サンディエゴ・チャージャーズ

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サンディエゴ・チャージャーズ
1960年創設
永久欠番 14, 19
所属地区

AFC西地区

ホームタウン
  • 本拠地

サンディエゴ(カリフォルニア州)

  • スタジアム

クアルコム・スタジアム
(1967-)
バルボア・スタジアム
(1961年-1966年)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
(1960年)

チームデザイン
  • チームカラー

     ネイビーブルー
     ゴールド
    

  • チームロゴ

アーチ状の電撃(稲妻

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (1回)

AFLチャンピオン:1963

  • カンファレンス・チャンピオン (1回)

AFC:1994

  • 地区優勝 (11回)

AFL西地区:1960、1961、1963、1964、1965
AFC西地区:1979、1980、1981、1992、1994、2004

  • ワイルドカード (2回)

1982、1995

球団組織
オーナー: アレックス・スパノス
GM: A.J.スミス
ヘッドコーチ: ノーブ・ターナー (2007-)

サンディエゴ・チャージャーズ (San Diego Chargers) は、カリフォルニア州サンディエゴに本拠地を置くプロ・アメリカンフットボール (NFL) チームである。アメリカンフットボール・カンファレンス西地区所属。

目次

[編集] 歴史

1959年にNFLに対抗して結成されたAFLのオリジナルメンバーとしてロサンゼルス・チャージャーズが誕生した。オーナーはヒルトンホテルの創始者、コンラッド・ヒルトンの息子のバロン・ヒルトン。1961年にサンディエゴの新聞社の編集長だったジャック・マーフィーがチームを誘致し、チームはサンディエゴに移転した[1]。チャージャーズ最初のスター選手はWRのランス・オルワースで11年間のキャリアで彼は543回のパスレシーブで10266ヤードを稼いだ。またプロフットボール記録となる96試合連続パスキャッチの記録も残した[2]。AFL時代の10年間は当時パスオフェンスの権威であったシド・ギルマンがヘッドコーチであり、オルワース、ポール・ロウ、キース・リンカーン、ジョン・ヘイドルらによる強力なオフェンスで地区優勝6回、1963年にはボストン・ペイトリオッツを51-10で破りAFLチャンピオンになった。ディフェンスも優れており1961年には49インターセプトを記録すると共に新人DEのアール・フェイソンはAFL最優秀新人選手に選ばれた。ディフェンスラインのフェイソン、アーニー・ラッド(後にプロレスラー)らはフィアサム・フォーサムと呼ばれるようになった最初のユニットとなった。

1966年にヒルトンオーナーはユージン・クラインやサム・シュルマンに率いられたオーナーグループにチームを売却した[3]。1969年9月29日に行われた第3回スーパーボウルチャンピオンになったニューヨーク・ジェッツ戦ではサンディエゴ・スタジアムに54,042人が詰めかけた。1969年シーズン終了後、健康を理由にギルマンヘッドコーチは退任しゼネラルマネージャーに就任、アシスタントコーチだったチャーリー・ウォーラーが後任のヘッドコーチに就任した。AFLでの10年間中5回プレーオフに進出しAFLチャンピオンシップゲームに4回出場を果たした。

1970年AFLとNFLが統合されるとチームはAFC西地区に所属することとなったが1960年代の栄光を支えた選手の多くは引退したり、移籍してチームは低迷した。ディーコン・ジョーンズ、ジョニー・ユナイタスなどの獲得もあったが彼らは全盛期を過ぎており1970年から1978年までチームは地区3位と4位を行ったり来たりする有様であった[4]

1978年9月10日には地元サンディエゴでホーリー・ローラーと呼ばれている(チャージャーズファンには、Immaculate Deceptionと呼ばれている)プレイの結果、オークランド・レイダーズに敗れた。このプレイではチャージャーズのウッディー・ロウがQBサック寸前にケン・ステイブラーがファンブル、それをリカバーしようとしたRBのピート・バナザックがこれをはじき最後はデーブ・キャスパーがエンドゾーン方向にボールをはじいた後、確保しタッチダウンが認められたが、チャージャーズファンにはインコンプリートパス、またはインテンショナル・グラウディングであり、その後のバナザック、キャスパーのプレイもペナルティとするべきだったと考えられている。このシーズン終了後に前半及び後半の2ミニッツウォーニング以降にファンブルしたボールを前進させることができるのは最初にファンブルした選手のみとし、別のオフェンス選手がリカバーした場合はファンブルのあった地点にボールを戻すこととするルール改正が行われた。

1979年はチームにとって転機となった。この年、ダン・ファウツはNFL記録となる4試合連続300ヤード以上のパスを投げた。ドン・コリエル(エア・コリエルと呼ばれた)ヘッドコーチの指揮の下、ファウツはタイトエンドのケレン・ウィンスロー、WRのジョン・ジェファーソン、チャーリー・ジョイナーらにパスを投げ続け14年ぶりにプレーオフ進出を果たした。12月17日に行われたデンバー・ブロンコス戦を17-7で制してAFC西地区優勝を果たした。プレーオフ初戦でヒューストン・オイラーズに14-17で敗れたがゼネラルマネージャーのジョン・サンダースはNFLのエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。またシーズン終了後のプロボウルではロン・ミックスがAFL出身の選手として史上2人目となるプロフットボール殿堂入りを果たした。

1980年、チームはトレードでRBチャック・マンシーを獲得、ニューヨーク・ジャイアンツ戦でファウツはチーム記録となる444ヤードを投げて44-7で勝利した。またレギュラーシーズン最終節のピッツバーグ・スティーラーズ戦では26-17と勝利し、11勝5敗で2年連続地区優勝を果たした。この年ジェファーソンが1340ヤード、ウィンスローが1290ヤード、ジョイナーが1132ヤードをレシーブで獲得し1シーズンに同一チームから1000ヤード以上レシーブで獲得した選手が3人出た最初の記録となった。ディフェンスもNFLトップの60サックを相手QBに浴びせ、1975年ドラフト組のフレッド・ディーン、ゲイリー・ジョンソン、ルーイ・ケルチャーに加えてリロイ・ジョーンズを加えたフロントラインはブルース・ブラザーズをもじって"Bruise Brothers"と呼ばれた。チームはバッファロー・ビルズを20-14で破ったがオークランド・レイダーズに27-34で破れ第15回スーパーボウル出場を逃した。

1992年にヘッドコーチにボビー・ロスが就任、1994年シーズンにはジュニア・セアウらに率いられたディフェンスとスタン・ハンフリーズ、ネイトロン・ミーンズらの活躍でレギュラーシーズン終了後プレーオフを勝ち上がり、第29回スーパーボウルでサンフランシスコ・フォーティナイナーズと対戦したが26-49で敗れた。

2004年にはNFLドラフト全体1位指名権を獲得し、イーライ・マニングの獲得を目指したがマニングは入団を拒否[5]、同年指名を受けたフィリップ・リバースらとのトレードが成立している。

2006年シーズンチームは14勝2敗の成績をあげたがプレーオフ所詮で敗れてマーティ・ショッテンハイマーヘッドコーチは解任された。

2007年シーズンには第10週のインディアナポリス・コルツ戦でペイトン・マニングから6インターセプトを奪い、プレーオフでのコルツとの再戦も勝利したがAFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2008年シーズンはラダニアン・トムリンソンの不調もありシーズン序盤出遅れたが最終節で同地区のデンバー・ブロンコスを破り地区優勝を果たし、プレーオフでもインディアナポリス・コルツを破る番狂わせを演じた。オフシーズンには残留を望むトムリンソンの放出も匂わせていたが彼がチームに残留することについて合意に達した。

[編集] 殿堂入り選手

  • ランス・オルワース
  • フレッド・ディーン
  • ダン・ファウツ
  • シド・ギルマン(ヘッドコーチ、ゼネラルマネージャー)
  • チャーリー・ジョイナー
  • ディーコン・ジョーンズ
  • ジョン・マッキー
  • ロン・ミックス
  • ジョニー・ユナイタス
  • ケレン・ウィンスロー

[編集] 永久欠番

  • 14 ダン・ファウツ
  • 19 ランス・オルワース

[編集] 歴代ヘッドコーチ

  • シド・ギルマン (1960-1969)
  • チャーリー・ウォーラー (1969-1970)
  • Harland Svare (1971-1973)
  • ロン・ウォーラー (1973)
  • トミー・プロスロ (1974-1978)
  • ドン・コリエル (1978-1986)
  • アル・ソーンダース (1986-1988)
  • ダン・ヘニング (1989-1991)
  • ボビー・ロス (1992-1996)
  • ケビン・ギルブライト (1997-1998)
  • ジューン・ジョーンズ (interim) (1998)
  • マイク・ライリー (1999-2001)
  • マーティ・ショッテンハイマー (2002-2006)
  • ノーブ・ターナー (2007-)

[編集] 脚注

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  1. ^ フランチャイズ史 NFL JAPAN 2004年8月24日
  2. ^ LANCE ALWORTH Pro Football Hall of Fame. Accessed 2009年7月10日
  3. ^ NFL History by Decade 1961-1970 NFL.COM
  4. ^ 1976年にシアトル・シーホークスタンパベイ・バッカニアーズが加入するまでAFC西地区は4チームであった。
  5. ^ サンディエゴ・チャージャーズニュース NFL JAPAN 2004年4月23日

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月27日 (金) 13:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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