サクラユタカオー
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| サクラユタカオー | |
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天皇賞(春)出走時(1986年4月29日)
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| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1982年4月28日 |
| 死没 | - |
| 父 | テスコボーイ |
| 母 | アンジェリカ |
| 母の父 | ネヴァービート |
| 生国 | |
| 生産 | 藤原牧場 |
| 馬主 | (株)さくらコマース |
| 調教師 | 境勝太郎(美浦) |
| 厩務員 | 千葉里見 |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 12戦6勝 |
| 獲得賞金 | 2億2513万2400円 |
サクラユタカオーは、日本の競走馬、種牡馬。1986年天皇賞(秋)の優勝馬。天皇賞で記録した日本レコードタイムなど、3度のレコード優勝を記録。2000m前後の距離で活躍を示した。主戦騎手は小島太。種牡馬としても5頭のGI競走優勝馬を輩出するなど、内国産種牡馬の中心的な存在であった。
半兄に1981年度優駿賞最優秀スプリンター・サクラシンゲキ(父ドン)がいる。
目次 |
[編集] 経歴
1982年、北海道日高地方の名門・藤原牧場に生まれる。父テスコボーイは5度のリーディングサイアーを獲得した名種牡馬、母系は名牝スターロッチの流れを汲み、半兄にはサクラシンゲキという良血から、誕生前より大きな期待を掛けられていた。しかし本馬の被毛は栗毛であり、当時の日高には「栗毛のテスコボーイ産駒は活躍しない」というジンクス があったことから、生産者の藤原を落胆させた[1]。だが一方で馬体そのものは素晴らしく、藤原は当時の台帳に「馬格雄大、骨太品位に富む。大物の相、栗毛如何ともし難し」と書き記していた[2][3]。その後、2歳時に出品されたセリ市で兄シンゲキも管理した境勝太郎に3500万円で落札され、競走年齢の3歳に達し境厩舎に入った。
[編集] 戦績
3歳12月の中山開催でデビューすると、この初戦をレコードタイムで優勝。次走の条件戦も7馬身差で逃げ切り勝ちを収め、明けて4歳2月に出走した共同通信杯4歳ステークスで重賞を初制覇。3連勝でこの年のクラシック路線の有力候補に挙げられた。
しかしクラシック本番を迎える前に右前脚を骨折し、春シーズンを全休する。10月の京都新聞杯から復帰するも、皐月賞優勝馬ミホシンザンの前に4着、続いて出走したクラシック最後の一冠・菊花賞も再び同馬の4着と敗れた。次走のダービー卿チャレンジトロフィーでスズパレードの2着に入り復活の兆しを見せたが、その後脚部不安を生じ、再び休養に入る。5歳になり、大阪杯で復帰。ここで重賞2連勝中のスダホークを退け、約1年2ヶ月振りの勝利を挙げた。しかし次走の天皇賞(春)では14着と大敗、競走後に再び脚部不安を生じ、三たび休養に入った。
秋は得意距離に戻った毎日王冠から復帰すると、ここでミホシンザンを破りレコードタイムで優勝、天皇賞(秋)に進んだ。ここでは「前走のレコード勝利で余力が残っていない」等と見られ、さらに圧倒的不利とされる大外枠(16番枠)に入ったこともあり[4]、単勝オッズはミホシンザンに次ぐ2番人気だった。しかし鞍上・小島太のスムーズな騎乗によって好位置を確保すると、最後の直線半ばでウインザーノットを捉え、同馬に2馬身半差を付けて優勝。小島自身「パーフェクトなレースだった[5]」と回想し、騎手に対して辛辣な境をして「太のバカがよく乗った」と評する会心のレースで、GI初制覇を果たした。優勝タイム1分58秒3は芝2000メートルの日本レコードタイムであった[6]。
続くジャパンカップ、有馬記念ではともに6着と敗れ、これを最後に競走馬を引退した。
[編集] 種牡馬として
良血と好馬体、優れたスピード能力が評価され、GI優勝は天皇賞のみという成績ながら、種牡馬としての引く手は数多であった。当初は日本の馬産最大手・社台グループの種馬場(現・社台スタリオンステーション)での繋養がまとまりかけていたが、日高の生産者が導入に尽力し、静内スタリオンステーションでの繋養となった[7]。種牡馬入りに際しては5億円という、当時の内国産馬としては高額のシンジケートが組まれた[8]。種牡馬成績は期待に違わないものであり、初年度産駒からダイナマイトダディ等の重賞優勝馬を輩出すると、種付け権の市場取引価格は1000万円近くまで高騰。2年目の産駒からもサクラバクシンオーがGI優勝馬となり、1992年に死亡した同父のトウショウボーイに代わって内国産種牡馬の筆頭格となった。
以降も1999年の最優秀短距離馬を受賞したエアジハードなど、数々の活躍馬を送り出していたが、その1999年の誕生世代から突如として産駒出生率が大幅に低下し、翌年には89頭への種付けで1頭の産駒も誕生しなかった。治療が試みられたが状態は好転せず、2000年の種付けを最後に種牡馬を引退した。現在は北海道静内町のライディングヒルズ静内で功労馬として余生を送っている。
サクラバクシンオーが後継種牡馬として活躍し、2002年には孫のショウナンカンプが高松宮記念に優勝、父子三代GI制覇が達成されている。
[編集] 特徴
レコード勝利を連発するなど軽快なスピードを持っていた反面、重馬場には極端に弱かった[9]。また、三度の長期休養に見られる通り、「爆弾を抱えている」と言われたほど脚元が弱く、同様の傾向から大成を阻まれたり、引退に追い込まれる産駒もあった[10]。 調教師の境は、「私が手がけた中で、最も強い馬はサクラローレルだと思うが、2000の良馬場であるという条件つきなら、あるいはユタカオーのほうが強いかも知れない」(株式会社アスペクト発行、名馬物語Volume1、148頁)との言葉を残している。
[編集] 競走成績
| 年月日 | レース名 | 格 | 頭数 | 人気 | 着順 | 距離 | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
| 1984 | 12. | 1 | 中山 | 新馬 | 12 | 2 | 1着 | 芝1800m(良) | R1:50.2 | 2 1/2身 | 小島太 | 54 | (テンポウハヤテ) | |
| 12. | 23 | 中山 | 万両賞 | 11 | 1 | 1着 | 芝1800m(良) | 1:50.8 | 7身 | 小島太 | 54 | (シェルブールク) | ||
| 2. | 10 | 東京 | 共同通信杯4歳S | GIII | 12 | 1 | 1着 | 芝1800m(不) | 1:52.7 | クビ | 小島太 | 55 | (ジョーダッシュ) | |
| 10. | 20 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 12 | 2 | 4着 | 芝2200m(良) | 2:15.1 | 0.6秒 | 小島太 | 57 | ミホシンザン | |
| 11. | 10 | 京都 | 菊花賞 | GI | 18 | 6 | 4着 | 芝3000m(良) | 3:08.6 | 0.5秒 | 岩元市三 | 57 | ミホシンザン | |
| 12. | 1 | 中山 | ダービー卿CT | GIII | 17 | 1 | 2着 | 芝1600m(良) | 1:34.1 | 0.3秒 | 小島太 | 53 | スズパレード | |
| 1986 | 3. | 20 | 阪神 | 大阪杯 | GII | 10 | 3 | 1着 | 芝2000m(稍) | 2:01.6 | アタマ | 小島太 | 56 | (スダホーク) |
| 4. | 29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 16 | 2 | 14着 | 芝3200m(重) | 3:27.8 | 2.4秒 | 小島太 | 58 | クシロキング | |
| 10. | 5 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 8 | 4 | 1着 | 芝1800m(良) | R1:46.0 | 2 1/2身 | 小島太 | 58 | (ニッポーテイオー) | |
| 10. | 26 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 16 | 2 | 1着 | 芝2000m(良) | R1:58.3 | 2 1/2身 | 小島太 | 58 | (ウインザーノット) | |
| 11. | 23 | 東京 | ジャパンC | GI | 14 | 1 | 6着 | 芝2400m(良) | 2:25.6 | 0.6秒 | 小島太 | 57 | ジュピターアイランド | |
| 12. | 21 | 中山 | 有馬記念 | GI | 12 | 3 | 6着 | 芝2500m(良) | 2:34.5 | 0.5秒 | 小島太 | 57 | ダイナガリバー | |
[編集] 主な産駒
- 1988年産
- ダイナマイトダディ(中山記念、京王杯スプリングカップ、京成杯)
- ヒガシマジョルカ(函館記念)
- 1989年産
- 1990年産
- 1991年産
- テンザンユタカ(サファイヤステークス、愛知杯)
- オースミマックス(小倉大賞典)
- ザスクープ(京都大障害・秋)
- 1992年産
- 1995年産
- エアジハード(安田記念、マイルチャンピオンシップ、富士ステークス)
- トゥナンテ(毎日王冠、北九州記念、愛知杯)
- 1996年産
- 1999年産
[編集] ブルードメアサイアーとしての主な産駒
- 1997年産
- 1998年産
- ダイタクバートラム:父ダンスインザダーク(阪神大賞典、ステイヤーズステークス、北九州記念)
- 1999年産
- 2003年産
- ロジック:父アグネスタキオン(NHKマイルカップ)
- タガノバスティーユ:父ブライアンズタイム(ファルコンステークス)
- 2004年産
- クィーンスプマンテ:ジャングルポケット(エリザベス女王杯)
- マイネルレーニア:父グラスワンダー(スワンステークス、京王杯2歳ステークス)
- トーホウレーサー:父チーフベアハート(ニュージーランドトロフィー)
- 2005年産
- 2006年産
[編集] 血統表
| サクラユタカオーの血統 (テスコボーイ系/Nasrullah3×4=18.75%、Pharos-Fiarway5×5=6.25%(父内)) | |||
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父
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 イギリス |
Princely Gift 1958 鹿毛 イギリス |
Nasrullah 1940 | Nearco |
| Mumtaz Begum | |||
| Blue Gem 1943 | Blue Peter | ||
| Sparkle | |||
| Suncourt 1952 黒鹿毛 アメリカ |
Hyperion 1930 | Gainsborough | |
| Selene | |||
| Inquisition 1936 | Dastur | ||
| Jury | |||
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母
アンジェリカ 1970 黒鹿毛 日本 |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 アメリカ |
Never Say Die 1951 | Nasrullah |
| Singing Grass | |||
| Bride Elect 1952 | Big Game | ||
| Netherton Maid | |||
| スターハイネス 1964 鹿毛 日本 |
*ユアハイネス Your Highness 1958 |
Chamossaire | |
| Lady Grand | |||
| スターロツチ 1957 | *ハロウェー | ||
| コロナ F-No.11-c | |||
3代母のスターロツチから続く牝系からはハードバージ、マチカネタンホイザ、ウイニングチケットなど活躍馬多数。また前述の通り、本馬の半兄にサクラシンゲキがおり、半姉にもサクラスターオー(1987年皐月賞、菊花賞優勝)の母であるサクラスマイル(父 インターメゾ)がいる。
[編集] 出典・脚注
- ^ 誕生翌日に電話を掛けてきた境勝太郎に、藤原が「困りました。栗毛なんです」と伝えたというほど、このジンクスは広く信じられていた。(『優駿』2000年4月号 p.40)
- ^ 『優駿』2000年2月号 108頁
- ^ 競走馬として管理した境も後年、管理馬の中で最も優れた馬体の持ち主として本馬の名を挙げ、「身体が柔らかくて、肌が綺麗だった。薄い皮膚だね。これは名馬にみんな共通している」と述べている。(『優駿』2000年4月号 p.40)
- ^ 小島は後に「枠順が決まった瞬間、思わずチェッと舌打ちしたよ」と語っている。(小島 36頁)
- ^ 小島 37頁。
- ^ コースレコードとしては1990年にヤエノムテキに破られるまで4年間保持された。また、これ以降の大外枠からの優勝馬は、1989年のスーパークリーク(14番枠)、東京競馬場の全面改修で外枠不利が緩和された2003年のシンボリクリスエス(18番枠)などがいる。
- ^ 『優駿』2000年2月号 p.111
- ^ 七冠馬シンボリルドルフなどの特殊例を除けば、当時の内国産種牡馬の購買価格は平均2億5000万円ほどであった。(『優駿』2000年2月号 p.111)
- ^ 小島は自著の中で「良馬場で気分良く走るとものすごい強さを発揮する反面、負けるときは情けないくらい脆かった。道悪はからっきしだめだった」と語っている。(小島 37頁)
- ^ #主な産駒のうち、ダイナマイトダディ、サクラセカイオーにはいずれも1年以上の長期休養経験があり、ユキノビジンは脚部不安発症後に復帰できず引退、エアジハードも屈腱炎を発症して引退、メルシータカオーは屈腱炎の療養中、事故で死去している。
[編集] 参考文献
- 小島太『競馬八方破れ言いたい放題』(KKベストブック、1993年)
- 阿部珠樹「プロに信頼される男 - サクラユタカオー」(『競馬名馬読本』〈宝島社、1991年〉所収)
- 河村清明「受胎ゼロからの再出発 - 種牡馬サクラユタカオーと彼を見守る人々」(日本中央競馬会『優駿』2000年2月号所収)
- 結城恵助「伯楽、境勝太郎氏に聞く」(日本中央競馬会『優駿』2000年4月号所収)
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最終更新 2009年11月15日 (日) 07:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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