ジム・クロウ法

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有色人種専用の水飲み場(1950年頃)

ジム・クロウ法(ジム・クロウほう、Jim Crow law)は、1876年から1964年にかけて存在したアメリカ合衆国南部の州法で、アフリカン・アメリカン(アメリカ黒人)の一般施設利用を制限した法律を総称していう。


目次

[編集] 経緯

南北戦争後の南北統合期(1865)に、北部州は(共和党)「奴隷制廃止」を掲げていた。しかし伝統的な南部11州(民主党)は反対に「奴隷制維持」を掲げていた。この対立の元に、南部11州は先手を打って黒人の準奴隷システムを正当化するような黒人取締り法(black code)を制定した。当時工業で発展し始めていた北部都市(デトロイトシカゴなど)と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。その為「黒人が白人と平等になっては困る」というのが南部経済を支える有力な白人農園主たちの本音であったと考えられる。この黒人取締り法がジム・クロウ法の礎になっていった。

1945年以降、公民権運動が高まるとジム・クロウ法に対して裁判闘争が行われ、1954年から1955年にかけて、連邦最高裁判所は、プレッシー対ファーガソン裁判で確立された 「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆し、公立学校における人種別学制度は違憲とする判決を下した(ブラウン対教育委員会裁判、Brown v. Board of Education of Topeka (Brown I) 347 U.S. 483, 74 S. Ct. 686, 98 L. Ed. 873 (1954)、Brown v. Board of Education of Topeka (Brown II) 349 U.S. 294, 75 S. Ct. 753, 99 L. Ed. 1083 (1955))。1964年7月2日リンドン・ジョンソン政権は公民権法(Civil Rights Act)を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった。

[編集] 名の由来

ジム・クロウという名は、ミンストレル・ショー(Minstrel Show、白人が黒人に扮して歌うコメディ)の1828年のヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ(Jump Jim Crow)』に由来する。英国からの移民であったコメディアンのトーマス・ダートマス・”ダディ”・ライス(Thomas Dartmouth "Daddy" Rice)が演じて人気を博し、顔を黒く塗って黒人に扮するブラックフェイス・パフォーマンスを全米に広めた。ジム・クロウは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、着飾った都会の黒人であるジップ・クーン(Zip Coon)とともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。1837年までに、ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになっている。

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  • 病院 白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として立ち入れない。
  • バス バス停留所には白人用と有色人種(この場合特にアフリカン・アメリカ人を指すと思われる)用の2つの待合場が存在し、バス・チケット売り場も白人専用窓口と有色人種専用窓口があった。
  • 電車 人種ごとに車両が選別されるか、同車両内でも人種ごとに席が分けられた。
  • レストラン 白人と有色人種が同じ部屋で食事ができるようなレストランは違法になりさえもした。
  • 結婚 白人と黒人の結婚は禁止された。なお先祖4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば、純粋な黒人と同様『黒人』として扱われた。
  • 交際 結婚していない黒人と白人(結婚自体既に禁止されているが)は一緒に住んではならないし、ひとつ部屋で夜を過ごしてもならない。この犯罪には12ヶ月以上の禁固刑、もしくは$500(当時)の罰金が科せられた。
  • 学校 白人学校と黒人学校は厳密に分けられた。
  • 平等扇動罪 パンフレット・出版・公共場での演説などで社会的平等・異人種間結婚を奨励すれば、6か月以下の懲役、もしくは$500以下の罰金。
  • ほとんどの南部州
過剰な投票税をかけるなどして、黒人が投票するのを防ごうとした。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月7日 (月) 11:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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