シャキール・オニール

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バスケットボール選手
シャキール・オニール
Shaquille O'Neal
クリーブランド・キャバリアーズ  No.33
名前
本名 Shaquille Rashaun O'Neal
愛称 シャック(Shaq), The Big Daddy
ラテン文字 Shaquille O'Neal
基本情報
アメリカ合衆国
誕生日 1972年3月6日(37歳)
出身地 ニュージャージー州ニューアーク
身長 216cm
体重 147.4kg
足のサイズ 40cm
選手情報
ポジション センター
背番号 33
ドラフト 1992年 1位
経歴
1992-1996
1996-2004
2004-2008
2008-2009
2009-
オーランド・マジック
ロサンゼルス・レイカーズ
マイアミ・ヒート
フェニックス・サンズ
クリーブランド・キャバリアーズ
オリンピック
アメリカ合衆国
1996 バスケットボール

シャキール・ラシャウン・オニールShaquille Rashaun O'Neal, 1972年3月6日 - )は、アメリカバスケットボール選手。NBAクリーブランド・キャバリアーズに所属している。 ニュージャージー州ニューアーク生まれ。「Shaquille Rashaun(シャキール・ラシャウン)」とはアラビア語で「小さな勇士」の意。

身長216cm、体重147kgとNBA選手の中でも大柄な体格と、それに見合わぬ高い運動能力を有する、NBA歴代屈指のスター選手の一人。一方でコミカルなキャラクターは「シャック(Shaq)」の愛称で親しまれている。

目次

[編集] 生い立ち

実の父ジョセフ・トーニーは高校時代からバスケットボールのスター選手で、シートン・ホール大学に進学したが薬物中毒で途中退学し、1972年12月には麻薬購入のために小切手を偽造した罪で連邦刑務所に収監された。そのため母ルシールは幼いオニールを連れ、フィリップ・ハリソンと再婚する。それから今日までオニールはフィリップを本当の父親と考えている。(後に姿を現したトーニーはインタビュアーに「テレビでプレ・オールスターゲームを見るまで息子の行方が分からなかった」と話した。トーニーは1993年オーランド・マジックニュージャージー・ネッツの試合後にオニールに会うだろうと語ったが、オニールは現れなかった。トーニーは2002年の時点でニューアークの施設に住んでいたが、オニールは彼に会う考えはないと語っている)

[編集] NBA

[編集] オーランド・マジック

1992年NBAドラフトルイジアナ州立大学からオーランド・マジックに全体1位で指名されオニールはNBA入りを果たす。ルーキー・イヤーからバスケットのゴールをダンクシュートで2度も破壊(1度はリングをもぎ取りボードが粉々になった)するというパフォーマンスを見せ、改めてその怪物ぶりを示している(因みに両試合ともテレビで全米中継されていた。また、これが原因で現在のボードとリングの接合部は、過重を吸収するショックアブソーバー機能を持たせたバネ結合に改良された)。チームを41勝41敗と勝率5割に導いたものの1勝差でプレイオフ進出を逃した。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞し、華々しいスタートを切った。

1993-94シーズン、アンファニー・ハーダウェイトレードでマジックに加入した。オニールを中心にマジックはチームとして機能し始め、球団初のプレイオフ進出を果たした。また、オフにはシャック・ディーゼルの名でラップのCDをリリースし、チームメートのアンファニー・ハーダウェイおよびニック・ノルティと共に映画『Blue Chips』に出演してハリウッドデビューを果たした。しかし、彼のこういった副業への取り組みは、バスケットボールに対するプロ選手としての意識の低さを示しているとして、チーム関係者に批判されることもあった。さらに初のプレイオフの敗因が、オニールがフリースローをことごとく外したためだったこともあり、まずフリースローの練習をしろ、という批判も多かった。

1994-95シーズン、マジックに新たにホーレス・グラントが加わりオニールは毎試合インサイドを牛耳るようになり、前年惜しくも逃した得点王の座についた。オニールとスーパースターに成長を遂げたハーダウェイとのコンビは「マジック・ジョンソンカリーム・アブドゥル=ジャバー以来の強力デュオ」といわれた。オニールはチームをイースタン・カンファレンス最高勝率に導き、プレイオフでのホームコートアドバンテージを獲得した。そしてチームを初のNBAファイナルへと進出させることに貢献した。だが、ファイナルではアキーム・オラジュワンクライド・ドレクスラーを擁するヒューストン・ロケッツの前に1勝も出来ずに敗退した。オニールはオラジュワンに完全な格の違いを見せられての敗北であった。それでも復帰したばかりとはいえマイケル・ジョーダンのいるシカゴ・ブルズをカンファレンス準決勝で破りファイナルに出場したことはオニールに取って大きな経験となり、NBAにとっても新たな時代を予感させる出来事であった。

1995-96年、オニールは28試合を欠場するが、その間にハーダウェイが目覚しい活躍を見せマジックは勝ち星を積み重ねていた。ハーダウェイがオニールを上回る契約をマジックと交わしていたこともあり、この辺りから二人の不仲が徐々に表面化し始める。チームは2年連続で地区優勝を果たしプレイオフで再びブルズと対戦したが、今回は全く歯が立たずに敗退、オフにフリーエージェントとなったオニールは、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。

[編集] ロサンゼルス・レイカーズ

アメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わすシャキール・オニール(手前左) - 2002年1月28日, ホワイトハウスのEast Roomにて

1996年オフ、オニールは7年間1億2,000万ドルという契約でロサンゼルス・レイカーズに入団した(オニールは昔からレイカーズのファンだった)。レイカーズはオニールを含め複数のオールスター選手を抱えるチームだったが、オニールの唯我独尊のスタイルは相変わらずで、彼が移籍してから3年の間はファイナル進出はほど遠い状態だった。

1999年オフ、チームがフィル・ジャクソンをヘッド・コーチに迎えるとレイカーズはオニールを主軸にトライアングル・オフェンスを布いて一気にウェスタンカンファレンス屈指の強豪へと生まれ変わった。オニール自身もチームプレーヤーへと変貌、1999-2000シーズンはチームを破竹の連勝に導きホームコート・アドバンテージを獲得する。プレイオフでは勝負強い試合運びを見せ、遂に念願のNBAチャンピオンとなる。オニールはこの年、レギュラー・シーズン、オールスター、ファイナル全てのMVPを独占している。

2000-01シーズン、ホームコート・アドバンテージはサンアントニオ・スパーズに譲ったものの、プレイオフに入るとレイカーズはウェストの対戦相手をことごとく無敗で退け、最終的にこの年のプレイオフを15勝1敗という強さで乗り切りNBA2連覇を果たした。オニールは2年連続でファイナルMVPに選ばれた。

翌2001-02は、足の怪我の影響で15試合を欠場するが、プレイオフでは調子を上げまたもファイナルへ進出。フィル・ジャクソンに3度目のNBA3連覇(スリーピート)、初の4勝0敗でのファイナル勝利をもたらし、オニール自身も3年連続ファイナルMVPに選ばれた。3連覇達成は史上3チーム目(他はボストン・セルティックスとシカゴ・ブルズのみ)という偉業である。

2002-03、03-04シーズンはプレイオフに進出するも、それぞれカンファレンス準決勝、決勝で敗退してしまう。チームでは以前から噂が絶えなかったオニールとコービー・ブライアントの確執が一層騒がれるようになり、結局オニールはレイカーズを去った。オニールのトレードは、オフにFAとなるコービーが球団に「若い自分を採るか、オニールを採るか(これ以上オニールとプレーする気はない、彼が残るなら自分が出て行く)」と迫ったことによる、と言われている。

[編集] マイアミ・ヒート

2004-05シーズン、イースタン・カンファレンスのマイアミ・ヒートへと移籍、これにより東西の勢力図は大きく変化する。オニールはチームメイトでオールスターガードのドウェイン・ウェイドとともにヒートをイースタン最高の成績に導き、チームを一気に強豪へと押し上げた。シーズン後の2005年8月、ヒートと5年で1億ドルの長期高額契約を結んだ。

そして2005-06シーズン、プレイオフ開始前の下馬評は高くなかったが、デトロイト・ピストンズをカンファレンス決勝で破った後、ファイナルではダラス・マーベリックスと対戦、4勝2敗でチームを初優勝へと導き、自身4つ目のチャンピオンリングを手に入れた。ヒート移籍の前後から、以前のような圧倒的な支配力に陰りが見え始めたオニールだが、このシーズンはその衰えが数字にもはっきりと現れ、ルーキー時代から続いていたシーズンアベレージのダブル・ダブルが初めて途絶えたが、それでもオールNBAファーストチーム入りを果たし、リーグのトップセンターであることを証明した。

故障による欠場が多くなり始めたオニールの2006-07シーズンの出場試合数は僅か40試合に留まった。シーズン後半には復帰し、ウェイド不在という災難にも見舞われていたチームを牽引するも、プレイオフでは1回戦でブルズに4戦全敗で敗れた。シーズンの成績は初めて平均得点が20点台を割り、12年間続いていたオールNBAチーム入りも途絶えた。翌2007-08シーズン、ヒートの低迷の度合いは一層強まり、シーズン序盤から大きく負け越した。そしてシーズン途中の2月に、ショーン・マリオンマーカス・バンクスとの交換で、フェニックス・サンズにトレードされることになった。この背景には、2007年秋に夫人との離婚を申請したことなど、私生活における問題を抱えていたことも影響している。

[編集] フェニックス・サンズ

サンズに移籍したオニールは、移籍当初こそチームのスタイルとプレイがかみ合わずに負けが先行、チームも一時地区首位から転落するが、その後チームのスタイルとプレイがかみ合いだすとオニールも復調し、チームはプレイオフに進出。ただプレイオフ1回戦でチームはサンアントニオ・スパーズに敗れてしまう。

なお2008-09シーズンは、オールスターゲームに出場した際に11分間の出場ながらコービー・ブライアントと共にオールスターでは3度目となるMVPを受賞。かつてレイカーズ時代に不仲で知られた二人であったが、MVP受賞記者会見の後で抱き合うなど、関係が改善している様子が明らかになった。

2008-2009シーズン、プレイオフ圏内に残れずシーズンを終了した。

[編集] プレイスタイル

シャックはフリースローを最大の弱点としている

216cm、147kgの巨体に似つかわしくない運動能力、スピード&クイックネスを兼ね備えるという史上稀な存在。そのパワーは圧倒的で、ペイントエリア内では無二の支配力を誇る。ローポストでボールを受け取り、そこからのフックシュートや「シャック・アタック」と呼ばれるダンクシュートは、最早ファウル以外で止める術はないとされた。本人としてはローポストに入りボールを貰ってシュートするだけのことだが、その一連の行程でことごとく相手選手を吹き飛ばしてしまうという規格外のプレーは、NBAデビューと同時にバスケットの常識を粉々に打ち砕いた。更にアスリートとしての走力も備えており、速攻の際その巨体がコートの端から端までダッシュしてダンクを叩き込む様はまさに圧巻。オニール自身これを「黒いハリケーン」と称しており、止めようと立ち向かう者は皆無である。

スピンムーブやフックシュートを身につけるなど年々技術的な向上はみせたが、一方で非常に自己中心的な選手としても有名で、自分が目立った上で勝たなければ気がすまないというきらいがあった。しかし、フィル・ジャクソンの下で考えを改めると一変、チームのためにディフェンスやリバウンドに精を出し、攻撃では味方を攻めやすくし、パスを捌き(元々パスセンスにも優れている)、勝利に貢献するようになる。初優勝を果たすとこの傾向は更に顕著になり、大黒柱としてチームを支える存在となった。また、ヒート移籍後はドウェイン・ウェイド中心のオフェンスに不満をもらすことなくプレイした。

現役最強選手とも謳われたオニールだが、フリースローは大きな弱点となっている。成功率は毎年50%前後で、フリースロー専門のコーチがついてもさほど改善されなかった。(フィールドゴール成功率のほうがフリースロー成功率より高いが、これは通常では考えられない。)そのため、相手チームにわざとファウルをしてフリースローを打たせる作戦を取られることもある。この作戦は一般にハック・ア・シャックと呼ばれ、彼のフリースローの失敗が敗因となることも度々であった。 皮肉にも彼の巨体故にボールのサイズが手のひらに比べて小さすぎるためコントロールしづらいと言うことも大きな要因である。 2000年のポートランド・トレイルブレイザーズとの対戦がその代表である(上述の5月20日の試合)。

[編集] 個人成績

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発試合  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール%  3P%  スリーポイント%  FT%  フリースロー%
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点   TO  平均ターンオーバー
 太字  キャリアハイ

[編集] NBAレギュラーシーズン

Year Team G GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1992–93 ORL 81 81 37.9 .562 .000 .592 13.9 1.9 .7 3.5 3.79 23.4
1993–94 ORL 81 81 39.8 .599 .000 .554 13.2 2.4 .9 2.8 2.74 29.3
1994–95 ORL 79 79 37.0 .583 .000 .533 11.4 2.7 .9 2.4 2.58 29.3
1995–96 ORL 54 52 36.0 .573 .500 .487 11.0 2.9 .6 2.1 2.87 26.6
1996–97 LAL 51 51 38.1 .557 .000 .484 12.5 3.1 .9 2.9 2.86 26.2
1997–98 LAL 60 57 36.3 .584 .000 .527 11.4 2.4 .6 2.4 2.92 28.3
1998–99 LAL 49 49 34.8 .576 .000 .540 10.7 2.3 .7 1.7 2.49 26.3
1999–00 LAL 79 79 40.0 .574 .000 .524 13.6 3.8 .5 3.0 2.82 29.7
2000–01 LAL 74 74 39.5 .572 .000 .513 12.7 3.7 .6 2.8 2.95 28.7
2001–02 LAL 67 66 36.1 .579 .000 .555 10.7 3.0 .6 2.0 2.55 27.2
2002–03 LAL 67 66 37.8 .574 .000 .622 11.1 3.1 .6 2.4 2.93 27.5
2003–04 LAL 67 67 36.8 .584 .000 .490 11.5 2.9 .5 2.5 2.91 21.5
2004–05 MIA 73 73 34.1 .601 .000 .461 10.4 2.7 .5 2.3 2.78 22.9
2005–06 MIA 59 58 30.6 .600 .000 .469 9.2 1.9 .4 1.8 2.85 20.0
2006–07 MIA 40 39 28.4 .591 .000 .422 7.4 2.0 .2 1.4 2.38 17.3
2007–08 MIA 33 33 28.6 .581 .000 .494 7.8 1.4 .6 1.6 2.97 14.2
2007–08 PHX 28 28 28.7 .611 .000 .513 10.6 1.7 .5 1.2 2.96 12.9
Career 1042 1033 36.2 .581 .050 .524 11.5 2.7 .6 2.4 2.86 25.2
All-Star 11 9 23.9 .530 .000 .466 8.4 1.3 1.2 1.6 1.82 16.8

[編集] NBAプレーオフ

Year Team G GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1993–94 ORL 3 3 42.0 .511 .000 .471 13.3 2.3 .7 3.0 3.33 20.7
1994–95 ORL 21 21 38.3 .577 .000 .571 11.9 3.3 .9 1.9 3.48 25.7
1995–96 ORL 12 12 38.3 .606 .000 .393 10.0 4.6 .8 1.2 3.67 25.8
1996–97 LAL 9 9 36.2 .514 .000 .610 10.6 3.2 .6 1.9 2.44 26.9
1997–98 LAL 13 13 38.5 .612 .000 .503 10.2 2.9 .5 2.6 3.31 30.5
1998–99 LAL 8 8 39.4 .510 .000 .466 11.6 2.3 .9 2.9 2.25 26.6
1999–00 LAL 23 23 43.5 .566 .000 .456 15.4 3.1 .6 2.4 2.43 30.7
2000–01 LAL 16 16 42.3 .555 .000 .525 15.4 3.2 .4 2.4 3.56 30.4
2001–02 LAL 19 19 40.8 .529 .000 .649 12.6 2.8 .5 2.5 3.26 28.5
2002–03 LAL 12 12 40.1 .535 .000 .621 14.8 3.7 .6 2.8 2.92 27.0
2003–04 LAL 22 22 41.7 .593 .000 .429 13.2 2.5 .3 2.8 2.50 21.5
2004–05 MIA 13 13 33.2 .558 .000 .472 7.8 1.9 .4 1.5 3.23 19.4
2005–06 MIA 23 23 33.0 .612 .000 .374 9.8 1.7 .5 1.5 3.70 18.4
2006–07 MIA 4 4 30.3 .559 .000 .333 8.5 1.3 .2 1.5 3.50 18.8
2007–08 PHX 5 5 30.0 .440 .000 .500 9.2 1.0 1.0 2.6 1.80 15.2
Career 203 203 38.6 .564 .000 .501 12.1 2.8 .6 2.2 3.08 25.2

[編集] 獲得タイトルその他

[編集] タイトル

  • NBAチャンピオン:2000年, 2001年, 2002年, 2006年
  • 得点王(1試合平均):1995年 (29.3), 2000年 (29.7)
  • シーズン通算最多得点: 1995年 (2315), 1999年 (1289), 2000年 (2344)
  • シーズン最多フィールド・ゴール:1994年 (953), 1995年 (930), 1999年 (510), 2000年 (956), 2001年 (813)
  • フィールド・ゴール%:1994年 (.599), 1998年 (.584), 1999年 (.576), 2000年 (.574), 2001年 (.572), 2002年 (.579), 2004年 (.584), 2005年 (.601), 2006年 (.600)

[編集] 受賞歴

[編集] 記録

  • 通算フリースロー最多試投:2,085
  • 1ハーフ・フリースロー最多試投:27(2000年5月20日、ブレイザーズ戦)
  • 1クォーター・フリースロー最多試投:25(2000年5月20日ブレイザーズ戦)
  • ファイナル記録
  • 4ゲーム・シリーズ最多得点:145(2002年)
  • 4ゲーム・シリーズ最多フリースロー成功:45(2002年)
  • 4ゲーム・シリーズ最多フリースロー試投:68(2002年)
  • 4ゲーム・シリーズ最多ブロック:11(2002年)
  • 1試合最多ブロック※:8(2001) ※パトリック・ユーイング、ティム・ダンカンと並ぶタイ記録
  • 1ハーフ最多フリースロー成功:13(2000年)
  • 1クォーター最多フリースロー成功※:9(2000年) ※アレン・アイバーソンと並ぶタイ記録
  • 1試合最多フリースロー試投:39(2000年)
  • 1クォーター最多フリースロー試投:16(2000年, 2002年)
  • チーム記録
  • マジック
  • 1試合最多リバウンド:28(1993年)
  • 1試合最多ブロック:15(1993年)
  • レイカーズ
  • シーズン最多オフェンシブ・リバウンド:336 (1999-2000)
  • プレイオフ通算最多オフェンシブ・リバウンド:561
  • プレイオフ1試合最多オフェンシブ・リバウンド:11(2001年)
  • 1試合最多フリースロー試投:31(1999年)
  • プレイオフ1試合最多フリースロー試投:39(2000年)
  • 1ハーフ最多フリースロー試投:20(2002)
  • プレイオフ1ハーフ最多フリースロー試投:22(2000年)
  • プレイオフ1クォーター最多フリースロー試投:16(2000年)
  • ヒート
  • プレイオフ1クォーター最多フリースロー試投※:10(2006年) ※ラマー・オドムと並ぶタイ記録


  • 最高の選手の1人と言われるオニールだが、彼の所属するチームはプレイオフで対戦チームに1勝も出来ずに全敗する事が多い。
  • オーランド時代
  • 1994年プレイオフ 1回戦    インディアナ対 オーランド 3勝0敗で敗北
  • 1995年プレイオフ ファイナル  ヒューストン対 オーランド 4勝0敗で敗北
  • 1996年プレイオフ 3回戦    シカゴ  対 オーランド 4勝0敗で敗北
  • ロサンゼルス時代
  • 1998年プレイオフ 3回戦    ユタ 対 レイカーズ 4勝0敗で敗北
  • 1999年プレイオフ 2回戦    サンアントニオ 対 レイカーズ4勝0敗で敗北
  • マイアミ時代
  • 2007年プレイオフ 1回戦    シカゴ対 マイアミ 4勝0敗で敗北

[編集] その他の業績

  • オールスター戦出場13回:1993年,1994年,1995年,1996年,1997年,1998年,2000年,2001年,2002年,2003年,2004年,2005年,2006年
  • 1999-2000シーズンMVPは史上初、満場一致での選出。
  • ヒートでファイナルに進出し、ゲイリー・ペイトンと共に、異なる3つのチームでファイナルに出場した史上11,12番目の選手となった。
  • レギュラー・シーズンで40得点以上を記録したのは48回。50得点以上が3回。60得点以上も1回。
  • 2000年12月8日の試合ではフリースロー全11投を全て外し、ウィルト・チェンバレンが持っていた10投の記録を更新した。


[編集] その他

  • 2005年にフェニックス大学でMBAを取得。
  • ニックネームは「Shaq(シャック)」のほかに、「The Diesel(ディーゼル)」、「The Big Aristotle(大きなアリストテレス)」、「 The Big Baryshnikov(大きなバリシニコフ)」、「M.D.E (Most Dominant Ever)」、「Superman」など。2005年にMBAを取得したので「Doctor Shaq」と自分で言うこともある。
  • 自宅に「シャックの親戚」と名乗る人がやたら訪れるので、自分が不在の時も常に家は開けっ放しで食べ物や飲み物が大量に用意してある。シャックは「自称親戚」を追い返したりはせず、その面倒見のよさから「ビッグ・ダディー」と呼ばれる事もある。
  • 靴のサイズはUSAサイズで22。日本サイズでは約40cmである。
  • 2002-2003シーズンの冬に、オニールは6月28日にFOXテレビのレポーターからインタビューを受けた時に「テル、ヤオ・ミン(姚明)、チン、チョン、ヤン、ワー、アー、ソー」と話し、カンフーの身振りをしたことが明らかになり、人種的論争となった。ちなみに、オニールとヤオは仲が良い。ヤオがリーグに加入した頃は彼を評価していなかったが、最近ではオニールはヤオの両親と会ったり、ヤオを高く評価するコメントを多く残している。
  • とにかく、なんとしても優勝したい、喉から手が出るほどチャンピオン・リングが欲しい、というベテラン選手は、オニールがいるチームに移籍したいということが多い。オニールがいるチームを優勝候補から外す事は出来ないからである。ゲーリー・ペイトンの夢はレイカーズではかなわなかったがヒートで見事優勝した。しかし、カール・マローンは自身のファイナルでの不調もあり長年プレイしてきたユタ・ジャズを離れてレイカーズに加入したがとうとう優勝できずに引退している。
  • 2000年12月にルイジアナ州立大学を卒業、背番号「33」は大学の永久欠番となっている。
  • ゴールを2回壊したことがある。1度目は天井から吊るされた支柱が折れて危うくバックボードの下敷きになるところであった。2度目は垂直に立つ支柱を支えるフレームが壊れ収納する状態になった。またヒート時代にも2度目の様になりかけたこともある。
  • 大のWWE好きとしても知られ、たびたびPPVの会場に足を運んでいる。さらに2009年7月27日RAWで番組ホストを務めた。当時統一タッグ王者のクリス・ジェリコをクリスティーナ、ビッグ・ショーを太っちょと挑発し、メイン戦のジェリコ&ビッグ・ショーvsクライム・タイムの特別審判員を務めた。王者組の反則負けで試合は終わったが試合後にビッグ・ショーとの対戦が開始し、クライム・タイムの援護もあり、勝利した。

[編集] 出演した映画

  1. Blue Chips (1993) ・・・ 「Razzie Award for Worst New Star」にノミネートされた。
  2. Kazaam (1996)
  3. Good Burger (1997)
  4. 「スティール」(Steel、1997) ・・・「Razzie Award for Worst Actor」にノミネートされた。劇中では、フリースローの下手さを自嘲する場面がある。
  5. Freddy Got Fingered (2001)
  6. 最終絶叫計画4 (2006)

[編集] ディスコグラフィー

  1. Shaq Diesel (1993, プラチナム・アルバムとして認定された)
  2. Shaq Fu - Da Return (1994, ゴールドアルバムとして認定された)
  3. The Best of Shaquille O'Neal (1996)
  4. You Can't Stop the Reign (1996)
  5. Respect (1998)
  6. Presents His Superfriends, Vol. 1 (2001)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
ユーゴスラビアの旗トニー・クーコッチ
1990 アルゼンチン
バスケットボール世界選手権MVP
1994 カナダ
次代:
セルビア・モンテネグロの旗デヤン・ボディロガ
1998 ギリシャ

最終更新 2009年11月4日 (水) 09:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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