ジュラ・グロシチ

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ジュラ・グロシチ
名前
ラテン文字 Gyula Grosics
ハンガリー語 Grosics Gyula
基本情報
国籍 ハンガリー
生年月日 1926年2月4日(83歳)
出身地 ドログ
選手情報
ポジション GK
クラブチーム1
クラブ App (G)
1945-1947
1947-1949
1949-1950
1950-1957
1957-1962
ドロギ・バニャシュ
MATEOSZブダペスト
テヘルフヴァルSE
ブダペスト・ホンヴェード
FCタタバーニャ
061 (0)
055 (0)
030 (0)
125 (0)
123 (0)
代表歴
1947-1962 ハンガリー 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj
オリンピック
男子 サッカー
1952 サッカー

ジュラ・グロシチ(Gyula Grosics、ハンガリー語:Grosics Gyula、1926年2月4日 -)は、ハンガリー出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはGK。選手時代にはブラックパンサー(ハンガリー語:Fekete Párduc)の異名で呼ばれた。

[編集] 経歴

1950年代にマジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表の一員。ハンガリー代表としては1947年6月4日のポーランド戦で代表デビューを飾り、1952年のヘルシンキオリンピック金メダル、1954年のFIFAワールドカップ・スイス大会準優勝に貢献した。1956年のハンガリー動乱後も国内に留まり、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会に出場。1962年10月14日のオーストリア戦で引退するまで国際Aマッチ86試合に出場した。

クラブレベルでは、1945年に地元のドロギ・バニャシュで選手キャリアを始め、1950年からはブダペスト・ホンヴェードへ移籍。ホンヴェードではフェレンツ・プスカシュらと共に数多くのタイトル獲得に貢献した。

1954年にハンガリー政府から反政府運動の容疑で逮捕され、15ヶ月間の出場禁止処分が命じられた[1]。晩年は鉱山労働者のクラブであるFCタタバーニャでプレーを続け、1962年に現役を引退した。

グロシチはクロスボールに強く安定したセービングが持ち味のキーパーであったが、足元のテクニックにも定評があり、浅いディフェンスラインを敷くことが特徴のハンガリー代表の中ではペナルティエリアを越えてスイーパーの役割を果たすなど、重要な役割を担った[2]

なお、イェネー・ブザーンスキーと共に、存命しているマジックマジャールの一人となっている(2008年9月現在)。

[編集] 脚注

  1. ^ リチャード・ウィリアムズ 『背番号10のファンタジスタ』 ベースボール・マガジン社、2007年。
  2. ^ ブライアン・グランヴィル 『決定版ワールドカップ全史』 草思社、1998年。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月6日 (火) 19:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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