ジョン・サーティース
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| F1での経歴 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 所属チーム | '60 ロータス, '61,'66 クーパー, '62 ローラ, '63-'66 フェラーリ, '67-'68 ホンダ, '69 BRM, '70 マクラーレン, '70-'72 サーティース |
| 活動時期 | 1960 - 1972 |
| 出走回数 | 111 |
| 優勝回数 | 6 |
| 通算獲得ポイント | 180 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 24 |
| ポールポジション | 8 |
| ファステストラップ | 11 |
| F1デビュー戦 | 1960年モナコGP |
| 初勝利 | 1963年ドイツGP |
| 最終勝利 | 1967年イタリアGP |
| 最終戦 | 1972年アメリカGP |
| タイトル | 1 (1964) |
ジョン・サーティース(John Surtees OBE, 1934年2月11日 - )はイギリス・イングランド出身のレーサー。2輪(モーターサイクル)のロードレース世界選手権(WGP)と、4輪のフォーミュラ1(F1)の両方で世界チャンピオンになった唯一のレーサーである。「ビッグ・ジョン」、「怖いもの無しのジョン」の異名を取る。
目次 |
[編集] 2輪での経歴
サーティースは2輪のレースで7つのタイトルを獲得した。350ccクラスで1958年から1960年まで、500ccクラスで1956年と1958年から1960年までチャンピオンになった。2003年にはMotoGP殿堂入りを果たした。
2008年には、新たにロードレース世界選手権・GP125クラスへの参入を目指すチームとして「マクストラ・レーシング」(Maxtra Racing)を設立した。マシンは中国のグラン・リバー・グループ(大長江)が製造する豪爵(HAOJUE)を用い、2009年より本格的にGP125クラスに参戦する予定。スタッフには元スズキのMotoGPチームでマネージャーを務めたギャリー・テイラー、アプリリアでMotoGPレーサーの開発を手がけたヤン・ウイットーベンなどを集め、まずは3年計画で参戦を進めるとしている[1][2]。
[編集] 4輪での経歴
4輪に転向し、1960年からはロータスでF1にレギュラードライバーとして参戦。1963年にスクーデリア・フェラーリ入りし、ドイツGPで初勝利を挙げる(チームにとって1年半ぶりの勝利でもあった)。1964年には同郷のジム・クラーク、グラハム・ヒルと激しいチャンピオン争いを繰り広げ、最終戦の残り2周でクラークがマシントラブルに見舞われるという幸運で、劇的なワールドチャンピオンとなった(2位ヒルとのポイント差は僅か1点)。勇敢なサーティースはエンツォ・フェラーリに気に入られたが、チーム内のイタリア国粋勢力に疎まれ孤立。1966年のベルギーGPで勝利した直後ル・マン24時間レースに参加したが、予選前にチーム監督と衝突し、そのままフェラーリを去ることになった。
1967年からはホンダF1のドライバーとなるがマシンの戦闘力が低いため、かつて在籍したローラとの仲介役になり、ホンダとローラの共同開発マシン(通称「ホンドーラ」)を熟成。イタリアGPでホンダ第1期活動の最後となる1勝を挙げた。 その後、1970年に自分のF1チームサーティースを立ち上げオーナードライバーとして参戦したが1978年をもってF1から撤退した。
[編集] 戦績
- 1952年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング18位(ノートン)
- 1955年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング6位(ノートン)
- ロードレース世界選手権GP250ランキング7位(NSU)
- 1956年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング4位(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1957年 - ロードレース世界選手権GP350ランキング10位(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500ランキング3位(MVアグスタ)
- 1958年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1959年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- 1960年 - ロードレース世界選手権GP350チャンピオン(MVアグスタ)
- ロードレース世界選手権GP500チャンピオン(MVアグスタ)
- フォーミュラー1世界選手権ランキング12位(ロータス・クライマックス)
- 1961年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング12位(ヨーマン・クライマックス)
- 1962年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング4位(ヨーマン・クライマックス)
- 1963年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング4位(フェラーリ)
- 1964年 - フォーミュラ1世界選手権チャンピオン(フェラーリ)
- 1965年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング5位(フェラーリ)
- 1966年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング2位(フェラーリ、クーパー・マセラティ)
- 1967年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング5位(ホンダ)
- 1968年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング7位(ホンダ)
- 1969年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング11位(BRM)
- 1970年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング18(サーティース・フォード)
- 1971年 - フォーミュラ1世界選手権ランキング18位(サーティース・フォード)
- 1972年 - フォーミュラ1世界選手権ノーポイント(サーティース・フォード)
※ロードレース世界選手権通算優勝38回(500-22回、350-15回、250-1回)、通算表彰台45回(500-24回、350-20回、250-1回)。
[編集] 家族
長男のヘンリーがFIAF2選手権に参戦していたが、2009年7月19日にブランズハッチで事故死した。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ マクストラ・レーシング、上海でプロジェクト発表
- ^ トランスワールドスポーツ(GAORA)・第813回(2009年1月15日放送分)
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最終更新 2009年7月27日 (月) 17:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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