シーメンス

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シーメンス
Siemens AG
種類 AG
本社所在地 ドイツ
バイエルン州ミュンヘン
設立 1847年
業種 製造業
事業内容 鉄道車両・情報通信機器等の製造・販売等
代表者 ペーター・レッシャー (社長兼CEO)
関係する人物 ヴェルナー・フォン・ジーメンス
外部リンク http://www.siemens.com/
  
バイエルン州ミュンヘンにあるシーメンス本社

シーメンス・アーゲーSiemens AG )は、ドイツバイエルン州ミュンヘンに本社を置く多国籍企業。06年の連結売上高は873億ユーロ、約14兆円。連結純利益は303億ユーロ、約5000億円。もともと電信電車電子機器の製造会社から発展し、現在では情報通信電力関連、交通医療防衛、生産設備、家電製品等の分野で製造及びシステム・ソリューション事業を幅広く手がけるコングロマリットである。

目次

[編集] 製品

現在では情報通信、電力関連、交通・運輸、医療、防衛、生産設備、家電製品等の分野での製造及びシステム・ソリューション事業などでその名が知られており、特に鉄道車両VVVFインバーターMRI装置補聴器などで大きく市場を占有している。

総合鉄道関連メーカーとしては、ボンバルディアアルストムと並ぶ「ビッグ3」の一つで、世界の鉄道車両製造では約2割強のシェアを有する(他の2社もほぼ同程度、日本企業は主要6社を合わせて約1割)。

シーメンスは2005年携帯電話端末事業を中華民国明基電通BenQ)に売却しているが、現在は「BenQ Siemens」ブランドで商品を発売するなど提携関係を継続している。また、日本法人が手掛けた医療搬送機器事業は2006年7月神鋼電機に事業譲渡している。

[編集] 概要

ベルリン交通技術博物館内で保存されている、世界初の電気鉄道車両

1847年12月12日に、ヴェルナー・フォン・ジーメンス(Werner von Siemens) によってベルリンに創業された電信機製造会社、ジーメンス・ウント・ハルスケ(Telegraphen-Bauanstalt von Siemens & Halske ) に端を発する。後にジーメンス・ハルスケ電車会社に発展し、世界で最初の電車を製造し、1881年に営業運転を開始した。

なお、現代標準ドイツ語での正確な発音は「ーメンス」(より正確にはズィーメンス」)だが、日本のここ近年では英語読みに基づく慣用形である「シーメンス」が使われ、日本法人も「ーメンス」を使用している。

[編集] 国際展開

[編集] 日本における事業展開(戦前)

1861年、ドイツ外交使節が徳川将軍家へシーメンス製電信機を献上し、ここに初めてシーメンス製品が日本に持ち込まれた。

1887年にはシーメンス東京事務所が開設され、以降、シーメンス社の製品は広く日本に浸透することになる。19世紀の主な納入実績には、足尾銅山への電力輸送設備設置、九州鉄道株式会社へのモールス電信機据付、京都水利事務所など多数の発電機供給、江ノ島電気株式会社への発電機を含む電車制御機及び電車設備一式の供給、小石川陸軍砲兵工廠への発電機供給、などがある。

1901年にはシーメンス・ウント・ハルスケ日本支社が創立された。

その後も発電・通信設備を中心とした製品供給が続き、八幡製鉄所太平洋セメント伊勢電気鉄道古河家日光発電所、曽木電気(のちの日本窒素肥料)等へ発電設備を供給した。また、逓信省へ、電話関係機器の多量かつ連続的な供給を行なった。

軍需関係では、陸軍へ口径60センチシーメンス式探照灯、シーメンス・レントゲン装置、各種無線電信機、海軍へ無線装置・信号装置・操舵制御装置等を納入している。1914年には海軍省の注文で千葉県船橋に80~100キロワットテレフンケン式無線電信局を建築したが、この無線電信局の納入をめぐるリベートが、「シーメンス事件」として政界を揺るがす事件に発展することになる。

第一次大戦中は日独が交戦状態に入ったため営業を停止したが、1920年頃から営業を再開した。1923年には古河電気工業と合弁して富士電機製造株式会社を設立、1925年には電話部門を富士電機に譲渡した。

その後も、日本全国の都市水道局へのシーメンス量水器の納入、逓信省への東京大阪間電話ケーブルに依る高周波多重式搬送電話装置の供給などが続いた。関東大震災後には、シーメンスの電話交換機が各都市の官庁、ビル・商社に多数設置された。

1929年には、大連逓信局に軽量物搬送装置を供給。以降、1936年満州国電信電話会社がシーメンス式ベルトコンベアを採用するなど、日本、台湾、満洲の電信局・郵便局のほとんどがこの様式を採用することとなる。

1931年には八幡市水道局にシーメンス製オゾン浄水装置が納入された。1932年には日本活動写真株式会社トーキー設備40台を納入、以降全国各地の映画館にトーキー映写装置を販売することになる。

1932年上野帝国図書館は日本最初のシーメンス式自動書類複写機を採用した。1936年には大阪市にも採用された。

満洲事変以降、富士電機は探照燈・特殊電気機器・船舶航空器材など軍需兵器関係の製作に力を入れることになり、シーメンスから専門技師を招致するなどして、シーメンス関連企業が設計製作を行なっていたその種の装置の国産化に努めた。

1938年頃から、アルミニウム工場が日本国内、満洲、朝鮮の各地に建設・増設されたが、シーメンス社はその設備・資材供給で多忙を極めることとなった。発電設備関係では、1939年、満洲国各地、鴨緑江水電株式会社などに、相次いで大型発電設備を供給した。

1941年、ドイツとソ連が交戦状態に入り、シベリア鉄道経由での貨物輸送が不可能になった。続く日米開戦により、東京シーメンスはほとんど全部の製品を国産化することとなった。この時期の納入実績としては、シーメンス水素電解槽の住友電気工業日本カーバイド工業鐘淵紡績等への供給、逓信省への大型短波放送設備の納入等がある。戦争が続く中で、資材の獲得が困難となり、戦時中は保守業務が中心となった。

(以上は、百渓禄郎太編「日本におけるシーメンスの事業とその経歴」による)

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月16日 (水) 11:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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