ジェフ・リース
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| ジェフ・リース | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・ウォリックシャー |
| 生年月日 | 1951年5月1日(58歳) |
| F1での経歴 | |
| 所属チーム | ティレル, シャドウ, エンサイン, ウィリアムズ, セオドール,ロータス |
| 活動時期 | 1979 - 1980, 1982 |
| 出走回数 | 5 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 1979年ドイツGP |
| 初勝利 | - |
| 最終勝利 | - |
| 最終戦 | 1982年フランスGP |
ジェフ・リース(Geoff Lees、1951年5月1日 - )は、イギリスの元レーシングドライバー。イングランド出身。
F1世界選手権やF2ヨーロッパ選手権などに参戦した後、1980年代半ば以降は日本に活躍の場を移した。全日本F2選手権や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)等で活躍。
目次 |
[編集] 略歴
1971年にイギリスのフォーミュラ・フォード1600に参戦してレースデビュー。
1978年のイギリスグランプリでエンサインのマシンに乗り、F1デビュー(ただし予選落ちしているため、公式なデビューではない)。
1979年のドイツグランプリでティレルのマシンに乗りF1に出場し、予選16位・決勝7位となる(これが公式なF1デビュー)。
1980年にはシャドウやエンサイン、ウィリアムズといったチームからF1にスポット参戦を繰り返すが、計8戦中予選通過はわずか2回のみという成績に終わる。
1981年はF2にステップダウンし、ラルトに加入[1]。リースは同年のヨーロッパF2選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。
1982年にはセオドールやロータスからF1にスポット参戦するが、かろうじて予選を通過するのが精一杯で、結局同年を最後にF1からは撤退を余儀なくされた。
1983年に生沢徹が監督を務めるi&iレーシングの招きに応じて来日し、全日本F2選手権にフル参戦。来日初年度に全日本F2のシリーズチャンピオンを獲得した[2]。
以後は日本に活動拠点を移し、全日本F2やJSPC、富士グランチャンピオンレース(富士GC)などに参戦。日本のモータースポーツファンにはおなじみの存在となる。
1989年に富士GCの最後のシリーズチャンピオンに輝いたほか[3]、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)ではトヨタのワークスドライバーとして活躍した。
1992年にはJSPCの最後のシリーズチャンピオンになった[4]。
[編集] エピソード
- トヨタ・スープラ(3代目・A70後期型)のTVCMにドライバーとして出演、水を張ったテストコース上で華麗なドライビングを披露している。その幻想的とも言える映像は大のクルマ好きである喜多郎を感激させ、自身初となるオリジナルCM楽曲製作を快諾させるほどの出来栄えだったが、リース本人は「レーシングドライバーにわざとスピンなんかさせるじゃない!」と、かなり怒っていたという。
[編集] 関連項目
- エイエ・エリジュ - リースと同時期に日本で活躍した外国人ドライバー
[編集] 脚注
- ^ ラルトのマシンには、'80年からF2へのエンジン供給を再開したホンダのワークスエンジンが搭載されていた。
- ^ 前年チャンピオンの中嶋悟が新チーム・ハラダレーシングの不十分な体制に苦しんだことも要因という意見がある。なお当時の全日本F2では生沢徹のチームと中島悟のチームにのみ、ホンダF2エンジンが供給されていた。
- ^ 同年をもって富士GCは休止された。
- ^ 同年をもってJSPCは休止された。
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最終更新 2009年11月2日 (月) 06:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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