ジム・アボット

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ジム・アボット
Jim Abbott
(1998年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州サウスフィールド市
生年月日 1967年9月19日(42歳)
身長
体重
191cm
95kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 1988年 ドラフト1巡目
初出場 1989年4月8日
最終出場 1999年7月21日
経歴(括弧内は在籍年)

ジェームズ・アンソニー・アボットJames Anthony Abbott, 1967年9月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア・エンゼルスニューヨーク・ヤンキースシカゴ・ホワイトソックスミルウォーキー・ブルワーズで活躍したメジャーリーグの元投手。左投左打。先天性右手欠損というハンディキャップを抱えながら野球を続けたことで知られている。

ミシガン大学時代の1987年に米国一のアマチュア選手に贈られるジェームスサリバン賞を受賞し、1988年ソウルオリンピックでは金メダルを獲得。その年のMLBドラフトで1巡目指名され、翌年にメジャー昇格。1993年にクリーブランド・インディアンス戦でノーヒットノーランを達成し、通算87勝108敗、防御率4.25の成績を残して引退。現在講演者として活躍中。

目次

[編集] 競技生活

[編集] アマ時代

1967年、米国ミシガン州サウスフィールドで生まれた直後、すぐに同州フリントに移り住んだ。生まれつき右手(手首より先)がなかったのにも関わらずフリント中央高校ではエースピッチャーとして活躍する一方、アメリカンフットボールクォーターバックとして同校を州大会優勝に導いた。野球選手としての実力が評価され、卒業後の1985年MLBドラフトトロント・ブルージェイズに36巡目指名されたものの契約せず、ミシガン大学に進学した。ミシガン大では1985年から3年間プレイし、2回のビッグ・テン大会優勝に導いた。1987年には野球選手としては初めて米国一のアマチュア選手に与えられるジェームズ・E・サリバン賞を受賞。同年アメリカ代表としてパンアメリカン大会で好投し、銀メダルを獲得。アボットのアマチュア競技生活での最終試合は1988年ソウルオリンピックの決勝戦であり、アメリカ代表は金メダルを獲得。毎年アメリカの最も優れたアマチュア競技スポーツ選手に贈られるジェシー・オーウェンス賞を受賞した後、アボットは1巡目(全体8位)でカリフォルニア・エンゼルスに指名された。

[編集] プロ生活

1989年にプロ入り後、アボットは一度もマイナーリーグの試合で投げることなくエンゼルスの先発ローテーション入りを果たした。21歳のルーキー年には12勝12敗で防御率3.92を記録。プロ1年目での12勝は1976年デトロイト・タイガースマーク・フィドリッチが19勝を記録して以来最多で、同年の新人王投票では5位に入った。アボットにとって現役最高のシーズンは1991年に訪れた。その年18勝を挙げ、防御率2.89でアメリカンリーグサイ・ヤング賞投票で3位に入る。翌1992年シーズンも好投を続け、防御率は前年の数字を上回る2.77を記録したが、成績は7勝15敗でエンゼルスも6位に終わった。同年アボットは病気やハンディキャップを克服して好成績を残した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞。エンゼルスからニューヨーク・ヤンキースに移籍した後の1993年9月4日にはクリーブランド・インディアンス戦でノーヒットノーランを達成。ヤンキースとその後また移籍したシカゴ・ホワイトソックスでも活躍を続け古巣エンゼルスに復帰したものの、大活躍した1991年シーズンの感触を取り戻すことは無かった。1996年には年間通して苦しみ、残した成績は2勝18敗の防御率7.48と散々なものであり、同年オフに引退した。 しかし1998年にホワイトソックスで現役復帰し、5試合先発で投げその全てで勝ち星を挙げた。アボットは翌年ミルウォーキー・ブルワーズでも復帰に励み、そこでは好成績を挙げられなかったがDH制のないナショナルリーグのチームだったため野球人生初めて打席に立つことになった。その後アボットは1999年7月23日に解雇されオフに2回目の引退を宣言。通算成績は87勝108敗の防御率4.25であった。 2005年にアボットはアメリカ野球殿堂選出のための被投票資格を得たが、全米野球担当記者協会による票数が全体の5%以下だったため、選出資格を喪失。しかし、2001年に施行された現行ルールによると現役引退20年後の年(2020年)にベテランズ委員会の投票による選出の道は依然として残されている。

[編集] 一本の手でのプレー

引退後のジム・アボット
  • 右利き用のグラブを右手の手首の上に乗せ、投球の直後にそのグラブを左手にはめ直すグラブスイッチ(別名「アボット・スイッチ」)と呼ばれる投法を用いた。打球が飛んできた際には即座にグラブでボールを叩き落とし、送球した。それでも、彼の守備は平均以上であったとの統計が残っている。
  • 指名打者制を導入しているアメリカンリーグでの試合が現役生活の大半だったため、アボットにバッティングをする機会はほとんどなく、春季キャンプでもピッチャーとして打席に立つことはなかった。1999年にナショナルリーグのブルワーズに移籍した際、21打数で2安打、3打点を記録した。打つ時は通常アボットは片手でスイングするものの、ほとんどのケースで出たサインはバントであった。しかし春季キャンプで一回三塁打を放ったとも言われており、他の投手に負けず劣らずのバッティングを見せることができたとの説が有力である。
  • 自身の隻腕について聞かれた際「自分が障害者だとは思ったことはない。子供の時自分に野球を教えようとして庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ」と答えている。

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
1989 CAL 29 29 4 2 0 12 12 0 -- .500 788 181.1 190 13 74 3 4 115 8 2 95 79 3.92 1.46
1990 33 33 4 1 1 10 14 0 -- .417 925 211.2 246 16 72 6 5 105 4 3 116 106 4.51 1.50
1991 34 34 5 1 1 18 11 0 -- .621 1002 243.0 222 14 73 6 5 158 1 4 85 78 2.89 1.21
1992 29 29 7 0 1 7 15 0 -- .318 874 211.0 208 12 68 3 4 130 2 0 73 65 2.77 1.31
1993 NYY 32 32 4 1 1 11 14 0 -- .440 906 214.0 221 22 73 4 3 95 9 0 115 104 4.37 1.37
1994 24 24 2 0 0 9 8 0 -- .529 692 160.1 167 24 64 1 2 90 8 1 88 81 4.55 1.44
1995 CWS 17 17 3 0 1 6 4 0 -- .600 474 112.1 116 10 35 1 1 45 0 0 50 42 3.36 1.34
CAL 13 13 1 1 0 5 4 0 -- .556 368 84.2 93 4 29 0 1 41 1 0 43 39 4.15 1.44
'95計 30 30 4 1 1 11 8 0 -- .579 842 197.0 209 14 64 1 2 86 1 0 93 81 3.70 1.39
1996 27 23 1 0 0 2 18 0 -- .100 654 142.0 171 23 78 3 4 58 13 1 128 118 7.48 1.75
1998 CWS 5 5 0 0 0 5 0 0 -- 1.000 134 31.2 35 2 12 0 1 14 0 0 16 16 4.55 1.48
1999 MIL 20 15 0 0 0 2 8 0 0 .200 394 82.0 110 14 42 3 2 37 7 0 71 63 6.91 1.85
通算:10年 263 254 31 6 5 87 108 0 0 .446 7211 1674.0 1779 154 620 30 32 888 53 11 880 791 4.25 1.43
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月16日 (月) 00:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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