ジェイ・レノ
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| "Jay" Leno ジェイ・レノ |
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| 本名 | James Douglas Muir "Jay" Leno |
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| 生年月日 | 1950年4月28日(59歳) |
| 出生地 | |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 職業 | 司会、コメディアン |
| 活動内容 | テレビ |
| 配偶者 | あり |
ジェイ・レノ(ジェームズ・ダグラス・ミュア・レノ、James Douglas Muir "Jay" Leno)は、1950年4月28日アメリカ・ニューヨーク州ニューロシェル出身のコメディアンである。NBCのトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』(The Tonight Show With Jay Leno)の司会を約17年もの間務め、同番組を制作するビッグ・ドッグ・プロダクション(Big Dog Productions)のオーナーでもある。映画俳優としても活動したことがあるが、有名ではない。身長180cm(5'11)。年収は3200万ドル(約32億円)にも上り、同国のセレブリティ収入ランキングでは23位に位置している。2009年9月より同じくNBCで『ザ・ジェイ・レノ・ショー』の司会を務める。
目次 |
[編集] 生い立ち
1950年4月28日、ニューヨーク州ニューロシェルにイタリア系アメリカ人の父と、スコットランド人の母の下に生まれる。母は5歳からアメリカ育ちである。マサチューセッツ州アンドーヴァーで育ち、1973年ボストン市のエマーソン大学で言語聴覚療法学士を取得した。
[編集] ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ
1992年、同番組の前司会であったジョニー・カーソンが引退。1954年より続く歴史あるトーク番組の新司会の座はレノとデイヴィッド・レターマンの2人に絞られた。世間的には同番組の後に編成される番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』(Late Night with David Letterman)の司会を長年務め(1982年 - 1993年)、コメディアンとして一枚上手だったレターマンにその座が渡されるという見方が強かったが(通常、アメリカのトーク番組で司会が入れ替わる場合は、番組に追従しているトーク番組の司会が格上げになることが多い)結果的にスタンダップ・コメディアンであったレノが新司会の座に着いたのだった。この新司会座争いは『ザ・レイト・シフト』(The Late Shift)というテレビ映画にもなった。この事からレターマンとレノの不仲は有名であり(しかし両者ともネタにはしている)、レノは2005年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで「レターマン氏とはもう13年近く会っていない」と述べた。1993年、レターマンはCBSと契約、同時間帯に『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』(The Late Show with David Letterman)を立ち上げた。そしてレノとレターマンの両番組の熾烈な視聴率争いが始まった。1995年まではレターマンが勝っていたが、それ以後はレノが勝ち続けている。
基本的に大胆で派手なパフォーマンスを見せるが、時にセンシティブな表情もうかがわせる。2001年のアメリカ同時多発テロ事件後の放送では普通のオープニングトークを止め、何が起こったのか!?と神妙に述べた。2003年のコロンビア号空中分解事故の時も同様のパフォーマンスを行った。また。2002年のソルトレイクシティオリンピックにおけるフィギュアスケート競技でカナダのペアスケート選手が論争を巻き起こした時、番組に招きカナダの国旗を振りながらカナダの国歌を熱唱した。ジョニー・カーソンが2005年1月に死去した際は一夜だけ彼に賛辞を述べる番組内容に切り替えた。
1998年、番組にプロレスチーム「WCW Road Wild」をサウスダコタ州ストラジスより招き、番組のバンドリーダー・ケビン・ユーバンクス、プロレスラーのダラス・ペイジと共にレノはハルク・ホーガン、エリック・ビショフと戦った。このマッチではレノチームが勝った(のびるケビンはビショフに決められたダイアモンド・クラッターという技でのびた)。
2003年5月12日、NBCのニュース番組『トゥデイ』(Today)のキャスターだったケイティ・コーリック(現:『CBSイブニングニュース』(CBS Evening News)キャスター)と司会を交代する形で番組を進行。この時レノは『トゥデイ』に出演した。
2004年9月27日、『ザ・トゥナイト・ショー』の50周年記念放送で2009年限りで番組を引退すると発表。次期司会には現在『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』(Late Night with Conan O'Brien)の司会を務めているコナン・オブライエンがその座に着く予定。
フォーブス誌の発表によると2005年の彼の年収は3200万ドル(約37億円)。これはライバル、デイヴィッド・レターマンの4000万ドル(約46億円)に比べるとかなり少ない。これはレターマンの番組が彼自身のプロダクションが立ち上げた番組であるのに対し、レノの番組は別にレノが立ち上げたわけではなく、彼のプロダクションに入る収入がレターマンより少ないものと見られている。
2009年5月29日でもって17年もの間務めた『ザ・トゥナイト・ショー』の司会を降板した(後任はコナン・オブライエン)。最後の出演では「番組を始めた時、わたしの髪は黒かったが、大統領は白人だった」と自身の毛髪の色とアメリカ合衆国大統領に初の黒人であるバラク・オバマが就任したことを絡めたジョークを言った(ちなみにレノが同番組の司会に就任した当初の合衆国大統領はジョージ・H・W・ブッシュであった)。
[編集] エピソード
[編集] マイケル・ジャクソン裁判
マイケル・ジャクソン裁判では、青少年虐待の罪で逮捕されていたマイケル・ジャクソンの弁護側証人として2005年5月24日に出廷。レノは子供の福祉事業にも積極的に関与していたため、原告少年とも繋がりが僅かながらあったためである。法廷でレノは5年前に原告の家族に付きまとわれそうになったと感じた事を証言した。この裁判では多くの有名人が出廷したが、レノは実際に裁判で発言した数少ない人間である。
この事件について証人であったレノはマイケルやこの事件をジョークとして喋らないように言い渡されたが、彼と番組の構成作家は上手く法律の抜け穴を探しこの事を話した。このようなNBCの裁判所の命令に対する挑戦が効いたのか、裁判所はレノにこの事件に関連しない事柄であればジョークを言っても良いと許可。その後の放送でレノのオープニング・トークは全てマイケル・ジャクソンのネタになった。
[編集] カーマニア
世界的にカーマニアとして知られ、デューセンバーグやブガッティなどのかつての高級車のコレクションの他、蒸気車から最新型のフェラーリやランボルギーニまで多数のコレクションを所有していることでも知られる。
[編集] ジェイレノ・タンクカー
レノは「ジェイレノ・タンクカー」(正式名称ではない)を所持している。これは、ホットロッド製造者のランディ・グラッブが、レノにホットロッドシャシーを売りに来たところ、たまたまM47パットン戦車のエンジンを持っていたレノは「ホットロッドシャシー+戦車エンジン」という奇想天外な車を依頼し、その結果できた車である。エンジンはオールアルミV12、800馬力以上(810 HP/604 kW)・3万cc(30L)弱といわれている。
[編集] 関連項目
- ザ・ジェイ・レノ・ショー
- ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ
- ザ・トゥナイト・ショー
- デイヴィッド・レターマン
- コナン・オブライエン
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月22日 (日) 13:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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