ザ・トップテン

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ザ・トップテン
THE TOP10
ジャンル 音楽番組
放送時間 月曜日20:00〜20:54(54分)
放送期間 1981年4月6日1986年3月31日
放送国 日本
制作局 日本テレビ
出演者 堺正章
榊原郁恵
徳光和夫
小倉淳、ほか
音声 ステレオ放送

ザ・トップテンは、1981年4月6日から1986年3月31日まで、日本テレビ系列で放送された、ベストテン形式の歌謡番組である。

目次

[編集] 番組綱要

1981年4月6日放送開始(番組開始に先立ち、同年3月30日に前夜祭が行われた)。月曜20:00 - 20:54枠。原則として公開生放送(東京渋谷公会堂 :現・渋谷C.C.Lemonホール)。司会は堺正章榊原郁恵が担当。前番組の「NTV紅白歌のベストテン」の公開放送スタイルに、当時人気の高かったTBSの「ザ・ベストテン」をミックスしたような番組構成であった。

[編集] イベント要素

  • 「トップテン」に初登場した歌手は必ず記念写真を撮影する。撮影した写真は会場のセットに掲示された。撮影の際の掛詞は「(堺)親子で」「(榊原)ブーッ!」であった。
  • また、当日会場に来られないアーティストが、各地から中継で登場することもあった。中継が度々あるのは「ベストテン」と同様。「トップテン」の中継には、当時まだかけ出しだった小堺一機や系列局のアナウンサーらがリポーターとして出演していた。
  • 「トップテン」では「ベストテン」のように4要素ランキングは発表されなかったが、代わりに4月~翌年3月の要素別ランキングを発表していた。
  • 曲のイントロ部分で視聴者からのはがき紹介や、ゲストの小話をするベストテンと異なり、トップテンではイントロにナレーションをかぶせない配慮がなされていた。
  • ここまで挙げた以外で、唯一の共通点は、メインの提供スポンサーが花王石鹸(現・花王)だったこと。「トップテン」の場合は、毎回番組の最後に花王ヘアケアシリーズ(エッセンシャルシャンプー、トリートメントなど)の視聴者プレゼントがあった。プレゼントは他に、江崎グリコの商品(アーモンドチョコレート、ポッキーなど)、コカコーラのノベルティグッズ、ネッスル(現・ネスレ日本)のギフトセットなどもあった。ただしこれらはハガキで曲をリクエストし、かつ運がよかった視聴者(1週につき30名まで)でない限りもらえなかった。

[編集] 考察

  • ランキング発表時に画面にコンピュータ表示されるサルの顔の表情によって順位変動が示される(上昇=笑顔(舌を出す)。変わらず=普通。下降=困った顔(涙をこぼす),但し1位をキープした場合は笑顔)。サルが使われたのは、堺が日テレ系ドラマ『西遊記』で孫悟空を演じていた名残。
    • 番組末期には、過去3週の折れ線グラフに変わり、後継の『歌のトップテン』に引き継がれた。
  • 堺は榊原の事を「トントン」と終始呼び、「じゃあトントン次のランキングに・・」という会話だった。
  • 第4位までを歌い終えた後、合間のランク圏外の11 - 20位を紹介するコーナーには、東京・麹町にあった日テレHスタジオ(番組の中継受けサブ[OAサブ]でもあった)に「エレクトリックおじさん」として、当時局アナだった徳光和夫がスタンバイしていた。1982年より「エレクトリックお兄さん」こと小倉淳アナにバトンタッチされる(しかし半年も経たないうちに小倉が結婚したため、「エレクトリックお兄さん」は短命に終わり、以後は「エレクトリックご主人」に改称)。また、代役として小林完吾アナが出演した時は、「エレクトリック上司」だった。
  • オープニング、エンディングの各タイトルバックにそれぞれ、ザ・バーズ(日本テレビ音楽学院(現・日テレ学院タレントコース)のレッスン生。「全国高等学校サッカー選手権大会」のテーマ曲「ふり向くな君は美しい」を歌っている。渡辺プロダクションスクールメイツに相当する)が『10』(エンディングは『END』)の人文字を作り盛り上げるシーンがあった。
  • 『トップテン』は公開生放送であるため、会場には毎回、修学旅行の中学生や、高校生たちの姿がよく紹介されていた(この紹介コーナーは前番組の『NTV紅白歌のベストテン』より継承された)。
  • 1985年10月7日の放送までは歌手が登場する際にエレベーターが使用されていたが、翌週14日の放送から自動ドア形式のものに変更された。恐らくこの頃からおニャン子クラブや、バンド系のアーティストのランクインが増えてきたことから、それに配慮したものだと思われる。エレベーターは1985年4月頃に一度リニューアルされている。
  • 渋谷公会堂が他の興行やメンテナンスのため使用できないとき、日本青年館東京郵便貯金ホール(現メルパルクホール芝)・日テレGスタジオのいずれかに場を移して生放送された。
  • アーティストが関西方面に集中し、大阪・池田市民会館から生放送したことがあった。
  • 堺が出演できないとき、高島忠夫や徳光和夫などがピンチヒッターで司会を務めたことがある。
  • 大山のぶ代が出演し、他局のアニメであるにもかかわらず『ドラえもん』のエンディングテーマ「まる顔のうた」を話題曲コーナーで歌ったことがある(1982年3月29日放送)。
  • 西田敏行は「もしもピアノが弾けたなら」で初登場したが、「写真映りが気に入らないから」と3週に渡って記念撮影をした。3回目の撮影には両手に1・2回目の写真を持っていた。
  • この番組の1位最高連続記録は1981年寺尾聰「ルビーの指環」の10週連続1位。なお、同曲は「ベストテン」でも1位最高連続記録(12週)を打ち立てている。
  • 第1回の1位は寺尾聰「ルビーの指環」、最終回の1位は中森明菜の「DESIRE」だった。
  • 最高視聴率は1982年5月17日の28.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。この週の1位は近藤真彦の「ふられてBANZAI」。
  • TBSの「ナショナル劇場」(現:「パナソニック ドラマシアター」。『江戸を斬るVI』、『水戸黄門第12部~第15部』、『大岡越前第6部~第9部』)が裏番組だった(なお、『トップテンシリーズ』の視聴者は若者層で『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』の視聴者は中高年だった)。
  • 番組は1986年4月7日に『歌のトップテン』に引き継がれるまで5年間続いた。
  • 放送はプロ野球の試合が基本的にない月曜日であったため、通常は放送休止になることはめったになかったが、特に9月から10月にかけて(主に予備日として)月曜日に急遽試合が組まれた場合は読売ジャイアンツ戦中継が優先された。生放送、また前もって出演者のスケジュールが調整されていたこともあり(更には雨天中止もありえる後楽園球場が本拠地の時代であったため)放送休止とはいかず、多くは翌火曜日夕方に録画放送された(ただしスポンサーはなし)。
  • また同じく月曜日には1985年3月までフジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」が生放送されており(ただしヒットスタジオは22時台の番組である)、ヒットスタジオへの出演を優先する歌手が多数いたことから、前番組の「紅白歌のベストテン」の時代と同じくランキングされている出演者のスケジュールをあけてもらうのに相当苦心したと言われている(欠席の理由を「スケジュールの都合で」とだけ言っていた)。

[編集] ザ・ベストテンとザ・トップテンの相違点

この番組は「ザ・ベストテン」とタイトル、中身も良く似ていたのだが、それぞれ異なるところがある。

両番組の違い
  ザ・ベストテン ザ・トップテン
歌手の登場 ミラーゲート(回転扉) エレベーター(末期は自動ドア)
ランキング表示 フラップ(回転式ボード) コンピューター表示
得点表示 4桁 5桁(11~20位は表示なし)
初登場の儀式 サインを記帳 記念撮影
歌詞表示 なし→初登場曲→全曲に表示 なし
作詞・作曲者表示 表示あり なし
11~20位の紹介 PV等の映像による紹介
(前面にチャートの折れ線グラフ)
コンピューター表示
(名称:「もうすぐトップテン」)
注目曲の紹介 今週のスポットライト 話題曲コーナー

[編集] ザ・ベストテンでは10位内に入った事がないが、ザ・トップテンでは10位内に入った曲

ランキングの基準はレコード部門・有線部門・ネット局部門・リクエスト部門の4部門と基本的にはベストテンと変わらないが、特にアイドルはベストテンよりも比較的高順位で、ランクインもしやすかった。また得点の集計方法、比率なども未発表なことから、ベストテンに比べると不鮮明な点が多い。

[編集] ザ・ベストテンでは1位になった事がないが、ザ・トップテンでは1位になった曲

基本的に1位の得点は50000点〜60000点程度である。 またベストテンのように長期間1位になる曲が少なく、順位変動も激しかった。

[編集] 年間トップテン1位獲得曲

  • 年間ランキングの集計方法は毎週出されている100位まで(ベストテンは70位まで)のデータを曲別に集計し、1年間の総合得点によって決定される。
  • 1981年1985年の年間第1位になった曲は、全てベストテンと一緒である。


年度 曲名 歌手名
1981年(昭和56年) ルビーの指環 寺尾聰
1982年(昭和57年) 北酒場 細川たかし
1983年(昭和58年) 矢切の渡し 細川たかし
1984年(昭和59年) 長良川艶歌 五木ひろし
1985年(昭和60年) 悲しみにさよなら 安全地帯

[編集] トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手

尚、稲垣潤一、大沢誉志幸、EPO、一世風靡セピア、井上陽水の5組については、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)にはいずれも上記ランキング曲での出演実績がある。おそらく、「トップテン」などのランキング番組では、フルコーラスを披露することができないことなどを考慮して、ヒットスタジオへの出演を優先していたものと思われる。

[編集] 連続トップワン記録

  • その他各歌手、各曲。

[編集] ハプニング・事件事故

1983年3月28日、番組に直接関係していることではないが、沖縄から生中継される予定だった松田聖子が、番組開始直前のコンサート会場で暴行を受け、中継ができなくなるという事件がおきた。この沖縄コンサートの事件の模様は日本テレビが放送用に収録している最中に起き、テレビニュースなどで何回も放送がされた。奇しくもこの日はトップテン自体が「八元生中継」という非常に生中継が多い日というのを目玉にしていた中で起きたもので、番組冒頭では司会者の2人にまだ事件のことが伝わっておらず、淡々と中継説明をするに終始していた。

1984年5月28日堀ちえみの「稲妻パラダイス」が10位にランクイン。右足を上げる振り付けがあり、その際に右足のヒールが脱げてしまった。スタッフがヒールを取りいく間、堀は右足のみパンストだけを穿いた状態で歌った。この様子はこの年のトップテンスペシャルでも取り上げられた。

1984年8月6日、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」がランクイン。なぜかセットに本物のペンギンが。おどけて踊りながら歌っていたチャゲは、ドライアイスで足を滑らせ転倒、ペンギンに噛まれた(間奏で石川が「チャゲ大丈夫?!」と叫んでいる)。

1984年10月22日中森明菜十戒」が5位にランクイン。エレベーターで会場に明菜が登場と同時に、近藤真彦のファンと思われる女性から「帰れ」コールを喰らわさたことがあった。明菜自身は何事もないような平然とした態度でいたが、司会の堺・榊原は明らかに慌てていた。

1985年3月11日近藤真彦の「ヨイショッ!」が2位にランクイン。近藤は会場に登場する際に誤ってエレベーターの降りる位置を間違え、中間の柱の部分に立ち、司会者の堺と榊原は呆然としていた。

1985年8月12日、番組冒頭に報道センターから小林完吾キャスター(日本テレビアナウンサー:当時)が速報で、日本航空123便が行方不明になったこと[1]日本航空123便墜落事故)を報道した。その後時折番組を中断して報道センターから最新情報[2]を伝えた。

[編集] 放映ネット局

[編集] 脚注

  1. ^ この時点では墜落は未確定だったものの、アメリカ軍から運輸省に入った連絡や長野県警に入った住民からの目撃情報などを伝えた。
  2. ^ 2回目の速報で長野県警による「北相木村での墜落確認」を伝えた。

[編集] 関連項目

[編集] 番組の移り変わり

最終更新 2009年11月23日 (月) 02:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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