ザ・チャンス!

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ザ・チャンス!
ジャンル クイズ番組/ゲーム番組
放送国 日本
制作局 TBS
出演者 ピンク・レディー
伊東四朗
1979年4月から1984年9月まで
放送時間 毎週火曜 19:00 - 19:30(30分)
放送期間 1979年4月10日 - 1984年9月
1984年10月から1986年3月まで
放送時間 毎週水曜 19:20 - 20:00(40分)
放送期間 1984年10月 - 1986年3月
1986年4月から9月まで
放送時間 毎週木曜 19:20 - 20:00(40分)
放送期間 1986年4月 - 同年10月2日

ザ・チャンス!』(The Chance!)は、1979年4月10日から1986年10月2日までTBS系列で放送されていた視聴者参加型のクイズゲーム番組である。司会は伊東四朗(初代はピンクレディー)。

目次

[編集] 概要

アメリカCBSの番組『ザ・プライス・イズ・ライト』(The Price is Rightフリーマントルメディア制作、2008年現在も放送中)を翻案した番組である。1979年1月に正月特別番組として放送。これが好評であったことから1979年4月からレギュラー番組化された。レギュラー放送開始当初はヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)一社提供番組で、番組名の冠に「ヤンマーファミリーアワー」がついた(後期は複数スポンサー提供)。会場からランダムに選ばれた参加者がゲームに挑戦し、成功すれば自動車や海外旅行などの豪華賞品が贈られた。収録は日本青年館で行われた。

[編集] 歴代司会者

初代司会者(正月特番を含む)は、前番組『飛べ!孫悟空』(ドリフターズ出演の人形劇)にも出演していたピンク・レディーだったが、放送開始まもなくアメリカでのテレビ番組出演のため休むことになり(事実上降板)、ピンチヒッター司会者として伊東四朗湯原昌幸が1週交代で2回ずつ担当し、[1]この後伊東が正式に2代目司会者となった。その後ピンクレディーが帰国した後(その後結局解散する)もプロデューサーの意向で伊東が司会を続けた。

[編集] 番組のフレーズ

ナウ ゲッタ チャンス!」 (Now get the chance!) が合い言葉であった[2]。また、正解が書かれた封筒を開け紙を出すとき、伊東が「正解は…ニン」と言って開けるギャグは、しばらくして会場の観客も一緒に言うようになり名物となった(観客からの笑いも飛んだ)。「ピタリ賞」の賞金やチャンスゲームに成功した際の目録を渡すときは伊東が「ニーンニーキニーンニーン」と表彰式の音楽(ヘンデル作曲『見よ、勇者は帰る』)を口ずさんでいた[3]。また、江戸っ子である伊東は「ひ」を発音できず、賞品のことを「しょうしん」と言っていた。

[編集] 天の声(ナレーション)

豪華賞品の紹介は、ナレーターで「天の声」(スタート当初は「かげの声」)とよばれた小川哲哉(通称:哲ちゃん)や大竹まこと(通称:まこっちゃん)などが担当した。カーテンから現れる賞品を素直に紹介することが多かったが、手の込んだ紹介方法もあった。例えば、普通のカバンが一式出てくるだけで参加視聴者がちょっと落胆している中、司会の伊東が文句ありのツッコミを言いながらもそのカバンの機能を説明していると、裏の声が「ではこのカバンを持って出かけましょう。豪華海外旅行です!」などと二段仕掛けになっていた。

[編集] 番組の終焉

1986年4月に木曜日に移ってから視聴率が下降、ゲームのリニューアルを図ったが好転せず、1986年10月2日の「ザ・チャンス!最終回スペシャルチャンス」をもって7年半にわたった放送が終了した。

[編集] 放送時間

  • 1979年4月-1984年9月 毎週火曜 19:00-19:30
  • 1984年10月-1986年3月 毎週水曜 19:20-20:00(『ニュースコープ』20分延長に伴う19時台の再編にともない移動)
  • 1986年4月-9月 毎週木曜 19:20-20:00(琉球放送を除く)※この期間に限り、「ザ・チャンス 終 また来週をお楽しみに!(最終回では“終”のみ)」のエンドカード+チャイム音(4月改編期以降、TBS系ゴールデンプライムタイム全国ネット番組のエンディング時に設けられた)とともに、次の番組がワイプで紹介された。[4]

[編集] 出演者

司会
天の声(ナレーション)
クイズ/ゲーム参加者
  • 一般視聴者(会場参加者)
  • タレント(ゲスト)

[編集] 内容

最初に参加者の中から4チーム[5][6]が選ばれ、そのチームを対象に小物のプライスクイズ「チャレンジゲーム」が行われる。このクイズで内輪で正解金額に一番近かったチームが、商品獲得をかけたゲーム「チャンスゲーム」の挑戦権を得る。答え出し(数字が出るときにレジスターの効果音が鳴る)の数字はデジタル表示となっており、デジタル数字の表示板は挑戦者席だけでなく会場内全体にもわかるように天井にもデジタル数字の表示板が4基付けられていた(賞品獲得ゲームの挑戦権を得たチームのところにはデジタル数字が点滅し、電飾も点灯していた)。4チームの値段の答え出しが終わった時点で正解のチャイムが鳴るとピタリ賞(賞金10万円)がいるという知らせであったが、逆に全チームが内輪とならず、ブザーが鳴らされて解答し直すことも年に数回あった。チャンスゲームの挑戦権を得た1チーム(ゲームによっては2チームの場合もあった)には、この問題関連で出題された賞品[7]が贈られた。

チャンスゲームに成功すると、参加者の天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪が降り、字幕スーパーで「おめでとう!○○(賞品名)獲得!」と表示され、賞品獲得となった(BGMはブラスバンド風のファンファーレ)。逆に獲得失敗・失格の場合は「残念!」と表示され(番組開始当初は表示されていなかった)、賞品を獲得できなかった(BGMは急降下をイメージしたもの)。賞品にはトヨタ・カローラ/トヨタ・スプリンターマツダ・ファミリアホンダ・バラードなど(ちなみに各車種、車両本体価格が100万円以下でなおかつ80-90万円台(当時)の最廉価グレードだった)があった。

[編集] 主なゲーム

チャンスゲームには、以下のようなものがあった。以下はその一部である。

[編集] プライスクイズ題材

かくれた数字ゲーム
賞品の値段の十万(赤)、一万(黄)、千(青)の桁の数字を当てるゲーム。まず各桁の隠し板を1段ずつ下げ、その後参加者が桁の色を指定し、その色の隠し板を1段下げる(最高4回まで)。終わったら、出た数字の一部を見て推理し、0~9の数字を並べる。レギュラー第1回目で初成功したゲームがこれ(賞品は自動車だった)。
ラッキーセブンゲーム
賞品の値段を、十万、一万、千、百の間に「7」の箱を入れていくゲーム。
ぬきとりゲーム
賞品の値段を、百万、十万、一万、千、百の誤りの数字の箱を抜き取るゲーム。
「ラッキーセブン」「ぬきとり」とも、伊東時代は入れたり抜いたりした後、「後ろの兄ちゃん(スタッフの事)、詰めて下さい」と言うのがパターンだった。
10個の卵ゲーム
賞品の値段の十万、一万、千、百の桁の数字を当てるゲーム。ハズレると、10個限定で雌鶏人形が卵を産んでいく。10個で打ち止めになると最後は口答で値段を当てる。成功率の低いゲームだった。
カラーボールゲーム
賞品の値段の十万(赤)、一万(黄)、千(青)の桁の数字を当てるゲームで、前述の「かくれた数字」の変型版。9個の赤・黄・青のピンポン玉(格桁の上・中・下で一部分が判明する)+2個の白ピンポン玉(どこも開けられないハズレボール)を5回引く。打ち止めになると0~9までの数字を並べる。どこも開けられていないと山勘で当てるしかなくなるため、成功率の低いゲームだった。
ウサギとカメゲーム
賞品の値段の十万、一万、千、百の桁の数字を当てるゲーム。正解時にカメ、ハズレるとウサギのぬいぐるみがゴールを目指す。
シャットアウトゲーム
商品の値段を、高い桁から3桁までの数字を当てていき、1つ間違えると檻〈おり〉が降りてきて、全部檻が降りてきたら失格となる。賞品は主に旅行で、『クイズ100人に聞きました』のトラベルチャンスと同じ手法を取っていた。檻に入った挑戦者は見送りとなっていた。
ダックスフントゲーム
パネルに描かれているダックスフントの胴体部に、10個の数字が並んでいるが、その内3つ並んでいるのが正解(十万・一万・千)。出場者はその並んでいる3つの数字を指定する。

[編集] 60秒制限題材

特別な例外がない限り、60秒以内で成功させる。

レースゲーム
4つの賞品の値段を45秒以内に並べ替えるゲーム。並べ替えた後、その時点での正解数を表示する「判定器」のもとへ走り、「4」が出れば賞品獲得。「0」「1」「2」が出るとやり直し。
ゼッケンゲーム
挑戦者が数字の書かれたゼッケンを着け、自分たちが並び替わることで賞品の値段を当てる。45秒以内で成功させる1人につき数字2桁(十万&一万、千&百)のパート1と、60秒以内で成功させる数字1桁(十万、一万、千、百)のパート2がある。なお、パート1で制限時間0になった時と同時に成功したチームがいて、伊東は「ちょっと、心臓に悪いことしないでくれよ!!」と体調不良を訴えたこともあった。
玉RUNゲーム
スタート地点から離れたところにあるボックスからボールを1個取り出す。ボールは赤・青・黄・緑・白があり、リレー形式で白以外のすべてのボールを1回以上引き当てれば成功。ただし、引いたボールはまたボックスに戻すので、既に引いた色をまた引き、「たまらん」思いをすることもある。成功率の低いゲームだった。
ジャンケンゲーム
賞品の値段を、十万、一万、千の桁の数字を当てるゲーム。ただし、言えるのは「ジャンケン小僧」という等身大人形に勝ったときのみ。
リレーゲーム
賞品の値段を、十万、一万、千の桁の数字を、バトン替わりにマジックインキを片手に3×3のマス目に書いて当てるゲーム。
デッドヒートゲーム
スタート地点から離れたところにある得点ボードのうち1枚をめくり、出た数字だけ自分の車(海外旅行が賞品の時は飛行機)を進ませる。ただし、スタート地点に戻ってGOボタンを押さないと進まない。0点のボードもあった(一時停止の道路標識が描かれていた)。対戦相手は1分でゴールする(その時はSTOPランプが点灯する)ので、その前にリレー形式で100点稼いでゴールする。最終判定で失敗することもあった.
このゲームは、「新人歌手大会」の時は「ミリオンセラーゲーム」という特別版として行った。ルールは同じだが、車(飛行機)が歌手をモチーフにした人形となっており、上段の歌手人形が「100」まで到達して100万枚を達成する前に、下段の歌手人形(自分)が「100」に到達して100万枚を達成させるというものだった。
エイティーゲーム
賞品の値段を、高い桁から1桁ずつ当てていく。解答台に正解と思う数字ブロックを置いていくのだが、解答台とブロック置き場は離れているので、挑戦者たちはその間に並び、バケツリレーの要領でブロックを渡していく。タイトルどおり、制限時間は80秒。
ハウマッチゲーム
賞品の値段を、十万、一万、千の桁の数字を当てるゲーム。特大のマッチ棒でデジタル数字を作り並べ替えていく。不正解の場合、ブザーが流れ、投げるように崩していく。
タイトルは『世界まるごとHOWマッチ』のもじり。
このゲームはもともと、特別番組『タモリのスター対抗クイズ番組大集合』で行われたゲームで、それをレギュラー放送へ持っていったという珍しい例。余談だがタモリはこのゲームをやる前、大橋巨泉の物真似で「なんたってハウマッチ!」と言って爆笑を誘っていた。

[編集] その他の題材

危険な崖ゲーム
3つの商品の値段を当てる。値段の答えて、誤差がないときはチャイムがなり、誤差があるとブザーが鳴らされ、各商品の予想と正解の誤差だけ登山人形がヨーデルとともに崖を登る。誤差の合計が5,000円を超えると登山人形が崖から落ちて失格(初期は荒野でガイコツが出現していたが、後に湖となり湖水がはねるパターンになった)。ゲームに成功した時は、背景が朝日に変わり、湖水から花が咲くという仕掛けであった。
パターゴルフゲーム
まず5つの商品を安い順に並び替える。順番通り並べ替えれば、一番近い距離からゴルフボールをカップ目掛けて打てるが、間違うと、正解時のチャイムが流れたラインから打たなければならない。カップに入れば賞品獲得。ハズレたり、カップから届かなければ失敗になる。ピンクレディー司会時代、未唯が、当たり前のような口調で「ちょっとやってみますね」と遠いラインからでも無造作に打って、一発でカップに入れるお約束も披露していた。成功率の低いゲームだった。

[編集] ザ・ファイナルマッチ

最終ゲーム後に残った3組(初期は2組)の対戦形式で行われた。当初のコーナータイトルは「ザ・ビッグホイール 〜ボーナスゲーム〜」。のちに「ザ・ラストチャンス! ファイナルマッチ」を経て、最末期は「ザ・ファイナルマッチ ウルトラチャンス!」となった。この項目では便宜上、「ザ・ファイナルマッチ」の名称を使用する。

ザ・ビッグホイール
巨大ルーレットゲーム。回転時は矢印が棒にあたり、ピッピッと音が鳴る。
  • ピンクレディー司会時代は、5から100までの数字が書かれたルーレットを回し、1回目で100が出たら賞金30万円獲得。100が出なかった場合はもう1度回し、合計が100になれば賞金15万円獲得。双方とも100が出なかったら、100以内の点数で一番多かった方が、点数×1000円の賞金を貰う(100点をオーヴァーしたら失格)。
  • 伊東司会時代は通常のゲームとして行われ、100の代わりに伊東の似顔絵が描かれた。2回回転し、数字の合計が80以上100以下、または伊東の似顔絵に止まったら賞品獲得。それ以外(75以下、105以上)は失敗になる。このとき、「伊東さん」コールが会場内に響いていた。
  • 期首特番『4・10月だヨ!全員集合』でもやったことがある。ピンクレディー時代は、2番組の代表者が通常と同じルールで行う。伊東時代は、出場全番組名(+レポーター)が書かれたルーレットをパートナー(宮崎美子など)と共に回し、当たった番組に「銅賞」「銀賞」「金賞」がそれぞれ送られた[8]。余談だが、中期以後毎回坂上二郎一人しか来ない(1回だけ藤村俊二も出た)『ぴったしカンカン』の幅は、猛烈に狭いのがお約束だった(「レポーター」の幅よりも)。
小切手ゲーム
賞品の値段を、50万から100万のボードにマークするゲーム。ただしマーク出来るのは3万円圏内。最後に電子音と共に↓マークが出てくることで有名だった。80万円以上は会場の人が賞品を獲得できた。なお、賞品獲得失敗の場合、司会の伊東がくやしそうに治すのがお約束だった。
(ゲーム名不明)
賞品の値段を、十万、一万、千の桁の0-9から数字を当てるゲーム。2回誤答で失格になる。全組失格後、会場から1人選び、当てられたケースもあった。
モンスターハウス
0-9の数字の書かれた棺おけがあり、中は「○」(賞品の値段に使われている)、「×」(ハズレ)、モンスター(失格)の3種類。順番に棺おけを開き、最終的に生き残って、○を全て開けたチームが勝ちとなる。
パニック・ナンバーゼロ
0-9の数字が隠されたボールを各組3個ずつ引き、ポイントのが大きいチームが勝ち。ただし、0を引くと、いくら掛けても0なので失格。しかも0に限って、一度引いてもまたボックスに戻され、他のチームが引く危険もある。なお、ボーナスとして数字が続いた場合は賞金10万円が貰えた(最高ポイント7×8×9=504で無条件で10万円獲得になった組もいた)。

[編集] 備考

  • 一時的に、「ザ・ファイナルマッチ」をせずに4回目のゲームを行うという時期があった。その時期の4番目のゲストは、必ずせんだみつおが出ていた。あまり頻繁に出るので、ある回の伊東は「また、嫌な予感がしますが...」と言ったことがある。
  • ピンクレディーは10カ月しか司会をしなかったためか、この番組は「伊東四朗司会の番組」というイメージが強い。事実、1984年10月6日放送の『クイズダービー[9]に伊東が女性アシスタントと共に出場したとき、「『ザ・チャンス!』の司会をピンクレディーがやったことがある」と知った大橋巨泉は驚き、「随分、極端な変化ですねぇ」と言った。
  • ピンクレディーは中継ぎ司会者の湯原昌幸と共に100回記念大会に出演した。これが彼女達にとって『ザ・チャンス!』最後の出演となった。

[編集] 脚注

  1. ^ 「前司会者が急に降板したため、何名かの候補者に司会をやらせ、その中から1人だけ後任を選ぶ」というパターンは、他にフジテレビキンカン素人民謡名人戦』があるだけで、非常に珍しい。
  2. ^ 伊東は番組終了後の1990年10月12日『オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!』(TBS)でも「ナウ ゲッタ チャンス」と発言している。
  3. ^ 伊東は『脳内エステ IQサプリ』(フジテレビ)でも「ニーンニーキニーンニーン」と口ずさんでおり、ほぼ本人のギャグとなっている。
  4. ^ 琉球放送では放送時間移動直前の1986年3月、『木曜スペシャル』(日本テレビ)のネットと重なるため一時打ち切ったが、同年10月からのTBS系ネット再開に伴い最終回のみネットした。
  5. ^ 番号が書かれたカードが入っている回転式(横方向)のホルダーから取り出していた。
  6. ^ 番組初期はタレントと一般視聴者がチームを組んだ3チームだった。
  7. ^ 中期以後は、その商品に関連する賞品が贈られる。
  8. ^ もしも同じ番組が当たった時は、初期は賞品を送らずに回し直しだったが、後期は獲得できるようになった。
  9. ^ この回は「番組対抗戦」と銘打ち、『ザ・チャンス!』の他には、『スクールウォーズ』の山下真司岡田奈々、『8時だヨ!全員集合』の加藤茶仲本工事志村けんが出場した(いかりや長介は解答者、高木ブーはアキレス腱断裂のため不参加)。

[編集] 番組の変遷

TBS系列 火曜19時台前半(1979年4月-1984年9月)
前番組 番組名 次番組
ザ・チャンス!
JNNニュースコープ
(18:30-19:20に枠拡大)
TBS系列 水曜19時台後半(1984年10月-1986年3月)
ぼくたちの疾走
(19:30-20:00)
ザ・チャンス!
TBS系列 木曜19時台後半(1986年4月-1986年10月2日。一部地域を除く)
ザ・チャンス!

最終更新 2009年8月27日 (木) 09:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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