ジョン・オシェイ

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ジョン・オシェイ
名前
本名 ジョン・フランシス・オシェイ
愛称 シェシー、ジョニー、ジョシュ
ラテン文字 John O'Shea/Seán Ó Sé
Seán Ó Sé Seán Ó Sé
基本情報
国籍 アイルランド
生年月日 1981年4月30日(28歳)
出身地 ウォーターフォード
身長 190cm
体重 88kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド
ポジション DF/MF
背番号 22
利き足 右足
代表歴
2001– アイルランド 51 (1)
2009.2.21現在
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ジョン・オシェイJohn O'Shea、アイルランド語ではSeán Ó Sé1981年4月30日 - )はアイルランド、ウォーターフォード出身の同国代表サッカー選手。所属クラブは17歳の時に契約して以降、2度の一時的なレンタル移籍期間を除けば一貫してマンチェスター・ユナイテッドFC(2008-2009シーズン終了時点でプロとして353試合に出場しているが、うち342試合が同クラブでの試合出場)。左右のサイドバックセンターバック、セントラルミッドフィールダーを非常に高いレベルでこなす、稀代のユーティリティー・プレイヤーである。

目次

[編集] 略歴

[編集] トップチームデビュー

1999年にリーグカップのアストン・ヴィラ戦でトップチームデビュー。2001-02シーズンにはトップチームに定着し、2002-2003シーズンには34試合に出場。主にセンターバック、レフトバックとして出場を重ねる。しかし2003-2004シーズンにはプレーに積極性を欠き、また軽率なミスも目立つようになった為、ファンの批判を浴びるようになった。

[編集] ユーティリティーマンへの転身

2004-2005シーズンになるとアルゼンチン代表ガブリエル・エインセの加入により、レフトバックでの出場機会は殆ど失われるが、怪我人の多いチーム事情もあり、セントラルミッドフィールダーやセンターバック、ライトバックとして頻繁に試合に出場した。

2005-2006シーズンもまたあちこちのポジションで先発を務め、ポジション不定のレギュラーメンバーという新ジャンルを開拓することとなる。前半戦ではエインセの怪我により主にレフトバックを務め、後半戦では、ロイ・キーンセルティック移籍、アラン・スミスポール・スコールズの故障など、セントラルミッドフィールダーが払底した為、ライアン・ギグスダレン・フレッチャーとともにセントラルミッドフィールダーのレギュラーとなった。

[編集] ゴールキーパーとしての活躍

2006-2007シーズン序盤はセントラルミッドフィールダーとして先発することが多かったが、キャリックの復帰とともに控えに回り、守備固めや怪我人の穴埋めとして後半に交代出場するという起用法が増えていった。そして2007年2月4日のトッテナム・ホットスパーFC戦、ロビー・キーンとのマッチアップで負傷したファン・デル・サールに代わり、ついにゴールキーパーを務めるまでにいたった。

これはチームが交代枠をすでに使い切ってしまっていたためだったのだが、ペナルティエリアという既成概念にとらわれない斬新なプレイスタイルで1対1の場面で相手を止めるなどユナイテッドの完封勝利に貢献。この時ベンチで観戦していたウェイン・ルーニーなどチームメイトや、スタンドのサポーターはオシェイの好プレーに笑みを浮かべる場面もあった。この試合がきっかけで日本の熱狂的なファンのなかでは「ミラクルオシェイ」と呼ぶ人も多い。(ただし、ミスも犯すこともあることに対する皮肉でもある)

ちなみにこのシーズン、オシェイはリーグ一の得点決定率を誇った[1]

[編集] 二冠チームの一員として

2007-2008シーズンもオシェイはベンチスタートが中心であったが、試合の大勢が決した後半に、休ませたい選手や今ひとつフィットしていない選手の代わりとして数多く出場。プレミアシップとチャンピオンズリーグの二冠に貢献した。またこのシーズン、オシェイはついにストライカーとして試合に出場。マンチェスター・ユナイテッドでゴールキーパーを含む全てのポジションを経験した選手となった。またリーグカップでは初めてマンチェスター・ユナイテッドのキャプテンマークを巻くこととなった。

2007年11月には2012年までクラブとの契約を更新している。

[編集] アンサング・ヒーロー

2008-2009シーズンもオシェイは控え選手としてのスタートであったが、ガリー・ネヴィルウェズ・ブラウンの故障によりサイドバックとしての先発の機会を増やし、最終的には54試合に出場(うち42試合で先発)。チャンピオンズリーグ準決勝アーセナル戦2回戦で決勝ゴールを決めるなど、チームの三冠(世界クラブ選手権、リーグカップ、プレミアリーグ)に貢献した。ファーガソン監督はオシェイの活躍を評し、「かつてのデニス・アーウィンのような隠れた英雄(unsung hero)」と語った。[2]

2009-2010シーズンのプレミアリーグ開幕戦ではゲーム・キャプテンとして先発している。

[編集] 代表キャリア

アイルランド代表ではEURO2004予選からレフトバックのレギュラーの位置を獲得しつつあるが、スティーヴ・ストーントン監督の就任、ケニー・カニンガムの代表引退とともにセンターバックのポジションもこなすようになった。

[編集] 常勝チームを支えるユーティリティーマン

オシェイはトップチームでのキャリアの大半をユーティリティーマンとして過ごし、またそのユーティリティーマンとしての働きによって極めて高く評価されている選手である。

特に、2007-2008シーズンまでベンチ入り人数が5人と少なかったプレミアシップにあっては、誰が壊れても穴埋めに投入出来て、しかもマンチェスター・ユナイテッドのサッカーを壊さずにプレイをすることが可能であり、加えて故障で長期離脱することが無いオシェイの存在感は小さくなかった。特に恒常的にリーグ戦と3つのカップ戦(リーグカップFAカップUEFAチャンピオンズリーグ)を戦うことを宿命づけられ、しかも主力選手の多くがナショナルチームのレギュラーでもあるマンチェスター・ユナイテッドにあっては、彼の存在は貴重であった。

しかしながら、翌シーズンからベンチ入り選手が7人に増えることが決まっていた2007年になおマンチェスター・ユナイテッドはオシェイとの間に5年の契約延長を行っている。この時、名将サー・アレックス・ファーガソンはオシェイを「クラブの誉れ(credit to the club)」と評し、BBCも彼を「マンチェスター・ユナイテッドに不可欠な存在」と形容している[3]

[編集] 評価・プレースタイル

ありとあらゆるポジションでプレーする為、彼のプレースタイルを一言で表現することは難しい。基本的にはどのポジションに入っても守備的な役割を担っているが、サイドバックやサイドハーフに入った際には、相手の様子を見てペナルティボックス付近まで攻め上がることもある。その際には左右どちらの足からも正確なクロスボールを供給することが出来る。

セントラルミッドフィールダーに入った場合には、コンビを組む選手(スコールズ、ギグス、アンデルソン、フレッチャー、キャリックら)に攻撃的な役割を任せて自分は2列目の底をキープし、スペースを埋めたりパスコースを消すという形で相手の攻撃の芽を潰すことに集中する。ボールを奪取した場合は両ウイングに流したりバックパスをすることが多いが、前にスペースがある時にはドリブルで攻め上がるシーンもあり、前線の選手とのワンツーリターンでボックス内まで走り込んだり、鋭いスルーパスをゴール前に入れることも無いわけではない。ただし大きなサイドチェンジのパスを出すといった形での攻撃の組み立ては行わない。また相手のプレスを受けた際に敢えて抜きにかかることも無く、付近に居る味方へのパスを選択することがほとんどである。

足元の技術は決して目立つものではないが無難である。攻撃的なタレントの層の厚さでは世界最高レベルのクラブに一貫して所属している為、同僚と較べて相対的に守備的な選手には見えるが、前述のようにディフェンダー上がりの選手としては決定力は非常に高い[4]

[編集] 所属クラブ

→2000年 イングランドの旗 ボーンマスloan
→2001年 ベルギーの旗 ロイヤル・アントワープFC (loan)

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  1. ^ 放った全てのシュートが枠内に飛び、そのうち8割がゴールマウスを割っている。
  2. ^ ‘Unsung’ O’Shea set for final start
  3. ^ O'Shea extends Man Utd contract
  4. ^ インターネット上のサッカー選手の動画では、意外性のあるプレイを連発する選手として取り上げられることが多い[要出典]


最終更新 2009年10月24日 (土) 07:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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