ジョルジュ・ビゴー
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ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot, 1860年4月7日 - 1927年10月10日)は、フランス人の画家、漫画家。
パリで生まれる。1876年にエコール・デ・ボザールを退学して挿絵の仕事を始める。1882年に日本美術を研究するために来日。1883年から1899年まで陸軍士官学校で講師をしながら、当時の日本の出来事を版画・スケッチなどの形で風刺画にあらわした。また、中江兆民の仏学塾でフランス語を教えてもいた。1894年に士族の娘・佐野マスと結婚し、1899年に離日するまで外国人居留地を中心として活動した。当時の日本人が興味を持たなかったものも多く題材としており、今となっては貴重な資料ともなっている。
1887年に居留フランス人向けの風刺漫画雑誌『トバエ』を創刊し、日本の政治を題材とする風刺漫画を多数発表した。ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館や日清戦争・日露戦争を扱ったものは中学校や高校の歴史教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされているが、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義や急速な近代化・軍国化であり、日本の伝統的な文化や庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。ただし、こうした風刺画の背景には日本の不平等条約改正を時期尚早と見る居留地の外国居留民の意向があり、それに当時の自由民権運動の関係者が政府批判という面で協力したのではないかという説も唱えられている[1]。
また、欧米における日本人描写のステレオタイプとなった「眼鏡をかけて出っ歯」という姿はビゴーが広めたとも言われる。これは当時の日本での室内照明や食事の事情により実際にそうした人々が多かったことに起因するが、彼の絵の影響力の大きさゆえに後にまで残ってしまったものであった。なお、ビゴーが庶民をスケッチした絵では男女を問わずさまざまな人相・年齢・職業の人物を描き分けており、「日本人はみな眼鏡で出っ歯」という偏見をビゴー自身は抱いていなかった点は留意すべきであろう。
ビゴーが残した風刺画の中には影絵の形式で複数のコマを並べてストーリーに仕立てたものがある。4コマ漫画との関連について、漫画史の研究家でビゴーにも詳しい清水勲は、ビゴーは7~10コマの複数のコマを使用しており、ビゴーが描いた4コマ漫画は日本の漫画家のものを筆写した例があるだけだと記している[2]。
[編集] ビゴーを扱った作品
[編集] 参考文献
- 清水勲 『明治の風刺画家 ビゴー』 新潮社、1978年。
- 清水勲 『絵で描いた日本人論 ジョルジュ・ビゴーの世界』 中央公論社、1981年。
- 清水勲 『ビゴーが見た日本人 風刺画に描かれた明治』 講談社文庫、2001年。
- 清水勲 『明治の面影・フランス人画家ビゴーの世界』 山川出版社、2002年。
- 清水勲 『ビゴーが見た明治日本』 講談社文庫、2006年。
- 『ビゴー日本素描集』 岩波文庫、1986年。
- 『続ビゴー日本素描集』 岩波文庫、1992年。
[編集] 脚注
最終更新 2009年8月29日 (土) 13:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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