シャフリサブス
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コク・グンバッズ・モスク(ウルグ・ベクの金曜モスク)
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| 英名 | Historic Centre of Shakhrisyabz | ||
| 仏名 | Centre historique de Shakhrisyabz | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(3),(4) | ||
| 登録年 | 2000年 | ||
| 拡張年 | |||
| 備考 | |||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 世界遺産テンプレートを使用しています | |||
シャフリサブス(ウズベク語:Shahrisabz/Шахрисабз)は、サマルカンドの南約80kmに位置する人口約53,000人の町である。高度はおよそ622mある。かつては、中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られる。町の名前は、ペルシャ語の「緑の町」(شهر سبز:「シャフレ・サブズ」)に由来する。
2000年に、15世紀ティムール朝時代に建築された建物の現存する地区がユネスコの世界遺産に登録された。
目次 |
[編集] 歴史
もともとは「心休まる場所」という意味のケシュ、キシュ (Kesh) という名前で知られていた街であり、古代のシャフリサブスは、中央アジアの都市の中でも最古の歴史を持つ。アレクサンドロス3世の将軍プトレマイオスはバクトリア地方のサトラップとなり、この地で、ハカーマニシュ朝は、終焉を迎えた。アレクサンドロスは、紀元前328年から327年の冬にかけて、シャフリサブスに滞在して妻ロザンナ(ロクサナ)を娶った。
隋唐代の中国の史料に書かれている昭武九姓の1つ史国は、この地に興った都市国家である。『大唐西域記』(『西遊記』の原案)には羯霜那国(サンスクリット名Kusanaの音訳)の名で登場した。他にKeshの音訳の竭石国、渴石国、可石国などとも書かれた。
ティムールは、1336年4月9日、シャフリサブスで誕生した。ティムールはシャフリサブスを自らの故郷と考え、ここに自らの墓を建設することを計画した。しかし、ティムール朝の時代、シャフリサブスは、徐々に帝国の中心の地位をサマルカンドに譲ることとなった。
ブハラの首長であったアブドゥッラー2世は、16世紀に街の大部分を破壊し、シャイバーニー朝の興隆を図った。伝説によると、アブドゥッラーが街を破壊したのは、シャフリサブスの攻略の際に急な坂道を登る際に、疲労で愛馬が死んだがゆえにその怒りが町に向けられたが、後に彼は、自らの破壊行為に対して、自責の念に駆られたということである。
ブハラ・ハン国の統治に対して、シャフリサブスは、自治権闘争を展開した。ロシア帝国が1870年に、シャフリサブスを自国に併呑したが、その理由は、ツァーリの徴税請負人をシャフリサブスの住民が殺害したかどによる。
[編集] 世界遺産
[編集] 主要建築物
シャフリサブスには、ティムール朝時代以降の印象的な建築物が残っている。このことが評価され、UNESCOの世界遺産に登録された。その代表的なものを挙げる。
- アク・サライ宮 - ティムールの夏の王宮、またの名を白い宮殿と呼ばれるアク・サライ宮は、ティムールの建築物の中でも最も雄大である。1380年に、征服したばかりのホラズム地方の職人をシャフリサブスに強制移住させ、建設が開始された。現在では、その痕跡も、青、白、金色のモザイクで飾られた高さ65mの入口の塔を残すばかりである。アク・サライ宮の上部には、「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」という文字が述べられている。
- 金曜モスク - 1437年に、ウルグ・ベクが父、シャー・ルフをしのぶために建設した金曜モスクは、コク・グンバッズ・モスク(青色のドームを持つモスク)の名前で知られている。コク・グンバッズ・モスクの側には、1438年にウルグ・ベクが自らのために立てた廟が存在するが、ウルグ・ベク自身がここに埋葬されることはなかった。
- 権力の霊廟 - Dorussiadatと呼ばれる権力の霊廟がコク・グンバッズ・モスクの傍らにある。この霊廟にはティムールが最も寵愛した最年長の王子であるジャハーンギル王子が眠る。隣接するモスクは、8世紀にイラクから来たイマームのハザーリーの墓と言い伝えられている。
- ティムールの墓 - ハザーリーの傍らに、地下室へ続く壕が1943年に考古学調査で発見された。墓室は、一枚岩でできており、ティムールの墓の描写を指し示すものであった。しかし、ティムールは、サマルカンドに埋葬されているはずであり、シャフリサブスに埋葬はされていない。そういった点では不思議が残るものであり、シャフリサブスにあるティムールの墓には、2体の特定できない遺体が埋葬されてあった。
また、シャフリサブスには、中世の浴場や18世紀のバザールの跡も発見されている。
[編集] 世界遺産登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
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最終更新 2009年10月26日 (月) 14:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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