シェーン・スペンサー

シェーン・スペンサーの最新ニュースをまとめて検索!

シェーン・スペンサー
Shane Spencer
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州キー・ウェスト
生年月日 1972年2月20日(40歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1994年 MLBドラフト28巡目
初出場 MLB / 1998年4月10日
NPB / 2005年4月1日
最終出場 MLB / 2004年7月22日
NPB / 2006年9月16日
経歴(括弧内は在籍年)

シェーン・スペンサーMichael Shane Spencer , 1972年2月20日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手外野手)。2005年2006年まで阪神タイガースに所属した。

目次

[編集] 来歴

[編集] アメリカ時代

1998年ニューヨーク・ヤンキースメジャー昇格。リーグ終盤からの出番だったが、スコット・ブローシャスらと組んだ下位打線は相手にとって脅威であり、打率こそ低かったものの、本塁打を10本放つ。同年のディビジョン・シリーズでは9番打者ながら打率.500、2本塁打と大暴れしてチームを勢いに乗せ、この年ヤンキースをワールドシリーズ制覇に導いた立役者の一人となった。

衝撃のデビューもあって首脳陣からも期待されたが、翌1999年は不整脈により故障者リスト入り。成績も落とし飛躍の年にはならなかった。2000年は開幕から好調を維持していたが、怪我に見舞われまたも故障者リスト入り。2001年も成績は横ばい。左投手には滅法強かったが右投手を苦手としていた。守備はまずまず評価されていたが準レギュラーから抜け出せない感があった。

2002年は最多の94試合に出場するも成績を落とす。シーズン途中にロサンゼルス・ドジャースからラウル・モンデシーが加入。更にオフには松井秀喜が加入したこともあり、クリーブランド・インディアンスにトレードされる。2003年はインディアンス、テキサス・レンジャーズでプレー。119試合に出場し、自己最多の12本塁打を放った。

2004年ニューヨーク・メッツに移籍。チームメートには西武から移籍した松井稼頭央がいた。7月22日深夜、ニューヨーク市内のバーで割れたガラスを踏んで右かかとを裂傷したため故障者リスト入り。更に同月末には飲酒運転で逮捕され、無期限の出場停止処分を受け、メッツを解雇される。ウェーバーニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶがメジャー昇格することなくオフに退団。日本に働き場所を求めた。

[編集] 阪神時代

2004年12月23日に、阪神タイガースと年俸6,000万円の1年契約を結んだ[1]。当時阪神の監督だった岡田彰布からは、同年に広島東洋カープから移籍したアンディ・シーツと共に、退団したジョージ・アリアスの穴埋めとして大きな期待を受けた。

2005年オープン戦前半は不調だったものの後半に調子を上げてきて、6番・右翼手として開幕スタメンを任された。その後は桧山進次郎と併用され、主に相手チームで左投手が先発する試合に起用された。当時絶好調だった金本知憲今岡誠の後を任されていた。シーズンを通しての成績を見れば打率.243、本塁打9本、打点33点と決して多くなく助っ人しては物足りない成績ではあったが、打線が沈黙している時に1人で気を吐くなど、意外性は評価されていた。チームのリーグ優勝に貢献し、日本の野球にも慣れたことから、翌年も契約を結ぶことになった。

メジャー時代同様に左投手に強く、同年に放った本塁打9本中3本がヤクルト藤井秀悟からのものだった。7月22日(阪神甲子園球場)には藤井秀悟-五十嵐亮太-石井弘寿のリレーにわずか3安打1得点と抑え込まれるものの、スペンサーだけは6回に完封阻止のソロ本塁打を放った。8月21日(明治神宮野球場)にはチームが5回まで藤井から1得点と攻めあぐねている中、6回に好投の先発・安藤優也の代打で出場してレフトスタンドへ値千金の8号2ラン本塁打を放っている。試合後記者に藤井との相性を尋ねられた際には「たまたまだよ」と謙虚に答えている。また、9月4日の対横浜戦(札幌ドーム)では相手先発の土肥義弘相手に2安打1得点と攻めあぐねたが、この2安打1得点はいずれもスペンサーのバットから生まれたもので、延長10回に入ってからも自ら犠牲バントの構えを試みるなど、チームの勝利に対する執着心を見せた。

2006年は、春季キャンプの終盤に車から降りる際、足を踏み外して右足首を捻挫、全治6週間と診断された。開幕には間に合わず、4月に復帰するが、濱中治の活躍で出場機会は代打に限られた。セ・パ交流戦からは、相手の先発投手が左投手の時に限って1番・指名打者もしくは右翼手で起用されるようになった。また、ある試合ではスペンサーが一塁、シーツが三塁で起用された。交流戦の後半からは調子を上げてきて、相手が右投手の時でも5番や7番に起用され、満塁弾を放つなど存在感を示した。また右翼手だけでなく、中堅手一塁手で先発出場して好守を見せることもあった。しかし、9月17日に故障から戻ってきた今岡と入れ替わりに二軍落ち。濱中の復活もあり、出場機会が大幅に減少し成績も振るわず、クリス・オクスプリングと共に同年限りで自由契約となった。日本でのプレーを希望し、ウェーバー公示をしたが獲得に乗り出す球団はなく、そのまま帰国。

[編集] 引退後

2008年サンディエゴ・パドレス傘下のマイナーリーグ、レイクエルシノア・ストームの打撃コーチに就任した。

[編集] 人物

まじめな性格で、コーチから積極的にアドバイスを聞くなど日本野球に溶け込もうとする姿勢が見られた。しかし、首脳陣から減量を指示されると不満をあらわにし、守ろうとしなかった。

2005年9月10日の対広島戦では、矢野輝弘への頭部死球に激怒し、直後の本塁突入時に捕手の倉義和に痛烈タックルをお見舞いし、倉は病院直行となった。

2005年に阪神がリーグ優勝した際のビールかけに「スケベ代表」のたすきをつけて登場したり、「馬鹿外人」と書かれたTシャツを着て打撃練習するなど茶目っ気のある性格であった。他球団を経ずに阪神に入団した助っ人外国人野手が優勝に貢献したのはランディ・バース以来である。また、阪神時代のチームメイトで同級生のアンディ・シーツと仲が良く、日本の野球についていろいろと教わった。夫人同士も仲がいいと報じられている。

またスペンサー在籍中である2005年にデイリースポーツで江草仁貴がナックルボールに挑戦中という記事が報じられたが、その記事の中で江草はナックルボールはスペンサーに教わったものだと発言していた。

一方で野球以外のトラブルが多く、前述のようにニューヨークで右足を怪我、リハビリ中に交通違反で検挙された。さらに、同年の春季キャンプ中には、チームメイトのカリーム・ガルシアとともにピザ屋の配達員に暴行を働くという事件を起こしている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 NYY 27 73 67 18 25 6 0 10 61 27 0 1 0 1 5 0 0 12 0 .373 .411 .910 1.321
1999 71 226 205 25 48 8 0 8 80 20 0 4 0 1 18 0 2 51 1 .234 .301 .390 .691
2000 73 276 248 33 70 11 3 9 114 40 1 2 0 7 19 0 2 45 4 .282 .330 .460 .789
2001 80 311 283 40 73 14 2 10 121 46 4 1 0 3 21 0 4 58 4 .258 .315 .428 .743
2002 94 329 288 32 71 15 2 6 108 34 0 3 2 4 31 4 4 62 5 .247 .324 .375 .699
2003 CLE 64 232 210 23 57 10 0 8 91 26 2 0 0 3 18 0 1 52 6 .271 .328 .433 .761
TEX 55 216 185 16 42 10 0 4 64 23 0 0 0 2 27 0 2 40 2 .227 .329 .346 .675
'03計 119 448 395 39 99 20 0 12 155 49 2 0 0 5 45 0 3 92 8 .251 .328 .392 .721
2004 NYM 74 204 185 21 52 10 1 4 76 26 6 0 2 2 13 0 2 37 1 .281 .332 .411 .742
2005 阪神 108 313 276 27 67 16 0 9 110 33 0 1 0 2 34 0 1 70 8 .243 .326 .399 .724
2006 59 115 108 12 24 5 0 6 47 17 1 0 0 1 6 0 0 33 0 .222 .261 .435 .696
MLB:7年 538 1867 1671 208 438 84 8 59 715 242 13 11 4 23 152 4 17 357 23 .262 .326 .428 .754
NPB:2年 167 428 384 39 91 21 0 15 157 50 1 1 0 3 40 0 1 103 8 .237 .308 .409 .717

[編集] 記録

NPB
  • 初出場・初先発出場:2005年4月1日、対ヤクルトスワローズ1回戦(大阪ドーム)、6番・右翼手として先発出場
  • 初打席・初安打:同上、2回裏に石川雅規から
  • 初打点:2005年4月2日、対ヤクルトスワローズ2回戦(大阪ドーム)、1回裏に坂元弥太郎から左前適時打
  • 初本塁打:2005年4月3日、対ヤクルトスワローズ3回戦(大阪ドーム)、4回裏に高井雄平からソロ

[編集] 背番号

  • 26 (1998年)
  • 47 (1998年 - 2002年)
  • 48 (2003年)
  • 47 (2003年)
  • 43 (2004年)
  • 41 (2005年 - 2006年)

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ シェーン・スペンサー選手との契約締結について 阪神タイガース公式サイト、2004年12月24日。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2012年4月17日 (火) 03:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【シェーン・スペンサー】変更履歴

スポンサーサイト注目キーワードランキング

健康・医療

  1. うつ
  2. 視力回復
  3. 疲労回復

恋愛・結婚

  1. 出会い
  2. 彼女
  3. 恋人

デジタルライフ

  1. 写真
  2. アンドロイド
  3. 無線LAN

旅行・レジャー

  1. ハワイ
  2. 温泉
  3. 海外旅行