009年から始まる女子プロサッカーリーグ(アメリカ女子サッカーリーグ(WUSA)の後を継ぐ団体)で復活する予定である[140]

そのほかにワシントンに本拠を置くプロ又はセミプロのチームとしては、次のものがある。

  • ワシントン・ベイホークス(メジャーリーグ・ラクロス):実際には本拠スタジアムはメリーランド州アナポリスの海軍海兵隊記念スタジアムであるが、名前はワシントンを冠している。
  • ワシントンD.C.スレイヤーズ(アメリカン・ナショナル・ラグビー・リーグ)
  • ポトマック・マーベリックス(プロフェッショナル・インライン・ホッケー協会)
  • ボルチモア・ワシントン・イーグルス(オージーフットボール
  • D.C.ディーバズ(女子ナショナル・フットボール協会)
  • D.C.エクスプロージョン(マイナーリーグ・フットボール)
  • ワシントン・ラグビー・フットボール・クラブ(ラグビー・スーパーリーグ)

アメリカンフットボールバスケットボール、野球、アイスホッケーという4大メジャースポーツリーグのチームがすべてそろっている都市はアメリカには13しかなく、ワシントンD.C.はそのうちの一つである。これにサッカーを加えると、すべてそろっているのはワシントンD.C.を含む8都市となる。ワシントンD.C.のスポーツチームは、総計すると11回のリーグでの優勝を手にしている。そのうち4回がD.C.ユナイテッドが勝ち取ったものである(メジャーリーグサッカー史上最多である)[141]。またワシントン・レッドスキンズが3回[142]、ワシントン・ベイホークスが2回[143]、ワシントン・ウィザーズとワシントン・グローリーがそれぞれ1回である[144][145]

そのほか、ロック・クリーク公園にあるフィッツジェラルド・テニス・センターでは、レッグ・メイソン・テニス・クラシック(Legg Mason Tennis Classic)の大会が開催される。マリン・コープス・マラソン(Marine Corps Marathon)とナショナル・マラソン(National Marathon)の二つもワシントンで毎年開催される。また、ワシントン地域には、コムキャスト・スポーツネット(CSN)というスポーツ専門の地方テレビ局があり、メリーランド州ベセスダに本拠がある。

[編集] 観光

ナショナル・モールとその周辺には、多くの観光スポットが集中している。モール内にはワシントン記念塔リンカーン記念館などのモニュメントがあり、その周辺にはスミソニアン博物館ナショナル・ギャラリーを代表として、多数の博物館・美術館がある。また、ホワイトハウス(モールの北側)や、アメリカ合衆国議会議事堂アメリカ合衆国最高裁判所(モールの東側)などの政府機関も一般に公開されており(ただしホワイト・ハウスは2001年9月の同時多発テロ以降、一般観光客の見学はできなくなっている[146])、観光名所として人気がある。

モールを離れて北側のダウンタウン(ナショナル・ジオグラフィック協会など)や、北西側のジョージタウン(ワシントン大聖堂など)も、観光名所は集中していないものの、それぞれ独自の町並みを見せており、これらの地域を訪れる人も多い。さらに、バージニア州アーリントン(アーリントン国立墓地など)や、アレキサンドリア(オールド・タウンと呼ばれる古い町並みが残る)まで足を伸ばすこともできる。

モールを中心に、これらの観光名所を解説を交えながら巡回する観光用バスが多数走っており、ツアーモービル、オールド・タウン・トロリー、グレイライン・レッド・トロリー、ダックツアーなどがある[147]

[編集] 政治

[編集] 政府

ウィルソン・ビルにはワシントンD.C.の市長と市議会のオフィスがある。

アメリカ合衆国憲法1条8節17項[148]は、合衆国の連邦議会に、ワシントンD.C.に対する最高の権限を与えている。1973年のコロンビア特別区地方自治法により、連邦議会の一定の権限が特別区の地方政府(ワシントンD.C.政府)に委譲され、同政府は、公選の市長(現在はアドリアン・フェンティ)と、13人の議員によって構成される市議会によって運営されることとなった。もっとも、連邦議会は、市議会の作った法律を審査・破棄し、また市の問題について介入する権限を有している。八つの選挙区[149]ごとに1人の市議会議員が選ばれ、これとは別に全域から議長を含む5人の議員が選ばれる[150]。また、小地区ごとに、地区諮問委員会(ANC)の37人の委員が選挙される。ANCは伝統的に多大な影響力を行使しており、市政府はANCの助言に十分に配慮するのが通例である[151]

連邦議会はD.C.に対する最高の権限を有する。

市長と市議会が予算を採択したとき、連邦議会はそれを変更する権限を有している。地方の所得税売上税及び資産税が、市政府の部局や行政サービスに当てるための収入の大部分を占める。50州と同様、ワシントンD.C.は老齢者医療保険制度(Medicare)のような連邦政府補助金プログラムからの資金を受けている。連邦議会は、このほかに市の経費の一部を補助するため、資金を直接交付しており、これは2007年度では3800万ドル(D.C.の予算の約0.5%)となっている[152]。しかし、これらの資金提供とは別に、連邦政府が特別区裁判所(2008年で2億7200万ドルの予算)や、連邦公園警察のような連邦警察機構を運営しており、これらが市の治安の維持に貢献している[153][154]

歴史的には、市の地方政府は失策や浪費で悪名を得てきており、特にマリオン・バリー市長の時代はそうであった。1997年7月20日のワシントン・ポスト紙は、1面記事で、ワシントンD.C.の行政サービスは全国でもコストが最高で質は最低だと報じた[155]。アンソニー・ウィリアムス市長の時代になって成功を見るようになり、都市の再生も進み、1990年代に財政の黒字化も実現し、それが今日まで続いている[156]。2007年末に、捜査当局の調べで、租税・歳入事務所の複数の職員が、虚偽の税金還付の小切手を作出することにより、4400万ドル以上を詐取していたことが発覚した。このスキャンダルはフェンティ市政にとっての汚点となり、市民の信頼回復が最重要課題となっている[157]

ワシントンD.C.は、すべての連邦の休日(Federal holiday)に従っている。そのほかに、1862年奴隷解放宣言の9か月前)に奴隷解放補償法がアブラハム・リンカーン大統領によって署名されたのを記念して、4月16日の奴隷解放記念日を祝日としている。この法律により、D.C.での奴隷制は終わりを迎え、およそ3100人の奴隷が解放された[158]

[編集] 代表・課税問題

ワシントンD.C.の市民は、連邦議会に投票権のある議員を送っていない。下院では、投票権のない代議員(準議員)1名が市を代表しており、現在はエレナー・ホームズ・ノートン(民主党、D.C.全体選出)がこれを務めている。代議員は、下院で委員会に出席し、議論に参加し、法案を提出する権限はあるが、議場で投票に加わることができない。また上院には全く代表を送っていない。プエルトリコグアムのようなアメリカ合衆国の領域も下院に投票権のない代議員を送っているが、両地域と異なり、ワシントンD.C.の市民はすべての連邦法と課税に服している[159]。2007年度において、D.C.の住民と企業は204億ドルの連邦税を支払っており、これより少ない州は19州ある上、1人当たりの納税額では最大である[160]

2005年の世論調査で、アメリカ人の78%が、ワシントンD.C.の住民が連邦議会での代表について50州よりも低い地位しか与えられていないことを知らなかったと答えた[161]。この問題についての認識を高めてもらおうとする努力もされており、草の根の組織によるキャンペーンが行われるほか、市の「代表なき課税(代表なくして課税なし)」という非公式のモットーを、ワシントンD.C.の車のナンバープレートに入れてアピールしている[162]ビル・クリントン大統領は、ワシントンD.C.への支持を表して、「代表なくして課税なし」のプレートを大統領専用リムジンに使用していた。しかし、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任後すぐ、このモットーが入っていないものに取り替えてしまった[163]

ワシントンD.C.に連邦議会での投票権を与えることについては、全国的に容認されており、これには根拠がある。様々な世論調査によれば、アメリカ人の61%ないし82%が、D.C.は連邦議会での投票権付き代表を認められるべきだと信じている[161][164]。大衆の支持にもかかわらず、D.C.に投票権付き代表を与えようとする試みは成功していない。その中には、D.C.州昇格運動もあり、またD.C.に投票権を付与する憲法修正案も提出されたが、いずれも成功を見ていない。D.C.に投票権を与えることに対する反対論者は、アメリカ合衆国建国の父たちはD.C.の住民が連邦議会での投票権を持つことを全く意図していなかった、なぜなら憲法は代表は各州の出身でなければならないと明確に規定しているからであると主張する。また、D.C.を州に昇格させることに対する反対論者は、そのような運動は、州から切り離された国の首都という概念を破壊することになる、州とすることは一つの市に上院の代表権を与えることになり不公平であると主張する[165]。ワシントンD.C.の住民は、1961年までは大統領選挙への投票からも除外されていた。しかし、アメリカ合衆国憲法修正第23条[32]によって、D.C.にも選挙人団の中に3人の投票権が与えられた。

[編集] 教育・医療

ジョージタウン大学。アメリカ合衆国のカトリック系大学としては最長の歴史を誇り、ワシントンD.C.の数ある大学の中でも最も高ランクに位置づけられている。ビル・クリントンの出身校としても知られている。

コロンビア特別区パブリックスクールズ(DCPS)が、市の公立学校システムを運営しており、これは167の学校と学習センターから成る。2007年度では、4万9076人の生徒が公立学校システムに登録されている。DCPSへの登録は一貫して減少しており、次の年までに全登録生徒数が4万7700人にまで減少するだろうと市では予測している[166]。DCPSは、インフラの面でも、生徒の成績の面でも、国内でコストが最も高い割に成果が最も乏しい学校システムの一つであるといわざるを得ない[167]。市議会は、2007年に市の学校システムの大改革を行うに当たり、市長に対し公立学校についてのほぼ完全な権限を与えた。フェンティ市長が指名したDCPSの新しい最高責任者であるミシェル・リー長官(Michelle Rhee)は、一部の学校を民間経営会社に委ねたり、校長を解任したり、教師を入れ替えたりするなど、徹底的な改革を行った[168]

公立学校システムの問題点から、公立のチャーター・スクールの登録数が、2001年以来、年々13%の割合で増加している[169]。コロンビア特別区公立チャーター・スクール委員会は、市内の56校の公立チャーター・スクールを監督している。2007年秋の時点で、D.C.のチャーター・スクールには全部で2万1859人が登録している[170]。ワシントンD.C.には、国内で最も有名な私立高校もいくつかある。多くの著名人やその子弟が、シドウェル・フレンズ校のような私立高校に通ってきた。チェルシー・クリントンもその一人で、父ビル・クリントンの大統領在職期間中、シドウェル校に通っていた[171]

ハワード大学の創立記念図書館。Historically Black Collegeと呼ばれる、もともとはアフリカ系の人たちに高等教育の機会を与えるために設立された大学である。

ワシントンD.C.には、多くの著名な大学がある。ジョージタウン大学(GU)、ジョージ・ワシントン大学(GW)、アメリカン大学(AU)、アメリカカトリック大学(CUA)、ハワード大学(Howard University)、ギャラデット大学(Gallaudet University)、ジョンズ・ホプキンス大学発展的国際研究スクール(SAIS)などがある。コーコラン美術デザイン大学(Corcoran College of Art and Design)では専門的な美術の授業を行っているほか、他の高等教育機関でも、継続的教育、遠隔地教育、社会人向け教育を提供している。コロンビア特別区大学(UDC)は国によるランドグランド大学で、どこの州にも属さないために州立大学というものを持たないこのワシントンD.C.において、公的な高等教育の機会を与えている。

ワシントンD.C.には、16の医療センターと病院があり、患者のケアと医学研究の全国的な中心地となっている[172]アメリカ国立衛生研究所はメリーランド州ベセスダの近くにある。ワシントン・ホスピタル・センター(WHC)は、D.C.で最大の敷地を持つ病院であり、私立病院としても、非営利病院としても最大である。WHCのすぐ隣には、国立子ども医療センター(Children's National Medical Center)がある。同センターは、USニューズ&ワールド・レポート誌によれば、アメリカ国内で最も高いランクを与えられている小児科病院の一つである[173]。ジョージタウン大学、ジョージ・ワシントン大学、ハワード大学など、多くの有名大学も、メディカル・スクールとその附属病院を設けている。ウォルター・リード軍医療センター(Walter Reed Army Medical Center)は、ワシントンD.C.北西地区にあり、現役・退役の軍人とその家族に対し医療サービスを提供している。

[編集] 州兵

コロンビア特別行政区(ワシントンDC)には、2つの州兵組織が存在する。

[編集] 空軍

コロンビア特別区空軍州兵

[編集] 陸軍

コロンビア特別区州兵

[編集] 交通

[編集] 鉄道・バス

メトロ・センター駅は、地下鉄レッド・ライン、オレンジ・ライン、ブルー・ラインの乗換駅である。

ワシントンD.C.は、国内でも最悪クラスの交通事情と混雑でよく引き合いに出される。2007年、ワシントンの自動車は年あたり60時間の間渋滞に巻き込まれており、これはロサンゼルスに継いで国内で最悪の交通事情と結びついている[174]。一方で、ワシントンの通勤者の37.7%が通勤に公共交通機関を利用しており、これも国内で2番目に高い割合である[175]

ワシントン首都圏交通局(WMATA)は、市の地下鉄網であるメトロレール(「メトロ」と呼ばれることが多い)と、メトロバスを運営している。地下鉄とバス網は、ワシントンD.C.のほか、メリーランド州とバージニア州の近郊地域にもサービスを提供している。メトロレールが開業したのは1976年3月27日で、現在、駅の数は87、線路の全長は171.1kmである[176]。2008年において、平日には平均すると1日のべ95万人が利用しており、メトロレールはニューヨーク市地下鉄に次いで全国で2番目に繁忙な地下鉄となっている[177]

WMATAでは、2030年までに地下鉄の利用客は1日平均100万人になると見ている。輸送能力を拡張する必要があることから、220の車両を追加するとともに、繁忙駅の混雑を緩和するために迂回ルートを作るよう計画が更新された[178]。この地域の人口増加を受け、メトロの路線を二つ新たに建設するという取組みがよみがえった[179][180]。それとともに、町と町を結ぶ新たなライトレール網も計画されている。最初の路面電車の路線は、2009年末にオープンする見通しである[181]。ワシントンの周辺地域にも、ローカルなバス網がある。メリーランド州モンゴメリー郡にはライド・オンというバスが走っており、WMATAのサービスを補完している。メトロレール、メトロバス及びその他のローカルな公共バスでは、「スマートリップ」(SmarTrip)という、繰り返しチャージ可能な乗車券(ICカード)が利用できる[182]

ユニオン駅(Union Station)は、アメリカでニューヨークのペンシルベニア駅(ペン・ステーション)に次いで2番目に賑わった鉄道駅であり、アムトラックのノースイースト・コリダーとアセラ・エクスプレスのターミナル駅となっている。メリーランド州のメリーランド・レール・コミューター(MARC)とバージニア州のバージニア・レールウェイ・エクスプレス(VRE)の通勤用電車、並びにメトロのレッド・ラインもユニオン駅に乗り入れている[183]。都市間バスは、グレイハウンド、ピーターパン、ボルトバス、メガバス、その他多数のチャイナタウン・バスラインによって運行されている。

[編集] 空港

ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港ターミナル内。市街に最も近い商業空港である。

ワシントンD.C.へのアクセスには三つの大きな空港があり、一つがメリーランド州、他の二つがバージニア州にある。ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港は、D.C.の中心地からポトマック川を渡ってすぐの、バージニア州アーリントン郡にある。レーガン空港は、ワシントンエリアの中でメトロレールの駅がある唯一の空港である。D.C.に近接していることから、レーガン空港は、防空識別圏のために特別なセキュリティ警戒が要求されている上[184]、追加的な騒音規制も課せられている[185]。レーガン空港にはアメリカ合衆国税関・国境警備局がないので、カナダ線、カリブ海域諸島線など、プリクリアランス(搭乗前の入国審査、通関手続等)が許可されている航空機に限って国際線サービスを提供している[186]

主な国際線は、ワシントン・ダレス国際空港に発着する。ダレス空港はD.C.から42.3km西の、バージニア州フェアファクス郡とラウダウン郡にある。同空港はアメリカ合衆国東海岸におけるユナイテッド航空の主要なハブ空港として機能している。ボルチモア・ワシントン国際空港はD.C.から51km北東、メリーランド州アン・アランデル郡にあり、サウスウエスト航空エアトラン航空のハブ空港となっている。日本へは全日空、ユナイテッド航空がそれぞれ成田へ直行便を運行している。

[編集] 高速道路

ワシントンD.C.付近を通る主要な州間高速道路としては、次のものがある。

  • 95号線
カナダ国境のメイン州ハウルトンからメリーランド州ボルチモア市を経てワシントンD.C.都市圏東部~南部を通過し、バージニア州都のリッチモンド市を経てフロリダ州マイアミ市に至る(ワシントンD.C.付近には支線として下記の二級州間高速道路がある)。
  • 495号線:半径約16kmの、都市圏を通過する環状道路(都市圏東部~南部は95号線と重複)。
  • 295号線:市街中心部から南方に向かい495号線に合流する。
  • 395号線:市街中心部から南西に向かい95号線に合流する。
  • 66号線
市街中心部から西方に延びバージニア州フロント・ロイヤルに至る(国道66号線(ルート66)とは異なる)。
  • 270号線
市街北部の495号線から分岐して北北西に伸び、メリーランド州フレデリックに至る。

[編集] 姉妹都市

ワシントンD.C.には12の姉妹都市がある[187]。パリは、その町(コミューン)の方針のために「パートナー都市」となっている[188]


[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
ワシントン市公式サイト (英語)
日本政府
在米日本国大使館 (日本語)
観光

[編集] 脚注

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  3. ^ Table 3b. Population in Metropolitan and Micropolitan Statistical Areas Ranked Separately by 2000 Population for the United States and Puerto Rico: 1990 and 2000. Population Division, U.S. Census Bureau 2003年12月30日. 閲覧日: 2008年10月7日.
  4. ^ Table 1: Annual Estimates of the Population for Counties of Maryland: April 1, 2000 to July 1, 2006 Population Division, U.S. Census Bureau 2007年3月22日. 閲覧日: 2008年10月7日.
  5. ^ 通常、都市圏や広域都市圏の名称においては、人口の多い都市の名が先にくるが、ワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏は例外的にワシントンD.C.がボルチモアよりも先にきている。
  6. ^ 。同様な計画都市としては満州国新京オーストラリアキャンベラブラジルブラジリア(共に首都)がある。
  7. ^ アメリカ合衆国憲法1条訳文(ウィキソース)、原文(英語版ウィキソース)
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  10. ^ 1790年までに、南部州アメリカ独立戦争の外債をほとんど返済していた。これに対し、北部州は返済が進んでおらず、新しい連邦政府に未払いの負債を引き継いでもらいたいと考えていた。これは、南部州が北部州の負債を肩代わりすることを事実上意味していたので、その見返りとして、南部州は連邦の首都を自分たちの農業地域・奴隷使用地域の利権の近くに置くようロビー活動を行ったのである。前掲Centennial History of the City of Washington, D. C.124頁参照。
  11. ^ "Residence Act: Primary Documents in American History" (英語). 議会図書館 (2007-09-21). 2008-06-10 閲覧。
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  13. ^ "Georgetown Historic District" (英語). アメリカ合衆国国立公園局. 2008-07-05 閲覧。
  14. ^ 19世紀中、"territory"と"district"の語は、1871年にこの地区がコロンビア特別区 (the District of Columbia) と正式に命名されるまでは、互換的に用いられていた。参照:"Get to know D.C." (英語). The Historical Society of Washington, D.C. (2004). 2008-05-27 閲覧。
  15. ^ "The Senate Moves to Washington" (英語). アメリカ合衆国上院 (2006-02-14). 2008-07-11 閲覧。
  16. ^ 前掲Centennial History of the City of Washington, D. C.103頁
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