サッカー日本女子代表

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 サッカー日本女子代表
国または地域 日本
協会 日本サッカー協会
愛称 なでしこジャパン
監督 佐々木則夫
最多出場選手 澤穂希(145試合)
最多得点選手 澤穂希(74得点)
通算成績 241試合115勝33分93敗
(うちPK戦2勝1敗、Vゴール1敗)
初の国際試合 1981年6月7日
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ 0 - 1 日本
第4回AFC女子選手権香港
最大差勝利試合 1997年12月5日
日本 21 - 0 グアム
第11回AFC女子選手権中国・番禺)
最大差敗戦試合 1981年9月9日
日本 0 - 9 イタリア
ポートピア'81国際女子サッカー大会
国立西が丘サッカー場
1999年4月29日
アメリカ合衆国 9 - 0 日本
(アメリカ合衆国シャーロット
女子W杯
出場回数 5回
初出場 1991 FIFA女子ワールドカップ
最高成績 ベスト8(1995)
オリンピック
出場回数 3回
初出場 アトランタオリンピック(1996)
最高成績 ベスト4(2008)
AFC女子アジアカップ
出場回数 12回
最高成績 準優勝(1986,1991,1995,2001)
アジア競技大会
出場回数 5回
最高成績 準優勝(1990,1994,2006)
チームカラー
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ホームカラー
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アウェイカラー

サッカー日本女子代表日本サッカー協会(JFA)により組織される女子サッカーのナショナルチーム。「なでしこジャパン」という愛称が定着している。

日本女子代表はオリンピックには3大会中2回、FIFA女子ワールドカップには全5回とも出場している。とくにワールドカップについては男子代表よりも先に出場した。

目次

[編集] 名称

男子代表が特定の愛称を持たないのに対して、女子代表では「なでしこジャパン」という愛称が定着している。

愛称制定というアイデアは日本サッカー協会(JFA)の女性スタッフからの提案がきっかけである。それは「『日本代表』では男子のイメージが定着しているが、オーストラリア女子代表が「Matildas(マチルダス)」という愛称で親しまれており、日本でも同様に愛称をつけてみるのがいいと思う。そしてこれを契機に女子代表の認知度を高め、女子サッカーの発展につなげたい。」というものであった。

このころJFAでも「女子サッカーの発展なくして日本サッカーの発展なし」との考えによりキャプテン・ヘッドクオーターズ(CHQ)で「女子サッカーの活性化」に積極的に取り組んでいたのでこのアイデアを採用することにした。

やがてこのことがマスコミに伝わり、のちに公募により制定となった。そして2004年5月14日にJFAから愛称募集が発表されると、翌5月15日から締切日の6月20日までに約2,700通の応募があり、2回の予備選考を経て7月5日の審査委員会による最終選考で愛称を「なでしこジャパン」と決定し7月7日に発表した[1]

  • 審査委員長(以下肩書きは当時)
    • 川淵三郎(財団法人日本サッカー協会キャプテン) 
  • 審査委員

この愛称は、アテネオリンピックのアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」ということばがよく使われていたため、それをもとに「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「ジャパン」とした。

ちなみに次点(優秀賞)には、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏(やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、ユニフォームの色(ブルー)とレディー(L)を組み合わせた「エルブルー」、ブルーと夢(ドリーム)を組み合わせた「ドリームブルー」があった。

愛称制定後、最初の試合となった7月30日のキリンチャレンジカップカナダ戦国立霞ヶ丘競技場)では3-0で勝利し、全国にその名を印象づけた。

命名に際し、日本サッカー協会は「なでしこジャパン」を商標登録を申請し、2005年3月11日付けで登録された。また2004年新語・流行語大賞の候補60語にもノミネートされた。

[編集] 歴史

(詳細は日本の女子サッカーを参照のこと)
1960年代から70年代に掛けて、日本ではサッカー競技を行う女性が増え始め、やがて各地にチームが誕生すると各地域ごとに小規模なリーグによる対戦が行われるようになった。

1980年には全日本女子サッカー選手権大会が始まり、翌1981年には日本女子代表チームとして日本国外のチームとの試合が行われるようになる。当初は各地域の選手ごとに編成された「選抜チーム」を臨時に任用された監督が指揮するというものであったが、1986年鈴木良平が初の女子代表専任監督に就任すると、日本全国のチームを対象とする「全日本」チームが編成されるようになる。そして1989年には女子の全国リーグである「日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)」が誕生し、1991年の第1回FIFA女子世界選手権中国大会にも参加した。

[編集] 日本女子代表と国際大会

[編集] 鈴木保・宮内聡監督時代

女子サッカーがオリンピック種目となったのは1996年アトランタ大会からである。

当時は前年に行われた第2回FIFA女子世界選手権・スウェーデン大会の上位8カ国に出場権が与えられたが、鈴木保率いる日本はグループリーグでドイツに0-1、ブラジルに2-1、スウェーデンに0-2の成績を収め、かろうじてベスト8入りし出場権を獲得。しかし本大会ではグループリーグでドイツに2-3、ブラジルに0-2、ノルウェーに0-4と3戦全敗に終わり決勝リーグ突破はできなかった。

だがJFAは、次に行われるシドニーオリンピック(2000年)に照準をあわせ、1994年から23歳以下(U-23)の選手による「シドニープラン」により女子代表の強化を図っていたため、この成績に満足したのではと思われる。

ところが現実には思惑通りに行かなかった。宮内聡率いる日本女子代表前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回FIFA女子世界選手権・アメリカ大会では、初戦にカナダと1-1と引き分けたものの、つづくロシアに0-5、ノルウェーに0-4で敗戦。ベスト8入りを逃したため、目標としていたシドニー五輪出場を逃す。すると女子サッカーへの関心は瞬く間に低下し、L・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせることになる。やがてそれはL・リーグからの相次ぐチームの脱退を引き起こし、日本の女子サッカーは衰退の危機に瀕することになった。

[編集] 上田栄治監督時代

2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治(元ベルマーレ平塚監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期するべく2004年アテネオリンピックに向けたチーム再編を図った。しかし就任当初は敗戦つづきで、とくに2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ(「FIFA女子世界選手権」改め)・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねて6月にタイバンコク行われた「第14回アジア女子選手権」では3位決定戦で格下の韓国にまさかの敗戦を喫してしまい、本戦最後の座を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との「FIFA女子ワールドカップUSA2003予選 プレーオフ」(ホーム・アンド・アウェー方式)に進出することになった。

7月5日にメキシコのアステカスタジアムで行われた第1戦は、観客10万人のほとんどが地元・メキシコを応援する状況で、しかも慣れない高地ゆえに多くの選手が体調不良という状態のなかで2-2の引き分けとした。そして7月12日に国立霞ヶ丘競技場で行われた第2戦では当時の日本女子サッカーで最多となる12,743人の観客を集め、澤穂希丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利し出場権を獲得した。この二戦により得た「薄氷の勝利」は新聞テレビなど各マスメディアにも大きく取り上げられ、結果として女子サッカーに注目が再び集まるきっかけとなったのである。9月に行われた本大会ではアルゼンチン戦でFW大谷未央ハットトリックを決めるなど6-0で勝利したものの、ドイツに0-3で敗戦。つづくカナダ戦は先制しながらも1-3でグループリーグ敗退となった。

これらに基づき、上田はDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネオリンピックでは出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選「AFC女子サッカー予選大会2004」を日本で実施。3グループに分かれての一次リーグではベトナムを7-0、タイを6-0で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である北朝鮮を圧倒的不利の予想を覆す3-0で降し、韓国を降した中国とともに2度目の五輪出場を果たした。

北朝鮮戦では観客31,324人を集め、女子サッカーでの記録を更新。テレビ朝日系列での放送視聴率も関東エリアでは平均視聴率16.3%、最高瞬間視聴率(放送終了直前の午後9時16分)は関東地区で31.1%、関西地区で23.0%であった。これは北朝鮮とはそれまで1勝1分け7敗というデータとオリンピック出場が決定する試合であるとの情報が事前に大きく宣伝されていたことも一因ではないかと思われる。

アテネオリンピック本大会では3グループに分かれての予選リーグにおいて優勝候補のひとつ、スウェーデンを 1-0 で破る活躍を見せた。つづくナイジェリア戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補のアメリカ合衆国と対戦し1-2で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより「フェアプレー賞」を受賞した。

これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである日本女子サッカーリーグ(略称:L・リーグ)の人気も上昇し観客が飛躍的に増加。とくに五輪後には「なでしこリーグ」という愛称も採用され、ますます注目を浴びる存在になっている。さらに「なでしこ」という名称を用いた女性向けのサッカー教室や大会、そして2005年から「なでしこスーパーカップ」も開かれ、女子サッカーのブランド名として活用されるようになった。

[編集] 大橋浩司監督時代

2004年10月、日本サッカー協会は前月に退任した上田の後任に大橋浩司を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月18日キリンチャレンジカップチャイニーズタイペイと対戦。11-0という大量得点に加え、被シュート0という内容で上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。

一方、ユニバーシアード日本女子代表は、ユニバーシアードにおいて2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。また、イズミル大会では監督に本田美登里岡山湯郷Belle(L・リーグ)監督)を任命。日本では各年代を通じて初の「女性代表監督」であり、銅メダル獲得により女性サッカー指導者もレベルアップしていることが証明された。

2006年カタール首都ドーハで行われた第15回アジア競技大会では、阪口夢穂永里優季という新戦力が活躍し、グループリーグで強豪の中国を破り決勝トーナメント進出。最後は決勝で同じく強豪の北朝鮮にスコアレスでPK戦まで持ち込んだものの敗れ、準優勝となった。

2007年中国で行われた2007 FIFA女子ワールドカップでグループリーグA組となり、アルゼンチンに勝利したものの、イングランドと引き分け、最後のドイツに敗北し予選敗退となった。また、日中関係の問題から日本選手に対してのブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後に日本選手らが「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国のマスメディアから称賛された。

[編集] 佐々木則夫監督時代

2008年1月、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫が監督に就任。2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008で初采配を揮い3戦全勝で大会初優勝。これは日本女子代表としても初のタイトル獲得となった。

つづいて5月末から6月初めに行われた2008 AFC女子アジアカップでは3位となり、澤穂希が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した。

そして8月のオリンピック北京大会では、グループリーグではニュージーランドに2-2の引き分け、アメリカ合衆国に0-1と敗れたが、ノルウェーに5-1と勝ちグループリーグを突破する。その勢いで準々決勝の中国戦では完全アウェーの中で2-0と勝ち、初のベスト4進出となった。

再びアメリカ合衆国との対戦となった準決勝で、日本は先制点を取ったものの、次第にペースを握ったアメリカに圧倒され、2-4で逆転負けを喫して3位決定戦へ回った。

3位決定戦のドイツ戦では日本が主導権を握る時間帯があったものの、後半に失点し0-2で敗戦。悲願の五輪メダルは成らなかったが、同大会でグループリーグ3戦全敗により敗退となった男子U-23日本代表とは対照的に、なでしこジャパンの活躍が目立つ結果となった。

[編集] 監督・コーチ

[編集] 監督

なお1981年6月と9月に市原聖曠が、1984年10月に折井孝男が監督を務めたが、大会ごとに選抜チームを率いての就任のため歴代監督には含まれない。

[編集] 女子ワールドカップの戦績

(詳細は「FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] 第1回FIFA女子世界選手権(1991年

(詳細は「1991 FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] 第2回FIFA女子世界選手権(1995年

(詳細は「1995 FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] 第3回FIFA女子世界選手権(1999年

(詳細は「1999 FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] 第4回FIFA女子ワールドカップ(2003年

(詳細は「2003 FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] 第5回FIFA女子ワールドカップ(2007年

(詳細は「2007 FIFA女子ワールドカップ」を参照)

[編集] オリンピックの戦績

(関連項目:サッカー競技 (夏季オリンピック)
女子サッカーがオリンピックに登場するのは1996年のアトランタ大会から。この年から男子は23歳以下(U-23)の「オリンピック代表」の大会となったが、女子はフル代表が参加する。

アトランタ大会とシドニー大会は前年に行われたFIFA女子世界選手権(FIFA女子ワールドカップ)の上位8チームが参加。アテネ大会は10チーム、北京大会は12チームに参加枠が増え、各地区で予選が行われた。

[編集] アトランタ大会(1996年)

(詳細はアトランタオリンピックにおけるサッカー競技及びアトランタオリンピック日本選手団参照)

 予選リーグ敗退

[編集] シドニー大会(2000年)

[編集] アテネ大会(2004年)

(詳細はアテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技及びアテネオリンピック (2004年) 日本選手団参照)

[編集] 北京大会(2008年)

(詳細は北京オリンピックにおけるサッカー競技及び北京オリンピック日本選手団参照)

[編集] AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)の戦績

(関連項目:AFC女子アジアカップ

  • 1975 - (代表結成前)
  • 1977 - (代表結成前)[2]
  • 1979 - (代表結成前)
  • 1981 - グリープリーグ敗退
  • 1983 - 不参加[3]
  • 1986 - 2位
  • 1989 - 3位
  • 1991 - 2位
  • 1993 - 3位
  • 1995 - 2位


[編集] アジア競技大会の戦績

(関連項目:アジア競技大会におけるサッカー競技

  • 1990 - 準優勝
  • 1994 - 準優勝
  • 1998 - 3位
  • 2002 - 3位
  • 2006 - 準優勝

[編集] 東アジア女子サッカー選手権の成績

(関連項目:東アジアサッカー選手権

[編集] 国別対戦成績

241試合115勝33分93敗(2009年11月14日現在)

[編集] アジアサッカー連盟

  • 127試合80勝14分33敗

(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)

対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
大韓民国 21 12 7 2
朝鮮民主主義人民共和国[4] 14 3 1 10
中国 27 5 6 16
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ[5] 16 14 0 2
タイ 9 8 0 1
ベトナム 7 7 0 0
フィリピン 4 4 0 0
オーストラリア 5 4 0 1
香港 7 7 0 0
インドネシア国旗 インドネシア 2 2 0 0
インド 4 3 0 1
マレーシア 2 2 0 0
ネパール 2 2 0 0
シンガポール 2 2 0 0
ウズベキスタン 2 2 0 0
グアム 3 3 0 0
ミャンマー 1 1 0 0
ヨルダン 1 1 0 0

[編集] オセアニアサッカー連盟

  • 19試合5勝7分7敗

(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)

対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
ニュージーランド 4 3 1 0
オーストラリア 11 2 6 3
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ 4 0 0 4

[編集] アフリカサッカー連盟

  • 1試合0勝0分1敗
対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
ナイジェリア 1 0 0 1

[編集] ヨーロッパサッカー連盟

  • 49試合16勝5分28敗
対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
イタリア 7 0 0 7
ドイツ 8 0 1 7
フランス 4 2 0 2
スウェーデン 7 1 2 4
ロシア 6 4 0 2
イングランド 2 0 1 1
ノルウェー 4 2 0 2
チェコ[6] 1 0 0 1
スロバキア 1 1 0 0
フィンランド 1 0 0 1
ハンガリー 1 1 0 0
オーストリア 1 1 0 0
デンマーク 2 0 1 1
オランダ 2 2 0 0
スコットランド 2 2 0 0

[編集] 北中米カリブ海サッカー連盟

  • 35試合7勝6分22敗
対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
アメリカ合衆国 21 0 3 18
カナダ[7] 9 4 2 3
メキシコ 5 3 1 1

[編集] 南米サッカー連盟

  • 8試合5勝1分2敗
対戦相手国(地域) 試合 勝利 引分 敗戦
ブラジル 5 2 1 2
アルゼンチン 3 3 0 0

[編集] FIFAランキング

  • 2003年から公表。現在は原則として3ヶ月ごとに発表される

(参考:FIFA女子ランキング

発表年月日 順位 変動 AFC
ランク
変動
2003年7月16日 14位 -- 3位 --
2003年8月29日 14位 3位
2003年10月24日 14位 3位
2003年12月15日 14位 3位
2004年3月15日 14位 3位
2004年6月7日 13位 3位
2004年8月30日 13位 3位
2004年12月20日 13位 3位
2005年3月25日 12位 3位
2005年6月24日 11位 3位
2005年9月16日 11位 3位
2005年12月21日 11位 3位
2006年3月17日 11位 3位
2006年5月19日 13位 3位
2006年9月15日 13位 3位
2006年12月22日 10位 3位
2007年3月16日 9位 2位
2007年6月15日 10位 2位
2007年10月5日 11位 2位
2007年12月21日 11位 2位
2008年3月21日 10位 2位
2008年6月6日 10位 2位
2008年9月5日 9位 2位
2008年12月19日 9位 2位
2009年3月27日 7位 2位
2009年6月26日 7位 2位
2009年9月25日 6位 2位

[編集] 年代別代表チームの戦績

[編集] FIFA U-20女子ワールドカップ

(関連項目:FIFA U-20女子ワールドカップ

  • 2002年 : 準々決勝
  • 2004年 : 不出場
  • 2006年 : 不出場
  • 2008年 : 準々決勝

[編集] FIFA U-17女子ワールドカップ

(関連項目:FIFA U-17女子ワールドカップ

[編集] AFC U-19女子選手権

(関連項目:AFC U-19女子選手権

  • 2002年 : 優勝
  • 2004年 :
  • 2006年 : 4位
  • 2007年 : 2位
  • 2009年 : 優勝

[編集] AFC U-17女子選手権

(関連項目:AFC U-17女子選手権

  • 2005年 : 優勝
  • 2007年 : 2位
  • 2009年 : 参加

[編集] キャップ・得点ランキング

2008年7月29日現在:(#)は現役

[編集] キャップ

名前 キャップ数 代表招集期間
1 澤穂希(#) 138 1993 -
2 加藤(酒井)與恵 114 1997 - 2008
3 池田(磯﨑)浩美 108 1997 - 2008
4 柳田美幸(#) 88 1997 -
5 山郷のぞみ(#) 86 1997 -
6 大部由美 85 1991 - 2004
7 高倉麻子 79 1984 - 1999
8 宮本(三井)ともみ(#) 77 1997 - 2007
9 野田朱美 76 1984 - 1996
10 半田悦子 75 1981 - 1996
10 木岡二葉 75 1981 - 1996

[編集] 得点

名前 得点数 キャップ数 代表招集期間
1 澤穂希(#) 69 138 1993 -
2 長峯かおり 48 64 1983 - 1996
3 大谷未央 31 73 2000 - 2007
4 木岡二葉 30 75 1981 - 1996
5 高倉麻子 29 79 1984 - 1996
5 大竹奈美 29 46 1993 - 2000
7 永里優季(#) 27 46 2004 -
8 内山環 26 58 1991 - 1999
9 野田朱美 24 76 1984 - 1996
10 大野忍(#) 23 59 2003 -

[編集] 関連項目

[編集] 脚註

  1. ^ 5月15日応募開始、6月20日応募締め切り【応募総数:約2,700通】、6月26日~27日JFA「愛称」募集担当者による選考、6月28日~7月1日JFA担当新聞記者による選考 7月5日審査委員会による最終選考
  2. ^ ただし、FCジンナンが日本代表として参加したとの記録あり ISBN 4-00-700120-0 がんばれ!女子サッカー(岩波アクティブ新書)巻末資料
  3. ^ アジアサッカー連盟(AFC)非公認で開催という理由で参加取りやめ
  4. ^ PK敗1試合を含む
  5. ^ PK勝1試合を含む
  6. ^ チェコスロバキアの頃に対戦
  7. ^ PK勝1試合、ゴールデンゴール敗1試合を含む

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月14日 (土) 05:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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