コンサドーレ札幌

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コンサドーレ札幌
原語表記 コンサドーレ札幌
愛称 コンサドーレ、コンサ
クラブカラー 赤、黒、白、ブルーグレー
創設年 1935年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン2 (J2)
ホームタウン 北海道札幌市
ホームスタジアム 札幌ドーム
札幌ドーム
札幌厚別公園競技場
収容人数 札幌ドーム = 4万1484人
厚別競技場 = 2万0005人
運営法人 株式会社北海道フットボールクラブ
代表者 矢萩竹美
監督 石崎信弘
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ
株式会社北海道フットボールクラブ
種類 株式会社
略称 HFC
本社所在地 札幌市豊平区羊ヶ丘1番地
電話番号 011-858-5310
設立 1996年4月16日
代表者 矢萩竹美
資本金 7億9546万円(2008年11月28日)
  

コンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ、Consadole Sapporo)は、日本北海道札幌市ホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] クラブの概要

1996年Jリーグ準会員に承認され、1998年にJリーグ加盟。前身は1935年昭和10年)創設の東芝サッカー部ホームタウンは北海道札幌市。ホームスタジアムは札幌ドーム札幌厚別公園競技場(以下「厚別競技場」)。加えて年に1ないし2試合ずつを入江運動公園陸上競技場室蘭市)、千代台公園陸上競技場函館市)で行う。主な練習場は宮の沢白い恋人サッカー場で、札幌ドーム・屋外サッカーグラウンドなども用いられる。クラブ事務所は札幌ドームの敷地内にある(同一施設内にプロ野球・北海道日本ハムファイターズ球団事務所も入居)。チーム名の「こんさどーれ(Consadole)」は公募で決定したもので、「どさんこ」の逆さ読みに、ラテン風の「オーレ」(-ole)を組み合わせたもの。

[編集] チームスローガン

[編集] マスコット

北海道に生息するシマフクロウモチーフマスコット『ドーレくん』。チーム名のイニシャル「CS」がい文字で入ったシャツパンツを着用しているが、2006年シーズンからは時折レプリカユニフォームを着用して登場している。特技はダンス(主にコンサドールズと踊る)と側転。2006年シーズンから持ちネタが増え、電動キックスケーターに乗ってのピッチ一周や、巨大ボールを使用しての一人PK戦(自分でボールを蹴って、走ってボールを追い越し正面からボールキャッチ)をハーフタイム時に披露。

[編集] コンサドールズ

日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチーム。1997年5月15日、厚別競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある実力派。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。


[編集] クラブの歴史

[編集] 東芝サッカー部時代

前身の東芝サッカー部は1935年に神奈川県川崎市で結成され、日本サッカーリーグの中-後期は1部リーグで活躍する強豪実業団チームだった。しかし川崎市は当時ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の本拠地だったことから、川崎でJリーグ昇格を目指そうとしてもまず人気実力でのハンディキャップを背負ってしまう。札幌市が地元の財界人を中心とする組織「札幌SJクラブ」が発足させ、札幌ドームを将来的な本拠地とすることを目指したプロサッカーチーム誘致活動を実施中だったこともあり、1996年のシーズン開幕時に設立された運営会社「株式会社北海道フットボールクラブ(HFC)」が東芝サッカー部を受け入れることで、チームは札幌市に移転することになり、チーム名も「コンサドーレ札幌」と改められた。この時以来、東芝とHFCの間で資本的なつながりはないものの、通称「赤黒縦縞」と呼ばれる東芝サッカー部の赤と黒のストライプのユニフォームデザインはそのままコンサドーレに引き継がれ、サポーターの誇りとしてサポーターソング(応援歌)にも歌われている。

[編集] 1996年(JFL)

「北海道からJリーグチームを」の合い言葉のもと、FWアルシンドDFペレイラらJリーグでの実績を持つブラジル人選手を迎えてコンサドーレ札幌は華々しく誕生した。しかし、1996年(Jリーグ準会員承認)のプロ移行初年度、チームは高橋武夫監督のもとプロ選手と東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在(41人体制)し、さらには期待されたアルシンドが審判への暴言で長期出場停止処分となった。アルシンドは復帰後すぐにまたも一発退場を受けるとそのまま退団してしまった。結局最後までチームは噛み合わず当時JFLで20勝10敗の5位(全16チーム)に終わり、Jリーグ入りの条件である2位以内をクリアできなかった。しかし一方でルーキー吉原宏太の活躍や、同年のチーム得点王である川合孝治を含む東芝社員選手を中心にしたチーム構成でシーズン後半は内容が向上するなど、明るい展望もあった。 しかしシーズン終了後、その東芝社員選手の契約更新がなされなかった事で、クラブとマスコミ・サポーターの間に緊張関係が発生するなど、誕生したばかりのプロのクラブとして運営の難しさが表面化する。結局、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社しプロ選手になるという形で決着がついたものの、後味の悪さが残ったことは否めなかった。

[編集] 1997年(JFL)

1997年シーズン、ウルグアイからウーゴ・フェルナンデスを監督に招聘して本格的にJリーグを目指した。「チームはファミリー」を合言葉に周囲の期待通りに快進撃を続け、26勝4敗という成績でJFL優勝(全16チーム)、念願のJリーグ昇格を果たした。さらに、ナビスコカップ予選リーグでJリーグ勢をおさえ、決勝トーナメントに進出。また、パナマ代表FWバルデスが40得点で得点王に輝いているほか、ウーゴ・マラドーナとのホットラインがサポーターを魅了した。しかし、親会社を持たず資金力に乏しいチームにも関わらず、昇格を急ぐあまりに選手獲得に多大な資金を投入したしわ寄せは既にこの頃から表面化し始め、慢性的な赤字体質に悩まされるようになる。11月にJリーグ臨時理事会でJリーグ正会員として正式承認された。

[編集] 1998年(Jリーグ)

戦いの場をJリーグに移した1998年、コンサドーレはトップカテゴリ洗礼を浴びる。1stステージでは第4節ガンバ大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげ、内容的に善戦した試合も少なくなかったものの、結果としては4勝13敗の16位に低迷。巻き返しを期して臨んだ2ndステージでは持ち直したが、フロントとの意見の不一致から10月にフェルナンデス監督が解任されチームは空中分解。石井肇ヘッドコーチが後任の座に就いたが持ち直すことが出来ず2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗で14位(全18チーム)となった。

この年は翌1999年からJリーグが2部制に移行する関係で、シーズン終了後にJリーグの下位チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦が予定されていたが、このJ1参入決定戦に回るチームはこの1998年のリーグ戦の順位ではなく、1997~1998年の2シーズン通算の順位ポイントによるものだった。1997年シーズンは下部リーグJFLにいたコンサドーレには1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されないという札幌には不利な条件となっていた(前年のポイントを持っていなかったのが札幌だけだったこともあり、このシステムには札幌サポーターから批判が続出した)。この2シーズン通算順位ポイントでは札幌は18チーム中16位となり、J1参入決定戦に回る。ここでヴィッセル神戸アビスパ福岡にそれぞれ2連敗を喫し、Jリーグ史上初の降格チームとなった。J1参入決定戦を回避するために繰り返した選手補強も実らず、またJリーグに上がったことで伸びると期待された観客動員も想定ほどではなく、累積赤字は27億円以上にのぼった。

[編集] 1999年(J2)

J2に降格となり、「1年でのJ1復帰」を目指したコンサドーレが切り札として迎え入れたのが、岡田武史日本代表監督だった。また、元日本代表で当時ベルマーレ平塚名塚善寛鹿島アントラーズで優勝経験のある佐藤洋平らも加入した。

日本を史上初のワールドカップ出場に導き、知名度と実績を兼ね備えた名将としてその手腕にかかる期待は大きく、開幕前は昇格の有力候補とされていた。しかし、Jリーグでの監督経験がなかったことが災いしてチームの構築に時間を要し、また外国人選手の補強にも失敗したため、開幕から伸び悩み、昇格争いに絡むことすら出来ずに年間順位は17勝13敗6分の5位(全10チーム)で終了した。そして、A代表・五輪代表にも選出され人気・実力共にチームの柱であった吉原宏太のガンバ大阪への移籍が決定。J2降格によるスポンサー料の収入減もあり、累積赤字も30億円を突破、経営状態は泥沼となっていた。

[編集] 2000年(J2)

2000年は就任2年目の岡田監督がクラブの経営見直しも図り、徹底した緊縮財政を断行。同時に選手の獲得にも自ら動き、ジェフユナイテッド市原(当時)から 野々村芳和、ガンバ大阪から播戸竜二京都パープルサンガ(当時)から大森健作FC東京からアウミールら自らの眼鏡にかなう選手を集めた。そしてブラジルの名門サンパウロFCからエメルソンという強力なブラジル人ストライカーが加わった。この他、大きな活躍は無かったが、1993年アメリカW杯予選日本代表で「アジアの大砲」と呼ばれた高木琢也もV川崎から加入し、若手選手の模範となった。

大きな理想をいったん捨て、下部リーグを戦うための戦術を確立しそれを実行できる選手を各ポジションに揃え、当時J2記録となる16連勝を含む31勝4敗5分(全11チーム)という圧倒的な成績で制覇する。特にJ1から降格してきた浦和レッズとは4度にわたる激闘を演じた。この好成績に押されて観客動員数も増え、この年コンサドーレは初めて単年度黒字を達成し、全てがうまくいった年であった。また、この年に地元北海道出身の山瀬功治という期待のルーキーも出現した(GK藤ヶ谷陽介とともにU-19日本代表に選出)。

しかし、少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手をレンタル移籍に頼り、メンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エースのエメルソンを含む8人のレンタル選手が主力というチーム編成であった。

[編集] 2001年(J1)

再びJ1で戦うチャンスを得たコンサドーレにとって、このレンタル選手依存体質からの脱却が優先事項となり、とりわけ31得点でJ2得点王を獲得したエメルソンの完全移籍が最重要課題であった。このための資金を捻出する方法としてクラブが摂ったのは、サポーターから増資を募ることだった。最終的には、2億5千万円という目標を上回る3億円近くの資金を集めることに成功する。この増資の最大の目的だったエメルソンが金銭面の理由で退団してしまうが、「エメルソン基金」と呼ばれるようになったその資金を基に他の主力選手を完全移籍させ、またエメルソンに替わるストライカーとして大分トリニータのFWウィルをレンタルで獲得した。

J1復帰となった2001年は、開幕戦でセレッソ大阪にアウェイで競り勝ち幸先のいいスタートを切ると、続く柏レイソル戦でも勝利。勢いに乗った札幌は一時は2位にまで上がるなど予想以上の戦いぶりを見せ、またウィルが24得点で得点王を獲得する活躍もあり、10勝15敗5分の11位(全16チーム)でクラブ史上初のJ1残留を果たす。また、同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破。2年連続で単年度黒字を達成した。さらに、前年入団の山瀬功治はこの年J1最優秀新人選手賞を受賞。またこの年も新人の今野泰幸高卒1年目でレギュラーを獲得し、自チームでの戦力養成にも道筋がつき始めた。ようやくチーム全体が軌道に乗り始めたかと思われたが、その矢先にこのシーズンいっぱいを以て岡田監督が退任し、またエースのウィルが横浜F・マリノスへ、ウィルと2トップを組み9得点を挙げた播戸竜二が神戸へそれぞれ移籍してしまう。さらに名塚善寛がケガの影響で引退、主将の野々村芳和もケガの影響もあり戦力外となって引退してしまった。カリスマ的な存在だった監督と、チーム総得点の実に4分の3を叩きだした2トップ、さらには精神的支柱でもあったまとめ役まで失ったチームは、再び迷走を始めることとなる。とりわけ野々村芳和の戦力外はサポーターにも批判が多かった。

[編集] 2002年(J1)

J1復帰2年目の2002年、新監督としてS級ライセンスを取得したばかりで監督経験の無い柱谷哲二を迎え入れた。ウィルに替わるストライカーはロシアサッカー・プレミアリーグの強豪スパルタク・モスクワからブラジル人FWロブソンを、そして日本人選手では東京ヴェルディ1969 から小倉隆史アトランタオリンピック予選日本代表)、ガンバ大阪から小島宏美らを獲得してシーズンに臨んだ。しかし、戦力的に恵まれていないチームをJ1に残留させるのは、新人監督には荷の重い仕事だった。ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンもまったく振るわず、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したDFマクサンドロと共に5月末に退団、柱谷監督からも「ロブソンには責任を取ってもらう」という珍発言を引き出した。しかし、これには選手に責任を転嫁する発言だとして同監督への批判も強く6月に解任された。

クラブは後任の監督として レアル・オビエドスペイン)のチームコーディネータを務めていたユーゴスラビア(現セルビア)人のイバンチェビッチを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人FWバーヤック、ブラジル人MFジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、試合内容は改善したものの勝負弱さは払拭できず、成績は一向に上向くことなくイバンチェビッチ監督は9月にほぼ解任に近い形で辞任してしまう。わずか4ヶ月という就任期間であった。後任には張外龍ヘッドコーチが内部昇格したが、一度狂った歯車は元には戻らなかった。10月27日カシマスタジアムでの鹿島アントラーズ戦、2-2で迎えた延長前半ロスタイムに鹿島の石川竜也にVゴールを決められ、コンサドーレの2度目のJ2降格が確定した。シーズン通算では5勝24敗1分、最下位(全16チーム)に終わった。度重なる監督交代や選手獲得によりチームの財政は再び悪化、9千万円近い赤字となった。

[編集] 2003年(J2)

2度目のJ2を戦うこととなったコンサドーレは、再度1年でのJ1復帰を掲げ、鹿島アントラーズ、名古屋グランパスエイトでリーグ制覇と天皇杯優勝を果たした実績を持つジョアン・カルロスを招聘(その代わり、過去に同監督と確執のあった小倉に退団を決意させてしまう)。また横浜F・マリノスを退団していたウィルを呼び戻し、MFホベルッチ、MFベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得。若手で期待されていた山瀬功治が浦和レッズに移籍したものの、U-20日本代表主将今野泰幸を含めてJ2トップクラスの戦力を揃えることに成功した。

ところが、開幕戦で横浜FCに1-3で完敗してスタートダッシュに失敗。期待されたブラジルトリオもベットがホームシックで帰国し退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチも監督との確執が原因で退団と、全員がシーズン半ばで退団してしまう。その後MFビタウ、FWアンドラジーニャ(大分トリニータ在籍中の2002年、J2得点ランク2位)、オランダ人MFウリダとJリーグでの実績を持つ助っ人を獲得するも、戦い方は安定しないまま2003年8月2日アルビレックス新潟とのアウェイ戦で1-5の大敗を喫したのを最後にジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、既にチームには巻き返すだけの余力はなかった。J1昇格どころか昇格争いにすら絡めないまま13勝18敗13分の9位(全12チーム)というクラブワーストの記録でシーズンを終えた。J1昇格のために繰り返した選手獲得と、成績低迷や不祥事による観客動員の低迷により、この年2億8千万円もの赤字を出す。累積赤字は再び30億円を突破し、債務超過も4億5千万円にまで膨らんでしまう。この結果、クラブは大幅な方針転換を強いられることとなる。

[編集] 2004年(J2)

2003年に社長に就任した佐々木利幸のもと、事実上の倒産状態から生き残るためには抜本的な改革が必要と判断したクラブは、この年の末に、その方針転換の指標となる「5段階計画」を打ち出した。それは、人件費をはじめとした経費の圧縮により経営の黒字化を図り、債務超過を解消すると同時に、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指すというものである。この計画を実行するにあたり若手育成に最適な監督を捜す必要があったが、ジュビロ磐田ユースサテライトチームの監督を長く努め、同トップチームの監督を務めていた柳下正明が2003年シーズン限りで退団することが明らかになり、彼に白羽の矢が立った。監督就任交渉時において「パスを回して自分たちから積極的に攻撃を仕掛けられるチームを作りたい」と述べた城福敬強化部長の言葉に、「そのスタイルならば、受けます」と応じた柳下正明が2004年シーズンから監督に就任する事となった。

この5段階計画元年の2004年シーズンは、柳下監督こそ同年元日の天皇杯を制した実績があるものの、中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン選手・外国籍選手を放出し、逆に加入選手はユース昇格者の鈴木智樹蛯沢匠吾、高卒新人の上田常幸上里一将桑原剛、斉川雄介、大卒新人の河端和哉鎌田安啓という8人もの新人選手と、テスト生から入団した元ジュビロ磐田・静岡FC清野智秋のみという極端な体制でシーズンに臨んだ。開幕戦のホームゲームではヴァンフォーレ甲府にロスタイムに追いつかれはしたものの、第4節まで負けなしで順調なスタートが切れた。しかし、プロ3年目までの選手が大半を占めるチームならではの戦力・経験不足を露呈。さらに三原廣樹の大ケガによる戦線離脱や新居辰基及び中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が続き、横浜F・マリノスから金子勇樹、ヴィッセル神戸から西嶋弘之を補強、特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約するなどして局面打開を図るも、勝利から見放される状況に長く陥ることとなった。育成面で定評のある柳下監督の指導のもと、試合を追うごとに内容は改善されていったが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームではなかなか勝ちを重ねることが出来ず、この年は5勝24敗15分でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム)に終わった。しかし、この年の終わりに行われた天皇杯ではJ1のジェフユナイテッド市原、大分トリニータを破りベスト8に進出。準々決勝でジュビロ磐田に延長Vゴール負けはしたが互角の戦いを見せ、チームが確かな成長をしていることを示した。経営面では経費の削減が実を結び、今野泰幸がFC東京へ移籍した際の移籍金も含めて、クラブ史上最高の約3億5千万円の黒字を達成したことにより、債務超過は一気に1億円以下にまで減少した。

[編集] 2005年(J2)

柳下監督体制2年目となった2005年。正GK藤ヶ谷陽介がガンバ大阪へ移籍したものの、サンフレッチェ広島から林卓人中山元気、鹿島アントラーズから池内友彦、ジュビロ磐田から高原寿康加賀健一を補強。新人では大卒の徐暁飛、ユース昇格者の石井謙伍野田達郎が加入。前年と同じ5位以内を目標に掲げシーズンに挑んだ。

堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされ、チーム力が低下したが、シーズン中盤に浦和レッズから西谷正也を、水戸ホーリーホックからデルリスをそれぞれ獲得した。西谷正也は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術にフィットせず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。クラブは17勝15敗12分の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せ、柳下監督が2006年も指揮を執ることとなった。特に、DFの要として期待された池内は、チームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。

シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑逮捕されるという不祥事があり、経営面では大手スポンサーである学習塾が撤退するなど大きな動揺をもたらす事態が発生した。しかし、チーム成績の上昇や新たな営業活動により観客動員・広告収入が回復して、債務超過額は約4200万円に圧縮された。この年の3月に選手寮「しまふく寮」が完成した。 

[編集] 2006年(J2)

柳下監督体制3年目となった2006年。川崎フロンターレからフッキ、ジェフ千葉から芳賀博信モンテディオ山形から大塚真司川崎健太郎、水戸ホーリーホックから関隆倫アルビレックス新潟・シンガポールから野本安啓、名古屋グランパスからセバスティアンを補強し、ユースからは藤田征也西大伍が昇格。J1昇格を目標に掲げてシーズンに挑んだ。

序盤戦はフッキの出場停止や大塚真司ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷。シーズン中盤以降に状況は改善しつつあったが、年間順位20勝16敗12分で前年と同じ6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南ベルマーレ戦、第42節徳島ヴォルティス戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合には爆発的な攻撃力を発揮。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。また、天皇杯ではJ1のジェフ千葉、アルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府を破りクラブ史上初のベスト4に進出。準決勝でガンバ大阪に1-2で惜しくも敗れ決勝進出はならなかったが、チームの成長ぶりを示すこととなった。

一方、柳下監督は翌シーズンの監督続投の意志が無いことをフロントに伝え、フロント側も本人の意志を尊重して続投のオファーをせず、2006年シーズンでの退任が決まった。経営面では、J1昇格を目標に強化費の大幅増加に踏み切るも、観客動員などが伸び悩み1億6千万円の赤字を計上。翌年度の強化費圧縮が明言されるなど厳しい状況となった。

[編集] 2007年(J2)

2007年は前大宮アルディージャ監督の三浦俊也が新監督に就任。前年の主力選手であったフッキが東京ヴェルディ1969へ移籍、加賀健一がジュビロ磐田に復帰するなどしたが、2006年に途中加入し天皇杯で好プレイを見せたGK佐藤優也をヴァンフォーレ甲府から完全移籍で獲得。さらにセレッソ大阪からDFブルーノ・クアドロスECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮アルディージャからGK高木貴弘、高卒新人の岡本賢明岩沼俊介を獲得した。

開幕戦では0-2で京都サンガF.C.に敗れたが、堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化のために出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームにあっという間に勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、ルーキーの岡本賢明などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守、J1昇格まであと一歩と迫る。

第49節のサガン鳥栖戦に敗れ、第50節の京都サンガF.C.戦は勝てば昇格が決まる試合だったがロスタイムに追いつかれてドロー、さらに試合のない第51節には東京ヴェルディ1969に勝ち点で並ばれ得失点差で首位陥落と、なかなか昇格を決める事ができなかったが、それでも最終節の水戸ホーリーホック戦をダヴィの2ゴールによる逆転で制し、悲願のJ1復帰を果たした。同日、東京ヴェルディ1969がセレッソ大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝11敗10分)も決まった。

[編集] 2008年(J1)

三浦監督体制2年目となる2008年は舞台をJ1に移して戦いを挑むこととなった。ただし経営面は、前年度優勝にも関わらず黒字幅が小さかったこと、膨大な債務超過を解消する目途を立てなければJ1参入を認めないと指摘されたことにより、資本金を80%減資してその上で増資する計画をたてる(後に実行)など、かなり苦しい状況となった。そのため、大型補強ではなく身の丈にあった堅実な補強が行われた。前年にJ1昇格に大きく貢献したCBブルーノクアドロスと契約せず、新たにサンフレッチェ広島から吉弘充志を完全移籍、ヴィッセル神戸から坪内秀介清水エスパルスから平岡康裕をレンタル移籍で獲得し純国産DFで構築した。他にも、MFはアルビレックス新潟からディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、FWダヴィを完全移籍させたほかブラジルのECバイーアからノナトを獲得した。また、新加入選手として、柴田慎吾堀田秀平、各年代別日本代表のFW宮澤裕樹が加入、またユースから横野純貴が昇格した。しかし新加入として期待されたMFアルセウはチームと自身の起用法などとの方向性の違いによりキャンプ中に退団し(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーを反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコ・パラナエンセからMFクライトンを獲得した。

しかし、2007年に堅守を誇ったDFラインに負傷者が相次ぎ、ゾーンの穴を突かれての失点やセットプレー時での失点癖が目立ち守備が崩壊。また、点取り屋として期待されたノナトも調整不足などからレギュラーにも至らない状態であった。戦力不足が影響し、中断期間突入時点で降格圏内の17位と低迷した。この状況を打破するためノナトを解雇し、FWアンデルソン、更に川崎フロンターレから箕輪義信を獲得した。しかし怪我人の離脱だけではなく三浦監督の消極的で守備的なチームならではの采配が裏目に出たのか、悪質なファウルによる選手の退場が圧倒的に多かったことも今季の低迷に響いた(1試合に2人以上の退場者が出る試合もあった)。さらに攻撃もほとんどダヴィとクライトンの個人技頼みで、攻撃手段も偏りが見られていた。その結果、10人以下での戦いや、怪我に加え出場停止などで離脱する選手が増え、戦力差を埋めきれずにさらに失点を重ねていった。大量に得点してもすぐに追いつかれる試合や大量失点で負ける試合が多く、最下位に低迷。10月19日の第29節柏レイソル戦に敗れたことで17位以下が確定、1年でのJ2降格が決まった(5試合を残しての降格は2007年の横浜FCと並ぶ最速記録)。さらに、次節10月26日の対川崎フロンターレ戦にも敗れ、最下位(全18チーム)が確定、12月6日の最終節で対戦相手の鹿島アントラーズにも敗れて目の前で優勝を決められた。

[編集] 2009年(J2)

2009年は、前身である東芝サッカー部出身で、前年まで3年間柏レイソルを指揮して前年度の天皇杯準優勝に導いた石崎信弘が監督に就任。前年の主力選手であったダヴィが名古屋グランパスへ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団したが、チームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、シーズン途中にレンタルで来た箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍により3億円近くの移籍金が入ったため、積極的な補強を行った。具体的には、スウェーデンリーグユールゴーデンIFからFWキリノコロンビアリーグインディペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国Kリーグ浦項スティーラースからDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得した。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得し、新人では沖縄大学から上原慎也が加入、曵地裕哉古田寛幸がユースから昇格した。しかし、7月に入り、チームの大黒柱MFクライトンが、以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ない判断され、退団した。代わりにハファエルが入団した。また、シーズン途中に柏レイソルから石川直樹を獲得した。

[編集] チーム成績

[編集] 年度別成績・歴代監督

年度 所属 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 監督
試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位
1996年 旧JFL 30 62 20 10 - 5位 3回戦敗退 高橋武夫
1997年 30 76 26 4 - 優勝 準々決勝敗退 3回戦敗退 ウーゴ・フェルナンデス(-2nd 第11節)
1998年 J 1st 17 11 4 13 - 16位 予選敗退 4回戦敗退
J 2nd 17 24 8 9 - 10位
石井肇(2nd 第12節- )
1999年 J2 36 55 17 13 6 5位 1回戦敗退 3回戦敗退 岡田武史
2000年 40 94 31 4 5 優勝 1回戦敗退 4回戦敗退
2001年 J1 1st 15 21 6 6 3 8位 予選敗退 3回戦敗退
J1 2nd 15 13 4 9 2 14位
2002年 J1 1st 15 6 2 13 0 16位 予選敗退 3回戦敗退 柱谷哲二 ( -1st 第7節)
イバンチェビッチ (1st 第8節 - 2nd 第3節)
J1 2nd 15 9 3 11 1 16位
張外龍 (2nd 第4節- )
2003年 J2 44 52 13 18 13 9位 3回戦敗退 ジョアン・カルロス ( -第26節)
張外龍 (第27節- )
2004年 44 30 5 24 15 12位 ベスト8 柳下正明
2005年 44 63 17 15 12 6位 3回戦敗退
2006年 48 72 20 16 12 6位 ベスト4
2007年 48 91 27 11 10 優勝 3回戦敗退 三浦俊也
2008年 J1 34 18 4 24 6 18位 予選敗退 4回戦敗退
2009年 J2 51 - - - - - 石崎信弘

[編集] クラブ別通算成績

2009年J2第19節(6月3日)終了時

J1 J2 JFL ナビスコ杯 天皇杯   合計
ホーム アウェイ ホーム アウェイ ホーム アウェイ
試合 勝率
ベガルタ仙台(旧ブランメル仙台) 0 0 1 0 0 1 9 1 3 4 6 2 2 0 2 0 0 1 1 33 17 8 8 0.515
モンテディオ山形 7 3 4 7 3 4 2 0 0 2 32 16 6 10 0.500
鹿島アントラーズ 1 0 3 0 0 4 0 0 2 10 1 0 9 0.100
ザスパ草津 4 2 0 5 1 1 13 9 3 1 0.692
栃木SC 1 0 0 1 0 0 2 2 0 0 1.000
水戸ホーリーホック 8 1 3 4 4 5 1 0 1 0 27 14 5 8 0.519
浦和レッドダイヤモンズ 1 1 2 0 0 4 1 1 0 2 0 0 12 4 2 6 0.333
大宮アルディージャ(旧NTT関東) 0 0 1 1 0 0 4 0 4 3 2 3 2 0 1 1 22 11 2 9 0.500
ジェフ千葉(旧ジェフ市原) 2 0 2 2 0 2 0 1 1 2 1 13 6 1 6 0.462
柏レイソル 2 1 1 1 0 3 1 0 1 1 0 1 1 1 2 16 6 2 8 0.375
FC東京(旧東京ガス) 0 0 3 0 0 3 1 0 1 1 0 1 1 1 0 2 14 3 0 11 0.214
東京ヴェルディ(旧ヴェルディ川崎) 1 0 3 2 1 1 3 2 0 1 0 3 0 2 0 19 7 5 7 0.368
川崎フロンターレ(旧富士通川崎) 0 0 1 0 0 1 0 3 3 0 0 6 2 0 1 1 1 0 2 0 1 22 4 3 15 0.182
横浜F・マリノス(旧横浜マリノス) 0 1 3 0 0 4 1 0 1 0 2 12 1 1 10 0.083
横浜FC 1 3 4 3 3 3 17 4 6 7 0.235
湘南ベルマーレ(旧ベルマーレ平塚) 0 0 1 0 0 1 3 6 4 7 3 2 27 10 9 8 0.370
アルビレックス新潟 0 0 1 0 0 1 3 1 2 4 1 1 1 0 15 8 2 5 0.533
ヴァンフォーレ甲府 4 4 3 3 4 4 2 0 0 2 1 0 27 10 8 9 0.370
清水エスパルス 1 1 2 0 0 4 0 0 1 0 1 10 1 1 8 0.100
ジュビロ磐田 1 0 3 0 0 4 0 1 1 0 2 12 1 1 10 0.083
カターレ富山 0 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0.000
J1 J2 JFL ナビスコ杯 天皇杯   合計
ホーム アウェイ ホーム アウェイ ホーム アウェイ
試合 勝率
名古屋グランパス 2 1 1 1 0 3 8 3 1 4 0.375
FC岐阜 1 0 0 0 0 0 1 1 0 0 1.000
京都サンガF.C.(旧京都パープルサンガ) 1 0 2 0 0 3 1 3 2 1 1 4 1 0 19 4 4 11 0.211
ガンバ大阪 3 1 0 0 1 3 1 1 3 0 2 15 4 3 8 0.267
セレッソ大阪 1 0 1 2 0 0 3 0 0 1 0 1 9 7 0 2 0.778
ヴィッセル神戸 2 1 2 1 2 2 0 0 2 1 1 0 1 0 0 1 1 0 17 6 4 7 0.330
ファジアーノ岡山 0 0 0 0 1 0 1 0 1 0 0.000
サンフレッチェ広島 3 0 0 0 0 3 0 0 2 0 1 1 10 3 1 6 0.300
徳島ヴォルティス(旧大塚FC) 4 2 0 1 5 1 2 0 2 0 17 9 7 1 0.529
愛媛FC 3 2 0 1 0 3 9 4 2 3 0.444
アビスパ福岡 0 0 3 1 0 2 2 2 4 4 2 3 1 0 1 0 1 26 8 4 14 0.308
サガン鳥栖 5 3 6 9 1 5 1 0 1 0 31 16 4 11 0.516
大分トリニータ(旧大分トリニティ) 0 1 0 0 0 1 4 0 0 0 1 3 2 0 2 0 1 0 1 1 1 18 10 2 6 0.556
ロアッソ熊本 0 0 0 0 0 1 1 0 0 1 0.000
横浜フリューゲルス 0 0 1 0 0 1 1 0 0 3 1 0 2 0.333
鳥栖フューチャーズ 1 0 0 1 2 1 0 1 0.500
コスモ四日市 0 1 0 1 2 0 0 2 0.000
ジャトコ 1 0 1 0 2 2 0 0 1.000
デンソー(現FC刈谷) 2 0 1 1 4 3 0 1 0.750
西濃運輸 2 0 2 0 4 4 0 0 1.000
福島FC 2 0 2 0 4 4 0 0 1.000
本田技研(現Honda FC) 2 0 0 2 4 2 0 2 0.500
J1 J2 JFL ナビスコ杯 天皇杯   合計
ホーム アウェイ ホーム アウェイ ホーム アウェイ
試合 勝率
和歌山大学 1 0 1 1 0 0 1.000
五戸町役場 1 0 1 1 0 0 1.000
鹿児島実業高校 1 0 1 1 0 0 1.000
アステール青森 1 0 1 1 0 0 1.000
FCプリメーロ 1 0 1 1 0 0 1.000
阪南大学 1 0 1 1 0 0 1.000
マインドハウスTC 1 0 1 1 0 0 1.000
フォルトナFC 1 0 1 1 0 0 1.000
草津東高校 1 0 1 1 0 0 1.000
尽誠学園高校 1 0 1 1 0 0 1.000
静岡産業大学 1 0 1 1 0 0 1.000
ホンダロック 1 0 1 1 0 0 1.000
佐川急便東京SC 0 1 1 0 0 1 0.000
新日鉄大分 1 0 1 1 0 0 1.000
TDK SC 0 1 1 0 0 1 0.000
合計 21 8 37 11 4 51 69 37 46 60 36 56 28 1 16 14 7 7 16 20 13 545 232 92 221 0.426
※1998年のJ1参入決定戦(対ヴィッセル神戸・アビスパ福岡)はJ1の試合としてカウント

[編集] 獲得タイトル

[編集] 国内タイトル

[編集] 個人別

最優秀選手
ベストイレブン
得点王
新人王
  • 2001年 山瀬功治 日本

[編集] 代表選出選手

[編集] A代表

[編集] U-23代表

[編集] U-20代表

[編集] その他の記録

[編集] 年度別チーム得点王

年度 リーグ チーム得点王 得点数(試合数) リーグランキング
1996年 JFL 川合孝治( 日本 8点(30試合) 不明
1997年 JFL バルデス( パナマ 40点(30試合) リーグ得点王
1998年 Jリーグ バルデス( パナマ 21点(34試合) リーグ4位
1999年 J2 吉原宏太( 日本 15点(36試合) リーグ6位
2000年 J2 エメルソン( ブラジル 31点(40試合) リーグ得点王
2001年 J1 ウィル( ブラジル 24点(30試合) リーグ得点王
2002年 J1 小倉隆史( 日本 7点(30試合) リーグ27位
2003年 J2 堀井岳也( 日本 8点(44試合) リーグ19位
2004年 J2 清野智秋( 日本 9点(44試合) リーグ11位
2005年 J2 池内友彦( 日本 11点(44試合) リーグ14位
2006年 J2 フッキ( ブラジル 25点(48試合) リーグ2位
2007年 J2 ダヴィ( ブラジル 17点(48試合) リーグ6位
2008年 J1 ダヴィ( ブラジル 16点(34試合) リーグ2位

[編集] ハットトリック

選手名 試合日 会場 対戦相手 スコア 得点時間
1997年 吉原宏太( 日本 5月15日 JFL 第5節 厚別 大塚製薬 5-1 〇 16分 45分 67分
バルデス( パナマ 5月25日 JFL 第7節 厚別 川崎フロンターレ 4-3 〇 89分 89分 112分
バルデス( パナマ 7月6日 JFL 第13節 刈谷 デンソー 6-1 〇 23分 52分 76分 86分
バルデス( パナマ 7月12日 JFL 第14節 厚別 ヴァンフォーレ甲府 3-0 〇 40分 56分 63分
バルデス( パナマ 8月17日 JFL 第16節 帯広 水戸ホーリーホック 6-1 〇 5分 36分 53分 87分
バルデス( パナマ 8月31日 JFL 第19節 厚別 ブランメル仙台 3-0 〇 0分 38分 77分
バルデス( パナマ 9月4日 JFL 第20節 等々力 川崎フロンターレ 4-3 〇 76分 80分 116分
バルデス( パナマ 10月26日 JFL 第29節 大宮 NTT関東 5-3 〇 31分 44分 59分
1998年 バルデス( パナマ 5月9日 J 1st 第12節 室蘭 ジェフ市原 3-2 〇 16分 46分 103分
1999年 吉原宏太( 日本 5月2日 J2 第9節 厚別 ヴァンフォーレ甲府 6-0 〇 22分 27分 48分
2000年 エメルソン( ブラジル 3月12日 J2 第1節 鳥栖 サガン鳥栖 4-0 〇 41分 58分 74分
2001年 ウィル( ブラジル 9月29日 J1 2nd 第7節 厚別 ヴィッセル神戸 5-2 〇 29分 62分 78分
2002年 曽田雄志 日本 11月30日 J1 2nd 第15節 札幌ドーム サンフレッチェ広島 5-4 〇 55分 88分 99分
2003年 ウィル( ブラジル 4月12日 J2 第6節 室蘭 アビスパ福岡 5-0 〇 61分 71分 85分
2005年 清野智秋( 日本 11月19日 J2 第41節 札幌ドーム 京都パープルサンガ 3-3 △ 19分 69分 70分
2006年 フッキ( ブラジル 9月23日 J2 第41節 平塚 湘南ベルマーレ 6-1 〇 69分 81分 89分 89分

 

[編集] チーム最多得点試合

H & A スコア 試合日 会場 対戦相手 得点者
J1 ホーム 5-2 〇 2001年 2nd 第7節 (9月29日) 厚別競技場 ヴィッセル神戸 ウィル×3、山瀬、播戸
5-4 〇 2002年 2nd 第15節 (11月30日) 札幌ドーム サンフレッチェ広島 小倉、曽田×3、相川
アウェー 2-3 1998年 1st 第11節 (5月5日) 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 ヴィッセル神戸 吉原、バウテル、バルデス
4-3 1998年 1st 第15節 (8月1日) 帯広の森運動公園サッカー場 サンフレッチェ広島 バルデス、吉原×2
1-3 1998年 2nd 第1節 (8月22日) 長居スタジアム セレッソ大阪 深川、バウテル、村田
1-3 1998年 2nd 第16節 (11月7日) 市原臨海競技場 ジェフ市原 バルデス、吉原、棚田
0-3 2002年 1st 第4節 (3月31日) 瑞穂陸上競技場 名古屋グランパスエイト オウンゴール、山瀬、森下
0-3 2008年 第16節 (7月13日) フクダ電子アリーナ ジェフユナイテッド市原・千葉 中山、ダヴィ×2
J2 ホーム 6-0 〇 1999年 第9節 (5月2日) 厚別競技場 ヴァンフォーレ甲府 吉原×3、アシス×2、リカルジーニョ
6-2 〇 2003年 第21節 (7月2日) 札幌ドーム 大宮アルディージャ 西澤、アンドラジーニャ、砂川、ビタウ、岡田、佐藤
6-0 〇 2006年 第42節 (9月27日) 厚別競技場 徳島ヴォルティス フッキ、関、西嶋、石井×2、砂川
アウェー 1-6 2006年 第41節 (9月23日) 平塚競技場 湘南ベルマーレ 大塚、フッキ×4、相川
JFL ホーム 6-1 〇 1997年 第16節 (8月17日) 帯広の森運動公園サッカー場 水戸ホーリーホック バルデス×4、マラドーナ、太田
アウェー 1-6 1997年 第13節 (7月6日) 刈谷市総合運動公園多目的グラウンド デンソー 吉原、バルデス×4、オウンゴール
ナビスコ杯 ホーム 3-2 〇 1998年 第3節 (5月30日) 室蘭入江運動公園陸上競技場 横浜F・マリノス 吉原、マラドーナ、古川
アウェー 3-3 1997年 第1節 (3月8日) 万博記念競技場 ガンバ大阪 バルデス×2、鳥居塚
1-3 1997年 第3節 (3月19日) 三ツ沢競技場 横浜マリノス バルデス、後藤×2
天皇杯 8-0 〇 2003年 1回戦 (11月30日) 香川県立丸亀競技場 尽誠学園高校 アンドラジーニャ、堀井、市村、曽田、砂川×2、藤田、鈴木

[編集] チーム最多失点試合

H & A スコア 試合日 会場 対戦相手
J1 ホーム 1-6 1998年 2nd 第13節 (10月24日) 厚別競技場 ジュビロ磐田
アウェー 5-2 ● 2001年 1st 第7節 (5月3日) 日本平スタジアム 清水エスパルス
5-1 ● 2002年 1st 第1節 (3月3日) 広島ビッグアーチ サンフレッチェ広島
5-0 ● 2008年 第28節 (10月5日) ヤマハスタジアム ジュビロ磐田
J2 ホーム 1-6 2006年 第15節 (5月14日) 厚別競技場 ヴィッセル神戸
アウェー 6-0 ● 2004年 第19節 (6月23日) 等々力陸上競技場 川崎フロンターレ
JFL ホーム 4-3 1997年 第20節 (9月4日) 厚別競技場 川崎フロンターレ
アウェー 5-1 ● 2004年 第19節 (6月23日) 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 ヴィッセル神戸
ナビスコ杯 ホーム 0-3 2008年 第6節 (6月8日) 札幌ドーム 柏レイソル
アウェー 7-0 ● 1997年 準々決勝 (10月18日) カシマサッカースタジアム 鹿島アントラーズ
天皇杯 0-5 2002年 3回戦 (12月15日) 大分スタジアム 大分トリニータ

[編集] Tips

  • J2リーグ最多連勝記録:14連勝(2000年 J2 第9節-第23節) 
  • Jリーグ最後のVゴール曽田雄志(2002年11月30日 J1 2nd 第15節 vsサンフレッチェ広島 札幌ドーム)
  • J2リーグ戦連続得点試合記録:27試合(2007年 J2 第9節-第38節)
  • リーグ戦ホームゲーム無敗記録:16試合(2007年 J2 第2節-第33節)
  • Jリーグ在籍全チームから敗戦:2007年9月5日 J2 第28節 vs徳島ヴォルティス戦で達成(2007年当時31チーム)

[編集] ユニフォーム

[編集] チームカラー

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×黒
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd) グレー
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd

チームカラーは(暖かい炎=ファイティングスピリットの象徴)、(北海道の大地=無限大パワーを象徴)、(シマフクロウ(マスコット)・フェアプレイ精神の象徴)、ブルーグレー針葉樹林の茂る深い森=冷静な判断力の象徴)である。また赤と黒は、実業団チーム時代の母体・東芝のコーポレートカラーであり、東芝サッカー部時代からのチームカラーの名残り、すなわち伝統の象徴でもある。

[編集] ユニフォームについて

東芝サッカー部のユニフォームを赤と黒の縦縞に変更させたのは、当時東芝に在籍していた現監督の石崎信弘であり、石崎信弘が好きなACミランのデザインに肖ったものである[1]。これはコンサドーレ札幌となってからも引き継がれた(前身も参照)。 1997-1998年のホームユニフォームでは、赤と黒の縦縞を基調にブルーグレーも使われた。

ユニフォームの「赤黒縦縞」に対するサポーターの思いは強く、adidasの主導によって縦縞模様が簡略化され始めた2003年頃からデザインに対する批判が出始め、2005年には大幅にデザインが変更(正面は赤一色、背面は赤ベースに黒の三本線)され、その不満が爆発。一部サポーターが新デザイン発表当日からクラブに対して抗議を行い、その年のスタジアムのゴール裏には「札幌って赤だっけ?」「返せ!縦縞」等の抗議の横断幕が掲出される事態となった。翌2006年にはサプライヤーがそれまでのadidasからkappaへと変更となり、赤黒縦縞も復活を果たした。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ニトリ ニトリ 2008年〜
背中 石屋製菓 白い恋人 1999年〜2001年
2008年〜
1997年までは袖、1998年・2002年〜2007年までは胸
サッポロビール ★SAPPORO 2008年〜 1997年〜1998年・2002年〜2007年までは背中
1999年〜2001年までは胸
パンツ 日本航空 JAL 2008年〜 1998年〜2007年までは袖

※ユニフォームサプライヤーのKappa、練習着のJR北海道を含めた6社がオフィシャルパートナー

[編集] ユニフォームサプライヤー

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー

年度 背中 パンツ サプライヤー
1996年 ハドソン サッポロビール 東芝 - PUMA
1997年 ハドソン 石屋製菓 サッポロビール - PUMA
1998年 白い恋人 JALグループ サッポロビール - PUMA
1999年 サッポロビール JALグループ 白い恋人 - adidas
2000年 サッポロビール 日本航空 白い恋人 - adidas
2001年 サッポロビール 日本航空 白い恋人 - adidas
2002年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 adidas
2003年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 adidas
2004年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 adidas
2005年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 adidas
2006年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 Kappa
2007年 白い恋人 日本航空 サッポロビール JR北海道 Kappa
2008年 ニトリ サッポロビール 白い恋人 日本航空 Kappa
2009年 ニトリ サッポロビール 白い恋人 日本航空 Kappa

[編集] チームスポンサー

  • 札幌市交通局
  • 北海道新聞社
  • アインファーマシーズ
  • ジェイ・アール北海道バス
  • 北洋銀行
  • 丸井今井
  • 札幌大学
  • スポーツデポ
  • 道栄紙業
  • 原田建設工業
  • 丸大食品

 

  • アルバイト北海道
  • 岩田地崎建設
  • エナレディースクリニック
  • キャリアバンク
  • 玄米酵素
  • サザエ食品
  • さっぽろ健康スポーツ財団
  • 北海道観光事業
  • 札幌日産
  • さぽーとさっぽろ
  • サンピ&デュオ専門店街
  • JAバンク
  • JALカード
  • JALセールス北海道
  • JALUX
  • セブン-イレブン・ジャパン
  • 東京エレクトロン
  • 日通航空
  • ハウスメイトパートナーズ
  • パソコンスクールパルティス
  • ピザハット
  • 富士メガネ
  • ほくせん
  • ホクレン
  • 北海道リコー
  • ヨドバシカメラマルチメディア札幌
  • アイ アム アプロス
  • アクアクララ北海道
  • アルファビジネス
  • アントレ
  • ヴァーナル北海道
  • カルビーポテト
  • ケーアイプランニング
  • コンサドーレ札幌検定
  • 札幌青葉学園
  • サッポロ飲料
  • 札幌市水道局
  • サッポロライオン
  • CCAクレストグループ
  • 専門学校北海道体育大学校
  • 札幌第一ホテル
  • 痛快食堂
  • NEEDS Sapporo
  • ネットマイル
  • 野口観光
  • 阪急交通社
  • ピヴォ
  • 平成ハイヤー
  • 北雄ラッキー
  • 北海道コカ・コーラボトリング
  • 森永乳業
  • ろうきん
  • 進藤病院
  • 太洋飲料
  • テレ・マーカー
  • 東北海道トラベル

[編集] リーグ戦ホームゲーム入場者数など

[編集] 入場者数(年度別・最多/最少動員)

カテゴリ 試合数 ・ 
年間入場者数
1試合平均 - 最多動員 最少動員
動員数 試合日 対戦相手 会場 勝敗 動員数 試合日 対戦相手 会場 勝敗
1996年 JFL 15 83,000 5,533 10,024 7月7日 ブランメル仙台 厚別 3-0 〇 615 5月16日 ヴァンフォーレ甲府 平塚 2-1 〇
1997年 JFL 15 153,181 10,212 17,492 10月22日 大分FC 厚別 2-1 〇 5,609 8月17日 水戸ホーリーホック 帯広 6-1 〇
1998年 J 17 203,195 11,953 19,739 10月24日 ジュビロ磐田 厚別 1-6 ● 5,118 5月9日 ジェフ市原 室蘭 3-2 〇
1999年 J2 18 197,752 10,986 17,427 8月29日 FC東京 厚別 4-1 〇 4,317 4月25日 モンテディオ山形 室蘭 3-2 〇
2000年 J2 20 258,206 12,910 19,863 10月29日 大宮アルディージャ 厚別 2-0 〇 3,162 3月30日 ルビレックス新潟 室蘭 3-0 〇
2001年 J1 15 333,425 22,228 39,319 7月21日 横浜Fマリノス 札幌ドーム 1-1 △ 6,276 3月17日 柏レイソル 高知 2-1 〇
2002年 J1 15 287,098 19,140 32,416 9月29日 ジュビロ磐田 札幌ドーム 0-1 ● 7,236 3月9日 ベガルタ仙台 高知 0-1 ●
2003年 J2 22 236,861 10,766 23,590 3月15日 横浜FC 札幌ドーム 1-3 ● 3,653 10月25日 大宮アルディージャ 室蘭 0-1 ●
2004年 J2 22 208,241 9,466 19,873 11月23日 大宮アルディージャ 札幌ドーム 0-1 ● 5,061 10月23日 湘南ベルマーレ 厚別 0-0 △
2005年 J2 22 244,935 11,133 20,374 8月2日 横浜FC 札幌ドーム 1-2 ● 4,959 10月22日 モンテディオ山形 函館 3-1 〇
2006年 J2 24 251,476 10,478 18,547 10月21日 ヴィッセル神戸 札幌ドーム 1-4 ● 3,896 9月27日 徳島ヴォルティス 厚別 6-0 〇
2007年 J2 24 290,676 12,112 32,599 11月18日 京都サンガF.C. 札幌ドーム 2-2 △ 2,161 4月11日 アビスパ福岡 西が丘 0-0 △
2008年 J1 17 247,305 14,547 28,901 11月8日 浦和レッズ 札幌ドーム 1-2 ● 7,010 8月27日 ガンバ大阪 厚別 3-3 △

[編集] 入場者数(年度別・会場別)

厚別 札幌ドーム 室蘭 函館 その他
試合 動員 勝-分-負 試合 動員 勝-分-負 試合 動員 勝-分-負 試合 動員 勝-分-負 会場 試合 動員 勝-分-負
1996年 9 62,001 9-0-0       2 9,285 2-0-0       花咲 1 5,943 1-0-0
帯広 1 4,190 1-0-0
町田 1 966 0-0-1
平塚 1 615 1-0-0
1997年 12 131,099 12-0-0       1 8,442 1-0-0       釧路 1 8,031 1-0-0
帯広 1 5,609 1-0-0
1998年 11 145,458 5-0-6       4 30,884 2-0-2       仙台 2 26,853 1-0-1
1999年 15 182,643 10-1-4       3 15,109 1-0-2            
2000年 17 233,626 14-2-1       2 13,308 1-1-0 1 11,272 0-0-1      
2001年 7 116,758 3-1-3 5 185,814 1-2-2 1 9,289 1-0-0 1 15,288 1-0-0 高知 1 6,276 1-0-0
2002年 3 43,242 1-1-1 9 212,289 3-0-6 1 10,203 0-0-1 1 14,128 0-0-1 高知 1 7,236 0-0-1
2003年 10 81,076 4-4-2 9 140,559 2-2-4 2 9,327 1-0-1 1 5,899 0-0-1      
2004年 12 84,068 1-2-9 8 112,694 2-5-1 1 5,534 0-0-1 1 5,945 0-0-1      
2005年 7 54,692 4-0-3 13 179,534 4-5-4 1 5,750 0-0-1 1 4,959 1-0-0      
2006年 11 83,428 5-3-3 11 156,375 5-3-3 1 5,065 0-0-1 1 6,608 0-0-1      
2007年 9 71,570 5-4-0 11 198,900 7-3-1 2 11,581 1-0-1 1 6,464 0-1-0 西が丘 1 2,161 0-1-0
2008年 8 74,810 0-4-4 9 172,495 1-0-8                
2009年 13[2]   11     1 5,824 1-0-0 1          

[編集] その他

[編集] クラブ名変遷

  • 1935年 ~ 東芝堀川町サッカー部
  • 1980年 ~ 東芝サッカー部
  • 1996年 ~ 北海道フットボールクラブ(略称 HFC)・コンサドーレ札幌

[編集] 主要本拠地の遍歴

  • JFLにいた1995年までは主として、川崎市等々力陸上競技場など神奈川県各地を中心として開催。
  • 1996年~97年 厚別競技場へ移転したが、屋外スタジアムであるため積雪が残る4月までは本州各地で地方遠征を行う。
  • 1998年(Jリーグ参戦) 第1ステージ前半は厚別競技場が積雪と改修工事(芝生席の座席化)に伴って6月まで使えず、入江運動公園陸上競技場をメインに使用(3月のナイターは仙台スタジアムで主催)。7月以後厚別競技場で開催。
  • 1999年~2000年 3月~4月は積雪のため厚別競技場が使えないので室蘭を中心に主催。5月以後は厚別競技場で開催。
  • 2001年以後 札幌ドーム・厚別競技場併用開始。原則として、積雪時(春季と秋季)、平日ナイターは札幌ドーム、夏季の週末デーゲームは厚別競技場を使うが、2004年は運営予算の関係上、厚別競技場での試合をメインとし札幌ドームでは8試合に留まった。しかしその後はホームゲームの半数程度を開催するようになった。ただこの年から北海道日本ハムファイターズが札幌ドームをホームゲームの主会場とするようになり、プロ野球のほうがJリーグより早く日程が決まるため、平日ナイターを札幌ドームで行えない事例(特に夏季~秋季)もある。

[編集] スタジアムDJ

スタジアムDJは北海道内を放送対象地域とするラジオ局 FM ノースウェーブのDJが担当している。

[編集] 道外での公式戦主催

コンサドーレ札幌は道内では札幌市、函館市、室蘭市、帯広市釧路市(帯広と釧路はJリーグ加盟後トップチームの試合では未使用)で公式戦を主催しているが、厚別競技場の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトゲーム用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦を主催したことがある。

特に2001年と2002年の高知県での開催は、同年のJリーグで最初のホームゲームだった。当時の橋本大二郎県知事の誘致活動もあり、YOSAKOIソーラン祭りなどで北海道と高知県の関係が深まった事もあって、コンサドーレは高知を準ホームタウンとして定め、2002年にはキャンプも開催した。北海道から四国の遠距離移動にも関わらず、札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなどでコンサドーレサポーターが駆けつけたが、地元での反応は芳しくなく、2万人を期待していた観客動員も伸び悩んだため、2002年限りで支出削減を図るコンサドーレは高知県との準ホームタウン関係を解消し、ホームゲームの開幕戦を札幌ドーム開催に切り替えた[3]

会場 試合日 対戦相手 勝敗 観客数
1996年 町田陸上競技場 5月5日 JFL 第3節 コスモ四日市 1-2 ● 966
平塚競技場 5月16日 JFL 第5節 ヴァンフォーレ甲府 2-1 〇 615
1997年 長崎陸上競技場 3月15日 ナビスコ杯予選 ヴェルディ川崎 2-2 △ 4,823
長良川陸上競技場 3月26日 ナビスコ杯予選 横浜マリノス 1-2 ● 2,913
熊本水前寺競技場 3月29日 ナビスコ杯予選 ガンバ大阪 1-0 〇 2,881
1998年 仙台スタジアム 3月25日 J 1st 第2節 鹿島アントラーズ 1-3 ● 14,682
仙台スタジアム 4月15日 J 1st 第6節 浦和レッズ 2-0 〇 12,171
2001年 高知県春野総合運動公園陸上競技場 3月17日 J1 1st 第2節 柏レイソル 2-1 〇 6,276
2002年 高知県春野総合運動公園陸上競技場 3月2日 J1 1st 第2節 ベガルタ仙台 0-1 ● 7,236
2007年 国立西が丘サッカー場 4月11日 J2 第8節 アビスパ福岡 0-0 △ 2,161

[編集] 下部組織

コンサドーレ札幌ユース・U-18、コンサドーレ札幌ユース・U-15
コンサドーレ旭川ユース・U-15、コンサドーレ札幌ユース・U-12

長期的視点に立った強化計画の一環として、下部組織の充実に力を入れている。財政の緊縮化を図った2004年度においても下部組織の予算は前年比で据え置かれている。また、さらなる才能の発掘を目指し、旭川にもコンサドーレ旭川ユース・U-15のチームを置いている。将来的には主要都市にユースチームを置くことも計画している。

[編集] 主な大会結果

コンサドーレ札幌ユース・U-18
コンサドーレ札幌ユース・U-15

[編集] シーズン前キャンプ地

積雪寒冷地がホームタウンである関係で、チームは1月下旬から開幕直前まで北海道外でキャンプを行っている。

チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおりである。

キャンプ場所 対戦相手(勝敗)
1996年 オーストラリア
神奈川県横浜市
1997年 オーストラリア
宮崎県
1998年 メキシコ
パナマ
静岡県
1999年 沖縄県石垣市
高知県
2000年 オーストラリア
静岡県
宮崎県
2001年 オーストラリア
静岡県御殿場市 全北現代(2-2△) 横浜FC(1-0〇) 
宮崎県
2002年 オーストラリア 南オーストラリア州選抜(4-0〇) アデレード・ブルーイーグルス(1-0〇) 東京ヴェルディ(0-0△) アデレードシティフォース(1-1△)
宮崎県宮崎市シーガイア 阪南大学(2-2△) 城南一和(3-0〇) プロフェソール宮崎FC(4-4△) 南国高知FC(4-0〇) 
高知県高知市
春野運動公園陸上競技場
2003年 オーストラリア
鹿児島県指宿市 京セラ川内FC(2-0〇) ヴォルカ鹿児島(1-0〇) 鹿屋体育大学(4-0〇,3-0〇) 本田技研(2-1〇)
アビスパ福岡(1-1〇) 流通経済大学(5-0〇,3-0〇)
2004年 グアム グアム代表(7-0〇) 東京ヴェルディ(0-1●)
鹿児島県指宿市 柏レイソル(0-1●,0-1●) 名古屋グランパスエイト(0-3●) 佐川印刷(2-2△) 本田技研(0-0△) 静岡産業大学2-0〇) アルビレックス新潟(0-1●)
2005年 静岡県静岡市J-STEP
鹿児島県指宿市 京都パープルサンガ(0-2●,0-1●) 城南一和(1-1△,1-3●,1-1△) ロッソ熊本(0-0△,0-0△,1-2●) 
静岡県沼津市
愛鷹広域公園多目的競技場
ジュビロ磐田(2-1〇,0-1●)
2006年 宮崎県宮崎市国際海浜エントランスプラザ ホンダロック(6-3〇) アビスパ福岡(2-1〇) 川崎フロンターレ(1-2●) 横浜F・マリノス(1-1△) ヴァンフォーレ甲府(2-3●)
熊本県熊本市 KK WING 横浜FC(3-0○) 水原三星(0-2●) ロッソ熊本(8-2〇)
鹿児島県薩摩町
インターナショナルゴルフリゾート京セラ
サンフレッチェ広島(2-3●) 鹿屋体育大学(4-1〇) ヴォルカ鹿児島(2-1〇)
2007年 沖縄県国頭村
ふれあい広場・恩納村赤間運動公園
熊本県熊本市 KK WING 川崎フロンターレ(2-2△) 城南一和(4-4△) 水原三星(3-1〇) ヴァンフォーレ甲府(1-1△) ヴィッセル神戸(2-0〇)
国民銀行(2-2△) U-22日本代表(1-0〇) アビスパ福岡(1-1△) NW北九州(2-2△)
2008年 グアム レオパレスリゾートグアム 仁川ユナイテッドFC(1-1△,2-2△) FC東京(1-1△) 大宮アルディージャ(0-2●) アルビレックス新潟(1-1△)
熊本県熊本市 KK WING 水原三星(0-4●) 上海申花(2-2△,0-0△) サガン鳥栖(0-1●,0-1●) アビスパ福岡(3-2〇) 福岡大学(1-1△) ロアッソ熊本(2-1〇)
2009年 グアム レオパレスリゾートグアム 大宮アルディージャ(1-0〇) ヴィッセル神戸(2-2△)
熊本県熊本市 KK WING 清水エスパルス(0-2●) 浦項スティーラーズ(3-2〇,0-1●) FC東京(2-1〇) NW北九州(2-1〇)

[編集] コンサドーレ札幌に所属するサッカー漫画の登場人物

北海道出身の選手(松山光・小田和正・氷室明彦)が多い。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 公式サイト

[編集] スタジアム・練習場

[編集] コンサドーレ応援番組

[編集] コラム

[編集] スポーツナビ

[編集] FC Japan

[編集] 備考

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  1. ^ 日本経済新聞 2007年7月2日夕刊「駆ける魂」
  2. ^ 11月8日・カターレ富山戦は当初、代替地を含め会場未定だったが、厚別に決定した。これは日本シリーズ北海道日本ハムファイターズが進出したため、札幌ドームは同日の第7戦開催(予定)を優先するためだった。これにより、2009年の札幌市内での開催は2004年以来厚別の試合が半数以上開催されたことになる。また厚別での11月の開催自体も2003年以来(この年は11月に同地で行われた第22回アジア野球選手権大会の開催を優先したもの)である
  3. ^ 高知新聞 コンサドーレ札幌情報2002[1]

最終更新 2009年11月15日 (日) 03:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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