シュヴァーベン大公

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シュヴァーベン大公( -たいこう)は、神聖ローマ帝国の部族大公。ドイツ南西部からスイスにかけてを支配した。その領域についてはシュヴァーベンを参照。

シュヴァーベン大公は916年頃、ドイツ王ハインリヒ1世捕鳥王が在地貴族のブルカルト1世をシュヴァーベン大公に任命して始まった。ドイツでは911年のカロリング朝の断絶を受けて、まずフランケンのコンラート1世がドイツ王に選出されたものの、本拠であるフランケン以外の地域には権力を及ぼすことが出来なかった。そこでコンラート1世の跡を継いだハインリヒ1世はブルカルト1世のような在地貴族を大公に任命し、その権力を追認する代わりに自身の王位への支持を取り付けたのである。

949年にヘルマン1世が死去すると、シュヴァーベン大公はヘルマン1世の娘婿でもあったオットー大帝の息子リウドルフに受け継がれた。982年にリウドルフの息子オットー1世が死去するとバーベンベルク家のコンラート1世が跡を継ぎ、以降1012年までバーベンベルク家が大公位を独占した。

1077年、皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世によって破門される(いわゆる「カノッサの屈辱」)と、ラインフェルデン家のシュヴァーベン大公ルドルフは皇帝に反旗を翻し、ドイツ王を称した。1080年にルドルフが死去するとその息子のベルトルト・フォン・ラインフェルデンとホーエンシュタウフェン朝で親ハインリヒ4世派のフリードリヒ1世が大公位を争った。

1090年にラインフェルデン家が断絶すると、姻戚のツェーリング家がその所領を受け継いでシュヴァーベン大公を称し、シュタウフェン家と争った。両派の和解が成立するのは1098年のマインツの和で、これによってシュタウフェン家が正統なシュヴァーベン大公となり、ツェーリング家は大公権力の一部と大公位を保持した(ツェーリング大公)。

1127年にホーエンシュタウフェン朝のコンラート3世がドイツ王となってシュタウフェン朝を創始すると、シュヴァーベン大公位はホーエンシュタウフェン朝のイタリア政策の要として、王朝内で継承された。1268年にホーエンシュタウフェン朝が断絶すると。シュヴァーベン大公も消滅した。

シュヴァーベン大公の所領の多くは大空位時代にヴュルテンベルク伯に回収された。なお、ツェーリング大公の所領はキーブルク伯家を通じてハプスブルク家に受け継がれたが、のちにスイスに奪われた。ハプスブルク家の君主はシュヴァーベンの大公を称したが、それはこのような関係あってのことだろう。

目次

[編集] 歴代領主一覧

[編集] シュヴァーベン大公

[編集] バーベンベルク家

[編集] ズルツバハ家

[編集] ザリエル朝

[編集] エッツォーネン家

[編集] ラインフェルデン家

[編集] ツェーリング家

[編集] ホーエンシュタウフェン朝

[編集] ハプスブルク家

[編集] 関連項目

最終更新 2009年7月28日 (火) 17:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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