ジャニス・ジョプリン
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| ジャニス・ジョプリン | |
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ジャニス・ジョプリン、1969年。
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| 基本情報 | |
| 出生名 | ジャニス・リン・ジョプリン |
| 出生 | 1943年1月19日 |
| 出身地 | テキサス州 ポート・アーサー |
| 死没 | 1970年10月4日(満27歳没) カリフォルニア州 ロサンゼルス |
| ジャンル | サイケデリック・ロック ブルースロック |
| 職業 | 歌手 |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター |
| 活動期間 | 1966年 - 1970年 |
| レーベル | コロムビア・レコード |
| 共同作業者 | ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー |
| 公式サイト | OfficialJanis.com |
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin、本名: Janis Lyn Joplin、1943年1月19日 - 1970年10月4日)は、アメリカ合衆国のロックシンガー。魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。また死してなおロックの歴史を代表する女性シンガーとして現在に至るまで人気を博している。
目次 |
[編集] 生涯
ジャニス・ジョプリンはテキサス州ポート・アーサーに生まれた。父セス・ジョプリンはテキサコに勤める労働者で、家族は両親とマイケル、ローラの三人兄妹であった。ジョプリンは小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聞いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加していた。1960年にポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業しテキサス大学オースティン校に入学。高校では他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聞かされたのを契機にブルースやフォーク・ミュージックにのめり込むようになった。
大学をドロップアウトしたジョプリンは1963年にテキサスを離れサンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。覚醒剤やヘロインの他にアルコールも大量に摂取していた。彼女のお気に入りの銘柄は「サザン・カンフォート」であった。
当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンの外的なイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の姉妹が著わした手記『Love, Janis』には彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。
[編集] ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー
一時静養のためにポート・アーサーへ帰郷したが、1966年には再びサンフランシスコへと戻っている。ヘイト・アシュベリーを中心としたヒッピーたちの間で際立って目立っていた彼女はビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーに参加する。バンドは独立系レーベルのメインストリーム・レコードと契約し、1967年にバンドの名を冠したアルバムを発表した。売れ行きは不調でレコードは早々に倉庫にしまい込まれる事になった。
しかし、このバンドはモントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。ジョプリンはビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を荒々しい歌声で歌いこなしてみせた。D・A・ペネベイカー撮影のドキュメンタリー『モントレー・ポップ』では、群衆の中に紛れたキャス・エリオットが”Wow, that's really heavy”と呟く姿が撮影されている。1968年のアルバム『チープ・スリル』では以前に増して生々しい歌声を披露し、その評価を決定づけることになった。スタンダード・ナンバーをブルース風にカバーした「サマータイム」や、前述の「ボール・アンド・チェイン」等、迫力のある歌が多く収録されている。
[編集] ウッドストック
ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成。ブラス・セクションを加えた、よりソウル・ミュージックを意識した編成だ。1969年に『コズミック・ブルースを歌う』をリリースして、ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドも直に解散した。この後ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『パール』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。このアルバムからはクリス・クリストファーソンのカバー曲「ミー・アンド・ボビー・マギー」と、ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された「メルセデス・ベンツ」がヒットを記録している。
[編集] 夭折
彼女が生前最後に公の場に姿を現したのは1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。6月の番組で彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラに押さえられている。この一件はジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。
1970年6月29日から7月3日、「フェスティバル特急」と呼ばれた電車に乗って、カナダ・ツアーを行った。ザ・バンド、グレイトフル・デッド、バディ・ガイ等が同乗した豪華なツアーで、この模様は後に映画『フェスティバル・エクスプレス』として公開された。
1970年10月4日、アルバム『パール』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡されているのが発見された。27歳没。使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが原因であるとされる。録音中だったアルバムの収録曲のうち、「メルセデス・ベンツ」はアカペラの仮録音、そして「生きながらブルースに葬られ」は本人の歌が録音できないまま演奏だけが収録されている。遺灰はカリフォルニアで海へ撒かれた。
[編集] サンプル楽曲
- Try (Just a Little Bit Harder) - アルバム『I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!』より
[編集] 関連
- 歌え! ジャニス★ジョプリンのように - 2003年のフランス映画。
- ローズ - ジョプリンをモデルとした1979年の映画。ベット・ミドラー主演。
- ジャニス - ゆずの楽曲。
- ポルノグラフィティの楽曲「リビドー」の歌詞にジャニス・ジョプリンの名前が出ている。「ロマンチスト・エゴイスト」に収録。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月28日 (水) 20:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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