ジョン・テリー
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| ジョン・テリー | ||
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| 名前 | ||
| 本名 | ジョン・ジョージ・テリー | |
| 愛称 | JT | |
| ラテン文字 | John George Terry | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1980年12月7日(28歳) | |
| 出身地 | ロンドン | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 90kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 26 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 2003– | 48 (5) 2008.11.20現在 |
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| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
ジョン・テリー(John George Terry, 1980年12月7日 - )は、イングランド・ロンドンのバーキング地区出身のサッカー選手。プレミアリーグ・チェルシー所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
目次 |
[編集] プレースタイル
フィジカル能力が高く、1対1と空中戦に無類の強さを見せる。深い読みを生かしたパスカットも得意。体格を生かしたヘディングは世界でも最高クラスである。このためセットプレー時には得点源として期待される。また時節、果敢な攻め上がりを見せ、チームに奮起を促すこともある。闘争心を全面に出した気迫溢れるプレーと、高いキャプテンシーを持ち、リーダーとしての資質も高い。イングランド代表のキャプテンも務めている。
[編集] 経歴
少年時代からチェルシーFCのアカデミー(下部組織)に所属する。トップチームに昇格したての頃は同じポジションにマルセル・デサイーやフランク・ルブーフがいたため出場機会はほとんどなかったが、ノッティンガム・フォレストへのレンタル移籍を経て2000-01シーズン、当時の監督だったクラウディオ・ラニエリに重用され出場機会が増加。2003-04シーズンには衰えが隠せなくなったマルセル・デサイーに代わりディフェンスラインを統率した。
2004年にジョゼ・モウリーニョが監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョがフランク・ランパードらイングランド人とともに主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョとともにやって来た新加入のディフェンダー・リカルド・カルヴァーリョとともにリーグ最小失点の堅陣を築いた。ディフェンスだけには収まらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でもUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント一回戦FCバルセロナ戦でのヘディングのゴールはチームを救う一撃となった。尚、このシーズンで自身初となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出されている。
2006年10月14日のレディングFC戦では、GKのペトル・ツェフが前半開始早々に相手MFスティーヴン・ハントのひざが頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKのカルロ・クディチーニも後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。この時、すでに交代枠を3人使いきっていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWのドログバが入ることになった。
2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンをセンターバックに起用していたが、リヴァプールFCとのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、計らずともテリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われたチャールトン・アスレティックとのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。次週のミドルスブラFCではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。
2007-2008シーズンのチャンピオンズリーグ決勝戦VSマンチェスター・ユナイテッドは両チーム譲らずPK戦に突入した。マンチェスター・ユナイテッドで三番目のキッカーを務めたクリスティアーノ・ロナウドのキックをGKペトル・ツェフが止め、決めれば優勝という状況で5番目のキッカーであったテリーに順番が回ってくる。しかし降りしきる雨によってぬかるんだピッチに足をとられたテリーはボールをポストに当ててしまい失敗。その後チェルシーFCで7番目のキッカーを務めたニコラ・アネルカのキックをエドウィン・ファン・デル・サールが止め、結果マンチェスター・ユナイテッドに敗北した。テリーは涙を流し悲嘆にくれ、その後チームのホームページ内で謝罪をした。しかし「彼こそはチェルシーである。彼が居なければ我々は決勝に勝ち進むことは出来なかっただろう」とランパードが語るように擁護の声も多かった。 それを裏付けるように、このシーズンで自身二度目となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出される。いちセンターバックとしてのパフォーマンスだけを見れば、同大会の決勝を戦ったマンチェスター・ユナイテッド所属のリオ・ファーディナンド等の選手と比べて果たして上だったかに関しては議論の余地があるだろうが、このシーズンで最も人々の記憶に残ったディフェンダーはと言えば間違いなくこの人である。チェルシーFCで見せるキャプテンシー等も踏まえれば納得の受賞と言えるだろう。
[編集] 代表実績
代表初出場は、2003年6月のセルビア・モンテネグロとの親善試合。
EURO2004にも代表入りし、出場停止中だったリオ・ファーディナンドに代わり3試合に出場した。
2006 FIFAワールドカップではソル・キャンベルに代わりレギュラーに定着、ファーディナンドとともにイングランドの堅守を支えた。
現在彼は、デビッド・ベッカムに代わってイングランド代表のキャプテンを務めている。スティーブ・マクラーレン監督就任後、初めてベッカムが招集された2007年6月1日の親善試合ブラジル戦では、ベッカムのフリーキックにテリーが頭で合わせ得点した。
[編集] その他
- チェルシーの下部組織に入団する前はセンラブFCという少年チームに所属しており、中盤でプレイしていた。その時のチームメイトにボビー・ザモラ、レドリー・キング、ポール・コンチェスキー、ジェイロイド・サミュエル、一つ下の年代にジャーメイン・デフォーら、現在はプレミアリーグでプレイするメンバーが多数所属していた。
- チェルシーユース出身であり生涯チェルシーでプレイする事を誓っている。
- 「26」という、主力選手としては大きな背番号を背負い続けているが、これはかつて「25」を背負っていたチェルシーの英雄、ジャンフランコ・ゾラへの敬意であり、「もう一歩進めば、偉大なゾラに追いつける」という思いが込められている。
- 現在の妻であるトニーさんとは学生時代から10年以上の交際で07年6月に結婚した。男女の双子の子がいる。
- プレイステーション2でしばし遊ぶという。その熱中ぶりはチームメイトを家に招き、自身がイメージキャラクターにもなった、コナミのウイニングイレブンのパーティーを開くほど(しかもトロフィーまで作っている)。因みにこのパーティではチームメイトのグレン・ジョンソンとジョー・コールがそれぞれ優勝し、今度はティエリ・アンリも招いてパーティーをすることを示唆している。
- 前述の2006年末の腰の手術で椎間板の一部を除去し、クラブ側からは約一ヶ月の離脱という発表があった。しかし、手術の翌日には軽いランニングをこなしてしまった。
- 06/07シーズンカーリングカップ決勝アーセナルFC戦は直前の負傷で出場が危ぶまれていたが、無事に出場。しかし、コーナーキックからの混戦でボールを頭で押し込もうとして、ボールをクリアしようとしたアブー・ディアビの蹴りをまともに顔面で受けてしまい、気絶してしまった。[1]応急処置の後に病院に運ばれたが、その後無事に優勝セレモニーに参加している。
- 実兄(ポール・テリー)もプロサッカー選手で、リーグ1のレイトン・オリエントFCでプレーしている。
- 前述のチャンピオンズリーグ決勝戦でのPK失敗を皮肉られたこのようなものまで現れた。
[編集] 所属クラブ
- 1997年-現在
チェルシー
- →2000年3月-2000年5月
ノッティンガム・フォレスト (loan)
[編集] 脚注
| チェルシーFC - 現所属メンバー |
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1 チェフ | 2 イヴァノヴィッチ | 3 A・コール | 5 エッシェン | 6 カルヴァーリョ | 8 ランパード | 10 J・コール | 11 ドログバ | 12 ミケル | 13 バラック | 15 マルダ | 17 ボシングワ | 18 ジルコフ | 19 フェレイラ | 20 デコ | 21 カルー | 22 ターンブル | 23 スタリッジ | 24 マティッチ | 26 テリー | 33 アレックス | 35 ベレッチ | 39 アネルカ | 40 イラーリオ | 41 ハッチンソン | 44 カクタ | 45 ボリーニ 監督: アンチェロッティ |
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最終更新 2009年8月27日 (木) 23:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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